十文字駅発行 あけぼの2号常備特急券・B寝台券

明日で3月も終わりとなりますが、今年3月のダイヤ改正で一番話題となったのは、上野~青森間を走る寝台特急あけぼの号の廃止であったと思います。今回、あけぼの号の忘れ形見となってしまいました、あけぼの号の常備特急券・B寝台券が手元にございましたので御紹介いたしましょう。

昭和58年5月に十文字駅で発行された、あけぼの2号の特急券・B寝台券の常備券です。


   


緑色こくてつ地紋のD型券で、新潟印刷場にて調製されたものになります。完全常備券と言われる様式で、列車名から乗車区間・発時刻までのすべて印刷されているもので、発券時には乗車日および座席指定のみを記入するだけとなっています。

同駅発の上野ゆき上りあけぼの2号は22時12分発となっており、まだマルスが夜間まで運用されていなかった時代は発券をすることができず、このような常備券が設備されていたものと思われます。記入式とせずに完全常備券として設備された背景には、同駅にはそこそこの需要があったのかも知れません。


晩年のあけぼの号は秋田新幹線の開業にともなって東北本線・陸羽東線および奥羽本線経由から高崎線・上越線・羽越本線および奥羽本線経由の「鳥海」が運転されていたルートに変更されましたため、平成9年3月のダイヤ改正以後は十文字駅を通らなくなってしまっており、列車の姿は廃止より先に消えてしまっています。

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津軽鉄道 第1種車内補充券

平成22年4月に第3列車乗務員にて発行された、津軽五所川原駅から五農校前までの第1種車内補充券です。
本来であれば同列車の車掌が発行するものですが、これは上毛電鉄のイベント時で出張発売されていたものです。


   


橙色BJRてつどうじどうしゃ地紋の軟券で、前回エントリーの出札補充券同様、日本交通印刷にて調製されたものと思われ、事由欄が同社で調製された第1種車内補充券に良く見られる様式です。
出札補充券とは異なり、ヘッダーに「(津軽鉄道)」の表記がありますが、逆に発行箇所名は列車名のみとなっており、車掌区の表記がありません。


   


裏面です。

なぜかご案内文には東京山手線内や東京近郊区間についての表記しかなく、東京都区内や仙台市内等、青森からの乗車券に関係するであろう特定都区市内の表記が全く無く、正直言って何の意味もなしていないご案内文です。

なぜこのようなご案内文を掲載するに至ったのか、また、校正者も何を考えてこのご案内文でOKしたのか、全くもって理解できません。


現在同社では緑色の出札補充券は設備廃止となっており、代わりにこの第1種車内補充券が出札補充券の代用として使用されているようです。

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津軽鉄道 出札補充券

平成15年に金木駅で発行された、嘉瀬駅までの出札補充券です。


   


緑色TTDてつどう地紋の軟券で、日本交通印刷で調製された、一般的な様式の券です。ヘッダーおよび発行箇所名のところには「(津軽鉄道)」の表記が無く、駅名が記載されていないと、どこの会社のものなのか見当が全くつかない様式です。

発行日欄を見てわかるように、昭和の時代に設備されたもので、平成となっても残券が使用されていたものです。


   


裏面です。

ご案内文には「通行税」や「国鉄線」「キロ程が50キロメートル」などと時代を感じさせる内容になっており、ご案内文の内容だけでは特定できませんが、昭和40年代後半から50年代初頭のころに設備されたものと思われます。


同社では合理化のためでしょうか、出札補充券の増刷を行っておらず、現在では設備廃止のうえ、第1種車内補充券が出札補充券兼用として使用されています。

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JR東日本 印発機発行 自由席特急券誤発行券

平成元年にJR東日本管内のある駅で発行された、100kmまでのB自由席特急券です。


   


緑色JRE地紋の印発機券で、一番上にJR東日本発行であることを示す「口東」の符号があります。

現在でも自由席特急券の料金帯はキロ程によって区分されておりますが、初期のマルス券では距離で表示されておりましたものの、現在では区間表示となっており、このようにキロ表示のものは見かけなくなりました。


ところでこの券は100kmまでのB自由席特急券として発行されておりますが、発駅が「口区 東京都区内」となってしまっており、ミス券となってしまっています。「東京」としたかったのでしょうか、キーをまちがえてしまっているようです。

当時の印発機では操作盤の上部には各駅ごとに設定された口座ボタンがあり、首都圏の駅では都区内の特急停車駅からの自由席特急券の口座のほか、発駅名の部分が「___」と空白になって手書きで追記する「記自特」口座がありましたが、当然ながら東京都区内からという自由席特急券の口座は設定されていなかったハズであり、どのような経緯でこのようになってしまったのか不明です。


きちんと「ある駅」の特徴的な入鋏がなされ、「口ち」の検札鋏までが入れられており、幾重の検札があったにも拘わらず、そのまま素通りしてしまっています。

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鹿島鉄道 常陸小川駅発行890円区間ゆき金額記入式乗車券

年号がありませんが、廃止直前の平成19年1月に常陸小川駅で発行された、890円区間ゆきの片道乗車券です。


   


青色PJRてつどう地紋の金額記入式B型券で、井口印刷にて調製されたものと思われます。
同駅のダッチングはすでに故障して使用できなくなっているとのことで窓口に置かれていたものの使用されることは無く、専らスタンパーのみで日付を入れていました。


関東鉄道から分離されて以来、鹿島鉄道では自社線完結の硬券片道乗車券はすべて金額式となっておりましたが、比較的需要が少ない区間用のものについては金額部分を空欄とした金額記入式の券を使用して共通化を図り、コストの削減を試みていたようです。これは、親会社の関東鉄道でも採られてた方法で、もともと設備されなかった口座以外に、欠札となった常備券口座の代用としても使用していたようです。

ご紹介の券は常陸小川駅から終点の鉾田駅まで乗車した際に購入したもので、たとえ終点までの区間であってもあまり需要がなかったのでしょう、このような状態でした。


晩年になりますと井口印刷からの硬券の供給がなくなったために日本交通印刷のBJRてつどう地紋券に切り替えられましたが、廃止されるまで金額記入式券が欠札となることはなかったようで、日本交通印刷調製の金額記入式券が登場することはありませんでした。

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JR東海 踊り子105号特急券・グリーン券

JR東海東京駅で発行された、東京から修善寺ゆきの踊り子105号の特急券・グリーン券です。


   


緑色JRC地紋の料金専用特別補充券(料補)で発行されています。


踊り子105号は東京駅から伊豆急線伊豆急下田ゆきの下田編成と伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺ゆきの修善寺編成の2編成が併結されている列車で、在来線特急としては唯一グリーン車が2両連結されておりますが、グリーン車は下田編成のみに組み込まれており、修善寺編成はモノクラス編成となっています。

今回東京から修善寺まで利用するにあたり、そろそろ引退の気配が感じられる185系特急のグリーン車を体験しておきたくグリーン車を選択いたしました。
しかし、修善寺編成にはグリーン車が連結されていないため、グリーン車の利用は下田編成が併結されている東京~熱海間のみとなり、熱海~修善寺間は普通車の利用となります。そのため、乗車区間は東京~修善寺間であれ、マルスシステムへ別々に登録されている2列車から座席を抜く必要があるため、料補での発券となります。


乗車行路は東京~品川間が普通車指定席、品川~熱海間がグリーン席、熱海~修善寺間が再び普通車指定席になります。東京~熱海間をグリーン席としても良いのですが、この区間の営業キロは104.6kmでグリーン料金が2,000円になりますが、東京~品川間の1駅を我慢することで半額の1,000円となるため、節約のためにこのような形になりました。


この券を発券するためには、先ずマルス端末で各区間の座席を抜く必要がありますので、「額なし」指定券にて発券する必要があります。


   


東京から品川間の指定券です。


   


続いて品川~熱海間のグリーン用指定券です。


   


最後に熱海~修善寺間の指定券です。


この券を購入する際、窓口の女性係員に購入のお願いをすると、マルス端末に入力をし、エラーとなったことで通常の発券方法では発券できないことに気づき、「手書きのきっぷになりますので少々お時間戴きますけれども大丈夫ですか?」と聞かれましたので、「大丈夫です」と答えましたところ、窓口の裏の事務所に入り、発券作業をされていました。


品川駅と熱海駅で車両を変わる必要があり、特に熱海駅では渡り通路が無いばかりか何両もの車両を移動しなければならない手間があるのですが、料補にありますように2,370円という料金で利用できる手軽さは、185系特急グリーンを体験するには手頃な料金であると感じます。

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銚子電気鉄道 銚子から君ヶ浜ゆき片道乗車券

廃札券ですが、銚子電気鉄道銚子駅発行の君ヶ浜ゆき片道乗車券です。


   


青色JPRてつどう地紋のB型一般式券で、山口証券印刷にて調製されたものと思われます。


この券は昭和60年くらいに同鉄道を訪問して仲ノ町駅でコレクション用の乗車券を購入していた際、出札窓口の奥の事務所(実はこれが同社の本社であるわけですが・・・)から缶を持った方が来られ、古い廃札なのであまり状態が良くないけれどもと前置きされて、数種類の硬券を分けてくださったので入手できた次第です。


発行箇所の銚子駅は国鉄(現・JR東日本)管理の共同使用駅であり、出札業務は国鉄に委託されておりますため、この券は「〇千 銚子駅発行」となっており、国鉄窓口で取扱われていたことがわかります。「〇千」は国鉄千葉鉄道管理局を表す符号です。


2等の表記がありますので等級制が廃止された昭和44年以前に印刷されたものと思われますが、地方私鉄では等級制が廃止された後もそのまま使用されていた例は多々ありますので、実際にこの券がいつごろまで使用されていたものなのかは不明です。(そもそも、銚子から君ヶ浜まで40円という運賃がいつ頃であったかです。)


最近では鉄道イベント等で廃札も立派な「商品」になり得ますので、このような廃札を好意で戴けるようなことはめったに無くなりましたね。

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上磯駅発行 券売機発行入場券

昭和61年9月に上磯駅で発行された、券売機発行の入場券です。


   


桃色こくてつ地紋の券売機券紙使用のキレート式券です。


当時、上磯駅で硬券の入場券購入を買い求めたところ、あいにく当日行われた運賃・料金改定で旧券が廃札となったか、もしくはたまたま欠札のままであったのか真偽のほどは確認いたしませんでしたが、硬券入場券が無かったため、サーマル式よりも保存性が若干マシなキレート式券売機で買い求めたものです。


当時は硬券入場券を蒐集している同好者が多かったためか、道内時刻表の欄外に各駅の硬券入場券の設備状況が記載されており、大人・小児用券のみ設備されている場合は「大」、大人・小児用および小児用が設備されている場合は「大小」となっておりました。

確か、上磯駅には「大」と記載されておりましたので、何らかの理由で欠札となっていたものと思われます。


この券は券番が0166となっておりますが、発行された日は運賃・料金改定当日でありますので、恐らく朝に番号がリセットされたものと思われ、当日一日で当該券売機にて発行された枚数が166枚目であったものと思われます。

このように改定時には帳簿を締める都合で券番がリセットされることがありますので、来月1日の消費税率8%化によって運賃・料金が改定される際、あちらこちらの券売機で0001番券が発券される可能性が充分に考えられます。

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湯ノ岱駅発行 硬券入場券

拙ブログ3月8日エントリーの「湯ノ岱駅発行 神明ゆき片道乗車券」で国鉄時代の硬券乗車券を御紹介いたしましたが、同時に購入いたしました硬券入場券を御紹介いたしましょう。


   


昭和61年9月に湯ノ岱駅で発行された硬券入場券です。無地紋のB型券で、札幌印刷場にて調製されたものです。


購入のいきさつについては前回エントリーの記事を参照いただくといたしまして、不思議なことに、購入したのは国鉄最後の運賃・料金が変更となった初日である昭和61年9月1日でしたが、なぜかこの券は9月2日の日付刻印が入れられていました。


この券は8日の記事の通り、江差線列車車掌氏から湯ノ岱駅長に対して無線で発行依頼の上発行されたものですが、湯ノ岱駅では当日の売上集計を終わらせてダッチングを翌日に廻した後に車掌からの発行依頼を受け、一番先に入場券に日付を入れたところ既に2日に変更してしまっていたことに気づき、当日の日付に直してから2枚目以降の乗車券に日付を入れたのではないかと推察しています。

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JR東日本 弁天橋運輸区乗務員発行 特殊区間用特別補充券

平成2年に弁天橋運輸区乗務員にて発行された、鶴見線大川支線大川駅から浜川崎までの片道乗車券です。


   


橙色JRE地紋の軟券で、一般的には「図補」と呼ばれる特殊区間用特別補充券です。大川支線の折返し時、通常は券売機で購入するのですが、特別に発行していただきました。


弁天橋運輸区は鶴見線を管轄する運輸区で、国鉄時代からJR発足時まで弁天橋電車区と車掌区でしたが、平成元年3月に弁天橋運輸区となって一元化され、現在は鶴見線営業所となっています。


この券が発券された当時の大川支線は、本線との分岐直後に存在していた武蔵白石駅のホームが急カーブの途中にあることから、車両限界の関係上20m級の車両が入線出来なかったためにクモハ12型電車が単行で運転されていましたが、昭和4年に製造された製造後67年が経過した車両を維持するのは難しく、武蔵白石駅のホームをあっさり撤去のうえ信号所のような状態にし、黄色い103系電車が入線出来るようになりました。

そのため、この券は安善ではなく、武蔵白石から大川支線が分岐している時代のものになっています。


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