しばらく、ご無沙汰しておりましたが、昨日も91名の方の閲覧があり、ありがとうございました。サボリはよくありませんね。反省してショートなものでも書いていきたいと思います。
さて、今日はNHK朝ドラの中で気になる言葉があったので、それについてちょこっと書いてみたい。
朝ドラは、妻が毎日視聴ているので見るとはなしに見せられてしまうのである。今回記事にするに当たってタイトルの「ちむどんどん」って何?沖縄言葉であることは理解していたが、意味を知らずに90回の今日まで知らずに来た。
妻に聞いても、「さあ?」、惰性で視ていることがバレバレ。(笑)
ネットで調べると、「ちむ」が心で「どんどん」は胸がドキドキすることらしい。
さて、今日は主人公の暢子の結婚式で、その中で勤め先のレストランの名前「フォンターナ」の謂れがオーナーから披露される。
フォンターナはイタリア語で、フリードリッヒ・ニーチェの言葉「汝の立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり」から取ったのだという。
そこですぐ連想したのが、和田重正先生の言葉である。
「掌を合わせても合わせなくても、目をつぶってもあけていても坐っていても、立ったままでも、 一番思いが身にしみる形で、 誰もいないところでそっと祈ってごらん。 声を出さないで、ことばにしないで、 お母さんに話しても、お父さんに訴えても、どうにもならない苦しいときや悲しいとき、 楽しい希望や美しい夢に輝いたとき、 深い地下から豊かないのちの水を吸い上げて萌えあがる、あしかび(葦の芽)のように、 あなたはどんな妨害をも凌いで伸びつづけるだろう。」(葦かびの萌えいずるごとくp215~216)
そのいのちの水は、智と愛と勇気の溶けあった真清水である、その真清水を汲み上げようと「まみず」と同人誌を作られ、内山興正老師もその同人であったのである。
智と愛と勇ついては、三種の神器の鏡が智、玉が愛、剣が勇を象徴しているのである。この3つが円満に働かないと駄目である。
智、愛なき勇気は蛮勇となる。それを大和魂と言っては片腹痛い。
戦前の軍部、プーチン、安倍晋三元首相暗殺犯、・・・。
さて、勇気を無くした日本はどうなることか。行く末が心配。
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