趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
横浜駅発行 横浜から3等10円区間ゆき 片道乗車券
1960(昭和35)年6月1日に、東海道本線横浜駅で発行された、同駅から30円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
着駅は、東海道本線上り方面が新子安駅で下り方面が保土ケ谷駅まで、途中の東神奈川駅から分岐する横浜線が大口駅までになっています。
左上には裏面の注意書きを見るように促す「(裏面注意)」の文言があり、右上には利用出来る等級と発売額を示す「3等10円」の表記があります。
裏面です。
券番および発行駅の他、「横浜から 表面太線区間内の1駅ゆき」「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
御紹介の券は券番が片方にしかないことから、集中印刷方式で印刷されたものとおもわれ、その影響なのか、表面の地図がかなり下に印刷されており、バランスが悪いものになっています。
JR東日本 板柳駅発行 五所川原駅接続 津軽鉄道線690円区間ゆき 片道連絡乗車券
1989(平成元)年3月に、JR東日本五能線の板柳駅で発行された、五所川原(津軽五所川原)駅接続、津軽鉄道線690円区間ゆきの片道連絡乗車券です。
桃色JRE地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。津軽鉄道線の690円区間というのは、当時は終着駅の津軽中里駅までの運賃でありました。
JR東日本の東京印刷場(東京乗車券管理センター)では、連絡乗車券の様式については国鉄時代の様式を踏襲しており、連絡運輸先の会社名については8ポイントのゴシック体で「社名略号」を記載するということになっており、例えば西武鉄道であれば「西武線」、小田急電鉄であれば「小田急線」と記載されるようになっていました。そして、江ノ島電鉄は「江ノ電線」、茨城交通は「茨交線」など、相手先事業者名の略号に合わせ、それぞれ表現されていました。
御紹介の券の場合、津軽鉄道であれば「津軽線」となるのが通常の流れかと思われますが、JR東日本には津軽線という路線がありますので、混同を避けるため、敢えて「津軽線」の表記はせずに「津軽鉄道」と言う表記にしたのだと思われます。
もともと、国鉄時代は弘前地区の連絡乗車券は一般式で設備されていましたが、国鉄時代の末期に弘前地区の乗車券を供給しておりました新潟印刷場が合理化のために廃止され、一旦民間印刷券が登場しておりましたが、民営化以降は民間印刷券も廃止されて東京印刷場に移管されておりますので、その際に金額式券が登場しています。
JR北海道 木古内駅発行 竜飛海底駅ゆき 片道乗車券
1988(昭和63)年3月に、JR北海道江差線(当時)の木古内駅で発行された、竜飛海底駅(現・竜飛定点)ゆきの片道乗車券です。
桃色JR北地紋のA型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
裏面です。券番以外の記載はありません。
御紹介の券が発行された1988(昭和63)年3月13日は、JR北海道の青函航路が営業最終日になった日であり、かつJR北海道の海峡線が開業した日であることから、同駅ではそれを記念して海峡線の竜飛海底駅までの普通乗車券を発売したものです。
竜飛海底駅は同日に開業した青函トンネル内にある海峡線の駅で、当時、JR北海道では唯一本州(青森県)内にある駅になっていました。しかし、同駅は旅客営業はしていたものの、北海道側の吉岡海底駅(現・吉岡定点)とともに、海底駅見学用の整理券を持った見学者のみが利用できる駅としての開業で、一般的な駅としての営業はしていませんでした。
そのため、御紹介の乗車券は記念乗車券的な要素で発売されたに過ぎず、JR東日本の駅まで乗車して乗越精算をする以外、実際に使用して記載の区間のみを乗車することは出来ませんでした。
その後、北海道新幹線の工事が進むにつれ、青函トンネル見学者向けの停車および見学コースの営業は2013(平成25)年11月に終了したために営業休止駅になり、翌2014(平成26)年3月のダイヤ改正時に正式に廃駅になっています。
現在、竜飛海底駅は同時に廃止された吉岡海底駅とともに青函トンネル内の保守および避難拠点として現存していますが、駅名はそれぞれ「竜飛定点」「吉岡定点」に改称されています。
この券が発売されたJR北海道の木古内駅は、2016(平成28)年3月21日に北海道新幹線の開業準備に伴って在来線営業を終了し、そして終了から5日後の3月26日に北海道新幹線が開業し、同時に江差線の五稜郭駅から同駅間がJR北海道から経営分離されて道南いさりび鉄道に移管されたことから、同日を以て北海道新幹線の専用駅となり、所属路線が北海道新幹線に変更されています。
また、北海道新幹線の開業に伴って奥津軽いまべつ駅が開業し、現在、同駅がJR北海道唯一の本州(青森県)内にある駅になっています。
吉原駅発行 東京電環内ゆき 片道乗車券
1957(昭和32)年12月に、東海道本線の吉原駅で発行された、東京電環(現・東京山手線内)ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
営業キロ141.3kmの長距離乗車券ですが、当時は等級で地紋色が分けられておりましたため、御紹介の3等用乗車券は桃色地紋で調製されていました。
当時の名古屋印刷場では経由表記が着駅の上に記載されていたようで、発駅と着駅の間に「熱海経由」と表記されています。
裏面です。券番の他、「東京電環内 下車前途無効」いう注意書きが記載されています。
裏面の注意書きにおいては「東京電環内 下車前途無効」という記載の仕方は一般的ですが、表面の着駅の東京電環の表記に「内」の文字は入れることは珍しく、なぜこのような表記になったのかは不明です。
JR北海道 網走駅から札幌市内ゆき 片道乗車券
1995(平成7)年3月に、JR北海道石北本線の網走駅で発行された、札幌市内ゆきの片道乗車券です。
青色JR北地紋のA型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
経由欄には「石北経由」となっていますが、実際には石北本線・宗谷本線・函館本線を経由しますので、「石北・宗谷・函館本線」とする必要もないと判断されたのでしょう、「石北」だけのシンプルな表記になっています。
網走駅も札幌市内各駅も同じ北海道という同一の道内完結ではありますが、JR線の鉄道営業キロでは374.5km、JR北海道の運賃計算キロだと398.3kmとなり、普通片道乗車券の有効期間は3日間になります。
東海道本線で同じ営業キロを当てはめると、東京駅から名古屋駅の先、清洲駅までの距離に相当します。
最近、JR北海道の新千歳空港駅のコンコースに、北海道がいかに大きいかが一目で分かる案内ボードが設置されています。恐らく、「北海道の大きさを侮るなよ」という意味でこのような体裁になったのでしょう。
日立運輸東京モノレール モノレール浜松町駅発行 羽田駅ゆき 往復乗車券
1977(昭和52)年7月に、日立運輸東京モノレール(現・東京モノレール)羽田線(現・羽田空港線)のモノレール浜松町駅で発行された、羽田駅(廃駅)までの往復乗車券です。
若草色TMKとうきょうモノレール自社地紋のA型大人専用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
裏面です。券番の他、下車前途無効の文言と、発行駅名、循環番号が印刷されています。
現在の東京モノレールは大和観光株式会社として設立され、日本高架電鉄株式会社への商号変更を経て、1967(昭和39)年に東京モノレール株式会社(初代)として開業しています。
その後、設立以来資本参加していました名古屋鉄道(名鉄)が資本参加から撤退し、日立運輸株式会社、東京モノレール株式会社(初代)、西部日立運輸株式会社の3社が存続会社を東京モノレール株式会社として合併し、1967(昭和42)年に日立製作所が株式の81%を取得した子会社としての日立運輸東京モノレール株式会社に商号変更されています。
その後、1981(昭和56)年に子会社として東京モノレール株式会社(2代)が設立されてモノレール事業が同社に譲渡され、日立運輸東京モノレール株式会社は物流部門のみを残して日立運輸株式会社(現・ロジスティード)に商号変更されています。
そして、2020(平成14)年に日立運輸から商号が変更された日立物流が株式をJR東日本に70%、日立製作所に30%譲渡し、JR東日本が筆頭株主になり、東京モノレールはJR東日本の傘下に入ることになり、現在に至っています。
同社は本年(2024年)9月17日に開業60周年を迎え、開業時の車両塗色をイメージしたラッピング列車の運行を開始するなど、いろいろな周年イベントが計画・発表されています。
東京モノレール モノレール浜松町駅発行 羽田駅ゆき 片道乗車券
1967(昭和42)年1月に、東京モノレール(初代)モノレール浜松町駅で発行された、羽田駅ゆきの片道乗車券です。
若草色TMKとうきょうモノレール自社地紋のB型相互式大人小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
御紹介の券が発行された当時は、発駅であるモノレール浜松町駅と羽田駅(廃駅)との間には競馬開催時のみ営業される臨時駅であった大井競馬場前駅以外に途中駅はなく、空港連絡鉄道の色が濃い路線でした。そのためでしょうか、赤い飛行機とその軌跡のようなイラストが入れられています。
地紋部分を拡大してみました。
この地紋は同線開業時に制定されたもので、現在の同社旅客営業規則においても、第70条の2において、表面に第10号様式による字模様として定められています。
裏面です。券番の他、発行駅名および循環番号が印刷されています。
東京モノレールは今から60年前の1964(昭和39)年9月17日にモノレール浜松町駅~羽田駅間が途中駅なし、昭和島信号所・穴守信号所の2カ所の信号所のみで開業し、翌1965(昭和40)年5月に臨時駅の大井競馬場前駅が開業しています。その後、1967(昭和42)年3月に羽田整備場(現・整備場)駅の開業を始めとして、新平和島(現・流通センター)駅、昭和島駅、天王洲アイル駅といった順に途中駅が開設されています。
そして、1993(平成5)年9月に羽田整備場(現・整備場)駅~羽田駅間が廃止され、羽田整備場駅~穴守信号所間の地点で線路切り替えが行われ、羽田駅(2代)、新整備場駅、羽田空港駅が開業し、1998(平成10)年11月に京浜急行電鉄空港線羽田空港駅延伸開業に伴って、羽田駅(2代)は天空橋駅に改称されています。
また、2004(平成16)年12月には、羽田空港駅~羽田空港第2ビル駅間が延伸開通し、同時に羽田空港駅を羽田空港第1ビル駅に改称し、2010(平成22)年10月に新駅建設工事に伴って、天空橋駅~新整備場駅間の経路を一部変更のうえ、羽田空港国際線ビル駅が開業しています。
さらには、2020(令和2)年3月の空港ターミナル名称変更に伴って、羽田空港国際線ビル駅を羽田空港第3ターミナル駅、羽田空港第2ビル駅を羽田空港第2ターミナル駅、羽田空港第1ビル駅を羽田空港第1ターミナル駅に改称し、現在の路線に至っています。
京成電気軌道 京成金町駅発行 町屋・新三河島駅ゆき 片道乗車券
1944(昭和19)年5月に京成電気軌道(現・京成電鉄)の京成金町駅で発行された、町屋・新三河島駅ゆきの片道乗車券です。
古いものなので地紋が不明ですが、もしかすると時代的な背景から、当初から無地紋であったかも知れません。
御紹介の券は「町屋・新三河島駅ゆき」として発売されていますが、印刷では「町屋 道灌山通 間」と表記されています。
これは、この券が設備された当時には、町屋駅から先は新三河島駅・道灌山通駅・日暮里駅と駅がありましたが、前回エントリーで御紹介いたしましたように、道灌山通駅が1943(昭和18)年10月に営業休止されてしまいましたため、残券の「道灌山通」の部分に「新三河島」の印を捺印して訂正した状態で発売されていたものと思われます。
訂正部分を拡大してみました。活字が薄れていますが、「道灌山通」と印刷されていることが確認できます。
また、訂正後は町屋駅と新三河島駅2駅だけですので「町屋 新三河島」ゆきということになりますが、訂正前は屋駅と新三河島駅、道灌山通駅の3駅であったことから、「町屋 道灌山通 間」ゆきということになっていたものと思われます。
裏面です。券番しか記載がなく、社名の表記はやはりありません。
京成電気軌道 千住大橋駅発行 道灌山通・日暮里駅ゆき 片道乗車券
日付が分かりづらいですが、1937(昭和12)年3月に、京成電気軌道(現・京成電鉄)千住大橋駅で発行された、道灌山通・日暮里駅ゆきの片道乗車券です。
桃色PJRてつだう地紋のB型矢印式大人専用券になっています。
裏面です。券番の他に発行駅名と「(ぬ)」という循環符号が印刷されていますが、社名の記載はありません。
着駅にあります道灌山駅は、かつて新三河島駅と日暮里駅の間にあった駅で、JR西日暮里駅の近くで京成線の線路がカーブを描き、西日暮里駅の方から伸びている道灌山通りと交差するあたりにあったそうです。日暮里駅から徒歩圏内であったことから1943(昭和18)年10月に営業が休止され、1947(昭和22)年2月に廃止されてしまっています。
玉島駅発行 玉島から120円区間ゆき片道乗車券
1974(昭和49)年9月に山陽本線玉島(現・新倉敷)駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、広島印刷場で調製されたものです。
広島印刷場管内ではあまり地図式券は発行されていなかったようですが、同駅の他、広島駅や岡山駅、和気駅、向洋駅などの管内の駅での発行実績があったようです。
地図式券ですと着駅の範囲が明確で、当時の120円区間は営業キロが26km~30km区間帯になりますので、山陽本線上り方面では岡山駅、下り方面では大門駅、岡山から先については津山線の法界院駅、吉備線の大安寺駅が着駅になっています。また、途中倉敷駅から分岐した区間については、伯備線の日羽駅、吉備線の足守駅~備中高松駅間が着駅になっています。
吉備線についてはどちらからも入ることができますが、備中高松駅~大安寺駅間の吉備津駅・備前一宮駅については、運賃帯があと1段階高い140円区間であったものと思われます。
裏面です。券番と発行駅の他、玉島から120円・表面太線区間内の1駅ゆき・発売当日限り有効・下車前途無効などの表記があります。
玉島駅は、山陽新幹線が1975(昭和50)年3月に岡山駅~博多駅間が開業した際に倉敷地区の新幹線停車駅として生まれ変わり、開業前日の3月9日に玉島駅としての営業を終了し、翌10日からは新倉敷駅に駅名が改称されています。
駅名改称前の玉島駅です。現在の新倉敷駅は橋上化された近代的な新幹線駅になっていますが、玉島駅時代は木造駅舎になっていました。
駅名標は比較的小さくて控えめなものがつけられていて、郊外の駅といった感がありました。
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