JR東海 鰍沢口駅発行 普通入場券

1992(平成4)年8月にJR東海身延線の鰍沢口駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用の券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
JR東海の普通入場券は、硬券末期の入場時刻を記入できる様式に変更されるまでは国鉄時代と全く同一の様式となっており、国鉄時代のものとJRになってからのものとを見分けるには、発行された日付を頼りにする必要があります。この券は平成4年発行ですのでJRになってからのものになります。


   


左側を拡大すると分かりやすいのですが、この券は印刷したさいに活版が飛び上がってしまったのか、若干ずれて二重に印刷されてしまっています。特に「普」の部分のズレ幅が大きく、老眼になってしまった管理人は、じっと見ていると目の焦点が合わなくなってきます。

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駿豆鉄道 三島から伊豆長岡ゆき 片道乗車券

1957(昭和32)年4月に駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)三島駅で発行された、伊豆長岡駅ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JPRてつどう地紋のB型一般式大人・小児用券で、山口証券印刷で調整されたものと思われます。


ここでまず、現在の三島駅の構造を確認しましょう。


   


三島駅の現在の駅構内図です。伊豆箱根鉄道ののりばは南口側にあり、いかにも同じ駅構内のように見えますが、JR東海の三島駅と伊豆箱根鉄道の三島駅は通路で繋がってはいるものの独立しており、北口から伊豆箱根鉄道の乗車券でJR構内に入ることは一部の例外を除いてできません。これは「三島駅北口、伊豆箱根鉄道乗れない問題」です。
ここでの「一部の例外」とは、三島駅から修善寺ゆきの踊り子号に乗車する時と、修善寺方面から来た踊り子号から下車する時だけなのです。しかも、乗車するときはその旨を改札口で申告すれば「例外として」入場できるようですが、下車する時はJRの改札口から出場することはできず、一旦連絡改札口を通ったうえで、伊豆箱根鉄道の改札口から出場しなければならないのです。


「三島駅北口、伊豆箱根鉄道乗れない問題」から戻りますが、御紹介の券を見るとあることに気づきます。
発駅の表記が「〇靜(=静)〇A 三島」となっています。「〇A」というのは窓口番号であるとは思いますが、気になるのは「〇靜」の符号です。これは旧国鉄の静岡鉄道管理局を示しているものと思われますが、普通、このような符号のある社線発の乗車券は、国鉄側で発売されたものに印字されるケースが殆どで、そうであれば、この券は国鉄三島駅の窓口で発行されたということになります。
しかし、南口は国鉄と駿豆鉄道の窓口および改札口が並んでいるのですから国鉄側で乗車券を発売する必要はないわけであり、なぜ、国鉄側でも駿豆鉄道の乗車券を扱っていたかが理解できません。となると、当時はまだ東海道新幹線が開業してはいませんでしたので駅構内の構造は現在とは違っていたはずなので北口の存在自体が明らかではありませんが、仮に北口が存在していたとして考えた場合、当時は北口側の国鉄の窓口で駿豆鉄道の乗車券が発売されていたという仮説を考えることができます。(断っておきますが、あくまでも仮説です。あしからず・・・)

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上野駅発行 トラベラーズ・キャリー切符 ~その2

上野駅で発行された、トラベラーズキャリー切符の話題の続きです。

前回エントリーで台紙部分を御紹介いたしましたので、今回は切符の部分を御紹介いたしましょう。
最初にお断り致しておきますが、拙ブログでは乗車券や指定券などの「乗車券類」については「きっぷ」、手回り品切符などの「諸料金切符類」については「切符」と表記させていただいております。



   


1985(昭和60)年12月に上野駅で発行されたトラベラーズ・キャリー切符です。桃色こくてつ地紋のD型券で、東京印刷場で調製されたものと思われます。
日付や「上野駅➡協定店」の表記、金額、「昭和61年3月31日までの間に1回限り使用できます。」の文言、発行箇所名については乗車券類でよく見られる体裁ですが、特殊な券であるためか、ぎこちなく活字を組んだ「トラベラーズ・キヤリー」という題字が印象的です。


   


裏面です。
券番が片券番になっており、注意書きが記載されています。
内容に拠るとこの券は上野駅限定のようで、指定された区間につき、荷物1個を託送することができるようです。「託送」という言葉は最近あまり聞き慣れない言葉ですが、運輸機関が手荷物を旅客から預かって輸送することを指し、一般に「チッキ」と呼ばれていました。


話は変わりますが、前回エントリーの時に御紹介した表紙の写真を再掲します。


   


前回エントリーの時は触れませんでしたが、下に「JAPANESE NATIONAL RAILWAYS」と記載されています。これは「JNR=国鉄」ということであることは想像できますが、管理人はかつて、国鉄の英文表記は「JAPAN NATIONAL RAILWAYS」であると教わってきました。
JAPAN NATIONAL RAILWAYSであれば「日本国有鉄道」と訳すことができますが、JAPANESE NATIONAL RAILWAYSですと「日本国有鉄道」になってしまいます。しかし実際、外国で日本の国鉄を紹介するときには「日本の国有鉄道」という意味でJAPANESE NATIONAL RAILWAYSと紹介されていることが多く、この切符はそれに倣っていたものと思われます。

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上野駅発行 トラベラーズ・キャリー切符 ~その1

先日、新宿駅西口地下で開催されていた「古本市」で見つけたもので、200円で買ってきたコレクションです。


   


白い袋に入れられたもので、1985(昭和60)年12月に国鉄上野駅で発売された「UENO STATION TRAVELERS CARRY SERVICE TICKET」というものです。和訳すると「上野駅旅行者用運搬切符」という具合になりますでしょうか?
見たことないし、良くわからなかったので、取り敢えず200円という大枚をはたいて購入してみました。


袋を開けてみると中から、かつて管理人が小学生くらいの頃の日本人用のパスポートに良く似た冊子が出て来ました。


   


冊子を開いてみると、こんな感じです。


   


そして、冊子の中身はこんな感じです。


   


右下にメインである切符があり、左上には「国鉄を、ご利用されている本切符の所持者に、無事ご旅行を完了されるようつとめ、かつ同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係者に要請する。」という上野駅長名での指示文書があり、駅長印がの陰影が印刷されています。
そして見開き右側には、「祈 旅行安全」という第28代上野駅長の自筆と思われる言葉が印刷されています。

また、左下に案内のような文章が日本語と英語で書かれており、これを見る限り、上野駅から都区内の宿泊施設まで、もしくは都区内の宿泊施設から上野駅までの「赤帽」サービスの切符であったことが推測されます。
当時の国鉄が外国人旅行者向けのサービスを積極的に行っていたかどうかと言うと定かではありませんが、恐らくインバウンド用としての役割があったものと思われます。

ただし、この切符がどのような方法で、どのような場所で発売されていたのか、よくわからないことが沢山あります。

それでは次回、切符部分について仔細を御紹介致しましょう。

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西武鉄道 高田馬場から150円区間ゆき片道乗車券2態

前回エントリーで、西武鉄道の普通入場券は、窓口発行のものと券売機発行のもので字体が異なっていることを御紹介いたしましたが、乗車券についても同じことが言えますので御紹介致しましょう。


   


まずは2018年11月に窓口で発行された、高田馬場から150円区間ゆきの片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のA型金額式感熱式券で、磁気券になっています。
普通入場券同様に発行時刻の打刻が無く、右片は4桁の券番だけになっています。


   


こちらは2019年6月に券売機で発行されたもので、桃色PJRてつどう地紋のA型金額式感熱式券です。
普通入場券同様、窓口発行券とは発駅名の字体が似ている程度で、その他の文字はすべて字体が異なります。また、券売機券には発行時刻の打刻がある他、発駅名のローマ字表記もあります。


   
   


普通入場券同様、2枚を並べてみました。字体の違いがお分かりなれるかと思います。

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西武鉄道 高田馬場駅発行普通入場券2態

2018年11月に西武鉄道新宿線高田馬場駅にあります、JR線との乗換改札口の窓口で発行された普通入場券です。


   


桃色PJRてつどう地紋のA型感熱式券で、自動改札対応の券となっています。

かつて、同乗換口では改札口で着駅までの国鉄(JR)の乗車券を渡したうえで西武の乗車券に入鋏してもらう方法が採られていましたが、現在は自動改札機が導入され、JRの乗車券と西武の乗車券を同時に挿入する方法となったため、このようなこのような磁気券が使用されています。他業者の連絡口と異なり、乗車券類を購入するときに原券を回収しないため、コレクション用をかんたんに購入することができます。


窓口発行の券は様式的には券売機発行のものと同じですが、字体が券売機のものとは異なっているため、見た目はかなり違って見えます。


   


こちらは2019年6月に同じ高田馬場駅で発行された普通入場券です。
この券は券売機で発券されたもので、窓口で発行されたものとはビジュアル的にかなり違います。


   
   


2枚の券を再掲してみました。上の券が窓口券で、下の券が券売機券です。
「高田馬場」の文字は比較的似ていますが、その他の文字はすべて字体が異なっており、窓口券には発行された時刻の打刻がありません。

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石狩当別から大学前ゆき片道乗車券

1984(昭和59)年12月に、札沼線石狩当別駅で発行された、大学前(現・北海道医療大学前)駅ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のD型一般式大人専用券で、「縁起きっぷ」として発行された企画きっぷのような扱いであったと思われます。
発行駅である石狩当別駅だけではなく札幌近郊の主要駅でも発売されており、この券は札幌駅であったと記憶しています。当時の国鉄は累積した赤字対策のための増収策が行われており、特に北海道総局は「愛国から幸福ゆき」の乗車券および縁起きっぷで成功した実績があったからでしょうか、縁起きっぷが乱発されていたように思います。



   


裏面です。
のように固い決意で人が獲物をねらうように、りをつけた志望校をめざし、受験生活にれを告げて、大学合格の花を咲かせてください。」という、何とも都合の良い、読んでいて恥ずかしくなってしまうような語呂合わせの文章が記載されています。


着駅である大学前駅は、1974(昭和49)年に開学した東日本大学の最寄駅として1981(昭和56)年に開業した駅で、開業当初は「大学前仮乗降場」として開設されています。その後、昭和50年代後半に一般駅旅客駅に昇格して「大学前駅」になります。
そして、1994(平成6)年に大学名が北海道医療大学に名称変更されたため、その翌年の1995(平成7)年に「北海道医療大学駅」に駅名も改称されています。

 

あつ様から、
>  貨物を扱ったことはないので、一般駅ではなく、常設駅が正しいと思います。
というコメントを戴きました。確かに貨物取扱駅ではないので一般駅ではなかったです。ただし、一般的に「駅」は旅客を扱う旅客駅あるいは一般駅を指すものとされており、「常設駅」という言葉は臨時駅に対して設置された後に原則として通年営業を行う駅を指す言葉になりますので、ここでは一般駅に対しての表現として「旅客駅」という表現に訂正させていただきました。

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JR東日本 〇ム 信濃境から180円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで船橋法典駅(直営駅)で発行された簡易委託用乗車券を御紹介いたしましたので、「本当の」簡易委託駅で発行された券を御紹介致しましょう。


1989(平成元)年7月にJR中央本線信濃境駅で発行された、180円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JRE地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
船橋法典駅で発行された券とは異なり、発行駅名の表記は「〇ム 信濃境駅発行」となっています。


同駅は2017(平成28)年4月にJR東日本と長野県富士見町間で締結されていた「乗車券類簡易委託販売契約」が解除され、茅野駅管理の無人駅になってしまっています。

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JR東日本 〇ム 船橋法典駅から120円区間ゆき片道乗車券

1988(昭和63年)2月にJR東日本船橋法典駅で発行された、120円区間ゆき片道乗車券です。


   


桃色JRE地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は中山競馬場最寄り駅として1978(昭和53)年10月に開業した比較的新しい駅です。


この券が発売された当時の同駅にはみどりの窓口は開設されておらず(2016年頃みどりの窓口営業終了)、通常、乗車券の発売は自動券売機のみの対応でしたが、中山競馬場の競馬開催時には利用客数が激増するため、硬券による臨時発売が行われていました。

同駅は直営駅であり、通常であれば普通の金額式券が発売されるところですが、みどりの窓口が無いことから要求されたすべての券種が発行できないことが理由であったのでしょうか、国鉄時代から「〇ム」表示の付いた千葉支社および八王子支社向けの簡易委託駅用の様式が使用されていました。
ただし、本当の簡易委託駅のものとは異なり、発行箇所名の頭に「〇簡」の符号が付かないもので、同様式券は相模線の宮山駅にも存在しておりました。

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〇ニ 上野駅発行 大宮から一ノ関・北上・盛岡まで 新幹線自由席特急券

1982(昭和57)年月に「〇ニ」上野駅で発行された、大宮から一ノ関・北上・盛岡までの新幹線自由席特急券です。


   


桃色こくてつ地紋の千切り軟券となっています。恐らく、共同印刷もしくは凸版印刷等の民間印刷場へ委託されたものと思われます。
着駅の表記が「一ノ関・北上・盛岡」となっておりますが、前回エントリーの硬券に記載されておりました「一ノ関・盛岡間」と内容は同一であり、料金も同じ3,800円となっています。


この券は、上野駅で、新幹線リレー号に乗り込む前の旅客に対して発売する目的で設備されたもので、国鉄OBの再就職口になっていた日本交通観光社(日交観、現・ジェイアールバステック)がホームやコンコースで発売していたものです。
新幹線自由席特急券を所持しないまま新幹線リレー号に乗車してしまう東北・上越新幹線利用客に対して、上野駅でリレー号に乗り込む前に新幹線自由席特急券を購入させることによって、新幹線特急料金収入を大宮駅に取られないようするという、独立採算制が採られていた国鉄内部の事情によるものであったと推測されます。

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