趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
心よりお見舞い申し上げます
4月14日21時26分に発生した震度7の地震を始めとする「平成28年熊本地震」は、日々状況が知れるにつれて想像を絶するほどの惨状が判明し、どのように申し上げれば良いのかわからないほどでございます。
多くの読者の皆様、ご家族、ご友人がさまざまな困難に直面されておられることを察しますと、大変胸の痛い思いであり、一刻も早く震災前の生活に戻ることができますよう、祈念致す次第です。
心よりお見舞い申し上げますとともに、御被災者様のご無事と、一刻も早い復興を祈念いたします。
なお、このような時期において、悠長にブログを更新するのもどうかと思い、小ブログは御被災地の状況が落ち着くまでのしばらくの間、定期的な更新を自粛させていただくことと致しました。
御被災地が少しでも落ち着いて、笑顔が戻って来るころには再開したいと思います。
何卒御理解賜りますよう、よろしくお願いいたします。
古紙蒐集雑記帖管理人 isaburou_shinpei
清水駅発行 三保ゆき片道乗車券
昭和57年3月に東海道本線清水駅で発行された、清水港線三保ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
この頃はすでに高性能の券売機が登場していましたが、清水駅の窓口には硬券の設備も健在で、券売機に誘導されることなく購入することができました。
当時の清水駅は東海道本線のほか、かつて東海道本線の支線であった清水港線が乗り入れている駅となっていました。
最盛期には1日数往復の旅客列車が運転されていたようですが、末期には旅客列車は通学用に朝に清水発の下り列車が8時10分発1本、夕方に三保発16時14分の上り列車が1本の1日1往復しか運転されていない、日本一旅客列車の運行本数の少ない路線であり、決して需要のある路線ではありませんでしたが、そのような区間の乗車券を敢えて金額式としないで一般式で設備していた理由は、当時の国鉄静岡鉄道管理局が、旅客収入を東海道本線と明確にすることで、旅客の需要動向を調査していたのかもしれません。
清水港線はもともと東海道本線の貨物支線という経緯があったからでしょうか、東海道本線のホームの先端から、職員通路のような踏切通路を渡って乗車ホームに行く構造になっており、末期にはDE10形機関車が牽引する雑型客車の列車が運転されていました。途中には清水港(しみずみなと)・清水埠頭・巴川口・折戸という駅がありましたが、清水港駅が貨物駅でその他の駅は旅客扱いをしていましたが、無人駅である折戸駅以外の駅は貨物輸送がメインの駅で、旅客扱いの駅員は配置されておらず、線内の乗車券を発売している駅は終点の三保駅だけでした。
清水港線は国鉄再建法の第1次特定交通線に指定され、この券が発行された2週間後の4月1日に廃線になってしまっています。
秩父鉄道 三峰ロープウェイ三峰山頂駅発行 普通入場券
前回エントリーで三峰ロープウェイ大輪駅の普通入場券を御紹介いたしましたが、同索道線のもうひとつの駅である三峰山頂駅でも普通入場券の発売がありましたので御紹介いたします。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、大輪駅のものと同じ山口証券印刷で調製されたものです。
ロープウェイの駅というものは周囲に住民が住んでいるものではなく、殆どの場合において送迎のために入場券を購入する需要は皆無に等しく、大抵の事業者では普通入場券の発売は行われておりませんが、同社ではなぜか山麓の大輪駅と山頂の三峰山頂駅の双方で普通入場券の発売が行われていました。
発売実績は殆どなかったようですが、これらを求める旅客の殆どは「旅の記念」、もしくは私どものようなコレクションのためというのが理由であったものと思われます。
ロープウェイの駅で一般の旅行客が「旅の記念」として入場券を買い求めることは稀であったと思われ、たとえそうであっても山麓駅と山頂駅の双方で入場券を求めることは考えづらく、その殆どはコレクション目的の発売であったものと思われます。
ちなみに、今回御紹介の券は、翌日から営業休止となる5月18日に乗車した際、1年後の再開時には硬券の設備がなくなってしまうのではないかと思って購入したものでしたが、まさか再開されることなく廃止されてしまうとは思ってもおりませんでした。
秩父鉄道 三峰ロープウェイ大輪駅発行 普通入場券
平成18年5月に秩父鉄道がかつて運営していた三峰ロープウェイ大輪駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、同社本線系統と同じ山口証券印刷で調製された様式となっています。
全国には様々なロープウェイが存在しますが、観光鉄道的な要素が多いからでしょうか、「雑収入」計上しなければならない入場券を発売している事業者が少ない中、同社で運営していた三峰ロープウェイと系列会社である宝登興業が運営する宝登山ロープウェイでは硬券の普通入場券を発売していました。
三峰ロープウェイは大輪駅と三峰山頂駅を結ぶ営業キロ1.9kmの索道線でしたが、施設の老朽化による金属疲労が発見され、この券が発売された翌日の5月19日から約1年間の運休を予定して施設の改修を行うことになっていましたが、改修工事に取り掛かると老朽化が予想以上に進行しており、予想以上に多額の投資が必要なことと、再開しても黒字化が見込まれず、会社の存続問題にも関わることから、営業再開されることなく同年12月を以って廃止されてしまっています。
改修による休止中は代替バスを運行していましたが、路線廃止となると代替バスの運行も終了し、現在では西武観光バス(西武バスの秩父地区会社)によるバスが運行されています。
能勢電鉄 車内用乗車券
昭和56年12月に能勢電鉄妙見線電車車内で発行された、車内用乗車券です。
緑色能勢電鉄自社地紋の駅名式で、概算鋏で穴あけして発券されます。
この券が発券される4年前に日生線が開業していますが、分岐駅である山下駅の脇ではなく、妙見線の終着駅である妙見口駅の横に日生中央駅が表記されています。
また逆に、この券が発券された月には妙見線の川西能勢口駅~川西国鉄前駅間が廃止されてしまっています。
現在の始発駅であり、阪急電車との連絡駅でもある川西能勢口駅はこの当時は途中駅で、ここから約0.6km程度の線路が伸びており、当時の始発駅である川西国鉄前駅という駅がありました。
同駅は国鉄福知山線の川西池田駅に近い場所にありましたが、列車は朝7時台に3本(休日は2本)と夕方17時台と18時台に1本づつしか運転されていなかったことと、阪急宝塚線のガード下を潜る地点の線路が急なS字カーブを描いていて大型の電車が入線できなかったため、専用の路面電車のような51型という小型電車の単行運転であったことが災いし廃止されてしまっています。
(51形電車 / 能勢電鉄所蔵写真より)
かつて沿線の鉱泉を利用して製造された「三ツ矢サイダー」の貨物輸送があった時代、同駅で国鉄の貨車に積み替えて発送されており、業績があまり思わしくなかった能勢電鉄(当時は能勢電気軌道)にとって、多大な収入源であったようです。
黒部峡谷鉄道 整理券
平成12年8月に黒部峡谷鉄道宇奈月駅で発行された整理券です。
緑色無地紋の千切り式券で、同駅の発時刻および乗車車両の指定が予め印刷されています。
この券は乗車券を購入もしくは前売乗車券を持ってチェックインした際、乗車車両を予め指定し、旅客は指定された車両に乗車するようになります。これは、同鉄道の旅客列車は車両指定の定員乗車制となっているためのものです。
乗車駅によって券の色が異なっており、欅平駅では桃色の券が発行されていました。
特に確認はしておりませんが、この券は発時刻分すべてが用意されているものと思われ、前売乗車券を所持する旅客にたいしても必要もしくは確認することから、券の在庫で列車の乗車状況を確認し、手持ちの券すべてを発券し終わった時点で「満席」を案内する、至ってマニュアルチックなシステムになっていました。
現在は乗車券類の硬券をすべて廃止して機械発券となっていますので、このような定員管理は行われていないものと思われます。
ジェイ・アール北海道バス セット回数乗車券
ジェイ・アール北海道バスの深川営業所で購入した、セット回数乗車券です。
100円券x5枚・50円券x10枚・20円券x5枚がセットになった「金券式」回数乗車券で、1冊1,000円也というものです。
同営業所は深名線の深川~幌加内~朱鞠内~名寄間の路線バスを担当しており、路線バスの乗車券類の発売があるかお尋ねしたのですが、路線バスの乗車券類は一切なく、定期券の他には御紹介のセット回数乗車券しか取扱いがないということでした。
表紙を捲ると、100円・50円・20円の各券が付いています。
(100円券)
(50円券)
(20円券)
以上が各券片となります。ジェイ・アール北海道バス自社地紋の金券式で、100円は黄色・50円は緑色・20円は桃色に地紋の色が分かれています。
地紋部分を拡大してみました。「JR」とバスの「B」・北海道の「H」を組み合わせたオリジナルの地紋です。
裏面です。印刷されている内容は表面と同一ですが、裏面は白色無地紋となっています。
鉄道省 新宿駅発行 西武鉄道江古田ゆき1/2連絡乗車券
久しぶりに鉄道省(運輸省)ネタになります。
和22年9月に新宿駅で発行された、池袋連絡の西武鉄道江古田ゆき片道乗車券です。
桃色てつだうしやう地紋のB型一般式1/2券となっています。
一瞬見たところでは往復乗車券のように見えますが、よく見ますと左の片と右の片が同じ「新宿から江古田ゆき」となっており、B型の券紙半分のスペースに片道乗車券を印刷し、1枚で2枚分発券できるようになっています。図示いたしませんが、券番は当然左右同じであるため、小児断片の脇にある「い」と「ろ」でそれぞれの券を区別しています。
枚だけ発券する場合にはこれを真ん中で切断して発売していましたので、あまりの小ささで失くしてしまいそうです。
これは、戦中・戦後の物資が不足していた時代に考え出された券紙を節約した様式で、戦後の混乱期でもあり、このように未使用のまま完全な形で残存している例はあまり多くはないと思われます。
留萠駅発行 普通入場券
昭和61年9月に留萌本線と羽幌線の接続駅であった留萠(現・留萌)駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
現在の留萌駅は留萌本線の途中駅でしかありませんが、当時の留萠駅は留萠本線のほかに羽幌線が乗入れており、かつては天塩炭砿鉄道や留萠鉄道なども乗り入れる中規模の駅でした。
現在でも駅舎の反対側には広大な天塩炭砿鉄道ホームや側線の跡地が広がっており、かつての繁栄ぶりが窺える構内となっています。
留萠駅は「留萌市」にありながら駅名は「留萠駅」となっており、長らく地名と駅名で字が違う駅として有名でしたが、平成9年に地名に合わせた駅名に改称され、現在では「留萌駅」となっています。
JR北海道では今年度中に留萌本線の留萌から先の増毛までの区間の廃止が発表されており、同駅が終着駅となってしまう日もそう遠くないかも知れません。