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その日、医者に行って自宅で静養していると、夕方電話が鳴った。監督からだった。ケガの状態を電話で聞いてきたのだ。一つ一つケガの状態を説明する私。「早ぐ治せ。早ぐ治してグランドさ戻てこい」。監督の言葉はこれだけだったが、監督が直々に電話をかけて来てくれたことに驚きと感謝の気持ちが湧き上がった。
平田杯は出場を諦め治療に専念。ただ、ベンチには入れてもらった。そこで私は3塁コーチャーをすることになる。右足首にはテーピングがグルグルと巻かれた状態だった。それは1回戦をコールド勝ちを納めた試合後のミーティング中に起こった。
監督からの言葉の中に、突然「今日の試合で一番良かったのは、3塁コーチャーの碇谷の指示の仕方だ」。と。突然降って湧いたことに私自身何が起こったのか分からずポカーンとしていた。後になって褒められたんだと。現役時代、褒められたのは唯一これだけ。
練習のグランド上では、キャッチャーの防具をつけさせられ、至近距離からの個人ノック。みんながベースランニングをしてる時、外野に連れて行かれ、キャッチャーフライの個人メニュー。私ともうひとりのキャッチャーHと2人、みんなの和を外れ黙々とノックとフライを浴びた。
夏の甲子園予選は優勝候補にも挙げられた我がチームだったが、簡単に2回戦で延長の末破れ私の高校野球は終わった。終わった時には、涙で監督の顔は見れなかった。
「3塁コーチャーの碇谷の指示の仕方が良かった」。たった1度、監督に褒められたことが今でも忘れられない。