徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

バイプレーヤーの独り言

2012-12-17 08:55:03 | 今日のひとり言・雑談
 FIFAクラブワールドカップ2012は南米代表コリンチャンスの優勝で幕を閉じた。ここ5年間、欧州代表が優勝を続けて来た牙城を崩したことになる。開催国代表としてこの大会に出場したのが、Jリーグ王者のサンフレッチェ広島。アジア王者の蔚山を下しての5位。立派な成績である。

 1993年のJリーグ創設時から存在する10クラブの中で、3冠タイトル(Jリーグ、天皇杯、ナビスコ杯)に縁がないのはサンフレッチェ広島だけだったらしい。その広島が創設21年目でJリーグ年間優勝を達成した。その監督はというと、OBの元日本代表MF森保一。前任のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が推進した攻撃サッカーに組織的守備を浸透させた。

 「ミシャさん(ペトロヴィッチ)のサッカーをよりシンプルにし、守備ではファースト・ディフェンダーの役割を明確にした。優勝は選手やスタッフのお陰」感無量といった面持ちで、彼はそう語った。

 森保という名前を聞いて、ピンとくる人はなかなかのサッカー通であろう。彼の名前を一躍有名にしたのは、ドーハの悲劇で知られるオフトジャパンである。無名の森保を日本代表に抜擢したのも無論オフト。オフトはマツダのコーチ時代から彼に目を付けていた。

    
 
 当時の日本代表の司令塔はラモス瑠偉。彼が前線に上がり、薄くなった中盤を埋めるのが森保の主な役割だった。地味で泥臭い役割だ。本人は語った。

 「僕の場合、そんなに身体能力は高くない。走力にしろジャンプ力にしろ並以下です。技術ひとつとってみても、他人よりすぐれているところはほとんどない。なにしろ、サッカースクールに行くとミスして子供たちに笑われるくらいですから。だからこそ、事前に頭を使って、試合の流れを読まないといけない。相手に技術を見せびらかすよりも、味方がプレーしやすいように速く、正確なパスを出すことの方が大切なんです。いわゆるシンキング・スピード。これが遅くなると、僕の居場所はなくなってしまう」

 「天才と天才肌は違うんです。天才でもないのに、自分のことを天才だと思っている選手がたくさんいる。サッカーは自分で考え、自分で創造するスポーツ。それができないと、この世界では生き残っていけない」森保はそう語っていた。

 Jリーグ発足当時の選手は皆ちやほやされ勘違いしてる選手が多かった中で、彼の考えはしっかりしていた。地味ながらも確実で早いプレーがモットー。堅実な彼らしい。

 元日本人Jリーガー監督のJ1優勝は史上初らしい。まだ44歳、将来の日本代表監督だって夢ではあるまい。いや彼は言うに違いない、そんなことおこがましいと…。
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新潟大学発の建築家たち-3

2012-12-14 08:30:03 | 建築つれづれ…
 親睦会の会場は模型展会場の隣だった。OB建築家のY氏が改修設計を手掛けたイタリアンのお店。OB建築家6名とI先生、そして学生が2名が参加して宴席は始まった。

 7時間のロングランだったトークショーだったため、お腹もかなりすいていた。食事とお酒が入り、舌の方も滑らかなる。いつもは建築談議をする相手がなかなかいない私。そんな境遇に憂いを感じていたが、私だけでなく同世代のY氏も同じだった。そんな境遇を吹き飛ばそうと、Y氏やS氏、学生と談議にふける。

 楽しい時間はあっという間に過ぎる訳で、お開きとなってホテルに向かう。他の建築家は新潟近辺ということも有り、タクシーや代行で自宅に帰った。次の日は、今日来れなかった人を対象に私がまたトークショーを行うことになった。

    

 2日目も1日目と同じくらいの学生達が集まり、私だけのトークショーが始まった。昨日同様作品中心ではなく、自分の辿ってきた道のりを中心にトークを展開した。もちろん昨日言えなかった、独立前後の心情や決心も踏まえながら…。

 午前中にトークショーを終え、I先生と昼食を取り終えると帰路についた。なかなか楽しい2日間だった。私の話が学生達の胸にどう響いたかは詮索の余地もないが、私自身が同じ学び舎を出たということだけで、またいい関係が築けたことが何よりの自分の財産になったと感じた。学生達は、私の言語を自分なりの解釈でこれからの航海に生かしてくれればいい。数年後、研究室のOB会で会ったときに、その結果を見せてくれればいい。

 外はしんしんと今年初めての雪景色。新潟市内にしては、静かに降っている。これは積もる。酒田への帰路は大変なものだったが、私の心の中は晴れ渡っていた。  ~終わり~
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新潟大学発の建築家たち-2

2012-12-12 08:38:03 | 建築つれづれ…
 さて、午後の眠くなってくる頃に登場した私。自分のプロフィールから紹介。他の方々が自分の作品を中心にトークショーを展開しているので、私はちょっと違う試みに出る。

 この会場で我々の話を聞いているのは建築学科の学生がほとんど。であればと、自分の学生時代の話から、就職した頃の話、サラリーマン設計士の頃、独立してからのこと、という時系列に沿った話をしてみようかと思った。

 作品の話は、作品パネルでも、当事務所のホームページでも紹介されている。きっと学生達は、どんな道のりを経て今現在の私があるのかも知りたいはずだ、と思ったからである。もしかしたら、そっちの話の方が興味があるのかもしれない。

 私の作品の話は足早に終えた。学生時代の研究室の話から口火を切る。東京時代の切磋琢磨した仕事や仲間、帰省してからの仕事へのジレンマと成功、自分のその時々の心情と合わせて言葉を綴った。聞いている学生達は、熱心に聴いているのだがリアクションは少ない。ウケてるのか、つまらないのか、もうちょっと反応が欲しかったのも事実…。

 私のトークが熱を帯びて来たのが自分でもわかった。軽妙に口から言葉が出る出る。一区切りがついたところで、I先生に振る。もうそろそろいい時間だった。次の後輩に席を譲り私の役目は終わった。

    

 私の後は、30代後半のS氏。彼のテンポのいいトークに私も前のめりになった。S氏の発想力はおもしろい。歳は私よりだいぶ下だが、見習うべきことは多そうだ。S氏の次は同世代のY氏。Y氏の名前は薄ら覚えていた。顔を見てまたピンと来た。同世代のY氏も頑張っている様子。何よりだ。最後に登場したのは、最若手のS氏。まだ30そこそこ。伝統建築しかできないというS氏。伝統建築もできない私には羨ましい限りだ。

    

 一日ビッシリのトークショー。終了したのは午後7時を回っていた。後は参加OB建築家を中心とした親睦会に向かうだけ。彼らといい話ができることが楽しみだ。これが私にとって今回の一番の目的だったりする。冷たい雨が降っている中、会場へ向かった…。  ~つづく~

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新潟大学発の建築家たち-1

2012-12-10 10:44:03 | 建築つれづれ…
 12月7日~9日の3日間、「新潟大学発の建築家たち-後輩がつくった住宅模型展-」が開催された。8日には、OB建築家が7名参加しトークショーを行った。私も恐縮ながら参加させてもらった。

 参加OB建築家の中で最年長の私は、学生時代に共に同じ空気を吸ったメンバーは今回一人。1学年下のY氏だけが、学舎で、あの製図室で苦楽を味わった同世代。そのほかの参加OB建築家は、私と入替入学のS氏を始め、30代と40代が半々で構成されていた。S氏がちょうど我々世代と若い世代のパイプ役みたいな感じだった。

 この夏、2年生が我々OB建築家の作品模型を授業の課題で作ってくれた。その展示してあった7体の模型は、プレゼン用、展示用としては精度が高く、満足いくレベルだった。いや、私の予想をはるかに超えていた。この模型、クライアントに見せたいな…と胸張って言えるレベルである。

    

 さて、トークショーはパイプ役のS氏がトップバッター。独立前の建築作品、模型の題材となった作品、そして、震災復興ボランティアで現在工事中の作品をいろんな角度から説明してくれた。学生よりも我々参加していた建築家や大学のI先生の方が色めき立って質問を浴びせる。学生達は感心している雰囲気はあるが、積極的に質問するまでにはいたらなかった…。もっと、純粋で、訳がわかんない、学生らしい質問があっても面白かったと思う。

 昼食を挟んで登場したのが、Y氏。南米旅行の話で学生達との距離を詰めようとする。しかし、ここでも学生達より建築家同士の距離が詰まった気がする。Y氏も新潟市を中心に活躍している後輩。いい仕事してるし、キャラも面白い。

   

 お昼を食べて眠くなってきたところで、私の登場となった…。  ~つづく~

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密度の濃い仙台・山形遠征

2012-12-07 16:22:03 | 建築つれづれ…
 先週仕事で仙台に行って来た。久しぶりの仙台だったが、天気も晴れやかに私を迎えてくれた。午後一番に到着し早速打合せ。お願いしていた資料に目を通す自分。いい資料を作ってくれていた協力者に感謝も、酒田の環境でこの計画にそぐわない部分を数点指摘し訂正案を一緒に検討する。

 検討中の議論も熱を帯びて来た、特に私。しかし、その日は4ヶ所の参考施設を見学予定。せっかく忙しい中見学させてくれる方々に、遅れては申し訳が立たず、施設見学へ足早に向かった。

 見学はスケジュールに沿って分刻み。最後の見学施設では、会議室で再度提案してもらった資料を再検討。見学して帰るつもりが、ここでも思わぬ打合せが始まった。その中心人物はこの私。すいません…。

 夜は懇親会となった。お酒が入り、またしても提案資料、見学した施設の話が中心になりプチ打合せ。営業の方は、楽しくお酒を飲めたのだろうか…いささか心配ではあったが、これも仕事。色んな話からアイディアが生まれることもある。

 次の日は午前中にとある人間に会った。7,8年前によく一緒に仕事をした仲間。私にとってブレインと呼んでもいい人間だ。久しぶりに、こんな仕事したい、こんなことやろうよとお互いの頭の中のイメージが膨らむ。今回は彼といい仕事ができそうな予感がしている。いや、予感ではなく確信して仙台を後にし山形に向かった。

 山形では、今設計してる住宅に採用予定の暖房システムを確認しに来た。採用予定メーカーのモニター施設があるので体感してみようということ。意外に暖房を掛けているという感覚がないのに、室温は20℃を差している。吹出し口に手をかざしても、温風は感じられない。そりゃそうか、輻射暖房だもの…。静かに空気が暖まっている…という感覚だった。

 暖房システムの確認は予定より早く終了した。ということであらば、山形まで来てH氏に会わずにいられなかった。私の酒田Uターンの恩人である。事務所にTELを入れるとスタッフのSさんが出た。残念がらH氏は不在だったが、Sさんと事務所で近況を報告しあった。

 駆け足で過ぎた仙台、山形だったが、密度は濃かった。いい仕事をするための準備だったこの出張。この用意周到の準備があるからいい結果が導き出せる。用意周到に準備したからといって、全てがいい結果になるとは限らないが、いい結果を得るためには絶対いい準備が必要である。

 今回はいい準備ができた。あとはこの日訪問した方々に、自分がいい結果を持って再会できる努力をするのみである…。

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