第6章 「梵我一如」説は佛教ではない
「梵我一如」祝は佛教ではない
人間の最も奥底に潜む「アートマン」 (自我)こそは「ブラフマン」 (宇宙の最高原理・唯一真実の実在)と同一であるという「梵我一如」という認識は、ヒンドゥイズム (ウパニシャッド哲学)の最高の真理であるが、断じて佛説ではない ー ということを、もう少し続けてはっきり押さえておきたい。
ひろさちや氏の著作にある以下の考え方に秋月氏はこれでは佛教の無我説ではなく有我説であると批判している。
どうしても同意できないのは、同君がその著『空海入門』(祥伝社ノン・ブック)で書いた次の一文である -インド哲学に、「梵我一如」という思想がある。「梵」とは、サンスクリット語で〝ブラフマン″といって、宇宙原理である。万有の真理である。大宇宙である。それに対して「我」は〝アートマン″といい、こちらは人格的原理である。自我そのものーーといえるかもしれない。あるいは小宇宙といってもよい。そして、この梵と我が究極において一致するというのが、「梵我一如」の思想である。「梵我一如」ーー「アートマン・ブラフマン同一説」である。これがバラモン哲学の「根本思想」なのだ。
空海は、二人のインド人からインド哲学(婆羅門哲学)を教わっていた。「梵我一如」の教説を聴いたとき、空海は、大声で、「それよ! それよ!」と叫んだに違いない。「梵我一如」 こそ、密教を解く鍵であったのだ! お分かりであろう。「梵」は宇宙原理であり、だから「宇宙佛」、「佛」である。そして、「我」は凡夫だ。佛と凡夫が一如である ー というのが、密教の根本教義である。