新木場駅発行 幕張メッセ往復乗車券

平成元年11月に京葉線新木場駅で発行された、幕張メッセ往復乗車券です。



   



東京印刷場調製のA型JRE地紋の券で、国鉄時代のイベントや多客期に使用されていたような往路用と復路用に分かれていない形の往復乗車券となっています。また、真ん中に赤線が引かれています。



   



裏面を見ますと、幕張メッセ最寄駅である海浜幕張駅で下車する際には見せるだけで改札口を通れる旨の記載があります。これは海浜幕張駅改札口の混雑を緩和するための措置であったと思われます。



今になってみればなぜ新木場駅でこのような往復券が発行されていたのかと思われる方もおられるかもしれませんが、当時の京葉線は新木場駅~東京駅間が未開通であり、東京方面から京葉線に乗るには、西船橋経由で入り込むか、地下鉄有楽町線から新木場駅で乗り換える方法が一般的であり、新木場駅では地下鉄からまとまって吐き出されてくる旅客を捌くため、多客時にこのような券が発行されていたものと思われます。

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南海フェリー 小松島港駅から難波ゆき乗車券

昭和54年7月に南海フェリー小松島港駅で発行された、難波ゆき乗車券です。



   



A型の南海旧地紋に似た地紋ですが、旧社名である南海汽船の名前がデザインされている「NANKAI KISEN」と書かれた自社地紋です。
経路は小松島港駅から和歌山港駅までフェリーに乗船し、和歌山港駅から南海電車で難波まで行く、鉄道連絡乗車券です。



   



裏面を見ますと「途中下車前途無効」となっております。
有効期間が2日間であるにも拘わらず途中下車が出来ない片道乗車券というのもいささか不思議な券のように思われます。



南海フェリーは南海グループに属するフェリー運航会社で、和歌山港と徳島港を結ぶ鉄道連絡船です。


かつて、国鉄(JR)には青函・宇高・仁堀・大島・宮島・関門・関森航路など多数の鉄道連絡船が存在しましたが、現在は宮島航路を残すのみとなり、南海フェリーの和歌山徳島航路はJR以外の民営唯一の鉄道連絡船となっています。



この券が発売された当時は和歌山港では南海電車と連絡し、小松島港では国鉄小松島線と連絡しておりましたが、昭和60年3月に小松島線が廃止されると徳島側での鉄道連絡の道が閉ざされてしまい、同年11月からは小松島港から徳島港に航路を変更し、現在に至っています。

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小松島線小松島港駅発行 硬券入場券

昭和59年3月に発行された、小松島線小松島港駅の硬券入場券です。



   



小松島港駅の入場券のはずですが、駅名や発行駅名は小松島駅となっています。



小松島港駅は小松島線の終着駅ですが、正確に言うと、小松島線の終着駅は小松島駅であり、小松島港駅ではありません。



   



昭和48年の時刻表に掲載されていた路線図です。


牟岐線中田駅から分岐した小松島線は小松島駅を経て小松島港駅まで続いていますが、「小松島港(臨)」と表記されておりますように同駅は臨時駅扱いとなっており、「小松島港仮乗降場」というのが正式名称であり、小松島港構内にある仮乗降場扱いとなっていました。



   



当時の小松島駅の構内図です。小松島港仮駅へ向かう列車は小松島駅に進入する際に左分岐方向へ進み、徳島気動車区小松島支区を隔てたホームに到着し、その後仮駅へと向かっていました。



   



昭和48年当時の時刻表を見ましても、小松島駅と小松島港駅間の営業キロは記載されていません。



同駅は小松島駅の構内という扱いとなっており、窓口は小松島駅2番窓口として区別されておりました。そのため、発行箇所名が「2小松島駅発行」となっているものが小松島港駅で発行された券であるということになります。
ちなみに、小松島駅本体で発行された券は「1小松島駅発行」となっていました。
他に「(港)小松島駅発行」や「3小松島駅発行」というものも存在したとのことですが、それらの券は未見です。



小松島線は当初徳島駅から小松島駅までの路線で、宇高航路とともに四国と本州を結ぶ南海フェリー(当時は南海汽船)と連絡する目的で敷設されましたが、昭和36年に徳島駅~中田駅間が牟岐線に統合されると国鉄最短の路線となりました。しかし、それが災いして昭和56年には第一次特定地方交通線として廃止が承認され、この券の発券された1年後の昭和60年3月に廃止されてしまいます。

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上信電鉄 小荷物切符

先日の日比谷でのイベントの際に購入した、上信電鉄の小荷物切符です。


大変薄めの紙の券が3枚と、荷札にもなる厚めの紙の券1枚の4片制になっています。

かつて鉄道小荷物(チッキ)があった時代であればどこの駅にもあったような物なのでしょうが、今となっては大変珍しい存在です。


では、上の片から見て行きましょう。


   


1枚目の券です。

「丁」片と呼ばれるもので、発行した駅の控え用となります。


上から受託年月日、荷物着駅(あて先)、配達料「〇配」および記事欄、品名・個数・計算重量・運賃・配達料・特殊料金、発行駅名を記載するようになっています。

すべての券片の間にカーボン紙を挟んで記載します。


計算重量とは、実重量(貨物そのものの重さ)もしくは容積換算重量(体積1m3を280kgに換算した重量)のうち、重い方の数字を使用するもので、運送事業者が有利になるように設定された重量換算方法です。

 

   


2枚目の券です。

「丙」片と呼ばれるもので、収受した料金と共に審査課へ回付されます。


1枚目からカーボンで複写されますので、特に記載する項目はありません。


   


3枚目の券です。

「甲」片と呼ばれるもので、荷送人控として、受託した際に発送した客へ渡す片となります。


この片もカーボンで複写されているので特に記載することはありませんが、荷送人の控えのため、荷物託送の証票であるので保存する旨の注意書きがあります。


      


4枚目の券です。

「乙」片と呼ばれるもので、着駅への連絡用の片となります。また、この片のみ厚紙になっており、上の穴に針金を通して貨物に括りつける荷札兼用となっています。

また、記事欄には発駅名を記載するようになっています。


さらに、半分から下を点線で切り離せるようになっており、その意味は裏面を見ると理解できます。


   


4枚目の裏面です。
針金を通す穴の周りがちぎれて貨物が不明貨物にならないよう、補強されているのがわかります。

上半分は着駅で荷受人に貨物を引き渡した際の受取書となっており、駅渡の際、着駅にて着駅名、到着列車名、引渡日を記載し、その下に荷受人が受取りのサインを記入する欄があります。この片は駅で引き渡した証拠として保管されます。

駅での荷受人への引渡が行われた際には、これで終了となります。


しかし、駅から荷受人の指定する場所まで配達貨物である場合、着駅で通運会社のトラックに引き渡すこととなります。そのとき、貨物に荷札を付けたままトラック事業者に引き渡すため、引き渡しの際、下半分にトラック事業者から引き渡した旨のサイン(証明)をうけ、切り取って駅で保管することとなります。


このように1枚づつ見ていきますと、記載事項も多くなく単純な切符ではありますが、日本全国連絡運輸も対応できる大変合理的な、よく考えられた様式であることに驚かされます。

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ことでん・JR くるり~んきっぷ

JR四国の企画乗車券で、ことでん・JRくるり~んきっぷです。


  


高松駅を中心として、JR線は予讃線高松駅~多度津間、土讃線多度津駅~琴平駅間、高徳線高松駅~志度駅間が乗車でき、ことでん(高松琴平電鉄)は琴平・長尾・志度線の全線を乗車できる1日フリー乗車券です。

JRの企画乗車券でありますが、「JR・ことでん…」ではなく、「ことでん・JR…」という名称で、ことでんを「立てた」ような名称になっているのが特徴です。


青春18きっぷの赤券と同じ大きさの大型券で、青色JR四国地紋の常備券となっており、発行箇所名は記入式です。
前売り対応なのか、発行日の他に使用日を記入する欄が別途設けてあります。


JR四国の企画乗車券ですが、ことでんの有人駅でも発売されています。

ただし、JRの窓口で購入すると常備券ではなくマルスによる発券となるようで、常備券を入手するには、ことでんの窓口で購入する必要があります。
そのため、この券を購入するにあたり、高松駅ではなく、ことでんの高松築港駅で購入いたしました。

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小児断片のある地図式券

昭和47年2月に静岡駅で発行された、160円区間ゆき地図式乗車券です。



   



名古屋印刷場調製のA型券で、地図式券としては珍しく、小児断片がついています。



この当時、国鉄各地の印刷場では硬券地図式乗車券が発行されていました。そして、印刷場によってA型券だったりB型券だったりと統一されておらず、様々な種類の券が存在しておりました。

特に決まりは無かったとおもわれますが、一般的に地図式券は一つの口座で大人用と小児用が別々に作成されており、小児断片のある大人・小児用券はなかったようです。



ところが、名古屋印刷場の券には小児断片がついており、国鉄地図式券の大人・小児用の数少ない例かと思われます。
逆に、同印刷場の地図式券には小児用券は存在していなかったのか、私は見たことがありません。



考えてみれば、比較的発行枚数の多い近距離用金額式券や一般式券の近距離用には大人用や小児用のほかに大人・小児用券が存在するのに、東京印刷場のように比較的中距離用で発行枚数が少ない券であっても、地図式券に大人・小児用券が存在しないのが不思議です。

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名古屋鉄道 地図式特殊補充券

名古屋鉄道の地図式特殊補充券(図補)です。


   


名古屋鉄道CI新地紋の券で、右下に「20.」と表示されていることから、平成20年に印刷されたものと思われます。


同社には記入式の特殊補充券(第1種特補)の他にこのような図補も設備されており、第1種特補が連絡乗車券や複数人数用乗車券、区間変更、料金券等に使用することが前提となっていますが、図補については自社線完結の普通乗車券として発行することを前提に設備されているようです。

同線は最近600V区間などの支線群が次々と廃止されてしまったとはいえ、路線網が大変複雑になっており、図補となりますと、その内容は圧巻です。


この券の特記すべき点として、名古屋本線の東枇杷島駅と西枇杷島駅、犬山線下小田井駅間に「分岐点」という場所が表記されていることです。
ここは駅ではないため停車する列車はありませんが、かつて昭和24(1949)年7月まで枇杷島橋駅という駅が存在していたため、廃止から60年以上経過した現在でも運賃計算上の箇所として扱われており、枇杷島分岐点と呼ばれています。

枇杷島分岐点発着の単独での乗車券は発売されていませんが、定期券で乗越精算する場合や、別途片道として運賃を収受する際には分岐点発着の乗車券が発売されるため、図補上に明記されているものと思われます。

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サンライズ瀬戸号 シングル用A個室寝台券

サンライズ瀬戸号のシングルデラックス用寝台券です。


   


シングルデラックスは同列車一人用個室の最上ランクに位置する個室で、A寝台となります。B寝台個室券同様に120㎜券として発券され、題字は「特急券・A寝台券(個)」となっています。


同列車のA寝台はシングルデラックスしかなく、二人用個室(ツイン)の設備はありません。そのためにB寝台とは違って設備ごとに列車名情報を分けておらず、列車名は「サンライズ瀬戸」となっており、着時刻の右側に「シングルデラックス」の表示があります。


同列車のシングルデラックスは大変人気が高く、おまけに11号車に6部屋あるのみという設定から、休前日の便では1ヶ月前に満席となることも珍しくなく、予約が取りにくい指定券の一つです。

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サンライズ瀬戸号 シングル用B個室寝台券

サンライズ瀬戸号用の一人用シングル個室寝台券です。



   



一人用シングル個室はB寝台に位置していますので、特急券・B寝台券となっています。


マルス発券で、2段および3段式のB寝台券が85㎜券として発券されるのに対し、個室用は120㎜券で発券されます。



サンライズ瀬戸号には2段式寝台の設備はなく、すべてが寝台設備はすべて個室となっており、B寝台個室には一人用個室にソロとシングル、シングルツインが、二人用個室にサンライズツインがあります。



同列車には寝台料金不要の特急料金だけで乗車できるノビノビ座席という設備もあり、マルスに於ける普通車情報がB寝台4種類と座席扱い1種類の5種類と、A寝台もある複雑な列車です。


そのため、指定券の列車名欄の表示を見ますと「サンライズ瀬戸」とはせずに「サンライズ瀬戸シングル」となっており、マルス情報上では設備ごとに列車名情報を分けていることがわかります。

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ゆりかもめ 旧社名の乗車券

平成7年12月に、ゆりかもめ新橋駅で発行された、券売機発行の乗車券です。


   


同線は1ヶ月前の平成7年11月に開業していますので、ほぼ開業当初の券ということになります。


A型の金額式券で、券売機の機種の違いから現在のものと字体が異なりますが、独特な自社地紋の券紙も現在と同じです。


当時、同社の社名は現在の株式会社ゆりかもめではなく東京臨海新交通株式会社という社名であり、左上の社名が(東京臨海新交通)となっています。

しかし、開業当時から「ゆりかもめ」という愛称が付けられており、良くある話ですが、平成10年4月に愛称が正式に新社名となって今日に至っています。

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