四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

岡部氏館(埼玉県深谷市)

2017年12月22日 | 100名城以外の城館跡


埼玉県深谷市普済寺地内(旧大里郡岡部町普済寺)にある岡部氏館(岡部六弥太忠澄館)跡を訪ねてみました。
岡部氏館は、発掘調査等から、一辺南北240メートル、東西270メートルの約6町歩の広大な範囲が館跡と推定しているようです。
館跡は普済寺の周辺一帯が館跡とされますが、遺構はほとんど宅地化と耕地化で湮滅していて、物見台跡とされる高台や、土塁
らしき遺構が残るだけです。
岡部六弥太忠澄については、同人の墓にある説明板に述べられていますので省略します。
写真は、館跡の中に建てられている普済寺です。




山門の寺号「普済寺」の扁額
寺号の普済寺は六弥太の法名「普済寺殿道海大禅定門 (ふさいじでんだいぜんじょうもん)」から。また、山号は「玉龍院」と
号し、「玉龍院殿妙和大禅定尼(ぎょくりゅういんでんみょうわぜんじょうに」からによるようです。




本堂  中央には「 丸に跳ね十字」紋がありますが岡部氏の家紋でしょう。




境内にある平忠度の歌碑
「ゆふくれて 木のしたかげをやどとせば 花やこよひの主ならまし  忠度」
一ノ谷合戦で岡部六弥太忠澄は平家方の大将平忠度(ただのり)を討ちましたが、忠度の供養塔を自分の領地の一番良い場所に建
てて供養したようです。
供養塔が建てられた場所にその後「清心寺」が創建されました。本稿末尾に忠度の供養塔の写真を載せておきます。




普済寺の北東にある物見台跡  稲荷神社が鎮座しています。




この物見台跡ようなものは、古墳(菅原稲荷塚古墳・堂山古墳)のようですが、古墳を物見台として機能させていたのかもしれ
ません。




物見台跡から普済寺北方に位置する菅原神社を望みます。




菅原神社一の鳥居




朱色の二の鳥居




社殿




菅原神社の右隣にある厳島神社




神社の北東隅を囲む水堀 鴨が泳いでいました




普済寺の西方100mくらいの所にある「岡部六弥太忠澄の墓」 忠澄だけでなく一族の墓所のようです。




説明板  忠澄について記されています。




鉄の扉で施錠されていますので中には入れず、全体を一度に見ることができません。




中央の五輪塔(削られて変形している)が忠澄の墓。 向って右側が父行忠の墓 左側が夫人玉の井の墓と言われているようです。




右横から覗いてみました。手前が父行忠の墓 二番目が忠澄の墓 三番目が夫人玉の井の墓 (説明するまでもないですが)




右側の五輪塔が三番目が夫人玉の井の墓




「岡部六弥太忠澄の墓」のある場所から東方に向けて撮ってみました。このあたり一帯が館跡のようです。




「岡部六弥太忠澄の墓」西側にある民家脇の土塁 
写真左下にあるのは土塁の上に祀られていた祠などの残骸のようです。




さらに北隣の家の道路沿いにも土盛がありますが、これは土塁とは違うような気がします。




忠澄が建てた平忠度の供養塔がある清心寺(深谷市萱場)




平忠度の供養塔(右側の五輪塔)  門前の標柱では墓となっていますが供養塔です。

散策日:平成29年(2017)12月14日(木) ※実際には都合4回訪ねています。