徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

監督といた場所-4

2014-03-18 08:49:03 | 愛しき野球おバカ達
 酒田にUターンすると決めた2001年初秋、監督に報告しに行った。返す刀で怒られた。「仕事のあてもないのに、何で酒田さ帰てくんなや」。親心からでた監督の言葉だったに違いない。「監督、そんな心配しなくて大丈夫です。何とかなりますから」。泣きながらこう言うのが精一杯の見栄だった。

 2001年の晩秋に酒田にUターンしてきた私は、2002年の春から再就職先で新しい人生をスタートさせる。2002年春。この年、同期のWが酒東に赴任し野球部を受け持つこととなった。

 この時、再就職の報告に監督と同期Wに会いにグランドに顔を出した。グランドに監督と同期Wが一緒にいて、自分も監督に頼まれ外野ノックを打った。ノックを終えた後監督からこう言われた。「碇谷、仕事も決またし、Wも酒東さ来たことだし、同期なんだから手伝いに来いや」。「わかりました」。

 あるとき監督と酒を酌み交わしながらこんなことを言われた。「碇谷、お前は肩がいいキャッチャーだったな」。人生で2回目、監督に褒められた。それから4年後の年末、監督は脳梗塞で倒れた。倒れてからは、日課だった練習にも来れなくなり自宅療養となる。

 監督から手伝いに来いと言われ12年。監督が倒れてから8年たった2月下旬、同期のWからメールが来た。「昨日、監督に行ってきた。いよいよ覚悟だ…」。そのメールの言葉が胸に引っかかっていた2月28日。仕事を終えた夕刻に、私は病院に足を運んだ。

 監督、監督と何回呼んでも反応しない監督。まだ大丈夫だろう、もう少し大丈夫だろうと病室を後にした。これが監督といた最後の場所だった…。

 3月1日午前10時9分、人生の恩師逝去。私が最後の見舞い客だった…。監督に2回だけ褒められた。その言葉を胸に刻んで生きていきます、監督。

~終わり~
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