徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

監督といた場所-1

2014-03-13 08:35:03 | 愛しき野球おバカ達
 先日このブログでも書いたが、高校時代の野球の恩師である監督が亡くなった。酒田では、いや山形県内では有名な名物監督だった。私にとっては人生の恩師であると言ってもいい。

 監督と最初に会ったのは小学校5年生か6年生の時だった。私の所属していた野球スポーツ少年団(以下スポ少)に監督が指導に来てくれた。当時のスポ少の監督と監督が知り合いだったのが縁。

 監督にはノックを打ってもらった。監督が何を話し、何を指導してくれたのは正直記憶にない。ただただノックを打ってもらったのは鮮明に覚えている。このノックが絶妙で、取れそうで取れないコースにバンバン飛んでくる。私は監督のノックでヘトヘトになった。

 我が母校酒田東高等学校が甲子園に出場したのはその1、2年前。私が小学校4年生になる春の選抜大会である。子供ながらに、甲子園に出場した酒田東をテレビの前で、家族揃って応援したのを覚えている。しかも、今となっては大先輩である当時の選手を、呼び捨てで大声で応援していた。(恐縮です…汗)

 その偉大な監督が自分の小学校に来て、自分たちにノックを打ってくれた。その時に私の胸の中である思いが決まったのである。「酒田東に行って甲子園に出場する」。

 そして私は昭和58年の春に酒田東高等学校へ入学し野球部の門を叩くのである…。

 ~つづく~
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ペットと共存するイエ現場日記 140304

2014-03-10 08:18:03 | 今日の現場
 大工作業も佳境に入ってきたペットと共存するイエ。この日は吹き抜けの足場も取れ、リビングの小上がりを大工さんが造作していた。クライアントの意向でリビングは全面小上がりとなっている。

    

 そしてその小上がりには堀こたつと薪ストーブが設置される。もちろん小上がり部分の段差は収納として活用予定。この日は現場で大工さんと、堀こたつの造作方法を打合せ。方針は決まった。

 断熱材の入った外壁部は次々とボードで覆われ、吹抜部のシーリングファンも設置済。大工工事もだいぶ先が見えてきた。来週からは他の工種も作業に入る予定だ。

 外回りの工事は、外壁の吹付けが残っているが、これも天気のいい日をみて作業に取り掛かる準備は出来ている。工事終盤を迎え、全体像が見えてきたペットと共存するイエであった。

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監督安らかにお休み下さい。

2014-03-07 08:59:05 | 愛しき野球おバカ達
 その日は何だか胸騒ぎがしてた。2月28日。現場で打合せを終わらせた私は病院に向かった。親友から聞いていた監督の様態は…、危ないかもしれない…。高校時代の野球の恩師(監督)の病状が芳しくなかったのだ。

 病院へ着くと、監督の娘さんが付き添っていた。「ほら、碇谷さん来てくっだぞ」。「監督、大丈夫?監督、碇谷だよ」。目は閉じたまま、返事も反応もしなかった…。監督を呼ぶこと数回。反応は全て帰ってはこなかった。額に触れると異常に体温が高い。

 30分ぐらい娘さんと話しただろうか。私はまた来ますと病院を後にした。

 次の日の午前中、野球部の大御所の先輩から電話が鳴った。嫌な予感…。予感は的中した。監督の訃報だった…。

 3月は去る月と言うそうです。その去る月に変わったばかりの3月1日、監督が球春到来とともに天に旅立った。折しもこの日は母校の卒業式。監督も83年の人生に卒業した。最後の見舞い客が自分。監督に呼ばれたのかなと思うと、熱いものが頬を伝ってきた。

 通夜、葬儀も大勢のOB、野球関係者が参列してくれて滞りなく終えた。親友の弔辞に溢れ出るものを抑えることができなかった。その弔辞は5分となかったと思うが、高校時代から現在までの色んな場面が走馬灯のように流れていった。

 脳梗塞で倒れてから丸8年。今の自分の礎を築いてくれた監督。負けても負けても、挫けず前に出ることを教わった監督。監督、お疲れ様でした。天国でゆっくり休んで下さい。いや、天国でもノックバット振ってて下さい。合掌。
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ホワイトデー

2014-03-05 08:51:04 | 今日のひとり言・雑談
 つい1ヶ月前まではバレンタインデーと騒いでいたのも束の間、コンビニやデパートの店内はホワイトデーの陳列がこれでもかというほどになっている。バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを渡すのは日本の風習で、アメリカなどでは男性が女性にチョコを渡すのだとか…。

 その日本の風習のバレンタインデーのお返しがホワイトデー。これも日本が発祥なのだろうか?調べてみました。

 やはり、ホワイトデーは30年程前に日本で作られた風習。日本でバレンタインデーが定着するに従って、製菓業界では、バレンタインデーのおかげでチョコレート業界がウハウハなのを見て、何もチョコレート会社だけに儲けさせることはない、我々も参加したいと思ったようです。

 それにお返しをする日を作ってはどうかという案が出はじめた。これを受けた菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、ビスケットやマシュマロ、キャンディー等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになったのが始まり。

 そして1978年(昭和53年)、「全国飴菓子工業協同組合」の総会で、決議採択されて全飴協ホワイトデー委員会が組織されたのです。そして2年間の準備期間を経て1980年(昭和55年)3月14日に第一回ホワイトデーが世に生まれ出たのである。

 では最初にマシュマロ等々を販売したのはどんな店なのか?いわゆる元祖と言われる店とは…。

 ウィキペディアによると、銘菓「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」が、3月14日にバレンタインチョコのお返しとして白いマシュマロを売り出したのが最初と記されている。その後、クッキーやキャンディーなどをこの日に発売する菓子店が続出し、全国に普及したとの説が有力である、と書いている。

 私はチョコレートをあまり好まないので、バレンタインデーの時からビスケット、クッキーをもらったほうが嬉しい。もっと言えば、ビスケット、クッキーよりも、饅頭等の餡子系の菓子を好む。話がそれました…。ということで「お・も・て・な・し」の日本文化、やっぱり3月14日の「お・か・え・し」も日本が発祥のようでした。
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月と暮らす庵現場日記 140228

2014-03-03 08:48:03 | 今日の現場
 この日はスッキリと晴れ上がった。本当に今年の冬は雪が少なく大変ありがたい。この日、「月と暮らす庵」はめでたく上棟式を迎えた。地鎮祭も秋晴れに恵まれ、上棟式も2月の末日だというのにこの天気。クライアントの日頃の精進のおかげです。

    

 上棟式に先立って、軸組検査も行った。骨組み、筋交、補強金物共問題なし。大工さんには、しっかりした仕事をしてもらっていて心強い。

  

 敷地東面に広がる畑にももう雪はない。その畑の畦道からの眺めはこの庵(イエ)絶好のアングル。クライアント夫婦、私、工事担当者と畦道からこの庵をしばし眺める。完成写真撮影のアングルもこの畦道からで決定だ。

    

 この日2階のルーフバルコニーからは遠くに月山を望むことができた。ルーフバルコニーには浴室が隣接する。そうこの浴室こそが、クライアントこだわりの浴室。

 晴天の下、滞りなく上棟式は行われた。一つ一つのこだわりを、着実に、丁寧な仕事で築き上げることが我々のミッション。そのミッションリミットは3ヶ月後。クライアント、クライアントの家族、私、工事関係者共々今から楽しみである。
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