深谷上杉氏 ⑦
時系列通りには行かないと思いますが、深谷上杉氏に関連する史跡等をを数回にかけて紹介中!
今回も、守りのため深谷城周囲に築いた支城のひとつを取り上げました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3e/2871f672ad7db89a78ed4f58ee11a66e.jpg)
埼玉県深谷市谷之にある曲田城跡(まがったじょうあと)を訪ねてみました。
谷之城ともいわれています。岡谷家譜によりますと、深谷上杉の家臣、皿沼城主・岡谷加賀守香丹は皿沼城を子の清英にゆず
ってこの曲田城に隠居し、城内に僧自明和尚を招いて皎心寺を開きました。寺は曹洞宗で岡谷山と号し、本尊は釈迦牟尼仏で
す。香丹は元亀元年(1571)、自明和尚は天文4年(1535)に亡くなりました。天正18年(1590)小田原落城の時、老臣小
内外記之助が、この曲田城及び皎心寺を守っていました。寺の東に槇の木がわずかに城の名残りを留めています。
(深谷上杉顕彰会の現地説明板より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/40/783803763b4961d18c663ccfe5d9b84d.jpg)
皎心寺山門と寺号標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/26/57b3b19601297d0767f73a9ad52fe865.jpg)
境内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/68/560b4a5c3a8ee969b00ade0f42417101.jpg)
曲田城跡説明板 本尊の箇所が退色して読めませんでしたが、なんとか「釈迦牟尼仏」と解読(間違いないと思います)
そもそもこの皎心寺は曹洞宗の寺院で、曹洞宗の本尊は「釈迦牟尼仏」(一般的には)ですから強引に読んじゃいましたが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/aa/7a8f6b8838135876b17764591542c079.jpg)
本堂 置き石のある庭を間違っても歩かないように。足跡がついてしまいますので。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f8/3d4e4d7360c13beb77308a67569f1255.jpg)
山号・寺号の扁額 山号の「岡谷山」は岡谷加賀守香丹からであることは誰にでもわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c7/bd0576656207480ae19f2cdf24a7b711.jpg)
鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/28/c7205eb321b6b18391ae309a40a9cf7e.jpg)
皎心寺の北方にある堀跡 現在は用水路として使われているようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/bc/d9c67fea830358d1f12e173ac4027490.jpg)
上の写真の堀の部分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/96/257f794b35d8ae26334d02e40ff28631.jpg)
堀は民家の脇にもつながっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3c/8070e46348cb05c33e349318516d1606.jpg)
皎心寺北方の風景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/38/ccb3dec9c1926c6fa05a769d71ada76a.jpg)
おまけの写真です 鳥の名は分りませんが
散策日:平成29年(2017)12月19日(火)他1日
時系列通りには行かないと思いますが、深谷上杉氏に関連する史跡等をを数回にかけて紹介中!
今回も、守りのため深谷城周囲に築いた支城のひとつを取り上げました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3e/2871f672ad7db89a78ed4f58ee11a66e.jpg)
埼玉県深谷市谷之にある曲田城跡(まがったじょうあと)を訪ねてみました。
谷之城ともいわれています。岡谷家譜によりますと、深谷上杉の家臣、皿沼城主・岡谷加賀守香丹は皿沼城を子の清英にゆず
ってこの曲田城に隠居し、城内に僧自明和尚を招いて皎心寺を開きました。寺は曹洞宗で岡谷山と号し、本尊は釈迦牟尼仏で
す。香丹は元亀元年(1571)、自明和尚は天文4年(1535)に亡くなりました。天正18年(1590)小田原落城の時、老臣小
内外記之助が、この曲田城及び皎心寺を守っていました。寺の東に槇の木がわずかに城の名残りを留めています。
(深谷上杉顕彰会の現地説明板より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/40/783803763b4961d18c663ccfe5d9b84d.jpg)
皎心寺山門と寺号標
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/26/57b3b19601297d0767f73a9ad52fe865.jpg)
境内
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/68/560b4a5c3a8ee969b00ade0f42417101.jpg)
曲田城跡説明板 本尊の箇所が退色して読めませんでしたが、なんとか「釈迦牟尼仏」と解読(間違いないと思います)
そもそもこの皎心寺は曹洞宗の寺院で、曹洞宗の本尊は「釈迦牟尼仏」(一般的には)ですから強引に読んじゃいましたが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/aa/7a8f6b8838135876b17764591542c079.jpg)
本堂 置き石のある庭を間違っても歩かないように。足跡がついてしまいますので。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f8/3d4e4d7360c13beb77308a67569f1255.jpg)
山号・寺号の扁額 山号の「岡谷山」は岡谷加賀守香丹からであることは誰にでもわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/c7/bd0576656207480ae19f2cdf24a7b711.jpg)
鐘楼
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/28/c7205eb321b6b18391ae309a40a9cf7e.jpg)
皎心寺の北方にある堀跡 現在は用水路として使われているようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/bc/d9c67fea830358d1f12e173ac4027490.jpg)
上の写真の堀の部分
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/96/257f794b35d8ae26334d02e40ff28631.jpg)
堀は民家の脇にもつながっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3c/8070e46348cb05c33e349318516d1606.jpg)
皎心寺北方の風景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/38/ccb3dec9c1926c6fa05a769d71ada76a.jpg)
おまけの写真です 鳥の名は分りませんが
散策日:平成29年(2017)12月19日(火)他1日