佛教は無霊魂論で本来法事と関係なかった
死者儀礼の第二は「法事」である。これはずばり言えば、先祖供養である。私の家は真宗で、分不相応なほど立派な佛壇があった。しかし、本来弥陀一佛を拝むはずの場所が、半分はいやそれ以上に近く死んだ家族や先祖の供養の場所であった。古今東西、原始人は死者の崇りを怖れた。特に非業の死をやむなくされた死霊の崇りが恐ろしかった。
だから聖徳太子一族を自ら迫害した者たちがその祟りを怖れて法隆寺に祭りこんだという説を唱える学者が現われたり、また、菅原道真を天神として天満宮に祭りこんだという歴史上の事実もある。これも一種の現世利益である。樋口一葉に「欲深さまの鳥の市」の語がある。何でも自我の欲望達成のために、あの熊手でもって自分の方へ利益をかき寄せる。真の宗教と似而非宗教の違いは、この我執我欲のうえに立って利益を求めるか、反対にその我執を捨てるかにかかる。「佛法には無我にて候」(蓮如)である。
平将門が事実上の王として関東の地に訝を唱えていた。それが京の朝廷から派遣された将軍に破れて死んだ。その将門さまの怨霊の崇りがこわくて、神田明神に祭りこんだ。しかし、明治になって将門は朝敵だ、朝敵を神として祭るのは不都合だというので、ご祭神からはずした。しかし戦後は先祖代々の関東の守り神だからというので、やはり将門さまは明神さまだというので、先年ふたたびご祭神にもどしたと聞く。
死者の崇りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日本人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで佛教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。
しかし、釈尊は「悟り」の立場からはっきり宣言された、「わが心の解脱は不動である。これが最後の生存である。もはや再生はあ。得ない」と。「私は輪廻を解脱した。後有を受けない(もう何にも何処にも生まれ変わらない)」というのである。これが佛教の本来の考え方である。そもそも佛教は、正統インド思想の「アートマン」(自我・霊魂)説を、根底から否定した「アン・アートマン」(無我・無霊魂)論に立つ。
釈尊も初めは当時の民衆とともに輪廻説を信じた。人生何が苦と言っても、永劫の生死-無限の生まれ変わり死に変わりーーほどの苦はない。釈尊もそうした生死ー永遠の転生-からの解脱を求めた。それが涅槃ー-永遠の平安ーーである。そうして涅槃を求めて修行するうちに期らずも菩提を証した。「無我の我」という本来の自己を覚ったのである。そしてその「覚」(証・悟)の立場から、「私は輪廻を解脱した。もう何にも何処にも生まれ変わらない。後有を受けずーー死後の存在はないーー」と宣言したのである。この大事こそ、佛教徒の不動の信でなければならない。
釈尊は、人生苦の原因を、人間が神に背いて罪を犯した、その罪の罰だとは考えなかった。人生苦の原因は自業自得だと見た。その意味で、「無神論」者であった。阿弥陀佛はキリスト教の神と似ているが、親鸞にとって、それは究極において、「自然(本来の自己=法性法身)の様を知らせん料 (方便法身)」であった。神ではない。そして、釈尊は自身すでに述べたように「不受後有」とはっきり宣言して、みずから「無霊魂諭」者であることを明らかにした。この「無霊魂」(アン・アートマン)の立場こそが、佛教思想と正統インド思想とを分かつ佛教の一大事である。
佛教は「無神・無霊魂」論だ、と私が声を大にしてあえて預言者的主張をするゆえんである。
ああ、それなのに、それなのに、何ということであろう。今日も日本人は「先祖の霊魂の崇り」などということを言う。無い霊魂がどうして崇ろうか。思ってもみよ、祖父や祖母はどんなに孫がかわいいか。子孫に崇るような先祖がいたら、こちらから緑を切るがよい、と私はいつも言う。
一家に何か不幸があると、すぐにいかがわしい似而非宗教の輩が、「あなたの家が不幸なのは、先祖供養を怠っているせいだ」などと、おどしつける。ふだん宗教などにまったく無関心な者ほど、こんなおどしにコロリと参って、インチキ宗教にひっかかる。はては水子供養などと称して、お寺にお参りもせずに、現金書留で送金すれば、水子の霊が納まる所に納まるなどという宗教商売が結構成り立つ珍現象まで横行する。
まことに 「誤解だらけの佛教」もよいところ。真の佛法を学んでほしいと、心から願わざるを得ない。
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今一番間違った佛教が横行しているところの指摘なので、前回同様要約なしで掲載する。