趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
土佐電気鉄道 野市駅発行 東京都区内ゆき 片道連絡乗車券
1963(昭和38)年8月に土佐電気鉄道(現・とさでん交通)安芸線の野市駅で発行された、東京都区内ゆきの片道連絡乗車券です。
灰色RTCてつどうじょうしゃけん地紋のA型一般式大人・小児用券で、シンコー印刷で調製されたものではないかと思われます。
経由欄を見ますと「多・高・宇・陽・東海経由」とかなり略されていますが、「多」は多度津駅、「高」は高松駅、「宇」は宇野駅もしくは宇野線、「陽」は山陽本線、「東海」は東海道本線を示しており、乗車経路は、野市~(土佐電気鉄道安芸線)~後免町(後免)駅~(土讃線)~多度津~(予讃線)~高松~(宇高航路)~宇野~(宇野線)~岡山~(山陽本線)~神戸~(東海道本線)~東京という経路になります。
この券が発行された野市駅は土佐電気鉄道がかつて運営していた安芸線の駅でしたが、同線は国鉄新路線である阿佐線の計画線と並行していたことから、用地の転用を理由として1974(昭和49)年3月末の営業を以て全線廃止されてしまっています。
しかし、国鉄は阿佐線を開通させることはなく、土佐くろしお鉄道が後免駅~奈半利駅間の建設を引き継ぎ、ごめん・なはり線として開業しています。
同線は安芸線時代の路盤を利用した関係でほぼ同じルートを辿っており、安芸線の野市駅があった付近にはごめん・なはり線のいち駅があります。
帝都高速度交通営団 永田町から80円区間ゆき片道乗車券
1980(昭和55)年8月に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)有楽町線の永田町駅で発行された、80円区間ゆきの片道乗車券です。
緑色JPRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものです。
同駅では通常時での硬券による乗車券の発売は行われておりませんが、近隣にある国立劇場の催事による混雑時などに、硬券による臨発がおこなわれたことがありました。
本日は2月26日です。
いまから88年前の1936(昭和11)年2月26日未明、国家改造思想に影響をうけた陸軍皇道派青年将校20名が、陸軍の兵約1,500名を率いて重臣を襲撃し、首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁・国会など永田町一帯を占拠した、歴史的な事件が勃発しています。 これが二・二六事件と言われるものでした。
このとき、斎藤實内大臣・高橋是清大蔵大臣・渡辺錠太郎教育総監がこの襲撃にあって殺害され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負い、岡田啓介首相・牧野伸顕前内大臣は危うく難を逃れました。 青年将校達は陸軍大臣に面会を求め決起趣意を伝えるとともに、陸軍首脳に「国家改造」・「昭和維新」の断行を迫りました。
陸軍内では具体的な収拾策がまとめられなかったと言われていますが、昭和天皇は当初より武力鎮圧を命じ、海軍も決起軍に対して対決姿勢をとりました。
翌々の28日午後には決起軍を「反乱軍」と規定し、様々な方法で投降を勧告し、天皇の「奉勅命令」をたてに帰順を迫りました。青年将校達は1名が自決、残り全員が下士官・兵を原隊に復帰させたあと、帰順しました。 事件の首謀者は戒厳状態が続く中で弁護人なしの特設軍法会議の裁判によって死刑判決を受け、処刑されています。
北小金駅発行 140円区間ゆき 片道乗車券
1974(昭和49)年9月に常磐線の北小金駅で発行された、140円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつKOKUTETSU自動発行機用特殊地紋券紙が使用されたA型地図式券売機券で、スミインク式のものになります。
御紹介の券は、管理人の父が仕事帰りに使用したもので、父は新宿から定期券があったので、この区間を購入して、そのまま持ち帰ったと言って貰ったものです。性格的に「キセル」をしなかったので、こういった高額券が結構残っていたりします。
当時は確か26km以上だったかと思いますが、近距離券売機券ではありますが、地図式が使用されており、このような券が一般的に発売されておりました。
ちなみに、現在では140円では初乗り運賃にも満たない額ですが、当時の140円は31~35km帯の運賃であり、現在の670円区間に相当します。
JR東日本 高田馬場駅発行 普通入場券
2024(令和6)年2月に、JR山手線の高田馬場駅で発行された普通入場券です。
青色JRE地紋の感熱式指定共通券紙のマルス端末で発券されたものです。
同駅は、この券が発行された2024年2月9日を以てみどりの窓口が営業終了し、東京の心臓部路線でもある山手線の駅でさえ、所属線名が山手線ではない駅も含めると、新宿駅・日暮里駅・上野駅・秋葉原駅・東京駅・新橋駅・品川駅・目黒駅・渋谷駅の9駅しかなくなってしまいました。全30駅のうちの9駅ということは、3割しかなく、7割の駅には窓口がないことになります。
同駅は近隣に早稲田大学をはじめとした大学や専門学校が多く、また、海外からの留学生のための日本語学校などもあり、学割証などの利用が多く、窓口がなくなるとかなりの不便が想定される駅でしたので、みどりの窓口終了ということを知ったときは「来るところまで来たか」といった感じでした。
実際、窓口終了日以降の同駅にはオペレーターとコンタクトが取れる「話せる指定券発売機」が1台新設されましたが、時間帯によっては長蛇の列ができています。特に、日本語学校の学生さんは、慣れない日本語で苦労されているみたいでした。
(表)
(裏)
窓口終了最終日の昼、窓口には列が無かったので、入場券を購入しました。そのときに貰った入場券用の台紙です。
JRはインフラとはいっても「民間企業」ですから、当然ながら企業の業績改善のための合理化が必要であることは明白です。しかし、同駅の業績や混雑度など、内部の目から見て判断している訳ではありませんが、利用者の側からすれば本当に実施すべき合理化であったのか、疑問に思ってしまうこともあります。
東京急行電鉄 多摩川園駅発行 渋谷駅接続JR東日本線120円区間ゆき 片道連絡乗車券
1989(平成元)年9月に、東京急行電鉄(東急電鉄)の多摩川園(現・多摩川)駅で発行された、渋谷駅接続のJR東日本線120円区間ゆきの片道連絡乗車券です。
桃色PJRてつどう地紋のA型金額式スミインク式券売機券で、自動改札機対応の磁気券になっています。
裏面です。磁気券初期のもので、茶色の磁気が塗られています。茶色の磁気券は現在の黒色の磁気券と比べて、記憶できる磁気情報のデータ量はあまり多くないとのことです。
日南線 子供の国駅発行 170円区間ゆき片道乗車券
1981(昭和56)年8月に日南線の子供の国駅で発行された、同駅から170円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものです。
子供の国駅はレクリエーション施設である「こどものくに」の最寄り駅として開設された駅ですが、利用客がさほど多くは無かったことから、1971(昭和46)年10月には無人化されてしまっています。
それ以後、御紹介の券の発行駅で分かりますが、隣の青島駅が管理駅となっており、夏休み期間などの混雑時には、青島駅から駅員が出張して出改札を行っていました。
ちなみに、神奈川県横浜市にも、横浜高速鉄道に同じ名前の駅がありますが、こちらは「こどもの国」駅と表記されます。
小田急電鉄 伊勢原駅発行 㐧54さがみ号特急券
1986(昭和61)年10月に、小田急電鉄小田原線の伊勢原駅で発行された、㐧54さがみ号の特急券です。
黄褐色PJRてつどう地紋のA型大人・小児用券で、井口印刷で調製されたものと思われます。
乗車区間は本厚木駅から向ヶ丘遊園駅間となっており、列車名は記入式になっています。
小児断片のところに大きく「A」というゴム印が捺印されていますが、当時、この列車は通常であれば3100型固定11連のNSE車が使用されておりましたが、検査等の事情によって初代3000型固定5連のSSE車が重連で10両編成に組成されて使用された際に、一つの列車で同じ号車の同じ席番が2席ずつ存在してしまうことから、前の5両が「A編成」、後ろの5両が「B編成」として区別していた時の表記です。
裏面です。券番の他に、発行駅名と表記列車に限り有効である旨が印刷されています。
小田急電鉄では、本年3月16日(土曜日)から特急券の窓口での販売について、これまで全駅窓口で対応していたものを、定期券発売のある駅窓口のみに限定することを発表しました。定期券窓口は、新宿駅・成城学園前駅・新百合ヶ丘駅・町田駅・相模大野駅・本厚木駅・秦野駅・小田原駅・大和駅・藤沢駅の10駅となっていますが、特急券が購入できる券売機が全駅に設置されていることから、これ以外の駅での特急券の窓口販売は本年3月15日(金曜日)を以て終了することとしています。
また、本年4月15日(月曜日)を以て秦野駅と大和駅の定期券窓口を終了することも同時に発表しており、結果的には窓口で特急券を発売する駅は2駅減の8駅になります。
御茶ノ水駅発行 140円区間ゆき片道乗車券
1983(昭和58)年3月に、中央本線の御茶ノ水駅で発行された、同駅から140円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この券が発券された当時はすでに券売機が充分に稼働しておりましたので、通常日において硬券での近距離乗車券の発売は行われておりませんが、御紹介の券は近隣の大学の行事等で出札が混雑した際や非常時用として設備されており、当日は明治大学の卒業式がございましたので、その際の混在対応用として臨発されています。
同駅の駅名は駅前にあるお茶の水橋(緑色の橋)に由来しておりますが、橋の名称は「お茶の水橋」ですが、駅名は「御茶ノ水駅」と表記が異なっています。
別府鉄道 別府港駅発行 野口駅まで 往復乗車券
前回エントリーで別府鉄道の別府港駅で発行された、野口駅ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたが、同駅には同区間の往復乗車券も設備されておりましたので御紹介いたしましょう。
1984(昭和59)年1月に別府鉄道の別府港駅で発行された、野口駅までの往復乗車券です。
水色別府鉄道自社地紋のD型大人・小児用券で、片道乗車券と同じ、日本交通印刷で調製されたものです。
この券を購入する時には往復乗車券が設備されていることは知りませんでしたが、窓口でコレクション用に乗車券類を購入していた時に、窓口氏から往復券もあることを教えていただいて購入したものです。
折り返し駅である野口駅は無人駅であり、国鉄高砂線との接続駅でもあることから、それなりの需要があったために設備されていたと思われます。
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