趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
箱根登山バス 湯本駅発行230円区間ゆきバス乗車券
前回につづき、同じく平成29年6月に箱根登山バス湯本駅で購入した230円区間ゆきの路線バス用乗車券です。
肌色箱根登山鉄道自社地紋の金額式千切り軟券で、こちらは発駅記入式どころか、発駅を記入する欄がなくなっています。案内所の方に拠れば、この様式が最新の様式だそうです。
発駅の記載を省略した理由は定かではありませんが、同社では現金による旅客の場合は整理券を発行していますので、整理券を併用することで、発駅の記載が省略されていても実害はないものと思われます。
裏面です。
今まで御紹介の券同様に料金機対応で金額の表記がありますが、今までの券とは少々記載方法が異なっています。
前々回御紹介した730円券の裏面の再掲です。
発駅の記載のない新券は「〇〇〇円 箱根登山バス」となっていますが、発駅欄のある旧券ですと、「〇〇〇 箱根登山」と「円」および「バス」が追記された形になっています。
箱根登山バス 湯本駅発行390円区間ゆきバス乗車券
平成29年6月に、前回エントリーの730円券と同時に箱根登山バス湯本駅で購入した、390円区間ゆき路線バス用乗車券です。
肌色箱根登山鉄道自社地紋の金額式千切り軟券で、こちらは発駅記入式となっています。
発駅が記入式となっている以外は前回エントリーの730円区間ゆきの乗車券と同様式となっています。
裏面です。
やはり料金機対応となっていて、裏面にも金額の表記があります。
駅名常備式の券の需要が減ってきているので、売切った口座から駅名補充式の券に切替えているようですが、切り替えはこれで終わりではないようです。
箱根登山バス 湯本駅発行730円区間ゆきバス乗車券
平成29年6月に、箱根登山バス湯本駅(箱根登山鉄道箱根湯本駅前)で発行された、金額式の路線バス用乗車券です。
肌色箱根登山鉄道自社地紋の金額式千切り軟券です。
同社では主要な停留所で路線バスの乗車券を発売しておりますが、同社ではPASMOやSuicaによる運賃の支払いができるようになっていることと、観光路線については小田急電鉄の箱根フリーパスが使用できることで、予め乗車券を購入して乗車する旅客は皆無に等しい状況であり、敢えて乗車券を発売している理由はあまり無いように感じます。
発停留所名が印刷された常備券となっておりますが、なぜか発行箇所名は記入式となっており、この券を湯本駅以外で発売することもあまりなさそうですので、理由が良く分かりません。
裏面です。
料金機対応として金額が印刷されていますが、発駅名の表記はありません。
出水駅発行 福岡市内ゆき片道乗車券
昭和61年6月に鹿児島本線出水駅(現・肥薩おれんじ鉄道出水駅)で発行された、福岡市内ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で門司印刷場で調製されたものです。鹿児島本線をひたすら上る単純な乗車経路の券で、経由表記は「鹿児島本線経由」となっています。
着駅の「福岡市内ゆき」の下には「(姪浜・今宿・周船寺駅を除く)」の表記がありますが、これは門司印刷場で調製された長距離一般式券独特の表記方法で、他の印刷場が裏面に表記するところ、門司印刷場では表面に表記しています。
裏面です。表面に表記があるため、裏面には「姪浜・今宿・周船寺駅を除く」の表記はありません。
昭和58年3月の福岡市営地下鉄1号線(現・空港線)開業以前は筑肥線が非電化のまま気動車で博多駅まで乗入れており、姪浜・今宿・周船寺の各駅は福岡市西区に位置することから「福岡市内」の駅に属していました。
しかし、姪浜駅~博多駅間が福岡市営地下鉄開業と引き替えで廃止され、廃止区間である西新・鳥飼・小笹・筑前高宮・筑前簑島の各駅が市営地下鉄の駅になることで「福岡市内」の駅から除外され、さらには姪浜・今宿・周船寺の各駅も福岡市内の国鉄(現・JR)線のみでつながっていないために「福岡市内」駅から外れています。
なお、下山門駅は昭和61年7月の開業であったためにこの券が発券された当時には対象外であり、九大学研都市駅はJR化後の平成17年の開業のため、こちらも対象外となっています。
※ 出水駅には九州新幹線が停車する駅でもあるので肥薩おれんじ鉄道の駅であると同時にJR九州の駅だろうと重箱の隅を突くが如く間違いを指摘される方がいらっしゃると思うので先に弁解しておきます。九州新幹線も鹿児島本線であると言えばそうですが、乗車券では在来線と新幹線はきちんと区別されていますので、ここでは在来線の鹿児島本線という意味から敢えて「肥薩おれんじ鉄道の駅」としてあります。
西武鉄道 池袋駅発行こぶし1号特急券
昭和48年3月に、西武鉄道池袋駅で発行された、「こぶし1号」の特急券です。
紫色せいぶてつどう自社地紋のA型大人・小児用券です。西武鉄道の初期の特急券は、下り列車用券には赤斜線が2本引かれており、上り特急との区別をしていました。
特急「こぶし」は休日の前日に限って下り1本のみ運転されていた「休前日特急」で、池袋を20:10に発車して、所沢20:37、飯能21:00、終点西武秩父21:38到着というダイヤで運転されていました。西武秩父駅に到着した列車は西武秩父駅で夜間停泊して翌朝西武秩父5:13発の特急「ちちぶ2号」として池袋に戻りますが、西武秩父駅では朝まで車内で仮眠することが可能というハイキング客向けの「準夜行」特急となっていました。
休前日の下り1本のみであった特急「こぶし1号」ですが、この券が発行された昭和48年11月のダイヤ改正で廃止されてしまったと記憶していますが、いろいろな方のホームページでは昭和51年まで運転されていたというものがありますし、西武秩父着が23:13着とあったり、ちょっと記憶が曖昧です。
指宿駅発行 指宿から50kmまでの急行券
昭和53年10月に指宿枕崎線指宿駅で発行された、指宿から50kmまでの急行券です。
桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものです。
裏面です。発行駅名が印刷されています。
現在の指宿枕崎線には特急「指宿のたまて箱」という観光特急が運転されていますが、この券が発行されたころの同線には1日4往復の気動車急行が運転されていました。
この列車は急行「錦江(きんこう)」という列車で、日豊本線の宮崎駅から西鹿児島(現・鹿児島中央)を経由して山川までの運転でした。
編成は5両編成の短い編成でしたが、うち2両がグリーン車という希少な列車で、いかに指宿方面が人気の観光地であったかということを物語っています。
この券が発行された1年後の昭和54年10月には、日豊本線の南宮崎駅~鹿児島駅間の電化完成によるダイヤ改正により、急行「錦江」は4往復のうちの1往復が特急「にちりん」に格上げされ、2往復が475系電車化のうえで宮崎駅~西鹿児島駅間に区間が縮小され、残る1往復のみが指宿枕崎線への乗り入れするようになっています。
そして、翌55年には急行「錦江」は指宿枕崎線への乗り入れを廃止し、宮崎駅~西鹿児島駅間の快速列車に格下げられてしまい、特急「指宿のたまて箱」が運転されるまでの間、指宿枕崎線には優等列車の運転はありませんでした。
JR東日本 盛岡支店発行 乗車券袋
JR化間もない、昭和62年8月に盛岡駅のみどりの窓口で貰った盛岡支店(現・盛岡支社)が配布した乗車券袋です。
大きさは横幅16cm高さ8.2cmと現在のものより大きく、出札補充券や料金専用補充券、補充片道乗車券や補充往復乗車券、補充連続乗車券等が入る大きさとなっています。
当時、JR東日本はタレントの後藤久美子さんを国鉄民営化直前からCMの顔として採用し、テレビCMで放映されていました。
裏面です。
いまでは旅行センター(JR東日本では「びゅうプラザ」)が閉鎖されてしまっている駅も見受けられますし、JRの駅ではなくなってしまった駅もあります。
袋のフタをあけると、こんな感じになっていました。
今では新幹線のグリーン個室・「カルテット」・「だんらん」なんてものはありませんし、「レール&ホテル」というものも聞かなくなりました。
「ご存知ですか?上手な旅のアドバイス」というキャッチフレーズも時代を感じさせるもので、現在ではかなり痛い表現です。
「お役所国鉄」が一生懸命「自分たちは民間会社です」と意識改革をしようとしていた途中経過感を感じさせる一枚ですね。
西武鉄道 多磨墓地前駅発行 補充片道乗車券
昭和56年3月に西武鉄道多摩川線の多磨墓地前(現・多磨)駅で発行された、武蔵境駅接続の国鉄西川口ゆきの片道乗車券です。
青色西武鉄道自社地紋の補充片道乗車券(補片)で発行されています。
同社の補片は大抵断られていたためになかなか購入できませんでしたが、この時は「今日もう一人買いに来た人が居たので同じ区間であれば1枚だけなら」ということで購入することができましたので、区間はお任せでお願いして出てきたのがこの券でした。
なぜ西川口だったのか分かりませんが、何か発券しやすい事情があったのでしょう。
(私の前に購入された方、ありがとうございました!!)
裏面です。
西武の補片のご案内文は体裁が独特で、いかにも補充片道乗車券(補往)の版を利用したと思ってしまうほど、左右の幅が細くなっています。
「東京電環」という表記になっていますので、設備されてから相当の時間が経っているようです。
昭和47年9月に特定都区市内制度の東京・横浜(川崎・鶴見線内)・名古屋・京都・大阪および神戸市内の他に札幌・仙台・広島・北九州および福岡各市内を追加され、さらに東京電車環状線内(東京電環)を「東京山手線内」に変更していますので、この券は昭和47年以前に設備されたものと思われます。
後で気づきましたが、金額的には小児用として発券されたものと思われますが、「〇小」の印を捺し忘れているみたいです。
JR東日本新橋駅発行 東京都区内から広島市内ゆき片道乗車券
昭和63年7月に、JR東日本新橋駅で発行された、東京都区内から広島市内ゆきの片道乗車券です。
青色JRE地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
昭和63年というのは国鉄が民営化されてから1年3か月ちょっと経った頃で、首都圏で発行された長距離硬券としては中期の部類に入ります。当時、山手線内の駅で硬券の長距離券を設備していた駅としては新橋駅が最も設備口座数が多く、比較的常備券を入手しやすかったことから、乗車券は敢えて新橋駅で購入するようにしておりました。
新橋駅の「〇A」窓口にはマルスや印発機などの端末は無く、この券のように需要の多い区間は硬券による常備口座がありましたが、需要の少ない区間については補充券による発券が行われていました。
民営化当初の様式では経由欄を「新幹線経由」と表記しておりましたが、改札などの現場でとっさに判別しづらいという理由から、すぐに「新幹線経由」とアンダーラインを引くようになり、アンダーラインのない旧券については、赤線でアンダーラインを引いて発売していました。
JR西日本 備後落合駅 普通入場券
昭和63年9月にJR西日本備後落合駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、広島印刷場で調製されたものです。旧国名の「備後」が一回り小さなポイントの活字となっており、インパクトがあります。
備後落合駅は芸備線と同駅から分岐する木次線が接続する駅で、かつては急行「ちどり」などの優等列車が停車する、運転上重要な山あいの要衝駅で、大勢の職員が配置されていましたが、現在は優等列車の廃止と閉塞のCTC化に伴って新見駅管理の無人駅となってしまっています。
最盛期には備後落合駐泊所が駅構内にあり、機関車庫や転車台・給水塔・貯炭場などの施設も備わっていましたが、機関車庫や周辺にあった鉄道官舎は解体されてしまい、往時を偲ぶものは貯炭場・転車台など一部の施設が残るだけとなっています。
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