四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

皿沼城(埼玉県深谷市)

2017年12月30日 | 100名城以外の城館跡
深谷上杉氏 ⑥
時系列通りには行かないと思いますが、深谷上杉氏に関連する史跡等をを数回にかけて紹介中!
守りのため深谷城周囲に築いた支城のひとつです。



埼玉県深谷市上敷免字皿沼にある皿沼城跡を訪ねてみました。

深谷上杉氏の家臣岡谷香丹は、近くを鎌倉街道が通っているため、利根川を渡って攻めてくる古河公方の軍に備えるため、深谷
城の北辺の守りとして、延徳3年(1491)築城しました。伏見神社を城内にまつり、諏訪神社を城の鎮守としましたが、のち城
を長子清英にゆずり曲田城に隠居しました。清英は文武両道にひいでた武将で、深谷上杉三宿老の一人として活躍、上杉謙信か
らその武勇をたたえられています。天正18年(1590)深谷城と共にこの城も亡びました。城のあった地点は高台でしたが、煉
瓦の原料として堀り取られ、水田になり、現在「ジョウ」の呼び名が残っています。(深谷上杉顕彰会の現地説明板より引用)




皿沼城跡は、唐沢川に架かる3号橋の東側の土手に説明板があるのでそこを目指せばよいとのことでありました。
そして、これが3号橋から見た説明板ですが、左に石碑は唐沢放水路記念碑で、城跡とは関係ありません。
写真で見るといとも簡単に来たようにですが、ここに至るまでにはいつものようにあちらこちらと無駄に・・・




唐沢川




冒頭で引用させていただいた現地説明板




右側の丁度日陰になっているところに堀跡が走っています。




3号橋道路を東に進み、民家の脇を南北に延びる堀跡を道路から  奥でL字形に曲がり上の写真の日陰になっている堀跡とつながっています。




堀跡の所から土手にある説明板方向に




更に東に進み土手方向を  左側(南側)の側溝も堀跡のようです  右側(北側)にあるのが諏訪神社




城の鎮守とした諏訪神社




社殿

散策日:平成29年(2017)12月19日(火)他1日