徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

監督といた場所-2

2014-03-14 08:31:04 | 愛しき野球おバカ達
 酒田東高等学校(以下酒東)野球部に入部した私。入ってみると何と新入部員は23名にも登った。その他にマネージャー4名で合計27名の大所帯。周りには他の中学から名だたる選手がたくさん酒東野球部に入部していた。

 毎日のようにW部長(通称カベ)から、「1年は走ってろ」。と2、3年生がフリーバッティングを始めるや否や外野の奥の方を走らせられた。1年生全員でスパイクのまま足を揃えて走らされた。監督からの指導なんて全く無し、会話すら皆無だった。毎日走ってばかりの練習はランニングだけで、毎日1時間、カベから忘れられたときは2時間にも及んだ。

 そんな中、監督との初めての会話。1年生の5月か6月ぐらいだったと記憶している。意を決して私から監督に歩み寄っていった。「キャッチャーやらせてください」。しばしの沈黙…。何て言われるのか…、怒られるんじゃないか…。返事を待ってる時間は1秒も無かったが、非常に長く感じた。「そうか、よし、やてみれ」。これが監督との初めての会話だった。

 キャッチャーなど小学校でも皆無、中学校でも遊びでやった程度。小学校からチビだった私は、中学3年間で約30cmも身長が伸びた。それまで、チビだからお前はこのポジションと言われてきたことに、少しながら反発があったのは間違いない。23人の新入部員の中でアピールしないとという気持ちと、今までの自分を変えなきゃ、それが監督への直訴、最初の会話へと発展していた。

 あの時、監督が「よし、やてみれ」と言ってくれていなかったら、ふて腐れてやる気をなくしてたかもしれない。あの時、監督ではなくカベに言ってたらどう言われただろう…。監督との初めてのやり取り、そして監督の一言に今でも感謝している。あの時の言葉がなかったら、今の野球人としての私は存在すらしていないことだったろう。

 ~つづく~
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