趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
船橋法典駅発行 120円区間ゆき片道乗車券
1985(昭和60)年1月に武蔵野線の船橋法典駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
同駅は1978(昭和53)年に同線が新松戸駅~西船橋駅間が延伸開業した際に開業した駅で、駅名の由来は旧地名が法典(ほうでん)村であったことに由来すると思われますが、駅名は「ほうでん」ではなく「ほうてん」と読みます。
同駅は直営駅ではあるものの、利用客が少ないことから乗車券の発売券種は券売機で発売できる範疇に限られていたという特徴的な駅で、通常は券売機券しか発売されていませんでした。そのため、同駅の乗車券には発売制限があることを示す「◯ム」表示がありました。
しかし、同駅は中山競馬場の最寄り駅になっており、競馬開催日となると話は別で、駅構内な競馬場利用者でごった返し、利用客数は格段に変化します。そのため、同駅は改札口の数が駅の規模に合って居らず、競馬の開催されていない日は沢山の閉鎖された改札口が並んでいる光景が見られます。
このような例は府中本町駅でもみることができます。
そのため、競馬開催日には券売機だけでは乗車券の発売が追い付かず、硬券での臨時発売もおこなわれており、直営駅発売の乗車券でありながら「◯ム」表示という比較的少数派の硬券乗車券が発売されていました。
東武鉄道 新桐生駅発行 新桐生から61km以上 普通急行券
1989(平成元)年月に東武鉄道桐生線の新桐生駅で発行された、りょうもう号用の、同駅から61km以上用の普通急行券です。
黄褐色TRCとぶてつ地紋のA型大人専用券で、発行当日用の常備式券になります。印刷は同社の系列である足利印刷によって調製されたものと思われます。
当時の新桐生駅には料金券の発券端末がなく、硬券での発売が行われていました。そのため、発売の際には発券端末のある駅に電話で問い合わせてシステム上から座席を抜いてもらい、抜いた座席番号とその際の発券番号を控え、券に書き写す作業をしていました。
裏面です。本来であれば「券№」のところに発券端末で座席を抜いた際の発券番号を記入するのですが、必ずしも記入されていたわけではなく、特に直営駅では省略されてしまっていたように感じます。
現在では同社のりょうもう号は特急列車になっていますが、1999(平成11)年までは1800系車両が使用されており、200系および250系に代替されるまでは急行列車でしたので、りょうもう号用の料金券は「急行券」になっていました。
昭和駅発行 100円区間ゆき片道乗車券
1980(昭和55)年5月5日に鶴見線の昭和駅で発行された、同駅から100円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
同駅は1971(昭和46)年の無人化以降、駅での乗車券類の発売は券売機による発売のみで、昭和の時代には近隣の商店による乗車券の委託発売が行われていた時期もありましたが、現在は券売機も撤去され、一切の発売がありません。
御紹介の券は昭和55年5月5日で「5並び」の日であったことから国鉄が「記念用」として同駅で出張発売されたもので、発売日の数字がゾロ目で並ぶ日のきっぷが記念用に発売されてたということで新聞やテレビニュースで話題となりました。
当然ながら同駅には常備の乗車券は設備されていませんでしたから、当時の国鉄内部では、このような乗車券を発売することを企画して上層部局の許可を貰い、特別に印刷場で調製するということは大変な苦労があったものと想像できます。
恐らくその前の昭和44年4月4日では、日本はまだ経済発展の最中でこのような余裕はなかったのではないかと思われますが、そのようなものが発売されたということを聞いたことがありませんので、「元祖ソロ目きっぷ」であったと思われます。
その後、平成になって鉄道各社はゾロ目きっぷの発売をしていますが、我々世代にはこの「昭和55.-5.-5.昭和から100円区間」のきっぷに適うものはないと思えます。
前回エントリーの2022年2月22日に発行された東武鉄道の普通入場券を再掲します。
現在のきっぷの発売日の表記は西暦表示が一般的であり、本当のゾロ目きっぷは2222年2月2日まで待たねばならず、コレクションをすることは叶いません。
東武鉄道 川越市駅発行 普通入場券
ちょうど1年前の2022(令和4)年2月22日に、東武鉄道東上線の川越市駅で発行された普通入場券です。
黄褐色PJRてつどう地紋のA型券売機券で、現行の様式となります。
当日は2022年2月22日と「2並びの日」ということで話題になった日で、記念に乗車券や入場券を購入された方も多かったのでは無いかと思います。
ただ、最近のきっぷ類は発行日が西暦表示になり、最初の「20」が何となく邪魔な感じがします。
近畿日本鉄道 近畿日本奈良から大和西大寺ゆき 片道乗車券
1963(昭和38)年5月に近畿日本鉄道(近鉄)の近畿日本奈良(現・近鉄奈良)駅で発行された、大和西大寺ゆきの片道乗車券です。
緑色近鉄自社地紋のB型一般式大人・小児用券になっています。
この頃の近鉄の乗車券は一般式券が比較的多く採択されており、御紹介のような近距離券についても一般式券をよく見かけます。
裏面です。券番の他に発行窓口名が記載されています。
左下に小さく「38.4」と印刷されておりますが、これはこの券が印刷された時期を表しており、御紹介の券は昭和38年4月に印刷されたものということになります。
ですので、印刷されてから約1ヶ月で発売されたことになります。
青函航路 八甲田丸発行 連絡船用グリーン券
発行された年が不明ですが、かつて国鉄が運航しておりました青函航路の八甲田丸において、船内で発行された連絡船用グリーン券です。
たしか、昭和50年代後半に渡道した際のものだったと思います。
若草色こくてつ地紋の車急式券で、日付および便名を記入して発行する常備式券になっています。
青函航路の船内には旅行案内所があり、そこで国鉄全線の乗車券や急行券・料金類や、連絡船用のグリーン券や自動車航送券等を発売しており、そこで発売されていた硬券式の連絡船用グリーン券はよく見かけますが、車急式の連絡船用グリーン券はあまり見かけません。
以前御紹介いたしましたものを再掲いたしますが、思いで鉄道探検団管理人様より許可を受けて転載させていただきました、青函航路内にありました鉄道案内所の風景です。
御紹介の券は鉄道案内所で発行されたものではなく、グリーン船室の乗務員が携帯していたもので、グリーン船室の乗務員は出港後にグリーン券の検札をすることになっていましたので、その際にグリーン券を所持していない旅客に対して発売するために携帯していました。
ここでは、すでにグリーン券を所持している旅客に対しては検札した際に検札鋏で刻印をしますが、所持していない旅客に対しては車急式のグリーン券を発売し、その場で検札鋏で刻印していました。
左上に船の錨の刻印がされていますが、これが青函航路で使用されていた検札鋏です。
ちょっと拡大してみました。何となく船の錨であることがお分かりになるかと思います。
八甲田丸は青函航路の廃止時まで活躍した船舶で、現在でも青森さん橋に係留されており、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸として見ることができます。
JR東日本 葛西臨海公園駅発行 普通入場券
1989(平成元)年8月にJR東日本京葉線の葛西臨海公園駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
葛西臨海公園駅はJR東日本管内では漢字6文字の駅で、同社では文字数の多い駅の部類に入るため、乗車券類のような定型で、かつスペースに限りのあるものでは、駅名の活字には「特活」と呼ばれる特殊な活字を鋳造して印刷されていました。
小児断片の駅名も含め、かなり苦心したような出来映えです。
同駅は国鉄民営化後の1988(昭和63)年に、東京都江戸川区(東京23区)内に開業した駅ですが、開業当初は京葉線の東京駅~新木場駅間が開業していなかった関係で「飛び地」になっていた関係で特定都区市内制度における東京都区内の駅には属していませんでしたが、1990(平成2)年の京葉線の東京駅~新木場駅間が開業の際から東京都区内の駅に含まれています。
この時代にJR九州博多駅で発行された東京都区内ゆきの乗車券を拙ブログ2010年12月22日付「新木場駅と葛西臨海公園駅」で御紹介いたしておりますので、宜しければご覧下さい。
愛国駅発行 愛国駅観光記念 普通入場券
本日2月14日はバレンタインデーです。バレンタインデーは世界各地で「恋人たちの日」として祝われており、日本でも、女性が男性にチョコレートを贈る日として知られています。
バレンタインの由来は3世紀のローマにまでさかのぼり、ローマ皇帝・クラウディウス2世が、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で兵士たちの婚姻を禁止しておりましたが、その政策に反対し、隠れて多くの兵士たちを結婚させていたキリスト教司祭のバレンティヌスに因んでいます。
その噂はやがて皇帝の耳に入り、怒った皇帝は、ウァレンティヌスに二度とそのようなことがないように、またローマの宗教に改宗するように命令しました。しかし、ウァレンティヌスは愛の尊さを説きその命令に従わなかったため、西暦270年頃の2月14日に処刑されてしまいます。
後世の人々はヴァレンチノ司祭の勇気ある行動を讃え、彼を愛の守護聖神「聖バレンタイン」としてまつるようになり、ヴァレンチノ司祭が処刑された2月14日を「Saint Valentine’s Day(=聖バレンタインの日)」と呼び、お祈りをするようになったということです。
バレンタインデーのうんちくはこの辺までにしておいて、今回はバレンタインに因んだものを御紹介したいと思います。
1986(昭和61)年9月に、1987(昭和62)年2月に廃線となった広尾線愛国駅で発行された観光記念の普通入場券です。
左側にイラストのあるD型大人専用券で、札幌印刷場で調製されたものと思われます。発行駅は愛国駅になっていますが、この券は広尾線の起点駅にあたります帯広駅で購入したものです。
当時、国鉄では入場券ブームにあやかって、増収策として各地で観光記念入場券が乱発されていましたが、この券もそのなかの一つになります。
裏面です。券番の他に「コメント」が印刷されています。
この券が発券された年の6月に新たに釧路鉄道管理局が発行したようですが、2~3ヶ月の間に500枚を超しており、まずまずの売上のように見えますが、当時は釧路局管内のみどりの窓口では大抵発売されておりましたので、駅ごとに割り当てされており、帯広駅だけで500枚以上が発売されたのではないため、実際にどのくらいの枚数が発売されたのかは分かりませんが、おそらく帯広駅と釧路駅がツートップだったのでは無いかと思います。
「コメント」部分を拡大してみました。
> サァー愛の国への旅立ちです。
と、いかにも当時の国鉄の企画担当職員が考え出しそうな出だしで始まります。
小湊鉄道 ◯ム 月崎駅発行 普通入場券
2014(平成26)年11月に小湊鉄道の月崎駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人専用券です。
同駅は1960年代末期頃に無人化され、以後は乗車券類の発売が行われていませんでしたが、この券が発売された8月に駅前商店(ヤマザキショップ)にて乗車券の委託発売が開始され、御紹介の入場券の他、自社線内完結の乗車券が硬券で発売されています。
本来無人駅ですので普通入場券を発売する必要はないですが、恐らくコレクター向けに設備されているものと思われ、「◯ム」表示の券になっています。
同社には入場料金の小児料金の設定もありますが、同駅には設備されなかったようです。
裏面です。券番のほかに発行駅名が印刷されています。同駅は簡易委託駅になりますので、「◯簡」の符号が付けられています。
◯二 上野駅発行 大宮から一ノ関・盛岡間までの新幹線自由席特急券
1982(昭和57)年8月に、◯二 上野駅で発行された、大宮から一ノ関・北上・盛岡までの新幹線自由席特急券です。
桃色こくてつ地紋の車急式券で、日付を予めゴム印で表示するタイプの券になっています。
この券は東北新幹線が同年6月に暫定開業して最初のお盆休みの初日に発行されたもので、国鉄が東北新幹線が開業した初のお盆休みの混雑による大宮駅の混乱の対策用として、臨時発売用の車急式の新幹線自由席特急券を作成し、日本観光旅行社(現・ジェイアールバステック)に委託発売させたもので、上野駅の新幹線リレー号のホームで臨時発売されたものです。
その後、年末年始等の混雑時にも発売されたものと思われますが、そのときにも発売されていたかどうかは確認しておりませんが、新幹線リレー号が運転されていた時代は継続的に発売されていた可能性があります。
まだ硬券の新幹線自由席特急券が存在していた頃のもので、当時は実使用したあとコレクション用として硬券の特急券のほうが人気が高かったからでしょうか、現在でも残されている車急式の特急券はあまり見かけません。
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