JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
中野駅発行 中野から140円区間ゆき 片道乗車券
1974(昭和49)年5月に中野駅南口にある券売機で発行された、中野から140円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色国鉄KOKUTETSUこくてつ券売機用共通地紋のキレート式券で、地図式券となっています。
現在の券売機では基本的に金額式券が発行されますが、当時片道30kmを超える分の乗車券については地図式券で発券されました。
現在であれば営業キロ31.8km、運賃は580円となっていますが、当時は同区間を140円で乗車できたようで、約47年の間に4倍以上の額に改定されたことになります。
帝都高速度交通営団 永田町から80円区間ゆき 片道乗車券
1980(昭和55)年6月に帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)永田町駅で発行された、80円区間ゆきの片道乗車券です。
緑色PJRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口交通印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
当時の同駅は今では有楽町線の他に半蔵門線や南北線が乗り入れ、赤坂見附駅と連絡通路で結ばれているために銀座線や丸ノ内線との乗換駅となっていますが、当時は有楽町線のみの駅で、全く別の駅であった赤坂見附駅との乗換駅としての扱いが始まったばかりの頃でした。
同駅のある永田町は日本の政治の中心地で、国会議事堂や首相官邸、自民党などの政党本部や最高裁判所などの施設が多く、また、国立劇場や老舗ホテルなども多く、混雑による一時的な券売機の渋滞などがしばしば起こっていたようです。そのため、比較的多い確率で硬券による臨時発売が行われていました。
御紹介の券は管理人が中学校時代の帰宅途中に臨発を見かけたために購入したもので、臨発の理由となったイベントには全く興味がありませんでしたし、何があったのか全くもって覚えていません。
この、日本の政治の中心地である永田町では、今から85年前の今日である1936(昭和11)年2月26日の未明、陸軍の「皇道派」に属する青年将校が近衛師団の近衛歩兵第三連隊、第一師団の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊に所属する1,483名の将兵を使い、クーデターを起こします。クーデターは午前5時に一斉に開始され、首相官邸や赤坂の高橋是清蔵相私邸、四谷の斎藤実内大臣私邸、荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸、麹町の鈴木貫太郎侍従長官邸、神奈川県湯河原の牧野伸顕前内大臣を次々に襲撃し、警視庁、陸軍省、陸軍大臣官邸、参謀本部、国会議事堂を占拠します。そして政治や軍の中枢である永田町・三宅坂周辺を完全に占拠し、東京は一時、戒厳令下に置かれます。
これが「二・二六事件」という当時の陸軍青年将校による反乱事件です。
その後、一時は成功すると思われたクーデターは、途中から一転して思わぬ展開により、わずか数日で崩れ去る結果になります。彼らは政府要人を襲い、首相官邸や陸軍省、参謀本部、国会議事堂といった主要官庁や一部のマスコミを制圧しました。ところが、青年将校らは、自分たちの役割はあくまで現政府を破壊して政治の混乱を招くことと考えており、実際のシナリオもそこまでで終わりで、ここから先は皇道派の上層部たちに実行してもらうというあいまいな計画内容であり、「上層部頼み」実行に移されてしまった計画は、わずか4日で鎮圧されてしまいます。
また、対応に煮え切らない陸軍に対して昭和天皇が激怒し、「朕(ちん)自ら近衛師団を率いて鎮圧に乗り出す」とまで発言したことから海軍が鎮圧に強い意向を示し、はじめはクーデター部隊にも理解を示していた陸軍上層部も、天皇の理解が得られないとみると突如として手のひらを返し、「蹶起(けっき)部隊」「行動隊」と呼んでいた青年将校らを「反乱軍」「叛徒(はんと)」と呼び、戦車を含めた総計2万4,000人もの包囲軍を組織して鎮圧してしまいます。
2月29日朝、鎮圧部隊は反乱軍とされた部隊に向け、「一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ」と投降を呼びかけるビラが投じ、それがもととなって続々と投降が相次いだため、わずか4日で決起は終息しています。
それでも、多くの青年将校らは自決せず、裁判で自分たちの正義を広く世間に主張するつもりでしたが、開廷された裁判は「一審制」「上告なし」「非公開」「弁護人なし」というもので、中心となった将校ら17人に死刑判決が下り、1週間後にはほとんどの者に刑が執行されています。
陸軍将校が処刑(銃殺)されたのは、現在の渋谷税務署などの入る渋谷地方合同庁舎のあるあたりにあった東京陸軍刑務所で、敷地の北西角には犠牲者と処刑者を弔う「二・二六事件慰霊像」という観音像が建立されています。
上田電鉄 アリオ専門店 イトーヨーカドーお帰りきっぷ
前回エントリーで長野県上田市にありますアリオ専門店イトーヨーカドーで発行された、上田バスのお帰りきっぷを御紹介いたしましたが、同ショッピングセンターでは上田バスだけでなく、上田電鉄で使用できるお帰りきっぷも発行していますので御紹介致しましょう。
2020(令和2)年9月にアリオ専門店イトーヨーカドーで発行された、上田電鉄のお帰りきっぷです。緑色BJRてつどうじどうしゃ地紋のA型券で、やはり日本交通印刷で調製されたものです。
上田電鉄のお帰りきっぷについても、2,000円以上のレシートをサービスカウンターに持参するともらうことができます。これも上田バス同様、買い物客への公共交通機関の利用を推進する事業の一環で、最短区間分の帰りの交通費を補助するものとなっています。
お帰りきっぷが交付されたㇾシートには上田バス同様に発行済であることを示すスタンプが捺印されますが、上田バスのスタンプが日付のみのデーター印であるのに対し、上田電鉄のスタンプはデーター丸印となっています。
裏面です。上田バス同様、乗越の際には差額運賃を支払うことになっています。
この券は、以前は金額式となっていて「上田から170円区間ゆき」と表記されていましたが、消費税率が10%となって運賃が改定された際、「上田➡上田原まで」の表記に改められています。ちなみに、現行の同区間の運賃は180円になりますで、上田バスの200円より20円ほど安くなっています。
上田バス アリオ専門店 イトーヨーカドーお帰りきっぷ
2020(令和2)年9月に、長野県上田市にあります「アリオ専門店 イトーヨーカドー」で発行された、上田バスのお帰りきっぷです。
桃色BJRてつどうじどうしゃ地紋のA型券で、日本交通印刷で調製されたものです。
アリオ専門店 イトーヨーカドーでは、2,000円以上のレシートをサービスカウンターに持参すると、上田バスもしくは上田電鉄で使用することのできる「お帰りきっぷ」をもらうことができます。これは、買い物客への公共交通機関の利用を推進する事業の一環で、最短区間分の帰りの交通費を補助するものとなっています。
上田バスは上田市内周辺に路線を持つバス事業者で、現在の上田電鉄別所線を運営する上田交通から分社化された上電観光バスを前身とし、上電バスを経て現在の社名になっています。
実際に買い物をした時のレシートです。サービスカウンターでバスのきっぷを戴きたい旨をレシートを提出のうえ申告し、乗車券の交付を受けます。乗車券が交付された時、レシートには交付済みの印として、日付印が捺印されます。
乗車券の裏面です。この券は200円区間までの乗車券となっておりますので、それ以上の区間を乗車する場合、差額運賃を支払う旨の記載があります。
帯広駅発行 〇企 札幌市内までのQきっぷ
廃札券ですが、帯広駅発行分の札幌市内までのQきっぷです。
青色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものと思われます。
右側の券片が往路用の[ゆき]券で、左側の券片が復路用の[かえり]券になります。題字には[ゆき]券もしくは[かえり]券を示す表示と企画乗車券である旨を示す「〇企」の符号、そしてJR「(北)」という符号と「Qきっぷ」の名称になります。
アンダーラインの下には乗車券と自由席特急券である旨の表記があり、その下には乗車区間、有効日数、運賃・料金、発行箇所名と続きます。
Qきっぷは地方の都市間の乗車券と自由席特急券をセットにした往復タイプの企画乗車券です。QきっぷのQは「Quick」のQから取られたものと聞いたことがありますが、真偽のほどは解りません。自由席特急券がセットになっていますが、まだ急行列車が走っていた国鉄時代には、区間が同じであれば急行(普通急行)列車の自由席も利用できたと記憶しています。当然その分料金は安くなるのですが、急行を利用したからと言って差額が返還されるわけではありません。
裏面です。
管理人のあいまいな記憶では、Qきっぷでは特急列車の自由席のみ利用できるものと思っていましたが、この券を見る限りでは、
「◎指定席(普通車)をご利用の場合は、指定券の交付を受けてください。」
とあります。
表面には「自由席特急券」と記載されているにもかかわらず、裏面には「指定席(普通車)をご利用の場合は・・・」とは、どのようなシチュエーションの時だったのでしょうか?
Blueliner様より、この券の「(北)」という符号は、JR北海道の発売区分を表すものではなく「北海道Qきっぷ」の略記であるというコメントを戴きましたので、修正と追記を致しました。
Qきっぷは本来自由席利用のものでしたが、昭和56~57年頃から、北海道と九州のものは指定席利用可となり、「Qきっぷ併用」の赤スタンプが捺された指ノミ券が交付されるようになったとのことです。
帝都高速度交通営団 霞ヶ関から30円区間ゆき 片道乗車券
1970(昭和45)年2月に帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)霞ヶ関駅で発行された、30円区間ゆきの片道乗車券です。
緑色JPRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、山口交通印刷系の帝都交通印刷で調製されたものと思われます。時代的にそろそろ券売機が普及されている頃ですが、まだ都心部でも硬券乗車券が当たり前に健在な時代でした。
裏面です。同社の当時の硬券様式は、裏面にも発駅と金額が記載されており、社名である「帝都高速度交通営団」の文字は比較的大きく、発行箇所名も裏面に印刷されていました。
同社では国鉄との接続駅である同一駅名の場合、駅名の頭に「〇地」の符号を入れて「地下鉄〇〇」駅であることが判りやすくすることが行われていますが、この券の場合、接続駅でもない駅であるのに「〇地」の符号が入れられています。
東海バス 熱海駅前案内所発行 熱海駅前からお宮の松ゆき 片道乗車券
拙ブログと同じqooブログのなかで、「伊豆の青春ドライバー【ミモリーの日記】」の管理人で、バスのドライバーをされているミモリー様にフォローを戴いております。ミモリー様のブログはとにかく写真がきれいで、また、管理人であるミモリー様がいつも笑顔の写真も掲載されていて、大変楽しいブログです。御存じない方は御訪問されるとよろしいかと思います。(別に、コマーシャルを頼まれたわけではありませんよ。)
さて、今回はミモリー様に因んで、伊豆半島地域を中心としてバス事業をおこなっている東海バスの熱海駅前案内所で2009(平成21)年12月に発売された、熱海駅からお宮の松停留所ゆきの片道乗車券を御紹介致しましょう。
橙色東海バス自社地紋のノンカーボン式の補充乗車券となっています。案内所窓口で乗車券をコレクションしている旨を告げ、路線バスの乗車券の有無をおたずねしたところ、路線バス専用の乗車券は無いけれど、手書きの券であればということでしたので、こちらを発売していただきました。
基本的には定期観光バスなどの乗車券として発行するもののようで、普通乗車券としても発行できる様式になっています。右下に「第一種」と記載されていることから、「第一種補充乗車券」ということになるかと思います。
ちなみに、同社では「第二種補充乗車券」というと、往復用のものなのだそうです。
発行会社名は親会社の「東海自動車株式会社」となっており、1999(平成11)年に分社化される前から設備されているものと思われます。
地紋部分の拡大してみました。
画像では見づらいかもしれませんが、社紋が連続して並んでいるもので、同社が硬券の乗車券を発行していたころのものと同じであると思われます。
裏面です。
表面にも「下車」という途中下車をチェックする欄がありますが、現在では廃止されているかもしれませんが、同社では途中下車の取扱いを行う旨の記載があります。
また、「4.(イ)」において、「普通乗車券の場合の場合は、入鋏前で、且っ・・・」となぜか「つ」の文字が促音になってしまっているのが御愛嬌です。
この券は購入してから10年以上が経過しておりますので、現在は東海自動車の補充乗車券は使用されていないかも知れません。
愛国駅発行 愛国から幸福ゆき 片道乗車券
本日はバレンタインデーということで、大変「ベタ」ではありますが、広尾線愛国駅(廃駅)で発行された、幸福駅ゆきの片道乗車券を御紹介致しましょう。
1982(昭和57)年8月に愛国駅で発行された券で、桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
この券は、NHKの「新日本紀行」という番組で、「愛の国から幸福へ」のきっぷとして紹介されて有名になりました。この券はテレビで紹介されてから少しづつ発売枚数が伸びてきたようで、規模の小さい愛国駅では、当初補充券で対応していた幸福駅ゆきの片道乗車券の常備券を作成し、この券だけで1か月で今までの8年分を発売した記録があると言われています。
お土産用としてレプリカもやキーホルダーなども作成されており、当時を知る方であれば一度は目にしたことのある「超有名」なきっぷです。
現在では指定席券売機であたりまえのように他駅からの乗車券を購入することが可能ですが、当時の国鉄では急行券類と同時購入という条件でなければ他駅からの乗車券を発売することは認められていませんでした。しかしながら、縁起きっぷブームによる国鉄の増収策として、愛国から幸福ゆきの乗車券は、管理していた帯広駅の他、釧路鉄道管理局管内の主要駅や札幌駅でも「記念用」として発売されておりました。これは主要駅でテレビできっぷの存在を知った旅客からの発売希望に対していちいち「他駅からの乗車券は発売できない」と説明するよりも、特例として発売してしまった方が手っ取り早いという現場の事情があったようです。また、遠方のためにどうしても購入できないコレクターのために帯広駅では現金書留により郵頼にも対応していたようです。
この券は実際に愛国駅で購入したもので、複数枚購入し、うちの1枚については鋏を入れて貰いました。
裏面です。裏面には専用の記念スタンプが窓口に設備されていましたので、記念に捺印しています。
同駅は1975(昭和50)年頃にはすでに無人駅となっており、駅構内にあった出札窓口は幸福ゆきの券のみを扱う臨時発売所であったと記憶しております。
その後、国鉄末期の1987(昭和62)年2月に広尾線の廃線により同駅も廃駅になっておりますが、現在でも復刻版のレプリカの他、地元バス会社である十勝バスが同区間の乗車券を発売しているようです。
〇自 白金温泉駅発行 美瑛ゆき 片道乗車券
1979(昭和54)年1月に、美瑛線 〇自 白金温泉駅で発行された、美瑛駅ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型相互式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
札幌印刷場で調製された相互式券は発駅および着駅の活字に明朝体が使用されているのが特徴的で、他の国鉄印刷場で調製されたゴシック体の券とは趣きが異なります。
裏面です。国鉄バスはワンマンカーでの運転のため、降車の際に乗車券を運賃箱に投入して下車しますが、運賃箱に投入された券が裏返しになって着地してしまっても運賃が判るよう、「500円」と大きく印刷されています。
〇自 白金温泉駅は、国鉄北海道総局北海道地方自動車部が運営していた「美瑛線」という自動車線の駅で、発行箇所名の頭には自動車線の駅(自動車駅)であることを示す「〇自」の符号が付けられています。
自動車駅はバスターミナルのような場所ですが、ターミナル内には待合所やきっぷうりばのある駅舎があり、そこでは国鉄全駅への乗車券や特急・急行列車の指定券などを発売していました。イメージとしてはレールが無いことを除けば、鉄道駅と機能的には同じと考えて良いと思います。駅によっては手荷物・小荷物・貨物の取扱いも行っており、貨物専用の自動車駅も存在しており、トラックによる貨物輸送も行われていた路線もあります。
美瑛線は富良野線の美瑛駅から、美瑛町役場前・丸山公園前・不動の滝・白金温泉・国立大雪青年の家(現・国立青少年交流の家)という路線で、白金温泉や国立大雪青年の家への観光路線として位置づけられた路線でしたが、国鉄民営化前の1986(昭和61)年10月に廃止され、現在では一部走行ルートが異なっていますが、地元の道北バスに引き継がれて運行されています。
島原鉄道 大三東駅発行 東京都区内ゆき 片道連絡乗車券
1975(昭和50)年8月に島原鉄道大三東(おおみさき)駅で発行された、東京都区内ゆきの片道連絡乗車券です。
青色RTCてつどうじようしやけん地紋のA型準常備大人・小児用券となっています。
準常備式券は「着駅ハ最下段」と記載されております通り、発売区間の部分で切り取って発売するもので、御紹介の券は東京都区内ゆきとして発売されています。その下に微かに横線が残されていることから、東京都区内がこの券で発売できる最遠区間であると思われます。
大三東駅から東京都区内までの乗車経路は、大三東~(島原鉄道)~諫早~(長崎本線)~鳥栖~(鹿児島本線)~門司~(山陽本線)~神戸~(東海道本線)~東京という経路で、営業キロ1,359.7kmという長丁場になり、現在の運賃になりますと16,690円になります。
裏面です。小さな文字でご案内文が印刷されています。
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島原鉄道は長崎県の諫早駅から島原港駅まで結ぶ非電化の鉄道路線で、現在のJRとの連絡運輸区間は諫早駅から佐賀駅および長崎駅間各駅、佐世保線各駅、大村線各駅に縮小されておりますが、この券が発券された当時は東京都区内までの乗車券を発売することも可能でした。
この券が発売された大三東駅は、1980(昭和55)年頃に無人化されてしまっております。
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