「中有」と「廻向」 のこと
古代のインド人は墓を建てなかった。その必要がなかったからである。死んで中有(死んでまだ生まれ変わる先が決まらない、中間の存在)という期間が過ぎると、ただちに何かに生まれ変わるから、墓など要らないわけである。死骸は焼いて骨と灰とは河に流してしまって、それでおしまいである。きれいさっぱり、まことに清々しい。だからよほど特別の人以外は墓は造らない。私もこの散骨という海葬をまねたい。
昔のような土葬ならともかく、火葬の今日、骨など故郷の赤江灘の海中に沈めればよいと思う。
閑話休題。インド人は死んで四十九日したら必ず何かに生まれ変わると、輪廻転生をもろに信じていた。四十九日というのは、七七、四十九日で、この期間(先の「中有」)はまだ死んでからどこへ往くか、閣魔の庁の判決が決まらない。それで、そのあいだに後に遺された者が、一週間ごとにお坊さまを招いて尊いお経を読んでいただく。そしてその功徳を自分で使わずに、死んだ人の方に廻らし向ける、すなわち廻向である。
その廻向で死者が少しでも善い所に往生(往いて生まれる)できるように、というのが遺族の切なる願いである。それが「廻向」であり、四十九日の法要の意味である。それを何ということか、今日は葬式の後で四十九日の法要までいっしょに片づける。おまけに続いて神道式の精進落としまでやってのける。こんな奇怪な佛教行事など、世界中でわが日本にだけしかない、ひどい話である。
ことのついでに、もう一つ。先に「餓鬼」と言ったが、死者は自分では飲み食いができない。遺された家族が水や食物を供えてくれないと、それこそ、餓えて渇いて「餓鬼」になる。だから、子孫を絶やすことは大きな罪だ、先祖への不孝だと、古人は考えた。そう考えると、皆なさんが、毎朝仏壇のお水を取りかえ、ご佛銅をあげることの意味がはっきり見えてこよう。これは遺された者の亡くなった人への真心である。私はそこにわが国の古人の心の優しさを思う。
先の「中有」は「中陰」ともいうが、また「乾婆」ともいわれ、この生類は香りだけを食物とするというので1食香」と訳される。四十九日のあいだ線香の火を絶やさないようにというのは、死者にひもじい思いをさせないようにという、これも古人の心の優しさである。
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(一法のコメント)
この項はインドのファンタジーである。
インドでは49日で何処かへ生まれ変わってしまうから、それでお終いである。ところが、支那で土着宗教の儒教、道教と習合し十王経という偽経が作られ、十王による審判が再審という形で3回追加された。100カ日、一周忌、三回忌である。さらに日本で江戸時代に十三佛(十三王)という信仰が流行って3回追加になった。七回忌、十三回忌、三十三回忌である。
ところが、十三回忌、三十三回忌との間が開きすぎるから三と七の年に回忌をやるようになった。
こういう功徳を廻向する回忌を追善供養というのだが、けったいな風習である。こんなの本来の佛教でも何でもない。
浄土真宗では臨終即往生というのが宗旨であるから、追善供養はやらないが、他宗と同じように回忌をやっている。私の親戚には浄土真宗が多いが他宗と同じことをやっている。
親鸞聖人は次のような言葉を残している。
「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」
「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一遍にても申したることいまだ候わず」