JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
小湊鐵道 往復乗車券(硬券)
拙ブログ3月20日エントリーの「小湊鐵道 硬券入場券」で馬立駅にしかない乗車券があるとご紹介いたしましたが、それがこれ(↓)です。
往復割引制度が一般的になっているなかで、小湊鐵道に唯一生き残っている硬券の往復乗車券です。
これは往復割引運賃制度適用前のものなので割引運賃となっておらず、現行の同区間の往復運賃は割引運賃の260円ですが、割引が適用されていない320円となっています。
業務委託の窓口女史の話では、この券は一般利用客に対して実際に発売されるものではなく、私共のような趣味で購入される需要しかないということでした。
普通であれば口座落ちしなければならない券ですが、我々きっぷ蒐集家にとってはある意味で「有難い」券です。
小湊鐵道 軟券乗車券
小湊鐵道の五井駅は出改札業務はJR東日本に委託されており、駅から出場するにはJRの自動改札を通らなければなりません。
しかし、同鉄道の片道乗車券は硬券だけでしたので、自動改札機に硬券を挿入されてしまうというトラブルが多発した時期があったそうです。
そこで、トラブルを防止するため、五井駅ゆきの乗車券だけは軟券で設備されています。
上総村上駅発行の五井駅ゆきA型軟券乗車券です。
硬券同様のJPR地紋ですが、色はピンク色となっています。予めカットされたもので、硬券と同じように硬券ホルダーに挿して管理されています。
日付はダッチングで印字されていますが、これをするには厚紙を咬ませて機械に通す必要があるため、通常に発売するときは改札スタンパーの捺印で代用しているようでした。
同区間の小児用です。
因みに、JR五井駅では小湊鐵道の片道乗車券を発売していますが、JRの券売機に一部口座が「同居」しており、JR地紋の金額式券での対応となっています。
五井駅JR券売機発行の金額式券売機券です。
JRの券売機での発券のため、JRの券紙が使用されていますが、同鉄道にとってこれが唯一の券売機券となります。
また、小湊鐵道線各駅はマルスにも収容されているため、五井駅に限っては社線完結の券の発券が可能です。
小湊鐵道 硬券乗車券
小湊鐵道には乗車券の券売機が存在せず、駅売りの片道乗車券は硬券で発券されます。
上総牛久駅発行の上総川間ゆき乗車券です。
同社の硬券乗車券はすべて相互式となっており、途中駅で五井方面と上総中野方面で同運賃の区間が存在しても矢印式にはせず、各々の券が相互式で設備されています。
上総大久保駅のように字数が多い場合は活字のフォントを小さくしてあるので、区間が若干見づらいようです。
区間によっては小児用券も存在しますが、大人小児用券で事足りるということでしょうか、だんだんと小児券は口座数が減ってきているようです。
小湊鐵道 往復割引乗車券
小湊鐵道の往復割引乗車券です。
「ゆき」券と「かえり」券が縦につながった様式の軟券で、各有人駅にすべての行先向けに設備されています。
同鉄道は拙ブログ2月3日エントリーの「小湊鐵道 往復割引用車内補充券」でご紹介いたしましたように全区間について往復割引制度があり、それに対応できるようになっているようです。
実際、地元の利用客は往復乗車が大半ですので、かなりの需要があるようです。
小湊鐵道 硬券入場券
小湊鐵道の硬券入場券です。
同鉄道にはJRとの接続駅である五井駅にしか券売機が無く、しかも、その券売機もJRに「間借り」をしているもので、事実上1台も券売機を所持していない路線です。
五井駅から1駅目の業務委託駅である上総村上駅の入場券です。
この駅のダッチングマシーンは少々調子が悪く、たとえ硬券であっても厚紙を添えて印字しないときれいに印字できませんでした。
2駅目は海士有木駅です。少々難読駅名で「あまありき」と読みます。ここも業務委託駅です。
券はきれいなのですが、なんとなく印刷が曲がっているような気がします。
3駅目は直営駅である光風台駅です。
以前、ここには小児用の入場券も設備されており、本社には請求しているとのことでしたが、なかなか決裁が下りず、今は欠札中とのことでした。
次の有人駅は馬立駅で、ここも業務委託駅です。
窓口の委託女史に拠りますと、馬立駅では入場券は昨年の6月に欠札となってしまい、その時より本社に請求しているとのことですが、未だ到着していないとのことでした。
馬立駅の入場券といい、光風台駅の小児用券といい、あまり懐事情がよろしくないのでしょうか、このまま口座落ちとなってしまいそうな予感です。
ただし、馬立駅には他の駅には無い様式の乗車券が残っていますので、こちらは次の機会にご紹介いたしましょう。
次の有人駅は同鉄道のなかでは大きな直営駅である上総牛久駅です。
ここも以前は小児用の入場券もありましたが、今は設備されていないようです。
最後の入場券発売駅が委託駅である養老渓谷駅です。
ここだけには、改定印が捺印されてしまっていますが、小児用券が健在です。
品川駅から武蔵中原駅ゆき
3月12日に品川駅で発行された、品川駅から東海道線・川崎・南武線経由で武蔵中原までの片道乗車券です。
この区間は東京近郊区間に含まれますので、マルス端末で補正禁止操作を行わない限り、経路は「東海道線川崎駅経由南武線」となり、運賃は380円です。
経由欄を拡大してみました。
「東海道・南武」という経由と380円であることがわかります。
ところが、翌3月13日に湘南新宿ラインの武蔵小杉駅が開業し、同区間の最短経路はいままで品川駅から東海道線・川崎・南武線経由で営業キロ20.6㎞であったものが、横須賀線・武蔵小杉・南武線経由という新しい経路が誕生したため、営業キロ11.7㎞と短縮され、今まで380円であった運賃が210円に値下げされるという事態が起きています。
翌13日に同じ区間で発券された乗車券です。
同じ品川駅から武蔵中原駅のものですが、経路は「横須賀線(湘南新宿ライン)武蔵小杉駅経由南武線」となり、運賃は210円になっています。
こちらも経由欄を拡大してみました。
「横須賀線・南武」という経由に変更され、運賃も210円に変更されています。
面白いことに、経由欄の線名表記が、東海道線は「東海道」、南武線は「南武」となっていますが、横須賀線については「横須賀線」と表記されており、統一性がありませんね。
この記事は、今出川さまもブログ「続・吾輩はヲタである」3月15日エントリーの「武蔵小杉徒然1」にトラックバックさせていただきました。
えきねっと発券による、東急線・小田急線通過連絡券
3月13日のダイヤ改正で湘南新宿ラインの武蔵小杉駅が開業し、それに伴って、東京山手線内から東急線もしくは小田急線を経由して南武線に至る通過連絡運輸が、普通乗車券に限り廃止されました。
国鉄時代の券売機券につきましては以前、拙ブログ2月7日エントリーの「国鉄・東急 通過連絡券」にて御紹介いたしましたが、切符の世界もIT化が進み、えきねっとを利用してMV券売機でも通過連絡券を発券することができました。
まずは、通過連絡運輸取り扱い最終日の3月12日に品川駅発行の品川駅から武蔵中原駅ゆきの、渋谷・東急線・武蔵小杉経由の通過連絡券です。
次は、同じく通過連絡運輸取り扱い最終日の3月12日に品川駅発行の品川駅から武蔵中原駅ゆきの、新宿・小田急線・登戸経由の通過連絡券です。
どちらも同じ区間ですが、JRの営業キロと連絡社線の運賃額の相違によって、運賃がことなっています。
経由欄を拡大してみました。
上の東急線通過連絡券には「渋谷・東急線・武蔵小杉・南武」と、下の小田急線通過連絡券には「中央東・新宿・小田急線・登戸・南武」とそれぞれ表記され、通過連絡券であることがわかります。
これらの通過連絡は定期券については以後も取り扱いが継続されていますが、普通乗車券については12日限りで廃止されました。
ところが、えきねっとには盲点がありました。
最終日である3月12日に、前日に取り扱いが中止されている日である3月13日使用で同区間の通過連絡券を購入したところ、なんのエラーもなく発券されてしまったのです。
上が3月13日使用の渋谷・東急線・武蔵小杉経由の通過連絡券で、下が新宿・小田急線・登戸経由の通過連絡券です。
本来発券されてはならない使用日設定の券となってしまっています。
となれば、3月12日中に改めて13日使用の同区間の券をえきねっとで予約し、翌13日に、改めて同じ区間の通過連絡券を発券したらどうなるか試してみました。
結果は、予約選択画面(予約をした券が一覧表で画面に表示されます)には予約番号も振られた状態で表示されましたが、いざ発券する手続きへ進むとエラーが生じ、「お取扱いできません」という表示となり、発券することはできませんでした。
さよなら 寝台特急北陸、急行能登
今回のダイヤ改正で、上野口から2つの名列車が消えようとしています。
寝台特急北陸号と急行能登号です。
寝台特急北陸号は今夜23時03分に、急行能登号は23時33分に、それぞれ13番線と16番線から出発します。
(寝台特急北陸号)
(急行能登号)
どちらも上野駅~金沢駅間を結ぶ夜行列車で、学生の時には随分とお世話になった列車です。
走行区間が比較的短く、また、地味な路線を走るためか、あまり話題に上ることのない列車たちでしたが、いざ廃止となると、連日のようにカメラを持った人が最期の姿を見に上野駅に集まるそうです。
こちらは国鉄時代の北陸号の特急B寝台券です。
氷見駅で発行されたA型の特急券とB寝台券の併用券で、A型の券面に細々と必要事項の記載された硬券は、一般的に併用券はD型硬券が主流でしたので当時としても珍しい様式でした。
学生の身分でもあり、A寝台なんかおこがましく、B寝台以外に乗車した経験はありません。
それでも、急行能登に比べて料金の高い寝台特急は贅沢な列車でした。
次は、N型マルス時代の急行能登号の急行B寝台券です。
当時は10系という旧型の寝台客車とスハ43系やスロ62形というやはり旧型の座席客車やスニ41形荷物車などが雑多に連結された列車で、手動の乗降口扉や板バネ台車、幅が50センチ強しかない3段寝台や、後付けの冷風が直接吹き付けるエアコン等、お世辞にも乗り心地の良い列車とは言えませんでした。
3枚目の券は旅行会社である京王観光で周遊券と同時に購入した急行B寝台券で、営業所にマルス端末がなかったため、クーポン式の券で発券されています。
このころは、車両が14系寝台車にグレードアップされましたが、所詮は急行列車であり、3段寝台であることには変わりませんでした。
その後、JR化後に急行能登号は電車化され、489系電車による運転となり、寝台車のない全車座席車の急行列車となって現在に至ります。
今夜上野を出発した寝台特急北陸号は明朝06時26分に、急行能登号は06時29分に金沢駅に到着し、フィナーレを飾ります。
また、今夜金沢駅を出発する上りの急行能登号は明朝06時05分に、寝台特急北陸号は06時19分に、それぞれ上野駅に到着し、その歴史に幕を下ろします。
西日本ジェイアールバス 福知山から80円区間
JR西日本福知山駅発行の西日本ジェイアールバス園福線80円区間用乗車券です。
国鉄が分割民営化された昭和62年4月、一旦、JR旅客鉄道各社は旧国鉄バス路線を引き継いで自動車部門として運営していました。
しかし、1年後の昭和63年4月、西日本旅客鉄道(JR西日本)からバス事業部門を再度引き継ぐ形で分社化され、西日本ジェイアールバスとして営業を開始しています。
まだ国鉄からJRに分割民営化されたばかりの昭和63年に発行されたもので、国鉄時代の暫定地紋となっています。
国鉄地紋発行時期から察するに、JRが分割民営化された時に設備され、JR西日本自動車部門を経て、そのまま西日本ジェイアールバスに引き継がれたものと思われます。
当時、福知山駅のような中規模の駅では一つの出札窓口で鉄道と路線バスの双方の乗車券を発売しており、一つの乗車券箱に鉄道とバスの硬券が差してあることが多かったように記憶しています。
そこで入場券を買い求めた際、チケットホルダーに「80円区間」というこの券を発見したので買い求めた次第です。
大抵は鉄道とバスの乗車券の様式は異なっていたものですが、ここではJR西日本の旅客鉄道の硬券乗車券と同じ様式となっており、一見すると鉄道の乗車券と見間違えてしまいます。
しかし、昭和63年当時の幹線の初乗り運賃は140円だったと記憶しておりますので、明らかに鉄道の乗車券ではないことがわかります。
他にもこのような例が存在するのか、もしくは、西日本ジェイアールバスの金額式硬券乗車券にあってはそういうものであったのか、理由は定かではありません。
東京駅発行 新幹線指定席特急券
知人より譲ってもらった東京駅発行の博多駅ゆき新幹線指定席特急券です。
昭和52年の年末に発行されたD型硬券で、区間常備の様式です。
当然ながら、東京駅はマルスを使用して指定席特急券を発券するのが一般的ですが、夜間のシステム停止時間帯に発売されたのでしょうか、硬券で発券されています。
指定欄は裏面にあり、新幹線は新幹線改札を出場しなければ新幹線間の列車乗り継ぎが出来ることから、2列車まで記入することが出来るようになっています。
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