JR西日本 宮島駅券売機発行 片道乗車券

昭和63年9月に宮島航路の宮島駅(宮島さん橋)にある券売機で発行された片道乗車券です。


   


桃色JRW地紋のキレート式券紙の金額式券です。


現在の宮島駅はJR西日本系列のJR西日本宮島フェリーに譲渡されていますが、当時は国鉄から引き継いだJR西日本本体が営業をしていました。そのため、乗車券類は鉄道のものと全く同じものが発売されており、「乗船券」ではなく「乗車券」とされていました。

運賃は宮島⇔宮島口間が大人160円で、鉄道に乗り継ぐ場合は別途宮島口駅からの運賃が必要でしたが、券売機券は金額式となっており、いかにもそのまま通しの運賃のような体裁でした。

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筑波鉄道 真鍋車掌区乗務員発行車内補充券

筑波鉄道真鍋車掌区乗務員発行の車内補充券です。


   


黄色PJRてつどう地紋の駅名式券で、親会社である関東鉄道のものと様式的に大変似ています。東京山手線内のコマがないことから、晩年の券であることがわかります。

駅名表記は左から1列目は連絡乗車券用として国鉄の主要駅名が記載され、2列目に自社の駅名が記載されています。


筑波鉄道は常磐線土浦駅から水戸線岩瀬駅までを結ぶ全線単線・非電化の路線で、開業当初は筑波鉄道でしたが、関東鉄道常総線の前身である常総鉄道と合併して常総筑波鉄道筑波線となり、その後、関東鉄道竜ヶ崎線と鹿島鉄道の前身である鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道が誕生し、関東鉄道筑波線となります。
しかし、昭和54年には鹿島鉄道と共に分社化されて再び筑波鉄道を名乗りますが、8年後の昭和62年4月に全線廃止されてしまいます。


こちらの補充券は、社線部分は土浦から岩瀬までの各駅が順に記載されていますが、国鉄線の駅名の順序に少々難があります。特に、東京から秋葉原までを山手線外回りをくるっと1周している格好になっているのに、秋葉原まで来たところで日暮里に戻ってしまっています。
そして、日暮里からは常磐線の主要駅が記載されていますが、綾瀬・亀有・金町とあまり主要でない駅が連続して記載され、取手の次はいきなり水戸になってしまいます。さらに、水戸線との接続駅である友部の記載がなく、水戸の次が水戸線の下館となっています。


連絡券として使用できるようになっているものと思われますが、土浦や岩瀬から近い連絡乗車券の需要が比較的見込めそうな駅が記載されておらず、現場での使い勝手はあまり良くなかったのではないかと推測されます。

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JR東日本 原宿駅発行 新宿ゆき乗車券

JR原宿駅の指定券券売機でセルフ発券した、新宿までの片道乗車券です。


   


JRE地紋の感熱券紙が使用された券売機券です。

通常JR東日本のMV券売機の場合、発行箇所名は「〇〇駅MV機番発行」という様式で表示されていますが、この感熱紙券機の場合はMVの代わりにDという表記がなされています。


この券の乗車経路は原宿~(山手線1)~代々木~(中央東線)~新宿となっており、マルスシステム上では代々木~新宿間は中央東線として登録されています。そのため、経由欄には「中央東」の表記があります。
本来であれば「山手線・中央東」と表記されるように思われますが、原宿~代々木間のみを発券すると経由欄は「---」(まつ線3本)となりますので、これに関連しているものと思われますが、実際に乗車するという感覚の全くない「中央東」だけの表記にはいささか違和感を感じます。

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新潟駅発行 五泉接続村松ゆき乗車券

昭和46年5月に新潟駅で発行された、磐越西線五泉駅接続、蒲原鉄道村松駅までの片道連絡乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型一般式券で、新潟印刷場調製によるものです。


五泉駅は新潟駅から約25km離れたところに位置し、かつて、五泉から信越本線の加茂駅間には蒲原鉄道が走っていました。晩年の蒲原鉄道は利用客はさほど多くなく、ワンマン運転の小型電車が単行で運転されている状況でしたが、そのような区間であっても新潟駅からの常備券が設備されていたことに驚かされます。

当時は常備券が設備されるほどの需要があったのでしょうか、図示いたしませんがこの券の券番は01258番となっており、そこそこの発売実績があったようです。

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東京駅発行 東京から1,000kmまでの急行券

昭和41年6月に発行された、東京から1,000kmまでの普通急行券です。


   


青色国鉄地紋のA型券で、東京印刷場で調製されたものです。

1,000kmというとかなり長距離の急行券なのでさほど需要が多い口座ではないと思われ、中小規模の駅では発駅記入式もしくは補充券による発券が殆どであったと推測されますが、長距離列車が多く発着する東京駅では相当の需要が見込まれますので、完全常備の口座が設備されていました。

当時の普通急行券の距離帯は、100kmまで・200kmまで・400kmまで・1,000kmまで・1,001km以上の5つの距離帯に別れていましたが、モノクラス化が実施された昭和44年5月には、前年10月の準急行制度廃止による運転区間の比較的短い普通急行列車の登場によって100kmまで・200kmまで・201km以上の3つに縮小され、さらには、昭和57年4月に50kmまでの距離帯が新設されます。


東京から1,000kmと言うと、最短区間は営業キロ402.3kmの穂積駅となり、最長区間は営業キロ994.1kmの戸田駅となります。

参考までに、当時東京駅から運転されていた長距離急行列車である急行桜島号は東京駅を0845に出発し、穂積以遠の最初の停車駅である大津駅に1723、戸田の手前の最後の停車駅である徳山駅は翌0229の到着となっており、最短でも所要8時間半、最長では17時間半の強行軍です。

最新の10系軽量客車が使用されていたとはいえ、現在よりもシートピッチの狭いボックスシートでの旅行は想像を絶する厳しさであったものと想像できます。

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上田交通 国鉄連絡乗車券

現在、上田交通は分社化によって上田電鉄となり、JR線やしなの鉄道線との連絡運輸を行っておりませんが、上田交通時代の平成14年7月までは国鉄から引き継いで、JR東日本との連絡運輸を行っていました。


   


上田原駅で発行された、上田駅接続田中ゆきの、桃色TTDてつどう地紋の、日本交通印刷調製によるA型一般式券です。

同社の自社完結乗車券は青色のB型券となっていますが、連絡乗車券についてはA型券となっています。



   


次は、別所温泉駅発行の東京山手線内ゆきの連絡乗車券です。こちらは青色TTDてつどう地紋のA型券で、やはり日本交通印刷による調製です。「東京山手線内」の文字は特活を使用しておらず、発駅と同じポイントのゴシック体活字を組んで幅を狭めています。

上田駅接続となっており、一般的には経由欄が「上田・熊谷経由」になると思われますが、ミス券なのかどうかわかりませんが、この券の経由欄は「熊谷経由」となっており、接続駅の表記がありません。



   


裏面には「東京山手線内下車前途無効」の文言があります。昭和50年代後半に設備された券であると思われますが、文字だけで表現されており、「口山 表示駅」という表記がありません。

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JR東日本 東京車掌区発行 車内補充券

平成2年ごろに購入した、JR東日本東京車掌区発行の特殊区間用地図式車内補充券です。



   



橙色JRE地紋の軟券で、特殊区間用地図式と呼ばれる図補になります。東海道本線を中心とした首都圏JR各線の他、東京車掌区受持ち列車である特急踊り子号が乗り入れている関係で、伊豆急行線および伊豆箱根鉄道駿豆線が記載されています。

長距離区間用として、東北方面は仙台市内まで、東海道・山陽方面は福岡市内までの記載がありますが、地図にない駅までの乗車券として発行するときは、記事欄に「〇〇駅まで」と記入することで発券することができます。


当時、首都圏の車掌区には各受持ち区間に合わせた様式の特殊区間地図式券が設備されていましたが、東京車掌区のものは若干特殊で、事由欄には幹在識別を表す「東海・新幹線」の経由欄や、「湘南ライナー」、平成15年に普通列車への連結が廃止された伊豆急行の「ロイヤルボックス」の記載もあります。

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長野電鉄 発駅着席券

昭和47年3月に湯田中駅で発行された発駅着席券です。



   


色が薄くて分かりづらいですが、桃色長野電鉄自社地紋のB型券です。


発駅着席券は、指定席の設備の無い優等列車に、座席争奪戦の激しさを和らげるために設定された「優先着席権」です。

湯田中駅18:09発の列車とは上野から長野電鉄湯田中までの直通運転をしていた急行「志賀」で、屋代までは長野電鉄屋代線(当時は河東線)を通り抜け、屋代駅からは急行「信州」に併結されて上野に至る列車でした。
券に12号車とある通り、列車は169系電車12両編成のうちの10~12号車が急行「志賀」で、クモハ169・モハ168・クハ169の順に組成されていました。



   


裏面です。

発駅着席券は購入した旅客に対して必ず列車に着席できることを保証するものですが、発車15分までに列車に乗らなければその後の保証はされないというものでした。要は、発車15分前までに発駅着席券を所持した旅客を対象として1回目の改札をし、以後一般の旅客を改札するという方法をとっていました。



   


翌48年には発駅着席券から乗車整理券という名前に変わったようですが、改札の方法は発駅着席券時代と全く変わらなかったようです。



    (しなの鉄道169系電車)



この発駅着席券の発行された2日後の3月15日には上野~金沢間を走る489系電車による特急白山号がデビューし、信越本線の高速化が加速されることになります。

当時急行志賀として運転されていた169系電車は現在でもしなの鉄道で活躍していますが、昭和44年の登場以来44年が経過した車両は老朽化が進み、4月末の運転を最後に引退することとなっています。

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東京都交通局 連絡区間変更券

昨年の年末に東京都交通局(都営地下鉄)東新宿駅で発行された、東京メトロ線ゆきの連絡区間変更券です。


   


東京都交通局の高速鉄道系列の乗車券に使用される黄色自局地紋のA型券で、精算機により発券されたものです。
これは東中野駅で都営地下鉄210円区間ゆきの乗車券を買い求めて東新宿駅で乗り換える際に精算をしたもので、差額の50円を精算しています。


左上には連絡区間変更券であるということで「連絡区変券」と表記されています。
都営→東京メトロ、東京メトロ→都営という連絡乗車券の場合、接続駅の指定を行わないゾーン制運賃が導入されているため、接続駅の表記は無く、発駅からの金額式となっているのが特徴です。

また、都営地下鉄完結および東京メトロ完結の金額式券については、発駅と着駅の間は三角矢印が使われていますが、連絡乗車券の場合は「から」と平仮名が使用されているのも特徴です。


もうひとつの特徴として、発駅の下に現金で支払われたのかICカードで支払われたのかが「現 00 カ 00」と表記されているのも特徴です。この券の場合は全額Suicaで精算したために「現  0 カ 50」と記載されています。
恐らく、社局間の精算の際に必要となるために記載されているものと思われます。


なお、券の体裁は乗車券ですが、改札内での区間変更券であることから、国鉄の乗車券類の分類に倣い、改札補充券のカテゴリとして分類させていただきました。

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安房白浜駅発行 津田沼・新小岩間ゆき片道乗車券

昭和56年12月に安房白浜駅で発行された、津田沼・新小岩間ゆきの片道乗車券です。



    


青色国鉄地紋のA型券で、東京印刷場で調製された様式です。

安房白浜駅は昭和8年に開設された省営バス(後の国鉄バス)の駅で、国鉄時代は関東自動車局管轄の駅でした。JR民営化後やJR東日本鉄道バスを経てジェイアールバス関東に引き継がれ、現在も駅として健在です。


乗車経路は安房白浜~(国鉄バス南房州線)~館山~(内房線)~蘇我~(外房線)~千葉~(総武本線)~新小岩というもので、安房白浜駅から館山駅までの区間は自動車線経由となっています。
鉄道区間である館山から新小岩までの区間の営業キロは118.9kmで有効期間は2日間ですが、鉄道線と自動車線相互発着の乗車券についてはその有効期間に1日を加えたものとするため、この券の有効期間は3日間となっています。



    


裏面です。

自動車線内は途中下車ができません(区間によっては指定駅で途中下車可)ので、「自動車線内 下車前途無効」の文言が印刷されています。

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