四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

伊勢方城(埼玉県深谷市)

2017年12月26日 | 100名城以外の城館跡
深谷上杉氏 ②
必ずしも時系列通りにはいきませんが、深谷上杉氏に関連する場所の第2弾。
深谷上杉氏が庁鼻和城から深谷城に移る間の繋ぎの城(仮城)と言われる伊勢方城を。



埼玉県深谷市伊勢方地内に遺る伊勢方城跡を訪ねてきました。
山内上杉家の上杉憲顕の六男である上杉憲英が武蔵国幡羅郡庁鼻和(こばなわ)に構えた館である庁鼻和上杉を名乗り3代続き
ましたが、5代目(4代目とも言われる)にあたる憲英の曾孫の上杉房憲は深谷城を築いて移り、深谷上杉と称しました。
この深谷城を築くまでの仮城として築いたのがこの伊勢方城であることから、伊勢方仮城・上杉仮城とも言われます。
康正2年(1456)深谷城が完成し伊勢方城は廃されました。伊勢方の八幡神社や公会堂がある付近一帯が仮城が築かれていた場
所とされ、遺構として残るのは用水路となった民家の西側にある水堀跡くらいのようです。
なお、深谷城に移ったあと庁鼻和城は廃城となり、城跡に深谷上杉氏の菩提寺として国済寺が建立されました。
また、深谷城完成以後は、深谷四宿老の矢井氏がこの城に居住したといい、名前の伊勢方もこの矢井伊勢守重家から取ったもの
であるという話しもあるようです。




目的地伊勢方城跡を目指す目標にしたのがこの伊勢方の八幡神社




八幡神社社殿  大きな神社ではありませんが伊勢方村の鎮守でした。




鳥居の傍らに設置されている八幡神社の説明板
仮城についての説明もなされています。深谷上杉顕彰会の皆様には感謝感謝です。




八幡神社の北側(右側)の道を西方向に進むと少ししたところで民家が切れて耕地となります。




西進してきた道を振り返ってみました。




用水路 これも水堀跡かどうかは不明ですが、民家西側の用水路(水堀跡)とつながっています。




角に石造物が建っていますが何でしょうか?




民家の西側を流れる用水路(水堀跡)  くねくねと曲がっているのがよくわかります。




上の用水路を反対方向から見てみました。




集落(民家)を囲みこむように曲がっていきます。




曲がったあたりには土塁らしきものが見えます。水堀に沿って土塁が築かれていたのかもしれません。

もう少し遠方から集落を撮って来ればよかった後悔しています。

散策日:平成29年(2017)12月14日(木)他1日