京王帝都電鉄 新宿高速バスセンター発行 新宿からハイランドゆき 片道乗車券

1977(昭和52)年2月に、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)新宿高速バスセンターで発行された、中央高速バス新宿~富士五湖線の新宿からハイランドまでの片道乗車券です。


   

青色けいおうていと自社地紋のA型矢印式大人専用券となっています。
この券が発行された当時は中央高速バスの座席管理システムは稼働していませんでしたので、座席の管理は台帳管理か、それに近いやり方で行われていたものと思われます。
ハイランド(富士急ハイランド最寄停留所)・富士吉田(現・富士山駅最寄停留所)・河口湖が着駅で、どこで下車しても運賃が同額であることから、着駅に◯印をつけて発行されていました。
座席指定欄の号車番号は車両が複数台連なって走る便の場合には2号車や3号車が存在しますが、通常バス1台での運行の場合は1号車になります。


   

裏面です。券番と発行箇所名の他、注意書きが記載されています。


新宿高速バスセンターは「新宿高速バスターミナル」というのが正式名称のようで、新宿駅西口のヨドバシカメラ本店前に1971(昭和46)年4月に開設され、新宿西口の路線バスターミナルの一部として「50番のりば」を名乗っていました。スペースは大変狭く、晩年は次から次へとバスが発着して輻輳しておりましたが、開設当初はバスの本数は少なく、充分なスペースが確保されていたものと思われます。
しかしながら、晩年はスバルビル前にある26番のりばも使用して乗場の拡張をしながら運用されていましたが、2016(平成28)年4月に甲州街道にバスタ新宿が開業すると定期路線はすべてバスタ新宿発着となり、数本の臨時便の発着のみが行われていましたが、1ヶ月後のゴールデンウイークの臨時便の発着を最後に、バスターミナルの運用は終了しており、現在跡地は建物はそのままにヨドバシカメラになっています。

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JR北海道 ◯簡 石狩沼田駅発行 増毛から桑園ゆき 片道乗車券

2015(平成27)年10月にJR北海道留萌本線の◯簡 石狩沼田駅で発行された、同じく留萌本線の増毛駅から函館本線の桑園駅ゆきの片道乗車券です。


   

若草色JR北地紋の出札用特別補充券で発行されています。
同駅では同駅発となる乗車券が数口座設備されておりますが、それ以外の乗車券については補充券での対応になっています。

本当はそのまま東京都区内までの区間を購入したかったのですが、同駅で発行できる乗車券はJR北海道旅客鉄道会社線完結のものに限るとされておりましたため、増毛駅から札幌駅まで乗車する分についてのみ購入しました。乗車予定区間は札幌駅までで、札幌駅から先については札幌駅で購入することといたしましたが、補充券については着駅の札幌駅で回収されてしまうため、運賃が同じ1駅先の桑園駅まで購入し、途中下車をすることによって手元に残すことができました。

御紹介の券は册番0086の冊子の中の1番券でした。

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いすみ鐵道 車内発行整理券

平成10年代のいすみ鐵道車内で発行された、大多喜駅乗車分の整理券です。


   

白色無地紋の整理券用普通ロール紙を使用したもので、印版式の旧様式になります。

現在、同社では整理券は感熱式券が使用されておりますが、開業時には印版式の券が使用されていました。機器は現在と同様に路線バスで使用されているものと同じもので、停留所番号が印字されるところに駅名が印字されています。

   

裏面です。裏面には「整理券」および「いすみ鐵道」の印字は無く、駅名の印は表面と天地逆に印字されています。


バスの整理券もそうですが、保存環境が良くないのでしょうか、整理券の駅名(数字)部分の印字は、時間が経つとなぜか印字が滲んで来ます。

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博多駅発行 「ながさき」号B寝台券

1984(昭和69)年1月に鹿児島本線博多駅で発行された、門司港駅から長崎駅までの普通列車「ながさき」号のB寝台券です。


   

若草色こくてつ地紋のD型券で、門司印刷場で調製されたものです。
当時、普通列車に寝台車を連結している列車は数少なかったため、記入式ではありますが、硬券による専用のB寝台券を発行している駅は多くなかったと思います。
この券は博多駅の中央口の出札窓口で発行されたものです。
博多駅では、ながさき号の寝台券は通常は硬券では発行していませんが、同駅を発車する時刻がマルスシステムが稼働していない深夜の1:02発となっておりましたため、深夜帯に発券できるように硬券が用意されていたものと思われます。


   

裏面です。券番の他、発行箇所名が記載されています。


普通列車「ながさき」号は、珍しい列車名が付けられた普通列車で、22:40に門司港駅を発車し、途中の早岐駅で長崎行と佐世保行に分割され、長崎には翌日の6:40に、佐世保には4:48に到着する夜行列車です。
主要な停車駅は、門司22:48、小倉23:22、折尾23:50、遠賀川・海老津間で翌日になり、博多1:02、鳥栖1:51、佐賀2:23、肥前山口(現・江北)2:56、武雄温泉3:19、早岐4:18、諫早5:43、長崎6:40着となり、早岐から佐世保方面への列車は早岐発4:33、佐世保4:48となっていました。

当時、列車名の付いている普通列車は紀勢本線の天王寺駅~亀山駅間を走る列車にもう一例「はやたま」号があるくらいで、大変希少な存在でした。
普通列車に列車名が付けられていた理由は、「ながさき」「はやたま」のどちらにも寝台車両が連結されており、マルスシステムに座席指定情報を入れる際に列車名から検索する必要があることから、列車名が付けられたと聞いたことがあります。そのため、マルスシステムに収納される以前は、「ながさき」号が下り1421レ・上り1420レ、「はやたま」号が下り921レ・上り924レという感じで寝台券が発行されていました。


列車は長崎方より、長崎編成がマニ36+マニ36+オユ11+オハネフ12+ナハフ11+オハ46+オハ46+スハフ42、佐世保編成がオハ47+スハフ42となっており、寝台車両は長崎編成のオユ11の次位に連結されていました。この組成を見ればわかりますが、この列車には新聞や郵便などの荷物を輸送する役割が大きな列車であり、全編成10両のうち、3両は事業用車両が連結されています。

西九州新幹線が開通してほぼ一ヶ月になりますが、現在では博多駅から長崎駅までの新幹線最速で1時間20分となっており、いくら普通列車とはいえ、博多から5時間38分という、大変のんびりとした寝台列車が運転されていたというのは隔世の感があります。


御紹介の券は日中に購入しておりますので、本来はマルスシステムで発券されるものになりますが、購入の際に硬券での発券をお願いいたしましたところ、二つ返事で発券していただけました。
ただし、発券する際にはマルス端末で座席(寝台)情報を抜く必要があるため、「ゼロ円」券にて寝台指定券を発券して寝台を1席抜き、それを転記する方法で発券されました。


   

こちらが寝台を抜いた際のゼロ円券です。窓口氏が「これもあげようか?」と言う感じで言われたので、「ぜひ」と戴いてきた次第です。


   

マルス券の裏面です。当時は何の変哲も無いマルス券ではありますが、今となっては様式・内容共に貴重なコレクションになっています。

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秋葉原駅発行 東京山手線内から川原湯・長野原・羽根尾間ゆき 片道乗車券

1982(昭和57)年7月に東北本線秋葉原駅で発行された、東京山手線内から川原湯・長野原・羽根尾間ゆきの片道乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
着駅は吾妻線の川原湯(現・川原湯温泉)駅から羽根尾駅間で、長野原駅は現在の長野原草津口駅になります。

右上にあります「(47)」という数字は東京印刷場が採用しておりましたパターン方式のパターン番号で、発行駅のみ差し替えとして印刷時の手間を削減させるためのもので、発駅が東京山手線内や東京都区内といったこの区間を発着する運賃の特例のある特定都区市内をに存在する駅数が多いという、同印刷場特有の事情があったものと思われます。
パターン方式には決まりがあり、東京駅から101km以上の東京山手線内発の乗車券(山片)はパターン番号(1)~(76)、東京駅から201km以上の東京都区内発の乗車券(区片)はパターン番号(201)~(768)、横浜駅から201km以上の横浜市内 川崎・鶴見線内発の乗車券(浜片)はパターン番号(801)から(1001)となっており、下車制限や発行駅名は裏面に印刷することになっています。


   

裏面です。券番の他、下車制限である「東京山手線内各駅([ロ山]表示駅)途中下車禁止」および発行駅である「秋葉原 駅発行」の記載は裏面にあります。

最遠着駅である羽根尾駅は、吾妻線が延伸された1971(昭和46)年に嬬恋村の主要農産物であるキャベツを運ぶ貨物列車の拠点となるべく荷役施設が建設されていますが、トラック輸送とコスト面でそれほど大差ないことがわかると、トラックの利便性の良さから鉄道によるキャベツ輸送は衰退し、荷役施設はほとんど機能することなく終わってしまっています。
その後、吾妻線の貨物輸送が1982(昭和57)年に終了すると、貨物ヤードには125メートル級の貨物用ホームが4本のこされていましたが、平成20年頃に荷役施設が解体されて側線の一部が撤去され、平成30年頃には残りの側線がすべて撤去されてしまっています。

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東京駅発行 東京から1000kmまで 急行券

1966(昭和41)年6月に東京駅で発行された、東京から1000kmまでの急行券です。


   

青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

現在ではJR旅客鉄道線で運転されていた急行列車の定期運用はなく、たまに臨時列車として運転されることがありますが、かつては特急列車よりも急行列車の方が運転本数が多く、一般庶民にとっては高価なエアコンやリクライニングシートのある特急列車よりも、たとえエアコンが無くても、ボックスシートであっても、普通列車よりも速く目的地に到達する急行列車は人気でした。

御紹介の券は東京駅から1000kmまでの区間に有効な急行券で、1000kmと言いますと、東京駅から最遠の急停車駅で徳山駅まで行けるものになります。
ただし、昭和41年の2等急行料金は、100kmまでが100円、200kmまでが200円、400kmまでが300円となり、次にいきなり1000kmまでが400円、1001km以上が500円となっていますので、1000kmまでと言っても401km以上が対象になりますので、着駅の範囲は大垣から徳山間と広範囲に亘ります。

もし本当に徳山まで乗車するとしたら、たとえば1966年当時、東京駅を午前11時10分に出発する急行「桜島」号がありましたので、この列車に乗車すれば、徳山駅には翌朝の3時43分に到着することになるという16時間33分の強行軍になります。
おそらく、お尻が痛くなり、座り疲れることでしょう。

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東武鉄道 大師前から100円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで東武鉄道大師線の大師前から150円区間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたが、今回は硬券時代の100円区間ゆき片道乗車券を御紹介いたしましょう。


   

1985(昭和60)年1月に発行された、大師前駅から100円区間ゆきの片道乗車券です。橙色東武鉄道自社地紋のB型金額式大人専用券で、足利印刷で調製されたものと思われます。

この券は正月三が日などの西新井大師参詣客の多客時に、西新井駅の構内出札所では大量の旅客を捌ききれないことから、大師前駅構内にある臨時窓口で発売されていたもので、この時期については同駅から乗車券を購入のうえで電車に乗車することになっていました。
改札ラッチには係員が居ましたが、乗車券のチェックをするだけで、入鋏は入れられませんでした。


   

裏面です。発行駅名が「大師前駅発行」となっています。

かつては初詣などの多客時にはこのような臨時発売の乗車券が発売されておりましたが、現在はPASMOやSuicaなどのIC乗車券が主流となり、乗車券を購入する旅客が減少したこともあり、多客時であっても、同駅での臨時窓口は開設されていないようです。

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東武鉄道 大師前から150円区間ゆき 片道乗車券

2022(令和4)年8月に東武鉄道大師線の大師前から150円区間ゆきの片道乗車券です。


   

橙色PJRてつどう地紋のA型金額式券売機券となっています。
大師前駅は伊勢崎線(スカイツリーライン)の西新井駅から1駅だけ伸びている大師線の終着駅で、西新井大師(総持寺)の参詣客のために開設された駅です。

この路線は2両編成のワンマン電車1編成が往来している路線で、終着駅の大師前駅は無人駅となっており、同駅から乗車する旅客は、同駅からは無札状態で乗車し、西新井駅の構内にある、伊勢崎線との乗換口にある中間改札付近にある出札所の券売機で乗車券を購入するようになっています。

このような方式は同駅の他にJR西日本和田岬線の和田岬駅や、名古屋鉄道築港線の東名古屋港駅にもあり、それらの駅同様、西新井駅から先へ行く旅客は乗り換え時に行先までの乗車券を購入して自動改札を通過することになりますが、西新井駅で下車する旅客については、同駅までの乗車券を購入して自動改札を通過した後、約10メートル程度歩いたところにある西新井駅の出口で乗車券を回収されることになります。

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東京駅発行 鉄道100年記念乗車券

本日、10月14日は鉄道の日です。これは旧暦の1872(明治5)年9月12日(新暦の1872年10月14日)に新橋(汐留)~横浜(東横浜。現・桜木町駅周辺)間に鉄道が開業したことと、1921(大正10)年10月14日に鉄道開業50周年を記念して東京駅丸の内北口に初代の鉄道博物館が開館したことを記念して、翌年の1922(大正11)年に当時の鉄道省が制定した「鉄道記念日」に因みます。
今年は鉄道開業150周年ということで、全国的に記念のイベントが開かれていますので、目にする機会も多いかと思います。

今回は鉄道開業150周年に因み、ちょうど50年前の鉄道開業100年の際に国鉄東京南鉄道管理局が発行した記念乗車券を御紹介いたしましょう。


   

今からちょうど50年前の1972(昭和47)年10月14日、東京駅で発行された鉄道100年記念乗車券です。しおり型の記念券に、桃色こくてつ地紋のA型矢印式大人・小児用券が付いています。
乗車券は新橋(汐留)から横浜(東横浜・桜木町)を経由して品川に戻るルートで、当時の運賃ですと、新橋~桜木町間が営業キロ28.9kmの120円、桜木町~品川間が営業キロ24kmで100円ですので、往路分と復路分を合計した220円が発売価格になる、有効期間が発売日共2日間の連続乗車券に相当するものと思われます。


   

乗車券部分を見ますと、発駅である新橋駅は開業時の場所が汐留駅(廃駅)にあたることから「(汐留)」と記載され、折り返し駅である横浜駅は開業時の場所が東横浜駅(廃駅。現在の桜木町駅に相当)にあたることから「(東横浜)」と記載されているものと思われます。
実際に当時、同区間を蒸気機関車のC57が牽引する臨時の旅客列車である「鉄道100年記念号」が運転されており、記念バッチが別途必要ではありましたが、その列車に乗車する際の乗車券としても使用されたようです。


   

裏面です。案内文によりますと、東横浜(桜木町)駅以外では途中下車はできないとのことで、この辺も連続乗車券のルールに則っているようです。

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鶴見小野駅発行 横浜接続 南太田ゆき 片道連絡乗車券

1957(昭和32)年7月に、鶴見線の鶴見小野駅で発行された、横浜接続京浜急行電鉄(京急電鉄)南太田ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型矢印式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

発駅の鶴見小野駅は鶴見臨港鉄道の工業学校前という旅客営業のみの停留場として開業し、戦時中の1943(昭和18)年に同線が国有化されて鶴見線になった際に駅に昇格し、同時に鶴見小野駅に改称されています。この時すでに中央線本線に小野駅が存在したことから、小野駅と区別するために「鶴見」が頭に付けられたと言われています。
国有化後の1971(昭和46)年に鶴見線内の各駅が一斉に無人化され、同駅もそのときに無人駅になっています。

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