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句 : 今日はかり 人も年寄れ 初時雨
(きょうばかり ひともとしよれ はつしぐれ)
出 典: 『続猿蓑』 元禄5年(1692) 芭蕉49歳の時の句
所在地:埼玉県鴻巣市本町 勝願寺境内
建立日:天明7年(1787)
建立者:勝願寺住三十世仁譽代
※芭蕉忌千句塚が建立されたのが天明7年で【芭蕉忌千句塚碑】は70年忌には間に合わず建立はその24年
後と言われます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/2e/2f3c3242d327a7ebaa09995319dbfdcf.jpg)
【芭蕉忌千句塚】
芭蕉忌千句塚碑の芭蕉忌千句塚の文字の右側に芭蕉の句『けふはかり 人も年よれ 初時雨』が刻まれています
裏に柳几の句『碑面蕉翁の吟にて夕暮をこらえこらえて初時雨』が刻まれています
【芭蕉忌千句塚』の左側にある句碑は鴻巣の俳人笠島庵春友辞世の句『紫陽花や人の寄るのもおもしろき』
が刻まれています
=江戸期の俳人横田柳几=
本名を横田三九郎盛英(8代目)といい、享保元年(1716)鴻巣宿に生まれました。家業は歴代酒造業を
営む旧家で、元の石橋町(現本町6丁目)にありました。若くして俳諧を学び、初め伊勢派の中川乙由の
門に入りますが、後にその高弟佐久間柳居に師事し、布袋庵柳几と号しました。生涯を通じて旅を好み、
多くの紀行文を残しています。
宝歴13年(1763)、芭蕉翁70年忌にあたり追善興業として布袋庵に20余名が集まり、1日千句の吟を行っ
ています。そして、天明7年(1787)には、その千句を壺に納め、菩提寺の勝願寺に「芭蕉忌千句塚」を
建立しています。
《鴻巣の文化財第3号 鴻巣に活躍した人びとー伝統から実在の人物までー
平成14年9月5日 鴻巣市教育委員会編集》から抜粋
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【勝願寺山門(仁王門)】
勝願寺(しょうがんじ)は、浄土宗の寺院で、浄土宗の関東十八檀林の1つであり、号は天照山良忠院
徳川家ゆかりの寺でもあります。
信濃国上田藩主真田信之の妻小松姫の墓(分骨)、信濃国小諸藩主仙石秀久の墓(分骨)、伊奈忠治夫妻
および伊奈忠次夫妻の4基の宝篋印塔、横田柳几の墓等があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/72/79dd7528ad57f8140b7381fdfe3b1329.jpg)
【本堂】
芭蕉忌千句塚は本堂左手にあります
散策日:平成28年(2016)11月28日(月)