趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
花巻電鉄 花巻駅発行 花巻グランド駅までの往復乗車券
1972(昭和47)年1月に岩手中央バス(旧・花巻電鉄)花巻駅で発行された、花巻グランド駅までの往復乗車券です。
PJRてつどう地紋のB型小児専用券で、山口交通印刷で調製されたものと思われます。
花巻駅では往復券が通常発売されていたのかが定かではありませんが、最終日には片道乗車券同様、廃止記念のスタンプを捺印して発売されていました。
裏面です。券番の他に社名および発行駅名が記載されています。
同社の花巻駅は国鉄花巻駅の窓口で乗車券の発売が行われており、通常であれば発行駅名の表示を盛岡鉄道管理局の符号である「⑤」を冠した「⑤花巻駅発行」と記載されているものが殆どですが、御紹介の券は「◯B花巻駅発行」となっており、通常は国鉄の窓口では取り扱わない券であったのかも知れません。
同社のような地方の軽便鉄道で、小児用の往復乗車券が設備されていたのは驚きですが、着駅が「花巻グランド」となっていることから、グランドでのイベント時に発売されたものであった可能性があります。
廃止直前の花巻駅構内の様子です。特徴的な「馬ズラ電車」が留置されていますが、廃線末期には殆ど稼働していなかったように思います。
末期には、写真のような、比較的新しそうな車両が運用されていました。
岩手中央バス 花巻温泉駅から花巻駅ゆき 片道乗車券
1972(昭和47)年2月に岩手中央バス(旧・花巻電鉄)花巻温泉駅で発行された、花巻駅ゆきの片道乗車券です。
灰色TTDてつどう地紋のB型金額式大人・小児用千切り式半硬券で、日本交通印刷で調製されたものです。
この頃はすでに花巻電鉄は岩手中央バスと合併しており、御紹介の券は社名が「(岩手中央バス)」に変わっていますが、前回エントリーで御紹介いたしました花巻駅から花巻温泉駅ゆきの乗車券は、廃止最終日まで合併前の「(花巻電鉄)」のままになっていました。
再掲いたします。営業最終日である同日に花巻駅で発行された、花巻温泉駅ゆきの片道乗車券です。
花巻電鉄 花巻駅から花巻温泉駅ゆき 片道乗車券 ~その2
1972(昭和47)年2月に岩手中央バス(旧・花巻電鉄)花巻駅で発行された、花巻温泉駅ゆきの片道乗車券です。
灰色TTDてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、日本交通印刷で調製されたものです。
この頃はすでに花巻電鉄は岩手中央バスと合併していましたが、乗車券は花巻電鉄のままとなっていました。
御紹介の券は、同線が廃止された際に記念スタンプが捺されて発売されたもので、営業最終日に発券されたものです。
再掲いたしますが、拙ブログ2019年12月21日エントリーの「花巻電鉄 花巻駅から花巻温泉駅ゆき 片道乗車券」御紹介した券です。こちらは約1ヶ月半前の1972(昭和47)年1月に発売されたものです。この時はまだ記念スタンプの捺印はありませんでした。
福岡駅発行 東京都区内ゆき 片道乗車券
年月に北陸本線(現・あいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線)の福岡駅で発行された、東京都区内ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
同駅は現在、北陸新幹線開業によって平行在来線としてJR西日本からあいの風とやま鉄道に移管されています。
「福岡」の駅名は当駅開業当時の所在地に由来するもので、福岡県福岡市とは全く関係はありません。JRグループでは福岡市の中心駅を「博多駅」としており、同一名称の駅ではありませんが、実際に福岡市にある駅と勘違いされることがあったようです。
因みに、同じ福岡市の中心駅ではありますが、西日本鉄道では「福岡駅」を名乗っています。
恐らく常備券は設備されていなかったとは思いますが、もし博多駅ゆきの常備券が設備されていれば、「福岡から福岡市内ゆき」という、似ているようであっても長距離になる常備券が存在していたことになります。
JR東日本 戸狩野沢温泉駅発行 普通入場券 ~その2
1987(昭和62)年4月にJR東日本飯山線の戸狩野沢温泉駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
同駅はこの券が発売された約2ヶ月前の1987(昭和62)年3月に戸狩駅から戸狩野沢温泉駅に改称されており、図示いたしませんが、御紹介の券は券番は0070番と若番であることから、駅名改称時に新規に設備されたものと思われます。そのためか、駅名の活字が特活になって居らず、12ポイントの活字を組んで作成されているため、「駅」の文字との大きさの差違が大きく、見た目のバランスが悪くなっています。
拙ブログ2023年8月26日エントリーの「JR東日本 戸狩野沢温泉駅発行 普通入場券」で御紹介いたしました券を再掲いたします。
こちらは3年後の1990(平成2)年8月に発行されたものです。券番は1000番を超えており、改称時以後に再度請求されたロットと思われ、駅名の活字は特活になっており、バランスが整っています。
東京駅発行 東京から10円区間ゆき 片道乗車券
1962(昭和27)年4月に、東海道本線の東京駅で発行された、同駅から10円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋の地図式大人専用赤刷り券で、東京印刷場で調製されたものです。
裏面です。裏面についても赤刷りになっています。
2等級制時代の国鉄乗車券は青色地紋が一般的ですが、当時の国鉄は最短区間の乗車券を使用した不正乗車(キセル)が問題になっていたことから、最短区間用の乗車券を赤刷りにし、心理的に不正者に抑制をかける防止策を採ったため、赤刷り券になっています。
当時の券はまだかなりの数が残されているようですが、未使用券は比較的珍しいかと思います。
西武鉄道 池袋駅発行 西武秩父から所沢ゆき片道乗車券
1977(昭和52)年2月に、西武鉄道池袋線の池袋駅で発行された、秩父線の西武秩父駅から池袋線(正確には新宿線)の所沢駅ゆきの片道乗車券です。
若草色せいぶてつどう自社地紋のB型矢印式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
御紹介の券は「(急)」という符号が記載されているように、特別急行券と同時に発売するために設備されたもので、発行駅である池袋駅が有効区間に含まれない、他駅発の片道乗車券になります。
「(急) 月 日から有効」と記載されております通り、急行券と同時発売で発売することから前売り扱いで発売できるようになっており、同社では、前売りの場合は利用日付を発売時に記入して発売しますが、当日に使用する場合には空欄のまま発券していました。
裏面です。券番の他、発行駅名が記載されています。
同社では他駅発の常備券は特急停車駅では復路用として設備されていた例がありますが、池袋駅では様々な特急券の需要があることから、復路用だけでなく、主要な区間についても常備券が設備されていたようです。
大垣駅発行 岐阜駅までの往復乗車券
拙ブログ前回エントリーの「荻窪駅発行 往復乗車券」のコメントで、NAO様から、A型の往復乗車券への「から通」印はどのように捺すのだろうか、というコメントを戴きました。
発行駅は違いますが、手元にそのような券がございましたので、御紹介いたしましょう。
1982(昭和57)年6月に東海道本線の大垣駅で前売り扱いで発行された、岐阜駅までの往復乗車券です。青色こくてつ地紋のA型小児専用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
前売り扱いですので、有効日がいつからなのかということを示す「から通印」が捺されていますが、この印は横幅が3.3センチほどあり、強引に斜めに捺印することによって、往路片および復路片のそれぞれに表示されています。
近距離用の往復乗車券を前売り用として発売することはさほどなかったものとは思いますが、実際にそのような券を発売する際には、このような方法が多かったのではないかと思われます。
荻窪駅発行 新宿駅まで往復乗車券
1973(昭和448)年10月に、中央本線荻窪駅で発行された、新宿までの往復乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
裏面です。
券番からしてそれなりに需要があるようですが、すでに券売機が設備されている同駅で、特に割引要素のない往復乗車券を敢えて窓口で購入する旅客がそれほどまで居たのだろうかという疑問が湧きます。
当然、敢えて新宿駅まで往復で購入し、帰路に新宿駅の出札所の混雑を避ける旅客の需要もあったものと考えられますが、甲府方面へ行く旅客で、途中の八王子駅もしくは高尾駅で高尾駅以遠へ行く座席指定ではない列車に乗換える際に着席できるかどうか分からないため、始発駅の新宿駅から乗車したいという旅客や、座席指定の列車であれ、始発駅の新宿駅から乗車したいという旅客に発売したようです。
本来であれば新宿までの区間と新宿から目的地までの区間の連続乗車券にするのが一般的ですが、東京駅から101km以上200km以内の甲府駅あたりですと、新宿駅を経由する連続乗車券を発券すると東京山手線内(東京駅)発の乗車券になってしまうことから割高になってしまうため、敢えて荻窪駅から甲府方面ゆきの片道乗車券と新宿までの往復乗車券をセットで発売したようです。
このような理由から、荻窪駅だけではなく、近隣の駅においても、新宿駅までの往復乗車券の需要がそこそこあり、設備されていた駅が多かったようです。
JR東日本 三厩駅から180円区間ゆき 片道乗車券
1987(昭和62)年9月に、JR東日本津軽線の三厩(みうまや)駅で発行された、180円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色国鉄過渡期地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
裏面です。売上精算をした際の赤鉛筆が付けられていますが、同駅では、同時に駅名小印を押印していたようです。
同駅は、御紹介の券が発売された当時は「みうまや」駅という読み方でしたが、1991(平成3)年に漢字は変わりませんでしたが、読み方のみ「みんまや」駅に呼称改称されています。
その後、2019(平成31)年4月末に、最後まで通票閉塞区間であった津軽線の新中小国信号場~同駅間がCTC化されたことによって同駅での運転取扱い業務が終了したため、同年6月には無人化されてしまっています。
また、2022(令和4)年8月の大雨によって線路設備が被害を受けており、それ以降、蟹田駅から同駅までの間について、列車の運転が運休になっています。
同年12月に、JR東日本は復旧する場合には最低でも6億円の費用が掛かる見通しを明らかにし、廃止の可能性を含めて年明けより自治体と協議を開始することを発表しており、今後同駅まで旅客列車が運転される見通しは立っておりません。
« 前ページ |