引き続き、異文化体験を、随筆風に。
植民地時代の香港、住んでいたマンションの公園で知り合うママ友の多くは、メイドとして働くフィリピン女性。いわゆる住み込みのお手伝いさんで、わたしたち日本人は「アマ(阿媽)アさん」と呼んでいました。
その数およそ10万人といわれ(1990年代、在香港日本人は約3万人)その多くが、故郷にわが子をおいての出稼ぎです。ときに悲惨で過酷な労働に耐え、ときに即日の強制送還で姿を消し、そうかと思えば信じられない嘘を重ねて雇用主を翻弄します。
インドネシア女性もメイドとして家庭に入りますが、最低賃金はフィリピン人のそれとは異なり(インドネシア人の最低賃金はフィリピン人の三分の一くらいであったと記憶)、外国人労働者に係る取り決めは、国と国との協定によるものと知りました。
毎日、すべてのゴミを分別しないでドアの横の階段の踊り場に出す(多くの日本人が電池を分けて、同じ場所にそっと捨てていました)のですが、ゴミを収集するのは主にタイ女性。みな陽気で働き者でした。
どの国のいつの時代に生まれるかで、女性の生き方がこれほどにも異なるという現実。女性が社会から受ける影響の深さ。わたし自身は、香港にいる間、日本的社会的性差から解き放たれ自由でしたが、強く求められる駐在員の妻という立場に苦しむ女性は少なくありませんでした。
医療の問題も切実でした。総合病院内の同じ診察室でも、ドクターにより医療費が異なります。クレジットカードを提示しないと一切治療は受けられず、まして入院などできません(夫、ある日、盲腸で緊急手術)。治療費を支払えることを証明しなければならないからです。
同じ治療を受けても病室のランクで食事の料金が異なる(食事内容は同じ)ことにもびっくり。出産の場合は、おむつの利用料も部屋のランクに比例すると聞きました。目から鱗の体験、見聞の連続でした。
医師も看護師もプロ、そして患者、この3者はある意味対等の立場で会話しました(帰国後、あまりの差に戸惑いました)。お世話になった医師の多くが香港人、漢字で筆談でき!実に便利でした。あぁ英語が話せたらと思う反面、漢字の力と深さを実感しました。
毎日が異文化体験。よいとか悪いとかではなく、人の意識が社会を、政治が今と未来をつくっていると気づき、祖母(明治28年生まれでした)の時代には、女性に参政権がなかった、先人の努力と闘いによって手にした一票を大切にしていなかった自分を恥じました。
会社員である夫の海外駐在に帯同するという保障された身分での暮らし。それなくしてこの格差社会、男女問わない実力社会の中にいれば、自分が明日のご飯にも困る存在であろうことは明白。
頑張った人が報われて、頑張れない人が救われる日本をめざしたい、と思いました。そして帰国、戻ってみたら、島本町は政治が思いのほか近かった(国政選挙の投票率は70%に近く、府内トップクラス)。
「女が集まって、喋るやろ、 そこに政治があるんや。それが政治。それを忘れたらあかん。そこさえわかってたら大丈夫や」先輩議員からもらった言葉。権利の上に眠るな、ということです。
特別な誰かのために政治があるんじゃない。政治は暮らしそのもの。政治は市民の手の中にあります。
画像
作品名「セレブ ~噂に尾ひれはつきものです~」
ユーモア造形作家・江口宏さん
2017年1月
阪急水無瀬駅前・長谷川書店(ハセショ)にて
「三字熟語」シリーズの個展開催ときいています
植民地時代の香港、住んでいたマンションの公園で知り合うママ友の多くは、メイドとして働くフィリピン女性。いわゆる住み込みのお手伝いさんで、わたしたち日本人は「アマ(阿媽)アさん」と呼んでいました。
その数およそ10万人といわれ(1990年代、在香港日本人は約3万人)その多くが、故郷にわが子をおいての出稼ぎです。ときに悲惨で過酷な労働に耐え、ときに即日の強制送還で姿を消し、そうかと思えば信じられない嘘を重ねて雇用主を翻弄します。
インドネシア女性もメイドとして家庭に入りますが、最低賃金はフィリピン人のそれとは異なり(インドネシア人の最低賃金はフィリピン人の三分の一くらいであったと記憶)、外国人労働者に係る取り決めは、国と国との協定によるものと知りました。
毎日、すべてのゴミを分別しないでドアの横の階段の踊り場に出す(多くの日本人が電池を分けて、同じ場所にそっと捨てていました)のですが、ゴミを収集するのは主にタイ女性。みな陽気で働き者でした。
どの国のいつの時代に生まれるかで、女性の生き方がこれほどにも異なるという現実。女性が社会から受ける影響の深さ。わたし自身は、香港にいる間、日本的社会的性差から解き放たれ自由でしたが、強く求められる駐在員の妻という立場に苦しむ女性は少なくありませんでした。
医療の問題も切実でした。総合病院内の同じ診察室でも、ドクターにより医療費が異なります。クレジットカードを提示しないと一切治療は受けられず、まして入院などできません(夫、ある日、盲腸で緊急手術)。治療費を支払えることを証明しなければならないからです。
同じ治療を受けても病室のランクで食事の料金が異なる(食事内容は同じ)ことにもびっくり。出産の場合は、おむつの利用料も部屋のランクに比例すると聞きました。目から鱗の体験、見聞の連続でした。
医師も看護師もプロ、そして患者、この3者はある意味対等の立場で会話しました(帰国後、あまりの差に戸惑いました)。お世話になった医師の多くが香港人、漢字で筆談でき!実に便利でした。あぁ英語が話せたらと思う反面、漢字の力と深さを実感しました。
毎日が異文化体験。よいとか悪いとかではなく、人の意識が社会を、政治が今と未来をつくっていると気づき、祖母(明治28年生まれでした)の時代には、女性に参政権がなかった、先人の努力と闘いによって手にした一票を大切にしていなかった自分を恥じました。
会社員である夫の海外駐在に帯同するという保障された身分での暮らし。それなくしてこの格差社会、男女問わない実力社会の中にいれば、自分が明日のご飯にも困る存在であろうことは明白。
頑張った人が報われて、頑張れない人が救われる日本をめざしたい、と思いました。そして帰国、戻ってみたら、島本町は政治が思いのほか近かった(国政選挙の投票率は70%に近く、府内トップクラス)。
「女が集まって、喋るやろ、 そこに政治があるんや。それが政治。それを忘れたらあかん。そこさえわかってたら大丈夫や」先輩議員からもらった言葉。権利の上に眠るな、ということです。
特別な誰かのために政治があるんじゃない。政治は暮らしそのもの。政治は市民の手の中にあります。
画像
作品名「セレブ ~噂に尾ひれはつきものです~」
ユーモア造形作家・江口宏さん
2017年1月
阪急水無瀬駅前・長谷川書店(ハセショ)にて
「三字熟語」シリーズの個展開催ときいています