7月1日、雨が降ったりやんだりという天候の下、熊谷市大塚地内にある『大塚古墳』を訪ねてきました。
同古墳は、熊谷スポーツ文化公園の北東角の向かい側にあり、現在、墳丘には熊野神社が鎮座しています。
『大塚古墳』は福川右岸の自然堤防上に造営された中条古墳群の大塚支群に属する古墳です。中条古墳群
は、かつては前方後円墳、円墳、方墳など39基を数えたそうですが、その多くは開墾などにより破壊され、
半壊した墳丘を留めるものが2基という状況のようで、そのうちの1基が大塚古墳です。
上の写真は、古墳の西側から撮ったものです。
名 称:大塚古墳(おおつかこふん)
別 称:中条大塚古墳(ちゅうじょうおおつかこふん)
墳 形:円墳
規 模:直径約59m、高さ1.2mの基壇上に、直径35m、高さ4m以上の円形の塚がのった形
石室は横穴式石室 全長9.6m、最大幅3.4m、現在、玄室は奥室だけ残る
築 造:古墳時代後期(7世紀前半)
出土品:鉄鏃・鞘尻金具・須恵器の大甕など
指 定:熊谷市指定史跡(名称:大塚古墳 昭和34年〔1959〕11月3日指定)
所在地:埼玉県熊谷市大字大塚365
熊野神社参道 参道は大塚古墳(熊野神社社殿)の南側に設けられています
参道脇に大塚古墳の石室の天井部に使用されたものと思われる大きない一枚石
石室は埋め戻されたようで見当たりませんでした
『大塚古墳』説明板
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熊谷市指定文化財史跡
大塚古墳
指定年月日 昭和34年11月3日
所 在 地 熊谷市大字大塚
大塚古墳は、古墳時代後期(7世紀前半)につくられた円墳で当地を支配していた豪族の墓であろうと
推定されています。
墳丘は、直径約59m、高さ1.2mの基壇上に直径約35m高さ4m以上の円丘がのった形です。全体
で、5.2m以上の高さになると考えられます。
現存する墳丘は、北西部分のみ残存していて、墳丘全体の約四分の一が残っている状態です。
二度にわたる発掘調査により、埋葬施設は、奥室・前室をもつ複室構造の胴張型横穴式石室であること
が確認されています。
石室内から、鉄製小札・鉄鏃・金銅製鞘尻金具・勾玉のほか、金箔装漆塗木棺の破片が出土し、西側の
基壇上からは、須恵器の甕が列をなして出土しました。
平成16年7月 熊谷市教育委員会
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南南西側から墳丘を
墳頂(熊野神社)への登り口
西方に向かっている石段を登り登り朱色の屋根の末社のところで北方に向きを変えて
墳頂に鎮座している熊野神社の社殿
社殿裏側(北側)の状況
葺石と思われる大き目の石が何個か露出しています(写真ほぼ中央)
墳丘下北側の状況
散策日:令和6年(2024)7月1日(月)