
病院へ着くと、監督の娘さんが付き添っていた。「ほら、碇谷さん来てくっだぞ」。「監督、大丈夫?監督、碇谷だよ」。目は閉じたまま、返事も反応もしなかった…。監督を呼ぶこと数回。反応は全て帰ってはこなかった。額に触れると異常に体温が高い。
30分ぐらい娘さんと話しただろうか。私はまた来ますと病院を後にした。
次の日の午前中、野球部の大御所の先輩から電話が鳴った。嫌な予感…。予感は的中した。監督の訃報だった…。
3月は去る月と言うそうです。その去る月に変わったばかりの3月1日、監督が球春到来とともに天に旅立った。折しもこの日は母校の卒業式。監督も83年の人生に卒業した。最後の見舞い客が自分。監督に呼ばれたのかなと思うと、熱いものが頬を伝ってきた。
通夜、葬儀も大勢のOB、野球関係者が参列してくれて滞りなく終えた。親友の弔辞に溢れ出るものを抑えることができなかった。その弔辞は5分となかったと思うが、高校時代から現在までの色んな場面が走馬灯のように流れていった。
脳梗塞で倒れてから丸8年。今の自分の礎を築いてくれた監督。負けても負けても、挫けず前に出ることを教わった監督。監督、お疲れ様でした。天国でゆっくり休んで下さい。いや、天国でもノックバット振ってて下さい。合掌。