JR東日本 阿佐ヶ谷駅周辺に残る国鉄マンホール蓋

今回はちょっと趣向の違う鉄分多い話題を。

JR阿佐ヶ谷駅は昭和40年代の中央本線複々線化によって高架駅となっていますが、下を通る「中杉通り」付近の歩道および道路に面白いものを見つけてしまいましたので御紹介いたしましょう。


   


阿佐ヶ谷駅北口を出てすぐのところの歩道です。何でもない歩道ではありますが、手前にあるマンホールの蓋に注目です。


   


年代が古そうですが、電電公社(現・NTT)のものでもありません。東京都下水道局でもないし、NTTのものでもありません。


   


もっと近寄ってみるとわかります。
んっ!? なんと、「国鉄」の文字と「工」のマークです。

詳細は不明ですが、どうやら、国鉄時代からの鉄道ケーブルの地下壕か何かのマンホール蓋のようです。


   


よくよく調べてみますと、先にあります横断歩道を渡った三菱UFJ銀行脇の道路にあと2か所確認できます。
これが駅から2か所目の蓋です。車が頻繁に入って来る場所ですので、信号が赤で車が入って来ないタイミングでの観察をする必要があります。


   


その先、約5mくらい先に3か所目の蓋が確認できます。3か所目のものは「工」マークのみで「国鉄」の文字がありません。もしかすると、この蓋は国鉄末期に国鉄民営化を見据えて作成されてものであった可能性があります。
いずれにせよ、どの蓋もかなり摩耗していますので新しいものに交換されてしまう日が近いかもしれません。


御紹介の写真は1か所目の蓋を平日の夕方、2か所目および3か所目の蓋を土曜日の早朝に撮影しました。
いい歳こいた大人が道にしゃがみこんでマンホールの蓋を眺めている姿は、他人の目からすれば大変異様に見えると思いますので、観察される際にはなるべく時間をかけず、そして交通の妨げにならないようお楽しみください (;´Д`)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

JR東海 「〇ム」須原駅発行 野尻・十二兼ゆき片道乗車券 ~その2

前回エントリーでJR東海「〇ム」須原駅で発行された野尻・十二兼ゆきの大人専用片道乗車券を御紹介いたしましたが、同時に小児用券も購入しておりましたので御紹介いたしましょう。


   


大人専用券と同じ平成2年11月に購入したもので、桃色JRC地紋のB型一般式小児専用券で、こちらも名古屋印刷場で調製されたものです。
やはり発駅名の前には「〇ム」の符号が付き、発売駅名の前には「(簡委)」の記載があります。


国鉄時代からそうでしたが、名古屋印刷場のB型一般式券の着駅が複数の時、スペースの関係からでしょうか、駅名を1行に収める傾向がありました。このような時、発駅と同じ大きさの太いゴシック体が使用されている例が散見され、駅名を区切る点「」が大変大きく、東京印刷場の券を見慣れていた私は点の大きさに違和感を感じたものです。

また、名古屋印刷場では津駅や鵜沼駅・尾張一宮駅等の社線委託発売券については「〇社」の符号を使用していますが、簡易委託を示す「〇簡」の符号は使用せずに「(簡委)」と表記していましたが、やはり違和感を感じました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

JR東海 「〇ム」須原駅発行 野尻・十二兼ゆき片道乗車券

平成2年11月に、JR東海中央西線須原駅で発行された、野尻・十二兼ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JRC地紋のB型一般式大人専用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。

この様式は同社の簡易委託駅用の一般式券で、小児断片の無い大人専用券となっており、設備されている券種に限りがあることから発駅名の頭に「〇ム」符号が付けられ、発行駅名には簡易委託駅を示す「(簡委)」の記載があります。


同駅は木曽福島駅管理の簡易委託駅で、この券を購入した当時は硬券による乗車券の発売が行われていましたが、現在ではマルス端末が導入されているようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水間鉄道 貝塚駅発行 200円区間ゆき乗車券

水間鉄道ネタが続いておりますが、もう1回だけお付き合いください。


   


印字が消えかかっていますが、昭和60年8月に貝塚駅で発行された券売機券です。
桃色南海電鉄自社地紋のA型金額式感熱式券となっています。


現在の貝塚駅は南海電鉄と水間鉄道の改札は平成初期の南海電鉄貝塚駅高架化によって改札が分離していますが、当時は改札が分離されておらず、水間鉄道の乗車券は南海電鉄の券売機で発売されておりましたため、南海電鉄地紋の券になっていました。
見づらいですが、左上の会社名は「南海電鉄」となっており、金額の表記は「貝塚→水間鉄道200円区間」となっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水間鉄道 一区ゆき片道車内乗車券

昭和60年8月に同社を訪問した際、水間(現・水間観音)駅で普通入場券を購入した際に廃札券を戴いたことを御紹介いたしました。当時の列車は今のようなワンマン運転ではなく車掌が乗務しており、車内にて運賃の精算も可能でした。


   


昭和60年8月に、実際に購入している乗車券とは別に収集用として購入した車内乗車券です。黄色水間鉄道自社地紋の千切り式軟券で、発行の際には発行日の他に発駅のみ概算鋏で穿孔します。

発行日については日付のみの表示となりますが、一の位の1~9については「一」から「九」の漢数字が使用され、十の位については「十」「廿(にじゅう)」「卅(そう)」という文字が使用されていて特徴的です。また、漢数字のみで表記しますので、一の位の「0(ゼロ)」はありません。


真ん中にに太く赤の「」という影文字がありますが、これが「一区」を表すもので、この券には「一区」と漢字での表記はされておりません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水間鉄道 貝塚駅発行 四区まで往復乗車券

前回エントリーで水間鉄道水間(現・水間観音)駅で戴いた一区ゆきの片道乗車券の廃札券を御紹介いたしましたが、同時に往復乗車券も戴いておりましたので御紹介いたしましょう。


   


貝塚駅で発行された、四区までの往復乗車券の廃札券です。B型青色自社地紋の大人・小児用券で、やはり南海電鉄のものと同じ印刷場で調製されたものと思われます。


前回エントリーでも申しあげましたが、同社では当時、乗車券の表記を着駅や運賃ではなく「区」で表記しており、これは往復乗車券にも適用されていました。従いまして、往路用券は発駅である貝塚から四区までとなっており、復路用券については四区から貝塚までという表記になっています。

また、片道乗車券でもそうでしたが、同社には着駅を区で表すときは「ゆき」や「まで」の語句は付けないようで、往路用券は「四区」だけの表記となっており、復路用券に至っても発駅に「から」の語句を使用せずに「四区」だけの表記となっている特徴的な券となっています。


さらに、同社独自のルールかと思いますが、往復乗車券でも有効期間は発売当日限りとなっており、「通用当日限り」の文言が見られます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水間鉄道 水間駅発行 一区ゆき片道乗車券

廃札券となりますが、水間鉄道水間(現・水間観音)駅から一区ゆきの片道乗車券です。
同社は事業体が現在とは異なっておりますのでもう時効かと思いますので御紹介致しますが、前回エントリーの入場券を購入した際、「絶対に不正使用しない」ということで駅員氏から廃札券を分けて頂きました。


   


鼠色水間鉄道自社地紋のB型大人専用券で、普通入場券同様、南海電鉄のものと同じ印刷場で調製されているものと思われます。
裏面は図示いたしませんが、券番以外の表記はなく、この券には「下車前途無効」は無いようです。

当時、同社では乗車券の行先「着駅」を「区」で表現しており、乗車券の表記も金額や着駅名ではなく「区」による記載となっています。このような表記方法は関西地区の私鉄では見かけられましたが、関東方面では馴染みのないものです。


   


当時、小児用券も同時に戴いております。運賃および赤影文字が異なる程度で、大人専用券より券紙が焼けていますので色目が異なりますが、様式上の違いは無いようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水間鉄道 水間駅発行 普通入場券

昭和60年8月に水間鉄道水間(現・水間観音)駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、印刷場は不明ですが、南海電鉄との関係が強いことから同じ印刷場で調製されたものと思われます。


同社は一時、南海電鉄の筆頭株主になったこともありますが、傘下およびグループ企業とはならず経営破綻するまで独立系を維持し、経営破綻後の現在は「実演手打うどん 杵屋」などを展開する大手外食産業である「グルメ杵屋」の完全子会社になっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

〇ム 東京極駅発行 京極ゆき片道乗車券

昭和61年10月に胆振線東京極(ひがしきょうごく)駅で発行された、京極ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型一般式大人専用券で、札幌印刷場で調製された簡易委託駅用の様式になります。


同駅は昭和初期に胆振鉄道の東倶知安駅として開業し、のちに胆振縦貫鉄道に買収された際に東京極駅に改称されています。
その後、戦争末期の昭和19年に国有化されて胆振線となり同駅も胆振線の駅となっています。
一瞬「東京」のように感じる駅名ではありますが、「京極村(現・京極町)」の東に位置することから命名された駅名のようです。

胆振線はキハ22形気動車による遜色急行「いぶり」が運転された時期もありましたが、この券が発行された翌日の昭和61年11月に第2次特定地方交通線として廃止され、同駅は同時に廃駅となってしまっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ジェイアールバス関東 〇簡 草津温泉駅発行 殺生河原ゆき片道乗車券

平成4年9月にジェイアールバス関東「〇簡」草津温泉駅で発行された、殺生河原ゆきの片道乗車券です。


   


青色JRE地紋の軟券式券です。

この券が設備された当時はちょうど硬券が廃止されて軟券に設備移行されていた頃であったと記憶していますが、同駅は平成3年7月頃のことであったと思います。
硬券から軟券化された際には硬券の様式を踏襲した常備軟券が設備されたものが殆どでしたが、この券は風変わりなクーポン券様式で設備されています。


この様式は草津管内では他にも使用されていたものを見かけたことがありますが、西武観光バスや草軽交通バスなどの他事業者が共同運行している路線で使用され、右側の券片が「乗継券」や「通過票」となっており、他事業者のバスに乗車したときはそれらの券片が回収され、事業者間の運賃決済のために使用されているものであったかと記憶しています。
しかしこの券の場合、通過票のようなものはなく、右側にある空白の券片は全く意味のないものになってしまっています。


   


参考までに、以前御紹介したかと思いますが、同駅で発行されていた白根火山ゆきの相互式券です。
この様式で充分かと思いますが、かつて同路線が湯田中駅まで運行されていた頃のまま、何らかの理由でクーポン式となってしまった可能性があります。

この路線は志賀草津高原線として今でも運行されておりますが、かつては湯田中駅まで運行されていたためにこのような路線名になっています。平成2年頃に白根火山駅~湯田中駅間が部分廃止され、現在では草津温泉駅~殺生河原停留場~白根火山駅の路線として現存しています。
ただし、
白根火山噴火警戒レベルの引き上げにより、今は当面の間運行を見合わせているようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ