趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
西秋留駅発行 代用印捺印による普通入場券
前々回エントリーの「JR東日本 鶯谷駅発行 普通入場券」のなかで、
> 最短区間の乗車券に入場券の代用印を捺印して発券された
と申し上げましたが、手元に代用印を捺印して発券された普通入場券がございますので御紹介いたしましょう。
1984(昭和59)年6月に五日市線西秋留(現・秋川)駅で発行された、代用印を捺印して発券された普通入場券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
昭和59年当時の国鉄の最短運賃(=普通入場券料金)は120円でしたので、同額の120円券を使用して発券されています。
このような発券方法は、需要が低いことから普通入場券を設備していない小駅や、普通入場券の設備があっても、たまたま欠札していた場合に行われており、当時の同駅には普通入場券の設備がありませんでしたので、恒常的にこのような取扱いが行われていました。
代用印には大きく「入場券」と表示され、その下には「(旅客車内に立入ることは出来ません)」という文言がありますが、あまり統一されてはいなかったようで、文言については多少の違いがありました。
再掲しますが、鶯谷駅にあった代用印です。横幅が西秋留駅のものより広く、文言は「(旅客車内に立ち入ることはできません)」となっています。
鶯谷駅発行 普通入場券
前回エントリーで、JRになってからの鶯谷駅で発行された普通入場券を御紹介いたしましたので、今回は国鉄時代の同駅で発行されたものを御紹介いたしましょう。
1984(昭和59)年5月に鶯谷駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この当時は都内の殆どの駅で硬券の入場券が設備されており、軟券化によって硬券の発売が廃止された駅を除けば、硬券の普通入場券は比較的求めやすい状況でした。
同駅は正式には東北本線の駅として開業していますが、実際には東北本線の中距離列車は停車せず、山手線や京浜東北線の駅のようなイメージになっています。
現在、山手線の電車は終日同駅に停車しますが、京浜東北線の電車は日中は快速運転となり、同駅は通過するようになっています。
JR東日本 鶯谷駅発行 普通入場券
2007(平成19)年11月にJR東日本東北本線の鶯谷駅で発行された普通入場券です。
青色JRE地紋の熱転写式特殊共通券紙が使用された指定券券売機で発券された乗車券に、入場券の代用印が捺印されたものです。
同駅は2004(平成16)年2月末にみどりの窓口が廃止された駅で、現在同社が進めている駅窓口の廃止施策のなかではトップバッターの駅になります。 窓口廃止後から2007(平成19)年3月までは指定券券売機(MV30)にてマルス様式の入場券を発売しておりましたが、2007(平成19)年3月のダイヤ改正時より指定券券売機の入場券ボタンが削除され、マルス様式の入場券は発売されなくなってしまいました。
マルス様式の入場券が発売されなくなった以降、公務のために同駅で下車いたしましたところ、改札窓口のすぐ側に置かれていた印箱の中に「入場券」という代用印があるのを見つけ、改札係員氏にこのゴム印を乗車券に捺印して頂くことが可能かどうかをおたずねしたところ、「最短区間の乗車券であれば捺せますよ」ということでしたので捺していただきました。
硬券がまだ現役の頃は、郊外の小駅には硬券の入場券が設備されていない駅があり、最短区間の乗車券に入場券の代用印を捺印して発券されたことがありましたが、JRになって以後、代用印がまだ存在したことに驚いたものでした。
現在ではさすがにこの印は廃止されていると思いますが、入場券を指定券券売機で発売しなくなる最初のケースでしたので、何かあるといけないので予備的に置かれていたのかもしれません。そのためか、この当時でも、どう見てもどこかの駅で使用されていたものが転用されたような年季の入ったものでした。
西武鉄道 「本川越駅管区各駅めぐり」途中下車印・入鋏印記念収集券 ~その4
西武鉄道 でおこなわれておりました「本川越駅管区各駅めぐり」で配布されていた途中下車印・入鋏印記念収集券 を御紹介いたしておりますが、前回御紹介の「青券」の記事で、「青券」については西武鉄道の乗車券類としては大変マニアックなもので、緑色の自社地紋の他、真ん中に「SEIBU」という文字が刷り込まれているものであると申し上げました。
この様式の券はかつて西武鉄道で使用されていた乗車券類様式で、特急券が硬券主体であった当時、特急レッドアロー号の発着駅である池袋駅や西武秩父駅では平成初頭ごろから窓口に指定券発券端末機が設置され、そこで発券された特急券で使用されたものでした。しかしながら、当時は殆どの駅で硬券特急券発売されていたことと、コレクション的に端末発行券は人気がなかったことから、知名度の高い様式では無かったように思われます。
1994(平成6)年11月に西武秩父駅で発行された、端末で発行された特急券です。緑色せいぶてつどう自社地紋のドットプリンター用券で、券の両端にはストックフォームのように紙送り用の穴の開いた耳が付いていましたが、発券する際に窓口で切り取られて発行されています。
緑色の自社地紋の入った用紙ですが、真ん中あたりに「SEIBU]という文字が入っているのが分かります。
裏面です。ご案内文が印刷されていますが、項目は2行しかなく、大変シンプルです。
西武鉄道 「本川越駅管区各駅めぐり」途中下車印・入鋏印記念収集券 ~その3
西武鉄道 で行われていた「本川越駅管区各駅めぐり」の途中下車印・入鋏印記念収集券を御紹介いたしておりますが、この収集券は偶数月が「赤券」、奇数月が「青券」で発行されていました。
管理人は「偶数月」である2月に蒐集したために「赤券」を頂きましたが、蒐集癖とは恐ろしいもので、「青券」の方も欲しくなります。そこで、「奇数月」である3月に再チャレンジして参りました。
イベント終盤である2022(令和4)年3月に本川越駅で頂いた「青券」になります。こちらは印刷されている様式は「赤券」と同じものですが、「青券」と言っても正確には緑色となっており、緑色せいぶてつどう自社地紋となっており、PJRてつどう地紋ではありませんでした。
再掲いたしますが、本川越駅発行分はは発行枚数が多いためでしょうか、発行駅名が予め印字されているものが使用されていましたが、他の2駅(新所沢駅・狭山市駅)で発行されたものは駅名が記入式となっておりました。「青券」についても同じようになっていましたが、3月のイベント末期に配布されたころには発行駅名が印字されている券は在庫切れになったようで、記入式の券になっていました。
「青券」については西武鉄道の乗車券類としては大変マニアックなもので、緑色の自社地紋の他、真ん中に「SEIBU」という文字が刷り込まれています。
この様式はかつて西武鉄道で使用されていた乗車券類様式でしたが、当時は硬券がコレクションの中心であることと、かつて使用されていた「軟券」がi池袋駅や西武秩父駅といった限られた駅でしか発行されていなかったため、あまり知名度の高い様式では無かったように思います。
西武鉄道 「本川越駅管区各駅めぐり」途中下車印・入鋏印記念収集券 ~その2
前回エントリーで、西武鉄道で実施されておりました 「本川越駅管区各駅めぐり」途中下車印・入鋏印記念収集券を御紹介いたしましたが、その中で
> JRでかつて発行されていた青春18きっぷの「赤券」
と申し上げましたが、青春18きっぷの「赤券」はすでに過去帳入りしているものですので、ここで御紹介しておきたいと思います。
JR北海道宗谷本線の南稚内駅で発行された青春18きっぷの「赤券」です。桃色JR北地紋の周遊券サイズの常備券となります。
現在でもJR旅客鉄道各社では夏休みや春休み期間中に青春18きっぷを発売しておりますが、窓口のマルス端末か指定券券売機で発券される青色の指定共通券紙に印字されたものとなっており、常備券様式の「赤券」は平成20年代に廃止され、現在では発行されていません。
「赤券」はもともと国鉄時代に発売開始された青春18きっぷの前身である「青春のびのび18きっぷ」の時代から続いているもので、国鉄時代の「青春18きっぷ」への改名を経て、JR民営化後も端末の無い駅を中心とした限られた駅で発売されていました。末期にはJR北海道だけでの発売となっていましたが、発売されていた駅は札幌駅を始めとしたマルス端末が設備されている駅のみで、赤券目当ての旅客を狙った増収対策のような感じでした。
裏面です。初めはもっとシンプルでしたが、年を重ねるうちにJRの旅客営業規則が改定となるたびに項目が増え、読む気になれないほどの「(ご案内)」文になってしまっています。
西武鉄道 「本川越駅管区各駅めぐり」途中下車印・入鋏印記念収集券 ~その1
西武鉄道新宿線の本川越駅から航空公園駅までの各駅を管理している本川越駅管区では、2021(令和3)年10月1日から2022(令和4)年3月31日まで、「本川越駅管区各駅めぐり」という企画イベントを開催しました。
これは、西武新宿線の 新所沢・狭山市・本川越駅いずれかの窓口で無料配布される「途中下車印・入鋏印記念収集券」に、入鋏印や途中下車印などを、対象となる各駅で押印してもらえるイベントでした。
このイベントに参加するには各駅間を乗車するために有効な乗車券(IC乗車券や定期券でも可)が必要で、改札の入場、もしくは出場が必要となっており、「入場→入鋏印」「出場→途中下車印」というルールに則って収集券に捺印されます。
こちらが、イベントを告知する駅のポスターです。
管理人はこのイベントを存じ上げませんでしたが、たまたま所用で本川越駅に行った際、駅構内に掲示されていたポスターでイベントを知り、後日蒐集活動に行って参りました。
2022(令和4)年2月に蒐集した記念券です。桃色PJRてつどう地紋の周遊券サイズのもので、どことなくJRでかつて発行されていた青春18きっぷの「赤券」を思わせる様式です。
告知ポスターによれば、偶数月は赤券で奇数月は青券であるということで、この券を入手した2月は偶数月ですので赤券でした。
この券に各駅で下車した際に途中下車印が捺印され、乗車時に入鋏印が捺印されます。入鋏印は捺印するためのマス目がありますが、途中下車印を捺印するためのマス目はなく、捺印時に「どちらに捺しましょうか?」と聞かれましたので、駅名の上に捺していただきました。ただし、狭山市駅だけは駅名の上にスペースが無かったため、路線図の狭山市駅の隣に捺していただいています。
裏面です。あくまでも乗車券の効力が無いということが記載されています。
京成電鉄 京成船橋から京浜急行電鉄三浦海岸ゆき 片道三線連絡乗車券
1974(昭和49)年5月に、京成電鉄本線の京成船橋駅で発行された、京浜急行電鉄三浦海岸ゆきの片道三線連絡乗車券です。
黄色JPRてつどう地紋のB型相互式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
経由欄には「泉岳寺・北品川経由」と記載されております通り、乗車経路は、京成船橋~(京成電鉄本線)~青砥~(京成電鉄押上線)~押上~(東京都交通局浅草線)~泉岳寺~(京浜急行電鉄本線)~堀ノ内~(京浜急行電鉄久里浜線)~三浦海岸という、営業キロ95.4kmの道のりになります。
当時、このような長距離の連絡乗車券が常備券として設備されていた背景は不明ですが、潮干狩りやバーベキューで有名なふなばし三番瀬の最寄駅である京成船橋駅から、海釣りやバーベキューで有名な三浦海岸を結ぶ区間の乗車券としてどれだけの需要があったのかは疑問ですが、個人的には面白い区間の乗車券であると思っています。
小田急電鉄 小田原駅発行普通入場券
今から33年前の今日である、1989(平成元)年6月14日に小田急電鉄小田原線の小田原駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、井口印刷で調製されたものと思われます。
当時の小田急電鉄では各駅で硬券の普通入場券と初乗り区間の乗車券は常時発売しておりましたが、小田原駅がJRとの改札分離がされていなかった時代、同駅構内に精算窓口があり、そこでは小田急全区間について硬券乗車券での発売が行われていました。
裏面です。券番のほか、発行箇所名が記載されています。
大阪駅発行 ポートピア’81 往復割引乗車券
1981(昭和56)年3月に大阪駅で発行された、ポートピア’81往復割引乗車券です。
青色こくてつ地紋のD型大人・小児用往復券で、大阪印刷場で調製されたものです。
ポートピア’81は正式には「神戸ポートアイランド博覧会」という、神戸のポートアイランド地区で1981(昭和56)年3月20日から9月15日までの間に開催された博覧会で、御紹介の券は、大阪駅から会場へのアクセスである神戸新交通ポートアイランド線への乗換え駅である三ノ宮駅までの往復割引乗車券になります。
当時の大阪駅から三ノ宮駅までの国鉄の片道運賃は360円であり、発売額である560円は片道の2割引である280円(360円x0.8=288円の10円未満切り捨て)を2倍した金額になりますので、往復運賃の2割引ということになります。
裏面です。乗車変更や途中下車はできない旨の記載があります。
当時の国鉄が2割引にしてでもこのような往復割引乗車券を発売した背景には、大阪から三ノ宮までは阪急電鉄と阪神電鉄との競合区間でありますため、運賃を値引いて割安感を出したうえで往復分の運賃を予め収受することにより、復路についても旅客を国鉄に呼び込むことが目的であったものと推察されます。
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