趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
'85 科学万博 JNR Memorial Ticket ~その1
昭和60年7月の科学万博開催中、国鉄水戸鉄道管理局では「異例」とも言える、JNR Memorial Ticketという乗車券が発行されました。
今となっては何ということない素材なのですが、当時としては最先端の画期的な素材であったのでしょう、表紙にホログラムを使用して科学万博のシンボルマークが描かれ、中に入れられている乗車券はセラミックスが使用された硬券が入っていました。
裏表紙です。
券番が見える窓があり、科学万博のシンボルマークの下には「日本国有鉄道水戸鉄道管理局」と記され、その下には科学万博の意匠利用の承認番号が記載されています。
表紙を開けるとお目当ての硬券が出てきます。
台紙の内側については、次回のエントリーで御紹介いたしましょう。
JR東日本 日本旅行新宿支店発行 通勤定期券
前回および前々回のエントリーで旅行会社発行のJR東日本通学定期券を御紹介いたしましたが、旅行代理店では通学定期券だけでなく、通勤定期券の発行をすることもできます。
こちらは2009年12月9日にエントリーしたものの再掲ですが、日本旅行新宿支店発行の通勤定期券です。
青色JRE地紋の区間補充式券(補定)ですが、通学定期より需要が多いのでしょうか、発行箇所名は「〇日 新宿発行」と印刷されたものとなっています。
五反田接続の都営地下鉄浅草線泉岳寺までとなっていますが、前回エントリーの小田急線伊勢原駅とは違って駅名印がありましたので、着駅がボールペン書きとなることはありませんでした。
やはり、前回の小田急線接続のものと同様、着駅のところに「〈五反田接続〉」という印が捺されていますが、経由欄には「(中)大久保 五反田」と、接続駅までが記載されています。経由の表記方法は統一されていたわけではなかったのか、もしくは発券した係員に拠ったのか分かりませんが、毎回どのような定期券が出てくるのかが楽しみで、毎回違った旅行代理店に定期券を購入しに行ったものです。
JR東日本 近畿日本ツーリスト神田支店発行 通学定期券
前回エントリーで日本旅行で発行されたJR東日本の定期券を御紹介いたしましたので、今度は近畿日本ツーリスト神田支店で発行された定期券を御紹介いたします。
日本旅行のものと同様に桃色JRE地紋の区間補充式券(補定)で、発行箇所名が記入式の汎用券です。近畿日本ツーリスト発行であることを示す「〇近」の符号が発行箇所名の頭につけられており、近畿日本ツーリストで発行されたことが分かります。
今回は小田急線伊勢原駅への連絡定期券として発行されています。もっと新宿寄りの駅であれば駅名印があったのかもしれませんが、伊勢原までの需要はほぼなかったのでしょう、着駅のハンコが無かったと思われ、ボールペンでの手書きとなっています。
経由欄には「(中央線)」とのみ記載され、小田急線との接続駅である「新宿」の表記がありませんが、その代わり、着駅の下にカッコ書きで「(新宿.接続)」という印が捺されています。
JR東日本 日本旅行新宿支店発行 通学定期券
平成元年7月に日本旅行新宿支店で発行された、JR通学定期券です。
桃色JRE地紋の区間補充式定期券(補定)で、発行箇所名も記入式の汎用券です。発行箇所名の頭に日本旅行で発行されたことを示す「〇日」符号が付いていることで日本旅行で発行されたことが分かります。
現在ではJRの定期券を旅行会社で購入することはできませんが、国鉄が民営化して数年位、日本旅行や日本交通公社(JTB)、近畿日本ツーリストなどの旅行代理店でもJRの定期を購入することができました。
当時、駅には定期券発売機がありませんでしたし、窓口でもJRカード以外のクレジットカードが使用できませんでしたが、旅行代理店で購入するとクレジットカードでの支払いが可能でした。しかし、一般の利用客には定期券を旅行代理店で購入するという概念がなかったためか、需要は決して多くは無く、日本交通公社の限られた支店以外では補定による手作業での発券となっていました。
この頃では自動改札機はあまり導入されていなかったものの、首都圏JRの駅ではマルスおよび印発機による定期券の機械発券がほぼ100%に達しており、趣味的にこちらの方が魅力的であり、いろいろな店舗で定期券を購入したものです。
平成になってまだ7カ月が経過した7月の発行ですが、都心にある支店であるにも拘わらず昭和券の残券を使用しているところから、需要の低さが伺われます。
三陸鉄道・ネスレ日本 切符カット
ネスレ日本は6月16日、三陸鉄道とのコラボレーション企画として、パッケージが鉄道乗車券となる日本初の「切符になるパッケージ」のチョコレート、切符カットを発売しました。
ネスレ日本は、2012年3月より東日本大震災からの復興支援として「キット、ずっとプロジェクト」を行っており、“キット、願いかなう。” をブランドメッセージとして掲げ、がんばる人を応援するチョコレートブランド「キットカット」を通して、岩手・三陸鉄道の復旧と沿線地域の復興を応援していましたが、とうとう三陸鉄道の開業30周年ならびに全線運行再開を記念して、パッケージが三陸鉄道の190円分となるコラボレーションが企画されました。
これが切符カットの現物です。
カテゴリーはあくまでも鉄道乗車券ではなくチョコレート菓子ですが、やはり切符コレクションの一端としてコレクションしておきたいものです。
パッケージ正面です。通常のキットカットのパッケージを基本として、三陸鉄道の列車のイラストの入った、女性にも受けそうなデザインです。
パッケージの裏面です。
左側に切符の使用方法が記載され、右側にはメッセージを記入することができるようになっています。
表面の「切符」部分です。
ちゃんと桃色三陸鉄道自社地紋となっており、三陸鉄道のラインカラーが描かれ、「190円区間分」と記載されています。
裏面の切符の使用方法が記載された部分です。
切符として使用されたパッケージは原券本位でネスレ日本から運賃が支払われることになっているために絶対回収となっており、切符として使用したパッケージは回収される旨が記載されています。
三陸鉄道は本年4月6日、JR東日本の一部路線が未だ復旧されていない中に全線が復旧し、震災復興の象徴的存在となっています。
切符カットは、全線運行再開の記念として企画されたため、最後の復旧区間であった北リアス線島越駅~田野畑駅間の運賃に相当する190円分の無料乗車券となったようです。
長電バス 路線バス用乗車券 ~その3
前回および前々回エントリーで長電バスの100円券・200円券・300円券を御紹介いたしましたが、郊外の券売所にはもっと低額の券も存在します。
こちらは長野電鉄湯田中駅に隣接する、長電バス湯田中駅前営業所で発行された20円券です。
桃色長野電鉄地紋のB型千切り軟券で、他運賃のものと様式は同じです。さすがに20円区間という区間は存在しないでしょうから、端数分の券として他の券と併用して使用するために設備されているものと思われます。
様式としては100円以上の券と同じですが、あたかも「200」の真ん中の0(ゼロ)を抜いたような感じで、ちょっとバランスに欠けています。
試しに200円券と並べてみました。いかにも「真ん中の0を抜きました」感ありありの体裁です。
長電バス 路線バス用乗車券 ~その2
前回エントリーで長電バスの100円区間券と300円区間券を御紹介いたしましたが、その間に200円区間券も存在します。しかし、ちょっと様式が違いましたので、敢えて別エントリーとさせていただきました。
100円券・300円券同様に平成23年4月に長電バス長野バスターミナルで購入した200円区間券です。桃色長野電鉄地紋のB型千切り軟券で、100円券・300円券と同じ様式に見えます。
しかし、良く見ますと「長野電鉄 バス乗車券」となっており、平成7年の分社化前に設備された、長野電鉄直営時代の残券が使用されておりました。100円券・300円券より需要が少ないのか、たまたま分社直前に在庫がなくなって設備されたものが残っているのか定かではありませんが、200円券だけは残券が使用されていました。
裏面です。基本的に長電バスのものと変わりませんが、会社名が「長電バス」ではなく、「長野電鉄」となっています。
これらの券を購入した当時、1年後には長野市内の路線バスには、長野市バスICカードのKURURUの導入が決定しておりましたため、もう増刷はせずに売りきったらそれで発売を終了するとのことでしたので、もしかすると現在では長野バスターミナルでの発売は終了しているかもしれません。
長電バス 路線バス用乗車券
平成23年4月に長電バス長野バスターミナルにて発行された、路線バス用の乗車券です。
桃色長野電鉄地紋のB型金額式千切り軟券です。
発駅や発行箇所名および発売日の表記はありませんが、発売当日限りの有効となっています。
「長電バス乗車券」と表記され、金額の他に券番が記載され、下部には「通用当日限り・途中下車無効」とあります。
100円区間券の裏面です。料金箱対応となっており、「長電バス」と100円区間の記載だけがあります。図示いたしませんが、300円区間券も金額が違うだけで同様式です。
長電バスはもともと長野電鉄直営のバス部門でしたが、他の私鉄事業者が行ったように、平成7年に分社化され、平成18年には分社化より先に長野電鉄から路線の移管を受けて設立されていた信濃交通および信州バスを吸収合併して現在の形となっています。
三鷹車掌区乗務員発行 特殊区間用車内補充券
平成18(2006)年9月30日に拙ブログを立ち上げてから7年9ヵ月が経過し、今回のエントリーで1,200回目を迎えることとなりました。今まで他愛のない趣味にお付き合いくださいましてありがとうございます。これからもマイペースで更新して参りますので、何卒御贔屓の程、よろしくお願いいたします。
さて、今回は三鷹車掌区乗務員発行の特殊区間用車内補充券を御紹介いたしましょう。
橙色こくてつ地紋の軟券で、概算鋏で穿孔して発行する、一般的に「図補」と呼ばれる様式です。
国鉄の車内補充券は第1種においては発行年が省略されていますが、特殊区間用に及んでは発行月までが省略されていますので、発行日がいつなのかが特定できません。
しかし、地図を見ていくと、国分寺から東京競馬場までの下河原線があるので昭和48年以前のものであることが判ります。また東京電環の表記があることから、昭和47年以前のものであることが判り、さらには、奥多摩駅がまだ氷川から改称されていないことと、武蔵五日市の先には武蔵岩井までの岩井支線があることから、同線が旅客廃止された昭和46年2月以前のものであるところまで特定できます。
横浜地区に目を向けると、根岸線の磯子から先の洋光台まで延伸されたのが昭和45年3月ですから、それ以降に設備されたことになります。
以上のことから、この券が設備されていたのは昭和45年3月から昭和46年2月までの11か月間であると推測され、あまり活躍期間の長くなかった様式であったものということができます。
本八幡駅発行 補充連続乗車券による房総一周乗車券
昭和35年12月に本八幡駅で発行された、補充連続乗車券による房総半島一周の乗車券です。
桃色こくてつ地紋の軟券式補充連続乗車券で、東京印刷場にて調製されたものと思われます。
乗車区間は本八幡駅から千葉までが総武本線、千葉から蘇我までが房総東線(現・外房線)、蘇我から安房鴨川までが房総西線(現・内房線)、安房鴨川から蘇我までが房総東線の経路を通って1枚目が終了し、蘇我から千葉までを房総東線、千葉から本八幡までを総武本線に乗車して戻ってくるというルートです。
1枚目の経由欄は「(浜・九・土)」と暗号のようなゴム印が捺されていますが、これは「浜野・九重・土気」を表しているものと思われ、当時の国鉄現場職員はこれで乗車券に記載されたルートを充分把握できていたと思われます。このようなゴム印が設備されるほど、当時はこのような1周の乗車券を発行する需要があったものと思われます。もしかすると、この逆方向のゴム印も設備されていたかも知れません。
ここで気になったのが、発駅と着駅に捺されているゴム印です。1枚目の「本八幡・蘇我」と2枚目の「蘇我・本八幡」のゴム印がどちらも上下左右が揃っており、上下一体型のゴム印が設備されていた可能性があります。
現在ではJR東日本では「びゅうプラザ」でパック旅行商品が出ていますので出札窓口でこのような乗車券を購入して旅行する旅客はかなり少ないものと思われますが、当時のような旅行センターというものがない時代、専用のゴム印が設備されるほど、出札窓口でこのような乗車券を購入する需要が高かったのでしょう。
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