関西の脱原発8団体の呼びかけで16日午後3時半から、大阪市北区中之島1の大阪市役所南東側の中之島公園で緊急の集会とデモ行進「原発いらん!関西行動」が行われます。平野議員がメールで教えてくれました。「長年心配してきた原発震災が現実になった」と、御堂筋を南下してプラカードなどでそれぞれが思いを訴えながら行進されます。
原発いらん!関西行動
集まろう中之島 歩こう!御堂筋
雨天決行
実は「デモ」に参加したことがありません。否定はしませんが、そのなかに自分がいるなんて想像もできなかった。でも、今回、自分の目の黒いうちに、この目で原発震災の現実を観てしまった今は違います。原発に頼らない社会をめざして行動します。
自分ができる範囲内のことに留まらず、常にちょっと背伸びして「クリーンで安心なエネルギー」で暮らせる社会を息子たちの世代に託します。今、自分たちが必要以上の便利さを享受するために、多大な犠牲を伴う原発、次世代に後始末を強いる原発を肯定することはできません。
「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆国が原子力技術を世界に誇る(実はまったく誇れない代物であったことがあらわになった)という感覚がどうしても受け入れられない。一方で反原発運動のあり方への拒否感みたいなものもあり、結局「原子力発電」については、その技術も政治的背景も知らないことが多いままです。
未完成な最先端技術という矛盾もさることながら、政治と金の問題であることを、みんな見過ごし、許してきた。今、民主党を攻める前に自民党政権の責任をしっかり問い直し、政治に無関心だった時代の非を市民自ら責める必要が・・・しかし今回の犠牲の大きさが哀しすぎます。
これからは積極的に脱原発を願う人々とつながってみようと思います。そして自分らしい発信方法を選び取ります。当日は他の予定と重なっていますが、参加することができれば「はじめてのデモ」(可愛いイラスト付)になります。
不謹慎かもしれませんが、運動不足の毎日ですから、中之島公園を元気に歩いてみたいという気持ちも、実はあります。暮らしに密着する問題をイデオロギーで解決しようと思ってはだめ。野鳥観察も俳句吟行も歴史散歩も原発いらんデモも、わたしにとって、根っこはみな同じ。そして政治も。
画像は、デパートの和のディスプレイ
昔旅したヨーロッパの灯りは慎ましかった
日本の「灯り」も本来はもっと慎ましい
もし東西の周波数が統一されていれば
今回、関西での節電が活きていた
原発いらん!関西行動
集まろう中之島 歩こう!御堂筋
雨天決行
実は「デモ」に参加したことがありません。否定はしませんが、そのなかに自分がいるなんて想像もできなかった。でも、今回、自分の目の黒いうちに、この目で原発震災の現実を観てしまった今は違います。原発に頼らない社会をめざして行動します。
自分ができる範囲内のことに留まらず、常にちょっと背伸びして「クリーンで安心なエネルギー」で暮らせる社会を息子たちの世代に託します。今、自分たちが必要以上の便利さを享受するために、多大な犠牲を伴う原発、次世代に後始末を強いる原発を肯定することはできません。
「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆国が原子力技術を世界に誇る(実はまったく誇れない代物であったことがあらわになった)という感覚がどうしても受け入れられない。一方で反原発運動のあり方への拒否感みたいなものもあり、結局「原子力発電」については、その技術も政治的背景も知らないことが多いままです。
未完成な最先端技術という矛盾もさることながら、政治と金の問題であることを、みんな見過ごし、許してきた。今、民主党を攻める前に自民党政権の責任をしっかり問い直し、政治に無関心だった時代の非を市民自ら責める必要が・・・しかし今回の犠牲の大きさが哀しすぎます。
これからは積極的に脱原発を願う人々とつながってみようと思います。そして自分らしい発信方法を選び取ります。当日は他の予定と重なっていますが、参加することができれば「はじめてのデモ」(可愛いイラスト付)になります。
不謹慎かもしれませんが、運動不足の毎日ですから、中之島公園を元気に歩いてみたいという気持ちも、実はあります。暮らしに密着する問題をイデオロギーで解決しようと思ってはだめ。野鳥観察も俳句吟行も歴史散歩も原発いらんデモも、わたしにとって、根っこはみな同じ。そして政治も。
画像は、デパートの和のディスプレイ
昔旅したヨーロッパの灯りは慎ましかった
日本の「灯り」も本来はもっと慎ましい
もし東西の周波数が統一されていれば
今回、関西での節電が活きていた