JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
磐城棚倉駅発行 白棚線経由 東京山手線内ゆき 片道乗車券
1976(昭和51)6月に、国鉄自動車線である白棚線の磐城棚倉駅で発行された、白棚線経由の東京山手線内ゆき片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
乗車経路は、磐城棚倉駅~(白棚線)~白河駅~(東北本線)~東京山手線内というもので、国鉄自動車線(国鉄バス)と鉄道線の通しの乗車券になっています。そのため、白河駅から東京山手線内間は営業キロが200kmまでのために有効期間は2日間ですが、自動車線との通し乗車券になるため、プラス1日の3日間有効になります。
裏面です。
券番の他、自動車線内の途中駅である磐城金山駅および南湖公園停留所を除いた各駅では下車前途無効であることと、東京山手線内各駅でも下車前途無効である旨が記載されています。
磐城金山駅は国鉄民営化以降の1988(昭和63)年までは同線唯一の駅員配置駅で、表郷村(現・白河市)の中心駅的な存在で、南湖公園停留所は、白河藩主・松平定信により、身分の差に関係なく誰もが楽しめる「士民共楽」という理念のもと築造された、国指定史跡・名勝である南湖公園の最寄り停留所になっていることから、観光需要を見込んだことによる途中下車指定駅になっていたものと思われます。
原宿駅発行 120円区間ゆき片道乗車券
今からちょうど40年前の1985(昭和60)年1月2日に、原宿駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は初詣で混雑していた明治神宮の初詣客を捌くため、かつて同駅に設けられていました臨時ホームの出札口で発行されたものです。
現在であればSuicaなどの交通系IC乗車券が主流になっていますので「きっぷうりば」が混雑してもさほどではありませんが、当時は電車に乗るにはきっぷを購入しなければなりませんでしたので、改札を入る前、きっぷを購入するだけで長蛇の列に並ばなければなりませんでした。
当時の同駅の臨時ホームや出札小屋などは跡形もなく、現在では臨時ホームがあった場所に外回り方面ゆきのホームが出来ています。
札幌駅発行 苗穂・桑園・琴似駅ゆき 片道乗車券
1969(昭和44)年5月に、札幌駅の券売機で発行された、苗穂・桑園・琴似駅ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつKOKUTETSU特殊発行用地紋のA型矢印式券になります。
まだ、等級制時代の券売機券で、同駅ではまだ試験的に導入された時のものと思われます。
当時の券売機はロール紙を送るローラーがきつめであったのか、この頃に発券された券売機券を見ますと、紙送りーローラーの跡がくっきりと残っているものが散見されました。
見づらいですが、この券についても、発行日の左側と券番の右側に、紙送りローラーの跡がくっきりと残っています。
東京駅発行 関内駅ゆき 乗車券・普通列車グリーン券 一葉券
1969(昭和44)年5月に東京駅で発行された、関内駅ゆきの乗車券と普通列車グリーン券の一葉券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
表題部分には「乗車券・普通列車グリーン券」となっていて、2種の券種が1枚に纏まっていることが分かります。
有効区間は品川駅から関内駅になっていますが、途中の横浜までは普通列車にグリーン車が連結されていますが、横浜から先の根岸線内にはグリーン車が連結された普通列車は運転されていませんため、横浜駅~関内駅間は普通車利用になります。
裏面です。券番の他、普通列車のグリーン車に乗車できますが、特別急行列車も含まれると思われますが、急行列車のグリーン車には乗車できない旨が記載されています。
国鉄の等級制において、御紹介の券が発行された1969(昭和44)年5月9日に等級制が廃止され、翌10日からはモノクラス制に変更され、従来の1等車がグリーン車という名称に改められています。それに伴い、今までの1等車用の乗車券が廃止され、乗車券はモノクラス制になって等級制がなくなり、替わって、グリーン車を利用するには別途グリーン券を購入するようになりました。
登場時のグリーン券は、普通列車のグリーン車を利用するための「普通列車グリーン券」と特急や急行列車のグリーン車を利用するための「特急・急行グリーン券」の2種類に分かれており、キロ別に料金が異なっていました。
御紹介の券は東京地区のみに限定して発行された乗車券とグリーン券が一枚にまとめられたものになります。登場初期は1等車のイメージで、グリーン車に乗車できる「乗車券」という考え方であったのか青色地紋になっていましたが、昭和47年頃から緑地紋に変更されましたので、青色地紋券として登場したものは登場から3年程度で無くなっています。
また、登場からわずか3ヶ月後の1969(昭和44)年8月30日にはグリーン券の「普通列車グリーン券」と「特急・急行グリーン券」という表記について、「普通列車用グリーン券」と「特急・急行用グリーン券」に改められましたため、御紹介の様式はわずか3ヶ月で様式消滅してしまったため、発行期間が極めて短い様式でした。
改定後の様式は、拙ブログ2024年5月5日エントリーの「東京駅発行 品川駅ゆき乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券」で御紹介いたしておりますのでご覧戴ければと思います。
水道橋駅発行 120円区間ゆき片道乗車券
今から41年前の1983(昭和58)年11月3日に、中央本線の水道橋駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
同駅は同年3月にオープンした東京ドームや、その付帯施設であるビッグエックシティ(BIG EGG CITY。現・東京ドームシティ)や後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)、日本中央競馬会の場外勝馬投票券発売所(場外馬券売場)などの施設があり、それらの施設に行く利用客が多く、規模の割に賑わっている駅です。
恐らく、繁忙時には臨発が行われていたこともあったものと思われますが、管理人は敢えて混雑している時には近寄らないようにしていましたので、臨発を見かけたことはありません。
御紹介の券は臨発での発売ではありませんが、窓口で入場券を求めた際に、窓口氏に硬券の乗車券についてお伺いしたところ、120円券であれば常時窓口に設備しているので発売できるということでしたので購入した次第です。
当時、池袋駅や原宿駅と共に、山手線内の駅では数少ない、直営窓口発行の硬券式近距離乗車券でした。
大阪城公園駅発行 120円区間ゆき 片道乗車券
1983(昭和58)年11月に大阪環状線の大阪城公園駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
同駅は御紹介の券が発行された年の1983(昭和58)年10月1日に、「大阪築城400年まつり」の開催に合わせて開業した駅で、直営駅ではありましたが、みどりの窓口のない駅でしたので、発行駅名の前に「◯ム」表示が付けられていたものと思われます。
大阪築城400年まつりは「大阪城博覧会」とも言われ、同駅が開業した1983(昭和58)年10月1日から11月30日まで、大坂城築城400周年を祝って開催された地方博覧会で、会期中の入場者が103万5,501人になったという記録があります。
御紹介の券は会期中の繁忙期に臨発されたもので、通常発売が券売機で発行されていましたが、臨発券は硬券で発売されていました。図示いたしませんが、御紹介の券は券番が5600番台になっておりますので、循環番号「02」で券番が2巡しても25,600枚ということになりますので、イベント期間の終盤に発行された割には発行枚数が少なく、あまり臨発は行われなかったかも知れません。
同駅ができる以前には、森ノ宮駅~京橋駅の営業キロ1.7km間には駅がありませんでしたし、地下鉄の長堀鶴見緑地線も開通していませんでしたため、多くの来場者の足を確保ために、国鉄は新規に駅を開業することが急務であったのだと思われます。
現在では公園内に大坂城ホールが建設され、また周辺には大阪ビジネスパークが開発され、それなりの需要があります。
大社駅発行 出雲今市駅ゆき 片道乗車券
本日は鉄道の日です。いままでの鉄道史のなかで、消えていった路線や駅、名前が変更されている駅とか、いろいろな歴史があります。今回はそのような国鉄の乗車券を御紹介いたしましょう。
コレクターの先輩から譲り受けたものですが、1953(昭和28)年1月に、大社線の大社駅で発行された出雲今市駅ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものと思われます。
発駅の大社駅は出雲大社の玄関駅として開業していますが、JRとなってからの1990(平成2)年4月に大社線が廃線になり同駅も廃駅になっています。同駅は出雲大社を模した大きな木造駅舎で、現在、鉄道は走っていませんが、駅舎は保存されていて、観光スポットになっています。
一方、着駅の出雲今市駅は現在の出雲市駅で、1957(昭和37)年4月に出雲市駅に改称されています。
御紹介の券は正月4日の日付になっていますので、初詣客が使用ものかもしれません。
横浜駅発行 横浜から10円区間ゆき 3等車用片道乗車券
1960(昭和35)年6月17日に、東海道本線横浜駅で発行された、同駅から30円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
着駅は、東海道本線上り方面が新子安駅で下り方面が保土ケ谷駅まで、途中の東神奈川駅から分岐する横浜線が大口駅までになっています。
前回エントリーで御紹介いたしました券と発売額と等級および有効区間は同じですが、体裁が少々違います。
再掲いたしますが、こちらが前回御紹介いたしました券になります。
1枚目の券と2枚目の券を比べますと、1日に発行された券は、左上に裏面の注意書きを見るように促す「(裏面注意)」の文言がありますが、17日に発行された券にはそれがありません。
また、1日に発行された券は、右上に利用出来る等級と発売額を示す「3等10円」の表記がありますが、17日に発行された券には、発売額と等級を示すように「10円3等」の表記になっています。
17日に発行された券の裏面です。
券番および発行駅の他、「横浜から 表面太線区間内の1駅ゆき」「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
1日に発行された券の裏面を再掲しました。17日に発行された券は券売機用と思われ、発行駅名の前に「◯自」の符号がありますが、1日に発行された券は窓口用と思われ、「◯自」の符号がありません。
それぞれ自動券売機用と窓口用の違いがありますが、裏面については然したる違いは無いようです。
しかも、循環番号はたまたま㉜(◯32)で同じです。
表面の表記の違いについてですが、当時の国鉄では、1958(昭和33)年9月24日に、国有鉄道公示第325号において、「3等◯◯円」と表示していた表示方法を「◯◯円3等」という表記に変更するという公示が行われ、翌月の10月1日に実施されていますが、御紹介の券2種類の違いはこの公示に基づいたものと思われます。
となると、1日に発行された券は公示が実施されてから1年8ヶ月が過ぎていますが、券の記載方法の違いだけであって効力に変更がないことと、窓口用であったため、券売機用券と違って発行枚数が少なかったことから、旧様式の券がそのまま使用されていた可能性があります。
横浜駅発行 横浜から3等10円区間ゆき 片道乗車券
1960(昭和35)年6月1日に、東海道本線横浜駅で発行された、同駅から30円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
着駅は、東海道本線上り方面が新子安駅で下り方面が保土ケ谷駅まで、途中の東神奈川駅から分岐する横浜線が大口駅までになっています。
左上には裏面の注意書きを見るように促す「(裏面注意)」の文言があり、右上には利用出来る等級と発売額を示す「3等10円」の表記があります。
裏面です。
券番および発行駅の他、「横浜から 表面太線区間内の1駅ゆき」「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
御紹介の券は券番が片方にしかないことから、集中印刷方式で印刷されたものとおもわれ、その影響なのか、表面の地図がかなり下に印刷されており、バランスが悪いものになっています。
吉原駅発行 東京電環内ゆき 片道乗車券
1957(昭和32)年12月に、東海道本線の吉原駅で発行された、東京電環(現・東京山手線内)ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
営業キロ141.3kmの長距離乗車券ですが、当時は等級で地紋色が分けられておりましたため、御紹介の3等用乗車券は桃色地紋で調製されていました。
当時の名古屋印刷場では経由表記が着駅の上に記載されていたようで、発駅と着駅の間に「熱海経由」と表記されています。
裏面です。券番の他、「東京電環内 下車前途無効」いう注意書きが記載されています。
裏面の注意書きにおいては「東京電環内 下車前途無効」という記載の仕方は一般的ですが、表面の着駅の東京電環の表記に「内」の文字は入れることは珍しく、なぜこのような表記になったのかは不明です。
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