いでゆ號 準急行券

1951(昭和26)年3月に熱海駅で発行された、いでゆ號(号)の準急行券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものと思われます。
当時の国鉄では、急行(普通急行)列車よりも格下の準急(準急行)列車というものがあり、御紹介の券はその当時の準急行券になります。
戦前の準急列車は運賃以外の料金が不要で、急行列車よりやや劣る速度で走るという現在の快速列車のような位置づけでしたが、戦後になって登場した準急列車は、急行列車として運転するには車両設備が不十分であるという設定の列車ではありましたが、準急料金という料金が設定されていたという点が異なっていました。

この券が発行されたころのいでゆ號は、伊東~東京間を毎週日曜日に上りのみ運転されていた客車列車で、同年の夏ごろには土曜日にも下り列車も運転されるようになり、80系電車による電車準急列車になって行ったようです。これが、今の特急踊り子号に発展するようになります。


   


裏面です。当時の準急行券は座席の指定はありませんでしたが、列車については指定されていたようです。しかし、準急行券の末期のものは、列車名の指定はないようです。

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〇ニ 上野駅発行 大宮から一ノ関・北上・盛岡まで 新幹線自由席特急券

1982(昭和57)年月に「〇ニ」上野駅で発行された、大宮から一ノ関・北上・盛岡までの新幹線自由席特急券です。


   


桃色こくてつ地紋の千切り軟券となっています。恐らく、共同印刷もしくは凸版印刷等の民間印刷場へ委託されたものと思われます。
着駅の表記が「一ノ関・北上・盛岡」となっておりますが、前回エントリーの硬券に記載されておりました「一ノ関・盛岡間」と内容は同一であり、料金も同じ3,800円となっています。


この券は、上野駅で、新幹線リレー号に乗り込む前の旅客に対して発売する目的で設備されたもので、国鉄OBの再就職口になっていた日本交通観光社(日交観、現・ジェイアールバステック)がホームやコンコースで発売していたものです。
新幹線自由席特急券を所持しないまま新幹線リレー号に乗車してしまう東北・上越新幹線利用客に対して、上野駅でリレー号に乗り込む前に新幹線自由席特急券を購入させることによって、新幹線特急料金収入を大宮駅に取られないようするという、独立採算制が採られていた国鉄内部の事情によるものであったと推測されます。

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品川駅発行 大宮から一ノ関・盛岡間まで 新幹線自由席特急券

1982(昭和57)年9月に、東海道本線品川駅で発行された、大宮から一ノ関・盛岡間までの新幹線自由席特急券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。


昭和57年と言いますと東北新幹線が開業して間もない頃で、当時の東京側の始発駅は工事の関係で大宮駅となっていました。そのため、今まで在来線特急の始発駅であった上野駅から新幹線に乗車することが出来なかったため、上野駅から大宮駅間については、暫定的に「新幹線リレー号」という列車で連絡されておりました。

今でこそ品川駅からJRを利用して東北新幹線に乗車する旅客は東京駅もしくは上野駅で乗り継ぐのが一般的ですが、当時は大宮駅が一番近い駅でしたため、大宮駅発の新幹線自由席特急券が設備されていました。


恐らく、もし当初から東北新幹線が東京駅まで開通していたら、品川駅に大宮駅から乗車する新幹線自由席特急券の常備券が設備されなかっただろうと思われます。

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上諏訪駅発行 自由席特急券 上諏訪から200kmまで

昭和58年1月に上諏訪駅で発行された、上諏訪から200kmまでの自由席特急券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、新潟印刷場で調製されたものです。

この時、乗車券は別に飯田線の鼎(かなえ)駅から東京都区内まで購入しておりましたため、特急券のみ購入しています。


来月16日に実施されるのダイヤ改正では、中央東線で運転されている特急「あずさ」がすべて停車している上諏訪駅において、上下各1本が通過することになります。また、松本方の隣駅である下諏訪駅では停車本数が上下計16本から計4本と大幅に減少し、他に岡谷駅が上下計32本から計28本、富士見駅が上下計11本から計4本と減ることになっています。

これは新宿~松本間の時間短縮を図るのが目的で、そのためには諏訪地方各駅を犠牲にしなければならないというJR東日本の方針があるようで、新宿方の隣駅である茅野駅だけは上下計36本すべての停車を維持させ、新宿方面からの利用者を茅野駅で降りて普通列車に乗り換えさせ、その代わりに接続する普通列車の時刻を見直して乗換時間を短縮させたようです。
これには
地元の経済や行政の関係者から「住民生活や観光、経済などに影響が大きく、納得できない」と反発の声が上がっており、諏訪広域連合と諏訪地方の各市町村議会、商工会議所・商工会、観光協会などの代表がJR東日本長野支社を訪れ、停車本数減少を伴うダイヤ改正の見送りを要請したようですが、JR東日本からの回答は「ご理解いただきたい」の一言であったと地元紙が報じています。

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〇簡 行川アイランド駅発行 自由席特急券

前回エントリーでJR東日本外房線の〇簡 行川アイランド駅で発行された東京山手線内ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は国鉄時代に発行された同駅からの自由席特急券を御紹介いたしましょう。

  
   


昭和55年2月に発行された錦糸町・東京までの自由席特急券です。桃色こくてつ地紋のA型券で、やはり大人専用券となっています。

現在ではこの区間はB特急料金が適用されていますが、昭和55年当時はまだB特急料金の制度はありませんでした。
当時の国鉄は昭和53年10月から、急行列車を全廃もしくは減便して特急列車に変更もしくは増発した区間において、100kmを超える区間の特急料金を、指定席1,200円・自由席1,000円に割引することとし、これは「特定特急料金」ではなく「特定区間の特急料金」となりました。特定区間の設定は、総武・内房・外房・成田・鹿島線の全区間と、上野⇔水戸・上野⇔宇都宮・上野⇔高崎、新宿⇔甲府、郡山⇔仙台、出雲市⇔益田、新宮⇔紀伊田辺、高知⇔中村、松山⇔宇和島の各区間で、昭和55年4月九州内各駅相互間を自由席で旅行する場合という区間が追加されたと記憶しています。この券は特定の区間に該当していましたので、特定区間用の特急券になります。



国鉄時代およびJR初期において、簡易委託駅で発行する乗車券類は、委託契約形態によるものと思われますが大人・小児用券の設備がない駅が多く、同駅発の乗車券類についても大人専用券と小児専用券は見かけますが、大人・小児用券は未見であり、恐らく設備されていなかったのではないかと思われます。

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大垣駅発行 普通列車グリーン券 大垣から101km以上

昭和58年5月に大垣駅で発行された、101km以上の普通列車グリーン券です。


   


若草色A型大人専用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。この頃はすでにグリーン料金には小児料金の設定はないため、小児用券や大人・小児用券はありません。

この券が発券された当時の大垣駅には、101km以上の区間運転される列車は快速「ムーンライトながら」の前身である大垣2049発~東京0440着の快速340M列車しかありませんでした。当時の340M列車は大垣電車区の165系電車が使用され、4号車および5号車にサロ165を組成した12両編成で運転されていました。
そのような状況を考えると、恐らくこの券はほぼこの列車用に設備されていたものと思われます。

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大阪駅発行 大阪から201km以上 立席急行券

昭和50年8月に大阪駅で発行された、大阪から201km以上ゆきの立席急行券です。


   


桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。


立席急行券というのはあまり聞かない券種ですが、この券は大阪発出雲市経由大社ゆき夜行急行列車であっただいせん2号用として発券されています。

だいせん2号はA寝台1両・B寝台5両・グリーン座席車1両・普通座席車3両と郵便車(大郵101列車)1両と荷物車(米荷3列車)から組成された列車で、普通座席車3両はすべて指定席という、自由席車を連結しない急行列車でした。

このような全車座席指定の急行列車が満席になった場合、通常の急行券と同額で座席を使用しない条件で立席急行券が発売されていました。立席急行券は座席を使用する他の旅客の迷惑にならないよう、発売枚数を限定して発売していたようです。


   


裏面です。
急行券ですので発売日共2日間有効ではありますが、使用日および列車名が指定されたうえで発券されています。


この券は昭和50年3月の新幹線博多開業以降の券ではありますが、大阪からの表記が三角矢印「▶」ではない矢印「→」となっています。

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伊豆急行 伊豆急下田駅発行 おくいず1号急行券・指定席券

昭和48年3月に伊豆急行線伊豆急下田駅で発行された、急行おくいず1号の急行券・指定席券です。


   


緑色こくてつ特種用地紋の縦型共通指定券用紙で発券されており、発券された時期からマルス104が使用されたものと思われます。

御紹介の券は「急行券・指定席券」で料金券のみでの発券となっていますが、この頃のマルス端末は乗車券のみの発券は出来ず、基本的には料金券を発券するもので、料金券と同区間の乗車券に限り、同一発売をすることが可能でした。その際、料金部分の頭に、合算(和)を示すものと思われますが「ワ」という表記が印字されます。

発券には活字棒と呼ばれる発着駅名および列車名のゴム印の付いた棒を端末に差し込み、発着区間および列車名は活字棒のゴム印が直接捺印されていました。
乗車日は日付しか印字されず、発時刻は出札掛員が端末の表示を手書きで写し取っていました。また、急行券などの券種名が自動的に印字される機能は無く、ゴム印を捺印のうえ発券します。
この券はグリーン車用として発券されていますので、種別欄に「A」と印字されています。


   


裏面です。ご案内文の下には券片の番号が印刷されており、この番号で用紙を管理していたようです。


おくいず号は東京駅から熱海・伊東を経由して伊豆急下田に至る連絡急行列車で、昭和40年あまぎ号に統合される形で一旦廃止されていますが、昭和43年に全車指定席の急行伊豆号に対し、一部自由席を連結した列車として復活しています。しかし、昭和51年には急行伊豆号にも自由席を連結するようになり、再度統合される形で廃止されてしまっています。


この券は伊豆急線の伊豆急下田駅で発券されていますが、同駅には早くから国鉄のマルス端末が設備されており、硬券とマルス券が併用されていたようです。


   (伊豆急の検札痕)


乗車時には伊豆急線内を走行しているうちに検札が回って来ており、伊豆急の車掌による旧社章をかたどった検札痕が確認できます。

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新大阪駅発行 岡山から高松ゆき 普通列車・連絡船用グリーン券

前回エントリーで昭和53年に新大阪駅で発行された岡山から高松ゆきの普通列車・連絡船グリーン券を御紹介いたしましたが、それより前の時代の同区間のグリーン券がありましたので御紹介いたしましょう。


   


昭和50年10月に新大阪駅で発行された、岡山から高松ゆきの普通列車・連絡船用グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型券で、こちらも大阪印刷場で調製されたものです。

この券は昭和45年のモノクラス化の時に登場した様式で、題字には「普通列車・連絡船グリーン券」と「用」の文字が入っています。
その後、昭和50年3月に東海道・山陽新幹線が岡山から博多まで開業し、そのタイミングで矢印が三角に変更され、また「用」の文字が削除された前回エントリーの様式となったようです。


   


再掲しますが、こちらが新幹線博多開業後の様式になります。


前回エントリーで高松駅の表記が「(讃)高松」となっていないことを申し上げましたが、矢印時代の券は「(讃)高松」となっており、線名符号を付けなくても問題がないからというわけではなく、もしかすると文字を大きくしたために「(讃)」の符号を入れるスペースが確保できなかったことが最大の理由であったのかもしれません。

前回エントリーのコメントにNAO様より、四国島内で発行された一葉券は確か「〇讃」高松表記だったとご教示いただきました。

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新大阪駅発行 岡山から高松ゆき 普通列車・連絡船グリーン券

昭和53年3月に新大阪駅で発行された、岡山から高松ゆきの普通列車・連絡船グリーン券です。


   


若草色こくてつ地紋のA型券で、大阪印刷場で調製されたものです。
普通列車用と連絡船用のグリーン券が一葉になっている券で、宇高航路だけにあった特殊な様式になります。


当時はまだ本州から四国へ渡るためには本四備讃線のルートはありませんでしたから、国鉄を利用するとなれば岡山駅から宇野線を経由し、宇野駅から宇高航路を利用するのが一般的な時代でした。

この券は四国方面に行く旅行者が新大阪から岡山まで山陽新幹線もしくは東海道・山陽本線の在来線列車に乗車し、予め岡山駅で宇野線普通列車および快速列車のグリーン車を利用し、そのまま宇高航路でもクリーン船室を利用することが決まっていた場合に発売されました。

当時の宇野線は現在のようなローカル線区ではなく、本州と四国を結ぶ需要重要な路線となっており、30分から1時間おきに自由席グリーン車を連結した快速列車が運転されており、この区間のグリーン車を利用する需要はかなりあったようです。


高松駅の表記ですが、乗車券類に表記する場合は七尾線の高松駅と区別するために「(讃)高松」と線名が頭に付けられることが一般的ですが、この券は宇高航路のグリーン券であるから敢えて付けなくてもわかるという事情があったからでしょうか、「(讃)」の符号は付けられておりません。

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