京成電鉄 船橋競馬場駅発行、金額式硬券乗車券

平成2年1月に京成電鉄船橋競馬場駅で発行された、110円区間ゆき硬券乗車券です。



   



鼠色JPRてつどう地紋のB型券で、山口証券印刷調製と思われます。


同社の金額式硬券乗車券は時代とともに小変化がありますが、御紹介の様式が硬券末期の最終形の様式となります。



平成2年頃となりますと、同社の乗車券はほぼ券売機化が完了しており、恒常的に窓口で社線用の近距離乗車券を発売していた駅は、最後まで券売機化をされなかった博物館動物園駅と日暮里駅のJR乗換精算窓口くらいだったように記憶しております。(末期には、窓口であっても、印発機による先出し券を硬券ホルダーに刺して発売していました。)
しかし、同駅は船橋競馬場の最寄り駅という環境にあり、レース開催日の多客時には硬券による臨発を行う必要があったため、比較的最後まで多客時の非常用として硬券の設備が残されていたようです。

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自動改札機から逃げ出した券

三鷹駅の自動改札機の上に置いてあった券です。

 

   


正確に言うと、「落ちてた」ものを拾ってきたというわけですが、良く見ると、矢印の左斜め上に穴が開けられています。

これは、この券で旅行を終えた旅客が自動改札に券を挿入して出場した際に一旦は回収されたものの、本来であれば機械内の集札箱に入れられなければならなかったのですが、何かのはずみで返却する方の出口に吐き出されてしまったものです。

 

   


拡大してみました。
左側にある穴は二戸駅で乗車する際に開けられた入鋏穴ですが、位置的に同じラインのところに、同じ大きさの穴が開けられています。


自動改札機の集札機能としてあるのだと思われますが、券を回収した際、入場時のときと同じ高さのところに自動的に穴をあけ、再使用を防止するための無効処理が行われているようです。

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西武バス 高速バス用乗車券

西武バス上石神井営業所で発行された、大宮駅から福岡(天神)ゆきの高速バス乗車券です。

 


水色西武バス自社地紋の券で、プリンター印字によるものです。見づらいですが、右側には切り取り線がついており、「もぎり券」のあるイベント券等として発券することもできるようになっています。


同社の大宮・福岡線は「Lions Express」という愛称の付いた路線で、西鉄バスと共同運行をしています。
「Lions」は、埼玉西武ライオンズと、かつて福岡にあった西鉄ライオンズに由来するもので、ライオンズ繋がりの両社がタッグを組んで運行していることから付けられています。

同線は現在、日本一長い長距離高速バス路線となっており、大宮~福岡間の約1,200kmを約15時間かけて結んでいます。

 


裏面です。

御案内文が印刷されております。内容を見ますと、高速バスだけでなく、イベントやツアー用の券として発券された時の案内も印刷されています。
左側は「もぎり券」部分であるため、印刷はされていません。

 

   


西武バスの自社地紋を拡大してみました。
西武鉄道の自社地紋に良く似ておりますが、鉄道のものが「せいぶてつどう」となっているのに対し、西武バスのものは「せいぶばす」となっている点が異なります。

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西武鉄道 黄色自社地紋のサーマル式券売機券

昭和57年9月に、西武新宿線東伏見駅で発行された券売機券です。

 

   


黄色西武鉄道自社地紋のA型券で、サーマル印字式になってからのものです。


当時、西武鉄道の券売機券の地紋に、はっきりとした区別はありませんでしたが、連絡乗車券の発行できない機種には黄色地紋の券紙が装填され、連絡乗車券も発売できる機種には桃色地紋の券紙が装填されておりました。
その結果、連絡乗車券は桃色地紋の券しかありませんでしたが、自社完結の乗車券は、黄色地紋と桃色地紋の券の双方が混在しておりました。

そのため、券紙の色を見れば、自社完結の券しか発行できない券売機で発行されたものであるか、連絡乗車券も発行できる券売機で発行されたものかを判別することができました。


昭和57年ころはサーマル式券に移行されつつある時で、黄色地紋と桃色地紋の判別はスミインク式券のときから継承されておりましたが、自社完結券しか発券できない券売機の減少により、いつしか黄色地紋の券紙は廃止されて桃色に統一されてしまっており、同社の黄色いサーマル式券は比較的短命に終わっています。

さらには、合理化の一環でしょうか、平成12年ごろには自社地紋の券紙さえも廃止され、現在は桃色のJPRてつどう地紋の私鉄各社共通の券紙になってしまっています。

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中央線高架化工事関連の振替乗車票

前回エントリーに引き続き、平成15年におこなわれた工事に関連する話題です。

 

   


当日、東小金井駅の改札で交付された振替乗車票です。


白色無地紋のA型常備軟券様式のものです。

当時のJR東日本の振替乗車票の様式に準じておりますが、通常の様式のものが「当日限り有効 」となっているのに対し、「発行当日限り有効」となっており、文言の並びも異なっております。そして一番目を引くのは、「15.9.27」という日付が予め印刷されているという点です。


おそらく当時、常備軟券の乗車券同様、今までに経験のない大規模な列車の運休および振替・代行輸送に備えるため、発行する手間をかけないように専用の振替乗車票までが作成されていたものと思われます。しかし、こちらもあまり必要なものではなかったようで、2回目の工事による運休以降、専用の振替乗車票の発行は行われていないようです。

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中央線高架化工事関連の常備軟券

週末の5月19日から20日にかけて、中央線高架化工事(今回は関連する武蔵小金井駅構内の線路切替工事)によって、中央線の電車は大幅に変更・運休され、振替輸送や代替バスによる運行が行われます。


今回のように工事に伴う変更や運休による振替輸送は何回か行われてきましたが、平成15年9月に行われた1回目の振替輸送の際には、代行バスの利用者の便を図るため、バスターミナルでの常備軟券による臨発が行われました。

 

   


1日目の27日(土)に三鷹駅で発行された、130円区間ゆきの乗車券です。

JRE地紋のA型券で、上下に切り取り線のある千切り式券となっています。大人用および小児用が別々に作成され、また、常備軟券としては珍しい、日付が予め印刷されたものとなっています。

 

   


2日目の28日(日)に国分寺駅で発行されたものです。

JRE地紋のA型券で、やはり上下に切り取り線のある千切り式券となっています。こちらも大人用および小児用が別々に作成され、日付が予め印刷されたものとなっています。

 

   


各駅では、両日共に大人用券の他、別途小児用券も作成されています。

 

当日、27日は22時ごろから終電までの間に振替輸送が開始され、28日は初電から7時ごろまでの予定となっており、土曜日の夜はそこそこの旅客が予想されましたが、日曜日の早朝はさほどの旅客は望めないものの、まだ実績のない振替輸送であるため、JR東日本八王子支社としては旅客の精算業務に万全の態勢で望むため、これらの券が作成されたものと思われます。

実際には、事前の周知とICカードの普及により、精算業務にさほどの混乱は見られないようでしたが、工事が予想以上に遅れ、日曜日の運転再開がお昼過ぎとなる大失態を起こし、計画と対策の甘さが問題となってしまいました。
そして、精算業務に混乱が起きなかったという実績からか、2回目以降の振替輸送の際には、常備軟券は登場しておりません。

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JR東日本田町駅発行 120円区間ゆき両矢印式硬券乗車券

平成元年11月に田町駅で発行された、120円区間ゆき硬券乗車券です。



   



JRE地紋のB型券で、東京印刷場によって調製されたものです。東京山手線内の駅の最短区間の乗車券ながら、珍しく両矢印式券となっています。



実はこの券、田町駅発行ではありますが、三田祭(慶應義塾大学学園祭)において、JR職員が出張発売していたもので、その期間のために特別に調製されたものです。他にも硬券入場券の発売等もあり、田町駅としてもお祭りモードでの臨発という大変珍しい臨発でした。


現在はSuicaやPASMOなどのIC乗車券が主流となり、臨発そのものがあまり行われなくなってしまいましたから、今後このような券が発売される可能性は低いでしょう。



お祭りモードとは言え、この券は実際に使用することも可能ですが、私は勿体なくて使用しませんでした。発行枚数の何割が実際に使用されたのでしょうか?

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上毛電気鉄道 硬券入場券のいろいろ

平成19年8月に、大胡駅で発行された硬券入場券です。



   



印刷場は不明ですが、いままでの流れからして足利印刷にて調製されたものかもしれませんが、確信が持てません。
A型無地紋で、真中に赤の横一条が入っています。



この様式は大胡駅の他に、現在も駅員配置駅であります中央前橋・江木・粕川・新里・赤城・西桐生の各駅で発売されていますが、今まで何回か訪問した際に確認してきたところ、同社は実に頻繁に様式が変更されているように感じます。



   



昭和59年に初めて訪問した際に西桐生駅で購入したものです。


足利印刷調製と思われるB型券で、駅名は記入式となっていました。何となく東武鉄道のものに似ています。



   



その後の昭和63年に訪問した際に中央前橋駅で購入したものです。


同じ足利印刷のものと思われますが、このときには小児断線がついており、何となく国鉄時代の新潟印刷場の入場券を彷彿させる様式です。
「旅客車内に立ち入ることはできません、」となぜか文章の最後が「。」読点ではなく「、」句読点で終わっている誤植券で、他駅分も同じ状況になっていました。



    (わたらせ渓谷鐵道現行券)



若干違いますが、同じく足利印刷で調製されている、わたらせ渓谷鐵道の現行入場券と雰囲気が似ています。特に、小児断線と「小」の文字が異常に離れているところがそっくりです。



   



次は、大胡電車区のイベントの際に購入した新里駅の150円券です。


再び小児断線が無くなった足利印刷調製のもので、B型無地紋です。



    (東武鉄道無地紋券)



参考として御紹介いたしますが、東武鉄道の無地紋時代の入場券と瓜二つな感じです。これでは、同一の会社のものと見間違えてしまうくらいです。



同社にはしばらく御無沙汰しておりましたので、この間にも違う様式の券が存在した可能性もあります。



   



最後の券は、これも大胡電車区のイベント会場で入手したものですが、現行の駅名記入式券のようです。


活字の感じが似ていることから現行のA型券と同じ印刷場による調製と思われるものですが、こちらはB型となっており、横赤一条がありません。


駅名をゴム印で捺印するときに赤一条があるとインクの乗りが悪かったりして扱いにくいので、全くの無地にしてあるのかもしれません。



また、駅名欄には「駅」の文字は印刷されておらず、「発行」と表記されている点に特徴があります。

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特定区間用 矢印式片道乗車券

昭和59年7月に新宿駅で発行された、西荻窪・吉祥寺ゆきの片道乗車券です。

 

   


東京印刷場調製の桃色B型券です。


新宿から中央線高尾方面ゆきは京王帝都電鉄との競合区間となっており、区間によっては通常の運賃より割り引かれた特定運賃が適用されているため、硬券での発売の際には金額式ではなく、矢印式が設備されていました。

同区間の営業キロは12.2kmで、現在は電車特定区間の普通運賃が適用されて210円となっており、明大前駅での京王線から井の頭線への乗換が生じることで利便性があまり良くないことから競合区間という位置づけにもなっていのか、特定区間からは除外されています。


特定区間は他にもいくつかありますが、東京近郊区間では硬券で近距離乗車券を発売している駅が限られているため、すべての区間に設備されているわけではありませんでした。

 

   


鎌倉駅発行の横浜ゆき乗車券です。この区間は現在でも特定運賃が設定されています。

同区間の営業キロは22.2kmで現在の運賃は330円ですが、競合する京浜急行電鉄の運賃に対抗するため、電車特定区間の普通運賃の380円を適用せず、50円の割引となっています。

 

   


横浜駅発行の大森・品川間ゆき乗車券です。

横浜~品川間の営業キロは22.0kmで現在の運賃は280円ですが、競合する京浜急行電鉄の運賃に対抗するため、電車特定区間の普通運賃の380円を適用せず、100円の割引となっています。

横浜~大森間の営業キロは17.4kmで現在の運賃は品川と同額の280円ですが、電車特定区間の普通運賃を適用すると290円となりますので、10円ですが割り引かれています。


同区間の京浜急行電鉄の運賃は横浜~品川間が290円と10円高く、横浜~大森(大森海岸)間が270円となっており、京浜急行の方が10円安くなります。


横浜駅では硬券による近距離乗車券の発売は京浜急行が管理している乗換精算口のみとなっており、皮肉にも、京浜急行は自社への対抗措置が採られた運賃の国鉄乗車券を発売しているという結果になっています。

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JR九州 うきは駅発行金額式乗車券

平成3年8月にうきは駅で発行された、金額式片道乗車券です。

 

   


門司印刷場調製の桃色JRK地紋のB型券です。


現在JRにはひらがなだけの駅は7駅(ほしみ・ほっとゆだ・いわき・みの・ししぶ・えびの・うきは)がありますが、ひらがなだけの駅は近年になってから改称されていることが多く、これらの駅の硬券乗車券の例はあまり多くありません。


うきは駅はJR九州久大本線の駅で、国鉄時代は筑後千足駅という漢字の駅でしたが、民営化後の平成2年に旧町名である「浮羽町」からとって改称されています。

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