水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

関・2

2005-04-20 22:02:31 | Weblog

精神世界のもう一つの落とし穴。
それは・・・マジメに説明する事だ。
マジメにすると、迷宮になる世界だ。
ヒネクれているよなぁ・・・。
正しい言葉で理論的に表せられない世界だ。
だって、科学的の裏側の世界だもん。

立派で正しい(ように思える)言葉は、
簡単に人を欺くことができるんだ。
宗教組織の勧誘だけじゃないが、
古今東西、山ほど騙されている事実がある。
立派な言葉は政治家でも言えるんだぜ。
目を覚ませよなぁ・・・。

と、いうわけで、話は下品に進めることにした。
(一部の下品ファンの人、お待ちかねです・・・
マジメな、すぐ怒る人はここから先は読まないでね。
ワシの話は間違っています。下らないです。ハイ)

(注1:オナゴの胸元が門です・・・)
ある日、広く胸元を開けてニコッと微笑む美女がいた。

(注2:ワシは美女を多く登場させるが、ワシの好みというわけじゃない。
どうでもいいのだが、美女しか寄って来ないので仕方無く登場させている。
ちなみに、ワシは美男ではありません・・・。
美女と美男は、それほど相手が好きじゃないようです。
全国の美男でない、美女好みのオトコ共、朗報ですよ。
全国の美女でない、美男好みのオナゴも朗報ですよ)

しかも、何故かワザとらしく屈んだりして。
(その心使いは、とてもイイと思う・・・)
日々の努力が報われた(な、何の努力だぁ?)
ボクの運命が好転する♪

話はイキナリ現代へワープします。
ワシはオナゴに質問した。
「胸元の開いたオナゴの何処に目が行く?」
「胸の谷間でしょ」
以上、極めて狭いアンケートから結論です。
「人間はオトコもオナゴも胸元が開いていると、
谷間を覗きたがる本能を有している」

精神世界というのは、意識する事が「行動」となる。
オナゴの胸の谷間に意識すると、その世界に行く事になる。

「門は開かれた。求めよ、さらば開かれん」
おお、キリちゃんの言葉は本当だった!
思えば、叶うのだ!
(注3:意味、間違えていると思う・・・まぁ、いいけど)
胸の谷間に氣をとられ、更に谷間の奥を覗きたいと思った。

ここまでで、幾つかの出来事を整理しましょうね。
A 努力すると美女が胸を広げる。
  (表現の仕方が、少しヘンだなぁ・・・)
B 最初から谷間が見えるのはイイ事だと思い込んでいる。
  (固定概念・・・条件反射・・・耳が痛い・・・)
C 谷間が見えると、更に奥を覗きたくなる。
  (谷間に氣を盗られている事に気づかない)


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関・1

2005-04-19 21:26:07 | Weblog

精神世界は多重次元構造だ。
(もう、これだけで、わけがわからん世界だなぁ。
まぁ、本気にしないで読んでね・・・)
深さ(濃さ)だけじゃない構造だ。
層や場は重なり合うが、そのまま行き来は出来ない。

別の世界に行くには門がある。
気づかねば、見えない門だ。
見えない塀が結界だ。
塀の幾つかの箇所に門がある。
その門は「関」になっている。
「関」とは結界の結び目だ。

精神世界にはワナがある、と書いた。
落とし穴というワナだ。
ワナは門に仕掛けられている。
「関」は門の形をしている。
その門が開く場合がある。

「アナタの為に、開けたわよ(ハート)」
そうか、ワシもいいオトコになったのかぁ・・・
苦しい修行したもんなぁ・・・ご褒美だぁ。
鼻の下を伸ばして、入り込む。
もちろんルンルンだもの、足元なんて観ないさぁ。

門をくぐる時の常識
「看脚下」
門が開いた嬉しさに・・・忘れてる・・・
これがワナなんだなぁ・・・
つまづき、落ちている事さえ気づかない。
浮かれると、状態が観えないもんね。

「門」は開くけど、「関」は開かないんだ。
ここを最初から見抜けないと、ワナに落ちる。
「関」は通行手形が必要なんだ。
開いた門には小さな貼り紙がある。
しかも・・・足元に・・・。
「お帰りはこちら」

精神世界は・・・根性が悪い世界だねぇ。
あるいは・・・度のすぎたイタズラの世界だ。
ヒネクれ、ネジれ、嘘(試験)だらけの世界だ。
精神世界が素晴らしい世界だと思ったら、
ほとんどは・・・落とし穴に落ちる。

精神世界を創ったモノは、性格が悪い・・・。
神様というのは、性格がヒネクれている。
オチャメという表現でもいいけどね。
(ちなみに、ワシはこういうの、好きなタイプです・・・。
って、神様に好意を告白して、どうするつうの?)

門は何の為にある?
そして、関を通るにはどうする?

関は関所のことだ。
関所を通るには、通行手形が必要だ。
性悪(オチャメ)な相手が降参するモノ。
それが精神世界の通行手形になる。

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異との遭遇・5

2005-04-18 21:20:52 | Weblog

「異との遭遇」には条件がある。
「縁」というヤツだ。
「縁」はネットワークの仕組みだ。
中継点(相手や出来事)を幾つか通り、
やがて「異」に出会う。

それらの中継点を受け入れる(面白がる)と、
普段なら出会えない相手や出来事に当たる。
わけがわからんモノと出会えたのだ。
さぁ、どうする?
ここが分岐点になる。

既成のモノなら安心かもしれないが、
生命力は穏やかな衰退に向かう。
だが、異のモノなら期待できる。
安全か危険かはどちらも同じだ。
既成は安心に思えるが、安全とは限らない。

既成だけだと不安は増していく。
いや、不安が増すのではない。
生命力があると「不安を気にしない」のだ。
生命力が衰退するから、不安が大きく感じる。

同じ場から動こうとしない事を「閉じこもり」という。
何も部屋だけが「閉じこもり」じゃないのだ。
同じ意識から動こうとしないのが「閉じこもり」だ。
今や、日本中のほとんどの人が「閉じこもり」傾向だ。
閉じこもりは・・・生命力を衰退させる。
不安を取り除く力が衰退する。
不安だらけの・・・国の意識。

人間は5分先の事さえわからない。
時間的未来が安全だと確信できる人間は無い。
誰でも、いつでも、不安が当たり前なんだ。
不安の道を歩くように創られている。
だから・・・不安がどうした?
不安は普遍にあるものだ。

問題は不安がある事じゃないだろう。
不安に「氣を取られる」事が問題だ。
問題には・・・答えが必ず用意されている。
解答用紙にはこう書こう。
「生命力の活性化」(98点!)
(何も100点取らなくてもいいだろ?)

答えを書いたら、実行だ。
実行には幾つも方法がある。
活性化には幾つも方法がある。
その一つが「異との遭遇」


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異との遭遇・4

2005-04-17 20:48:40 | Weblog

「異」とは固定概念外のモノだ。
だが工夫次第で暮らしに取り込める相手だ。
異国にも異星にも暮らす事ができる。
宇宙人や妖怪なら工夫次第で仲良くなれる。
まして同じ地球上の生き物同士が、
考えや肌の違いや宗教の違いくらいで、
仲良くなれないはずがない。

「奇」ならば日常生活に取り込めない。
心を奪われるから、生活からは離れる。
心奪われるから、自立できない。
「自立は共生共存の自覚」だ。
自他の共生共存の自覚が無ければ、
「いのち(生命と魂)」は衰退する。
この世は自分勝手では生きられない。

共生共存とは、異種異様なモノ達と暮らす事だ。
同種族や同波動だけが仲良くなることじゃない。
それは、多分、あの世の仕組みだろう。
あの世は、同波動帯の世界だろうね。
天国と地獄が分かれているのなら・・・。

この世は、多種多様、異種異様なモノの混合世界だ。
混合は混合するから生命が活性化する。
純粋培養は活き続けられない世界だ。
天国も地獄も同空間、同時に存在している。

異のモノと触れ合う事ができる世界。
触れ合い、認め合うと、生命力は活性化する。
異のモノを知り「やわらぎ」を自覚する世界。
ここに病からの脱却の大きなヒントがある。
行き詰まった壁が消えていくヒントがある。

心はの行き詰まりは、
同情では元気になれない。
かといって、叱咤激励では壊れてしまう。
優しさがあっても空回りするのだ。
同情も激励も関係ない「異」なモノ。
「異との遭遇」は活路を開く・・・かも。

最近、アブナイと思う。
アチコチの国の政策。
国民全体の思考パターン。
同じ考えが集まる「場」は必ず衰退するのだ。
それが、どんなに正しく思えても・・・。

各業界、各地域、一つの企業内、学校、家庭。
それらの情報を扱うマスコミ。
国全体が、同じ思考経路だと・・・
国は衰退する・・・。

まぁ・・・いいけどさ。
(よくないかなぁ??)


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異との遭遇・3

2005-04-16 18:31:25 | Weblog

「未知との遭遇」の他にも遭遇はある。

仕事にマジメで酒も博打もオナゴ遊びもせず、
会社と家の往復の人生。
可もなし不可もなしの妻と子供達。
あと幾年かで定年になるオッサン。

フッと何気なく入ってしまった店。
美女がいた。
衣服の面積は少ない。
普通の服を買えないくらい貧しいのか?
オッサンの服を脱がして、
ニコっと笑う。
何か・・・期待していいのかな?

イキナリ、
背中に衝撃が走る。
その瞬間、
オッサンの全感覚にも衝撃が走る。
こ、これが・・・悦楽かぁ!
「ムチとの遭遇」・・・・

森の中でワシは迷っていた。
目の前に小さな泉があった。
イキナリ、美女が・・・。
薄い布が濡れて、素肌に張りついている。
わぉ!ラッキー♪

「お前が落としたのは、金のオチか?」
いつも尻切れトンボの文章書きは首を振った。
「いいえ、め、滅相もございません」
結構、己を知っている・・・
「では、銀のオチか?」
ブンブン(首を振る音)
ゴクリ(美女の姿を見て、生唾を飲む音)

「お前は正直者だな。褒美をやろう」
そう言って、美女は光輝くオチを取り出した。
「これはクリスタルのオチだ。存分に使うがよい」
駄文書きのオッサンは、ヨダレを拭きながら受け取った。
こうして水上陽平の文章には、
時々クリスタルのオチが使われた。
だが・・・クリスタルが透明すぎて、
誰もオチに気づかなかった・・・。
「オチとの遭遇」だったのだが・・・

す、すんません・・・
今日は御筆先様がお休みしています。
有給休暇だそうです・・・。

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異との遭遇・2

2005-04-15 22:02:17 | Weblog

ワシは十代の終わりに「精神世界」に触れた。
とてもアヤシイ世界だ。
今は「アヤシイ」と「当たり前」が多少は区別つくが、
自分が無知だと気づく前は区別が出来ない。
この世の仕組みはヒネクレている。
自分が無知・アホだと知ったら、少しは目が見える。

そういう世界に行き来していると「奇」と遭遇する。
ワシは母方の祖母の影響で免疫力があったのが幸いした。
祖母は特殊な能力を自然体で使っていたのだと思う。
それでも、スゴイ事を体験した、と勘違いしがちだ。
神秘体験なんて言葉で包むとアブナイ・・・。
(そんなのに惹かれて狂団に入る人達がいたなぁ・・・)

後年、この道に入るキッカケとなった生駒山。
故御師匠様の毎日、毎回の「奇跡」を見ていたら、
「奇跡は日常」と思えるようになった。
こちらは「奇」でなく「当たり前」だった。
奇跡と見えたのは、
ワシが「無知」であり「未知」だったからだ。

龍村師匠と初めて言葉を交わしたのも、ある出来事だった。
詳しい話は書かないが、朝のとてもありえない体験だった。
龍村師匠はニコニコと笑い、
「まぁ、そういうこともあるわなぁ」と言った。
あまりに軽く、肩透かしをくったような気がした。

その真意が理解できるのは、更に後年だ。
龍村道場に通って、いろいろな学びをした。
当然、龍村師匠も奇体験をしている。
龍村師匠の師匠、故沖先生に「あれは何でしょう?」と尋ねた。
「そういう事に惑わされない心が大切だ!」
故沖先生の奇体験は更に多かったろうが、
何が大切かを見失う事はなかった。

精神世界は落とし穴のワナがある。
試験のようなものだが、落ちると本当に「落ちる」
現状維持にならないのだ。
手は二つ。試験を放棄するか、クリアするかだ。
解答はいつも同じ「とらわれない・惑わされない」
答えはシンプルでも実行は難しいぞ。
特殊な体験と感覚だから心を奪われやすい。

「奇との遭遇」には
「まぁ、そういうこともあるわなぁ・・・ハハハ」
ワシも、今ならそれだけだ。
あれこれ、氣を向けない意味がわかるからだ。
今回のテーマは「奇」ではなく「異」だ。
師匠達のお陰で「奇」と「異」の違いは判る。

昔「未知との遭遇」という映画があった。
宇宙人を登場させていたが、意識の「未知」を描いた。
「未知」との対応法を描いた作品だと思う。
人が「未知」に出会った時、どう行動するか?
それによって「未来(明日)」が開ける・・・かも。

宮崎駿監督のアニメの多くは、この部分が底辺にある。
主人公達は「未知」や「異」を素直に受け入れる。
「異との遭遇」を、日常へ溶け込ました。
トトロと友達になり、カオナシに優しくし、
オームを守り、カルシファーとも仲良くする。

「異との遭遇」で主人公達の「生命力」はどうなった?
心の「やわらぎ」がどんな力を生むか、
あの作品は教えてくれている。
激しさではなく、力強さでもない。
生命の活性化は「やわらかさ」が引き出すようだ。

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異との遭遇・1

2005-04-14 18:12:26 | Weblog

ワシの仕事は「生命力の活性化」だ。
一応プロとしのての特殊な事もするが、
暮らしの中で応用できる方法を知らせるのも仕事だ。
というわけで、こういった雑記を書いている。
息抜きでも、ストレス解消でも、お遊びでもない。
ワシにはそういう事が必要ないし・・・
全て本気、全て冗談だ。

どんなテーマで、どんなクダラナイ雑記を書いても、
読んだ人が気づかなくても、誤解しても、理解できなくても、
何故か「生命力が活性」するように仕掛けている。
仕掛けは「結界付き」なので、無理強いは一切無い。
安心して読んでくれ。
ワシは余計なお世話までするほどマメじゃない。

アチコチに(何かが)散らばっている。
まぁ、後は受け取る側次第ということで・・・。
持っていきたい人は勝手に持っていけばいい。
更に触りたい人は連絡すればいい。
ここでの詳しい説明は無しだ。
何しろ、ワシは天上天下唯我独善・・・

活性化の方法は幾つでもある。
元気になる方法なんて、山ほどある。
ワシの住んでいるのは山の中だ。
山ほどあると・・・海にあこがれる。
元気になる方法は、海ほどある。
どこにいても、空ほどある。

山は海と出会うと元気になる。
空と出会うと元気になる。
いいや、元気の素が生まれるんだ。
山と海が和(輪)になると、素は育つ。
この世の生命は、とても素直で変わり者。
異なモノと出会うと、新たなモノが生まれる。
和になると、モノは育っていくものだ。

今まで出会った事のない異性。
それだけで、生命力はうずく。
出会った事のない考え方。
それだけで、生命力は動き出す。
(受け入れる・認めるという条件で)

同波動は共鳴する。
共鳴は気持ちいい。
「嬉しい・愉しい・気持ちいい」
ここから生命力を活性化する事もできる。
だが、異波動からも出来るのだ。
この世は・・・何でもアリの世界だ。

まずは、第一歩踏み出してくれ。
そこから生命は動き出す。
異なモノとの遭遇から、何か始まる。


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デジタルとアナログ・8

2005-04-13 20:54:45 | Weblog

もうアキタ、次は青森、北海道。
(おぉ、季語も森や海も入ってリッパな句だ!)
もう終わりにしよう、と言ったのに、
また手をつけてしまった・・・。
ワシの決心、薄氷。
ワシの理性、砂の塔。
(デジタルとアナログの話だ。
オトコとオナゴのゴタゴタ話じゃないぞ)

なんだかなぁ・・・言い足りない。
口から出任せで書いている雑記だ。
ポロっとこぼれたテーマだからこそ、
「何のために生きているのか?」
こういう大げさなテーマで締めくくりたい。
ハッタリは龍頭蛇尾ではツマラナイ。
蛇頭龍尾で、余韻を残すから味がある。
ということで、もう一回書かせてくれぇ。

人生はアナログだ。
いろいろな連続を引きずっている。
「生きる」ってそういう事だ。
割り切れないから、人生だ。

その経験、その出来事、その過去。
この一つ一つはデジタルのカケラだ。
デジタルは「愛」
とても大切で消えないモノ。

「アナログで生き、デジタルを残す」
(水上陽平独善辞典に入れよう♪)

仕組み(理・神)側からの視点ならば、
何のために愚かな人間が生きているかというと、
神(デジタル)に近づく為かもしれない。
デジタルのカケラは神の一部になるから・・・。
人間側としては、そんな事は意識してないけどね。
(タマに意識する人もいるみたい・・・。
でもこの世はヒネクレているからなぁ・・・
リキんで目指すと逆方向に行ったりして・・・)

アナログな生き方でいい。
でも残した経験、体験、思いは、
デジタル(愛)のカケラとなる。
デジタルに終わりはない。
デジタルに大きさもない。
果てしなく膨らむ「愛」でもある。

どんな生き方(アナログ)も、
デジタルのカケラを創るんだなぁ・・・。
今回、いいかげんな出任せで書いたこのテーマは、
ワシ的には、とても大きな学びとなった。

「いいかげん」は、あなどれない、ぞ。


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デジタルとアナログ・7

2005-04-12 21:00:59 | Weblog

生命も二つの仕組みが融合している。
見える物質・肉体(アナログ)と、
見えない精神(デジタル)が融合している。
「生命」がどういうものなのか、
アナログとデジタルの「仕組み」。
そして「融合」にカギがありそうだ。

ここの詳しい解説は雑記ではしないぞ。
いつか本として、もう少しマトモに書くと思う。
雑記は雑記だ。
片言の雑言として話している。
そろそろ同じテーマも飽きた。
ワシは尻切れトンボで飛行する・・・。

デジタルとアナログはこの世の仕組みの話だ。
一冊分の本の内容をマジメに書くことは出来ない。
いきなり結論!
ワシが高僧の爺ちゃん達に学んだ「手抜き法だ」・・・。
あの爺さん達はメンドクサガリ屋だなぁ・・・。

「生死即涅槃・煩悩即菩提」

(ワシ流の蛇足を少しだけ加える)
この世はアナログの流転世界(生死)だが、
デジタルの絶対世界(涅槃)と重なって(即)いるわい。
遠くに(真実を)求めても無駄だぞ。
命短し、恋せよ乙女じゃ。
フォフォフォ(爺さんだから歯が抜けた笑い・・・)

肉体や肉体が元となるアナログの心(煩悩)と、
悟りの境地の精神(デジタル)は一緒(即)にいる。
それが人間(生命)じゃ。
煩悩を愛しむと生命は元気ハツラツじゃ。
ファイト、イッパーツ!!
(爺さんの右手を突き上げるポーズは可愛い・・・)

ま、そういう優しい言葉なんだけどねぇ。
デジタルとアナログの言葉はいろいろあるよね。

諸行無常・万物流転(アナログ)
神は永遠(デジタル)
真実は動かない(デジタル)
色即是空(アナログとデジタル)
愛(デジタル)と恋(アナログ)

この世も人間(生命)も複合次元体。
別れられない、性格の違う夫婦・・・。
離婚できないのなら・・・
混合を融合にするか、
それぞれを活用するか、だね。
多分、楽に生きられる・・・と思うよ。

もちろん、苦しみが趣味なら、
履き違えて生きるのもアリだと思う。


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デジタルとアナログ・6

2005-04-11 20:58:27 | Weblog

失恋の例え話は失敗だった・・・
原因はワシにある。
ワシは失恋の経験が無かった・・・
いや、あるけど・・・特に感想が無い。

財布を落とした時は残念と思うが、
しょうがないじゃない・・・。
そういうこともあるし・・・。
まして、相手は生き物だし・・・。

「アナタ(ワシ)には心が無いのよ!」
う~m・・・そ、そうなのかなぁ?
「心がデジタルなんて機械みたいじゃない?」
う~m・・・その部分もある、と思う・・・
「心は傷を負うわ。私の心は傷だらけ!」
う~m・・・じゃ、そういうことで・・・

心の解説はとても難しい・・・
仕組みは簡単なのに、伝わらない。
ワシは心に傷があるか、無いかはどうでもいい。
ワシは明るい笑顔に変わっていく様が好きなのだ。
その為には、平気で嘘を言う。
本当か嘘かは問題じゃない。
嘘は幸せの為に意思で使うものだ。

どうしたら傷が回復するか?
先に明るい光が見えればいい。
傷なんて幻だと思えればいい。
(心の傷は幻なんだけどなぁ・・・)
心がデジタルなら修復できる。
連続してないから、引きずらないのだ。
傷は(後が残っても)治るものなんだぜ。

「時は続いている」という固定概念がある。
デジタルに「時」は無い。
現象に「時」は有る。
現象はアナログでも、仕組みはデジタルだ。
「時」からの解放があると、
デジタルは理解しやすいみたいだね。

個立は一つだけでは意味(存在)しない。
個立は共存して個立できる。
デジタルは冷たいイメージがあるが、
それは違うぞ。

「自立は共存意識の覚醒」
ワシの造語だが、デジタルのことでもある。
そして「空間」のことでもある。

「生命は一つながり」
これがアナログの意味だ。
そして「時」のことでもある。

心は単純なアナログじゃないだろ?
アナログ(生きている)は今だけの部分だ。
過去の心はデジタルになっている。
理解してもらえるかなぁ・・・

この世(心)は
デジタルとアナログの混合世界。
個立と連続の混合世界。
「共存(空間)」と「いのち(時)」の混合世界だ。

御筆先様が仕切ると、少しマトモ・・・


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