上田電鉄 往復フリーきっぷの地紋

上田電鉄の往復フリーきっぷです。記念乗車券のような様式で別所温泉付近の観光名所が描かれています。




 



別所線全線に乗車することのできるフリー乗車券で、運賃は1,140円と往復の正規運賃と同額ですが、2日間有効で、さらに途中下車ができるようになっています。


ただし、上田駅で下車すると無効になります。その旨は裏面に記載されています。


  



運賃的には割安感はありませんが、途中下車をする予定であれば、多少のお得感がでることでしょう。



乗車券部分です。




  



大変シンプルな様式で、定期券用の日付印を捺印して発行されるところに好感が持てます。



日本交通印刷で印刷されたと思われる地紋ですが、地紋を拡大して見ると、意外な発見があります。



  



拡大してみました。



日本交通印刷の地紋は15年くらい前から「JBRじどうしゃてつどう」の新地紋に切り替えられていますが、これは切替前の「TTDてつどうTETUDO」地紋となっています。



上田交通時代の残券ならわからないでもありませんが、なぜ、上田電鉄になってからの新券であるにもかかわらず、旧地紋が使用されているのでしょうか?

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坂元駅発行 仙台・東北新幹線経由、東京都区内ゆき乗車券

昭和62年7月に常磐線坂元駅で発行された、仙台・東北新幹線経由の東京都区内ゆき乗車券です。



  



坂元駅は東北本線岩沼駅から5駅目で21.9kmのところにありますが、特急停車駅ではなく、常磐線の特急列車で東京方面へ行くには相馬駅で乗り換える必要があったことから、仙台を経由して東北新幹線を利用する需要が多かったものと思われます。



ルートは、坂元~(常磐線)~岩沼~(東北本線)~仙台~(東北新幹線【東北本線】)~東京都区内というルートで、岩沼駅仙台駅間は重複乗車のように思われますが、同区間の東北本線と東北新幹線は別線扱いとなるため、片道の乗車券となります。



国鉄時代に設備された券ですが、発行日からするとJR東日本に民営化された後に発行されており、旧券がそのまま引き継がれています。


東海道新幹線経由のものとは違い、東北新幹線はJR東日本に継承されており、JR化後も旧券がそのまま使用できたものと思われます。

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南田辺駅発行 天王寺接続、南海線90円区間ゆき乗車券

昭和60年2月に阪和線南田辺駅で発行された、天王寺駅乗換の南海線ゆき連絡乗車券です。


  


かつて、天王寺駅には南海電気鉄道の天王寺支線という路線が存在していましたが、末期に南海本線と繋がっていた天下茶屋駅~今池町駅間が部分廃止されると南海本線と接続のない孤立した路線となり、その後平成5年の4月に廃止されてしまっています。

この券は、廃止された天王寺支線への連絡乗車券として設備されていたものです。


券を見ると判りますが、当時同区間には連絡割引制度が設定されていたようで、「割引190円」となっています。


東京印刷場の硬券の場合、連絡割引用の乗車券はA型券となっていますが、大阪印刷場の場合は通常の連絡乗車券同様B型券となっています。

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同和鉱業小坂鉄道 往復乗車券

昭和62年9月に同和鉱業小坂鉄道の大館駅で発行された、茂内駅ゆきの往復乗車券です。



  


2等表記の古い券で、等級制度のあった昭和44年以前に設備されたと推測されますので、少なくとも18年以上前のものとなります。


B型の券で、数字を除くすべての活字が明朝体となっており、少々頼りない感じのレイアウトです。

また、右上には編綴用の穴があけられていることから、元々片道券用であった券紙が流用された可能性があります。



裏面です。

18年以上の間相当発売実績がなかったようで、券番はまだ0047番です。


券箱に刺さっていた焼け跡がくっきりと残り、また、売上計算の際につけた赤鉛筆のチェック線が幾つもひかれ、かなり長い間売れる日を待っていた券であったようです。

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伊豆箱根鉄道発行 東海道新幹線特急券

平成4年7月に伊豆箱根鉄道修善寺駅で発行された、JR東海、東海道新幹線の三島⇒京都間の自由席特急券です。

 

   

 

一見するとJR東海の駅で発行された硬券の特急券のように見えますが、発行駅名が「修善寺駅」となっていることから、伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅で発行されたことがわかります。

 

   

 

裏面です。

無効印が重なって見づらいですが、裏面には「(伊豆箱根鉄道)」と発行事業者名が記載されています。

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士幌線 バス代行区間の乗車券 (~その2)

前回に引き続き、士幌線のバス代行区間の乗車券の話題です。

 

   

 

糠平駅を出発したバスは、途中の幌加駅を経て、終着の十勝三股駅に到着します。代行バスは駅前の待合所に停車し、ここで折り返しとなります。

 

   

 

待合所から見た、十勝三股駅の駅舎です。出入口と窓は板で塞がれ、もう絶対に再開されないようなオーラが漂ってきます。

 

   

 

ホームの駅名票も朽ち果て、今にも倒れてしまいそうです。

訪問したのが昭和61年9月でしたので、運転休止から実に8年が経過しており、逆によくここまで残っていたものだと感心させられます。

 

さて、ここまで来ると、帰りの乗車券が気になります。

 

帰りの乗車券は、代行バスの中でドライバーさんが発売していました。

 

   

   

 

十勝三股駅⇔糠平駅間用の乗車券です。

簡易委託用の相互式券で、発行箇所名は「〇簡 十勝三股駅」となっています。券はドライバーさんが輪ゴムで束ねて保管しており、バスのダッシュボードに固定されていたダッチングマシーンで日付を印字して発売されます。

 

この券は、発行箇所は十勝三股駅となっていますが、通用区間の表示は「〇ム 糠平⇔十勝三股」と、なぜか糠平駅が左側に表記されているところが特徴です。

他に幌加駅ゆきの券も大人用と小児用が設備されており、その他の区間の券はなく、糠平以南へ行く旅客は車内もしくは着駅で精算をしていました。

 

士幌線は、他にも勾配の途中にある黒石平駅(無人駅)という駅があり、上り勾配となる上り列車は同駅を通過して隣にある電力前仮乗降場に停車し、下り列車は仮乗降場を通過して黒石平駅に停車するという特殊な運転もしており、趣味的には大変興味深い路線でした。

しかし、営業係数が1,497と芳しくなく、特に糠平駅~十勝三股駅間だけを見ると22,500という数値となっており、JR化を迎える直前の昭和62年3月25日に廃止されてしまっています。

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士幌線 バス代行区間の乗車券 (~その1)

JR化寸前の昭和62年3月、士幌線(帯広駅~十勝三股駅間)が廃止されました。


この路線の特徴はいくつかありますが、きっぷの世界ではなんと言っても糠平駅~十勝三股駅間のバス代行区間でしょう。


これは、同区間が過疎化のために大変利用客が少なく、末期には1日の乗客平均が6名という状況にあり、当時の国鉄は昭和53年12月に「部分運休」とし、代行バスを運行させました。しかし、運賃は鉄道の運賃を適用したため、通常の運賃計算が適用されています。



   



当時の列車についていたサボです。大変不鮮明で申し訳ないのですが、訪問した際にオートフォーカスのカメラで撮影した写真を掲載します。目を凝らして見ますと、「帯広十勝三股」の下に、「(糠平~十勝三股間 国鉄代行バス)」と書かれています。



   



糠平駅に列車が到着すると、ここで列車を降り、駅前から発車する代行バスに乗り換えです。



   



糠平駅に到着している代行バスです。


地元の「上士幌タクシー」というタクシー会社が運行を委託されていました。


訪問したときは夏休みでしたので観光客が多く、写真のようなマイクロバスによる運行でしたが、日によっては乗客数に応じてワンボックスカーや乗用車型のタクシー車両が使用されたと言います。



   



昭和61年9月に糠平駅で発行された、十勝三股駅ゆきの片道乗車券です。


帯広方面の萩ヶ岡駅と同運賃帯であったため、矢印式券として設備されていました。これを見る限り、同区間が通常の鉄道運賃で計算されていたことがわかります。

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45年前の乗車券

今からちょうど45年前の昭和41年4月14日に尾久駅で発行された、硬券式補充片道乗車券の廃札券を使用した、20円区間ゆきの乗車券です。



   



当時、3月に設備廃止となって廃札になった硬券式の補充片道乗車券を再利用すべく、「国鉄線20円区間」のゴム印を捺印して発売されました。


補充券として使用されなくなった券は、本来「報告片」として旅客の手には渡らなかった部分も付いたまま、D型券の状態で使用されました。



このような状態で見ますと、報告片は大変小さく、複雑な経路で発売された場合、経由欄に記入するのは至難であったことが想像されます。


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名古屋鉄道 硬券式補充片道乗車券

昭和57年8月に名古屋鉄道犬山線の岩倉駅で発行された、国鉄飯田線早瀬駅ゆきの片道乗車券です。



   



名鉄名古屋本線の終点であり、国鉄飯田線の基点でもある豊橋駅で接続するオーソドックスなルートの券ではありますが、あまり需要のある区間ではないため、常備券の設備はなく、補充券での発行となっています。



当時の名鉄では大手私鉄としては珍しく昭和50年代後半になっても補充券が硬券で残っておりました。


国鉄では昭和40年代前半に軟券式となってしまい、各私鉄は国鉄の例に倣って補充片道乗車券を軟券化していきましたが、南海電気鉄道と並んで、大手私鉄としては比較的近年まで硬券式が使用されています。

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沼尻鉄道 会津樋ノ口から荻窪ゆき乗車券

昭和33年2月に沼尻鉄道会津樋ノ口駅で発行された、荻窪駅ゆきの片道乗車券です。

 

   

 

沼尻鉄道は磐越西線川桁駅から沼尻駅間15.6kmを結ぶ軽便鉄道でしたが、昭和39年に日本硫黄観光鉄道に改称され、晩年は磐梯急行電鉄という会社に再度改称されましたが、昭和44年3月に廃線となっています。

 

桃色私鉄地紋のB型券で、「通用発売日共1日」という表現が独特です。

 

着駅の荻窪駅は川桁駅から5駅目の無人駅で、中央本線の荻窪駅ではありません。無人駅であるため、同駅発の硬券乗車券は未見ですので、存在しなかったと思われます。

 

同社の硬券はそこそこ残されているようですが、日付をダッチングで印字されているものも見たことがありますが、ゴム印で捺印されているものの方が多く残されており、早いうちからダッチングが使用されていなかったのかもしれません。

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