JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
東京駅でみつけたヘンなもの…
会社帰りの東京駅でKIOSKを覗いたところ、ヘンなものを見つけちゃって思わず買ってしまいました。
な、なんと、券売機型のお菓子で、その名も「券売機型ミルクコーヒーパイ」です。
西日暮里にある株式会社大藤というお土産用のお菓子メーカーが発売しています。
他の一般的な「ポッキー」なんかと一緒に並んでいました。
裏はこんな感じです。
写真だと見づらいので、箱をスキャンしてみました。
画像が大きいので圧縮してあります。右下に出るマークを再度クリックすると大きくはっきりと表示されますのでやってみてください。
なんと、マニアックなものでしょう。
券売機をパッケージにするのだけでも充分マニアックですが、国鉄時代の券売機がデザインされているんです。
ボタンを見てみますと、初乗り運賃が110円であった1981(昭和56)年4月20日から1982(昭和57)年4月19日までの運賃のころのものです。確認してみましたが、110円~1,180円までの運賃はすべて合っています。)
裏面の「楽しい遊び方」というところを拡大してみましょう。
ここまでくると、コメントのしようがありません
神奈川中央交通の国鉄連絡常備券
神奈川中央交通(神奈中)は三浦・足柄地区を除いた神奈川県全域と町田市・多摩市といった東京都多摩南西部を走る、小田急グループのバス会社です。バス専業会社としては日本一の規模を誇り、車輌台数においては西日本鉄道に次いで業界第二位の2,000台強を所有するマンモス会社です。
同社は国鉄がJRになってからも平成5年頃まで、東京近郊のバス会社としては珍しい国鉄(JR東日本)線との連絡運輸を行っており、案内所においては連絡定期券の他、乗客からの申し出があれば補充券(補片のみ)による乗車券の発売も行っていました。
しかし、既にバスは「料金箱に運賃を投入して乗車する」ことが一般的であり、また、神奈中独自の磁気カード式のバス回数カードも発行されている環境にあることから、わざわざ連絡乗車券を求める乗客は皆無に等しく、あまり発行実績はなかったようです。
これは昭和29年8月に伊勢原駅前案内所で発行された平塚接続大船ゆきの常備連絡乗車券です。
伊勢原駅から平塚駅までの路線は、平塚駅~豊田本郷駅~大句~伊勢原駅~〆引~大山駅~大山ケーブルまでの通称「大山線」という路線で、現在でも「平91系統」と「伊12系統」として路線が残っています。
途中の豊田本郷駅と大山駅は鉄道との接続が全く無い停留所であるにも拘らず現在でも「駅」を名乗っており、これは国鉄(JR)との連絡運輸をしていた時代の連絡運輸設定駅の名残りなのだそうです。
それではきっぷを見てみましょう。
PJR赤地紋の一般式B型硬券で、発駅表示が伊勢原駅となっているところが特徴的で、いかにもバスの乗車券という感じです。
通用期間は「発売日共2日」で、「下車前途無効」の文字がありません。恐らく途中下車が可能であったものと思われます。
裏面を見てみますと、会社名が「神奈川中央交通會示土」と社名が印刷されています。
同社は昭和26年6月に神奈川中央乗合自動車から現在の社名である神奈川中央交通に商号が変わっていますので、商号改正以後に印刷された券であることがわかります。
マルス発行回数乗車券の幹在識別記号
思ってもみませんでしたが、マルスで回数券を発券すると、通常は「普通回数券」の表題の下にアンダーラインが引かれますが、新幹線の並走区間の場合、乗車券同様アンダーラインの代わりに幹在識別記号が印字されます。
幹在識別記号は■と□12個で表され、左側の4つが、東京~熱海間のJR東日本・JR東海の区別、中間の4つが、米原~新大阪間のJR東海・JR西日本の区別、右側の4つが、新下関~博多間がJR西日本・JR九州の区別です。
また、■が新幹線経由を示し、□は在来線経由を示します。
さらに、新幹線経由の場合、前回の拙ブログ記事にて御紹介いたしました券のように、右上に「(幹)」の文字が印字されます。
これに習い、この回数券の幹在識別記号「□□□□・・・・・・・・」は横浜~品川間の全区間が在来線経由であることを表します。
ちなみに、東京から九州まで全線在来線で行くと、見事に□が12個並びます
通過連絡運輸 プラス 連絡運輸
品川駅のJR東海ツアーズで、出張ついでにちょっとお遊びの乗車券を申し込みました。今では数少なくなった、JRC地紋のMR-20型と思われる熱転写印字券です。
経路は東京駅から新幹線を利用して西明石まで行き、山陽本線に乗換えて上郡まで行きます。上郡で智頭急行に乗換えて智頭まで完乗し、因美線で鳥取へ行き、山陰本線で豊岡まで行きます。豊岡では北近畿タンゴ鉄道に乗り換えて峰山までの行程です。
営業キロは821.0km、運賃計算キロは824.2kmに及ぶこのルートは、智頭急行との通過連絡と北近畿タンゴ鉄道との連絡運輸を含む、3社連絡になっています。
以前は経由が多い乗車券の場合、経由欄の関係で120mmの長い券が発券されていたと思いますが、今は自動改札に通せることが優先なのでしょうか、85mmの通常サイズでの発券となり、印字しきれない経由については画面に経由追記の指示が表示され、手書きにて転記されました。
マルスでは、智頭急行はそのまま「智頭急行」と表示されますが、北近畿タンゴ鉄道は「北近畿鉄」と略されてしまうようです。
蛇足ですが、発券してもらっているときにマルスを観察していて目に入ったのが、画面の下に貼られていた「入場券の発券禁止!!」と書かれた一枚のテプラでした。
以前入場券を発券してもらったことがありますが、今はダメなんですね。
JR東 近距離券売機の領収証
前回の拙ブログの記事にてJR東日本の券売機に付加された「買いまちがい払いもどし」機能の御紹介を致しましたが、もう一つ新機能が付加されていることに気づきました。
それが上の領収証です。
旧型券売機および新型券売機のものをそれぞれ入手いたしましたが、様式は同一ですが、発券される券同様、自体がかなり違っています。
従来も、Suicaのチャージや自由席特急券発券機能を用いた乗車券類発売の際には領収証を発行することができましたが、近距離乗車券の発売においては領収証の発行はできませんでした。しかし、知らない間に近距離の乗車券の購入でも領収証を発行することができるようになっていました。
首都圏の私鉄の券売機では、東急や京王など、乗車券の発売時に領収証を発行することができる会社はありましたが、JR東日本では初めてだと思われます。
JR東海では既にこの機能はあるようですが、字体やレイアウトは若干異なるようです。
あっ、買いまちがっちゃった!!
昨日気づいたのですが、JR東日本の近距離用タッチパネル型券売機に変化がありました。
何の変哲もない券売機2態ですが、旧型については左側ボタンの一番下に、新型については画面左下に、新しい機能が備わっていました。
3月15日のダイヤ改正を機に付加されたものと思われます。
では、ボタン部分を拡大してみましょう。
それぞれ「買いまちがい払いもどし」というボタンが新設されています。
三鷹駅の券売機横には「買いまちがい払いもどし」機能の案内が掲示されていました。
これによりますと、A型の連絡乗車券を含む片道乗車券について、まちがって購入してしまった場合、券売機にて払いもどしすることができるようになったようです。
ただし、これにはまちがって購入したものと同じ番号の券売機であることと、購入してから5分以内であることという条件があるようです。
試しに某駅の券売機で払いもどしをしてみますと、確かに簡単に払いもどしをすることができましたが、これでは足りず、興味本位でちょっと実験してみました。
一つ目は、「本当に同じ番号の券売機でないと払いもどしができないのか」、です。
まずは、某駅の駅ビル口券売機(旧型)で購入したものを別の口(中央口)に設置された券売機(新型)で払いもどしにチャレンジしてみました。
結果は…何の問題なくできました。
だいたい、何台も並んでいる大きな駅の場合、一般の旅客が何番の券売機で購入したか、もしくは何番目の券売機で購入したかを記憶しているものなのか、疑問の残るところです。
二つ目は、「5分を経過したらどうなってしまうのか」、です。
今度は券売機(新型)で購入したものを7分後に同じ券売機で払いもどしにチャレンジしてみました。
結果は…できませんでした。
画面上に係員のいる窓口へ申し出るように表示され、原券は戻されました。
このほかにも、もう一つ新機能が備わっています。
つづきは次回へ…
五日市線内の代用入場券
国鉄時代の五日市線は大変のんびりとしたローカル線という感じでしたが、現在は沿線の宅地化が進み、その風景はかなり変わってきています。
そんな五日市線ですが、当時、拝島の隣にある熊川駅以外は有人駅(現在は集札業務のみ行う委託駅員さんがいます。)でした。
これらの有人駅で入場券を所望したところ、拝島駅と終点の武蔵五日市駅を除き、入場券の口座はありませんでした。そのため、最短区間の乗車券に「入場券/旅客車内に立入ることはできません。」のゴム印を捺印する代用券での発売でした。
これは西秋留駅発行の代用入場券です。西秋留駅は昭和62年、JR東日本に民営化されたタイミングで秋川駅に改称されています。
西秋留駅の最短区間券(当時は120円区間)は大人小人用の金額式券でした。
続いて武蔵増戸駅発行の代用入場券です。こちらは大人専用の金額式券でした。
比べてみると西秋留駅のゴム印は少しサイズが大きいようです。武蔵増戸駅のものが他の駅でもよく見かけるサイズなので、こちらが一般的なものではないかと思われます。
これらの両駅は昭和59年12月頃には軟券化されたと記憶しています。以後硬券は設備されなかったようですが、記念的な要素だったのだと思いますが、軟券化直前の一時期には硬券の入場券が設備されています。
また、JR化後にはみどりの窓口が設けられていた時期もありましたが、現在は閉鎖され、「もしもし券売機Kaeruくん」が鎮座しています。
さよなら急行銀河
本日、東京~大阪間を走る寝台急行の「銀河」の最終列車が惜しまれつつも最後の運用に就きました。
急行銀河の歴史は古く、昭和23(1949)年9月15日、東京~神戸間に無名の寝台急行列車として誕生し、翌24(1950)年10月1日に急行列車に愛称を付けることになり、「銀河」と命名されたそうです。
これは、国鉄時代に唯一乗車した際、横浜線の大口駅で購入した急行B寝台券です。当時の大口駅には「みどりの窓口」はなく、マルス端末は設置されていませんでしたので、補充券による発売となりました。
このころは既に料金専用補充券(料補)も登場していた頃だと思いますが、出札補充券で発行されました。
今になってみればもっと乗っておけば良かったと後悔していますが、東京~大阪間のB寝台利用でも片道の運賃・料金の合計で16,070円と言う値段は新幹線のぞみを利用した14,720円よりも1,350円高く、JRの高速バス「ドリーム号」においては8,610円(早割5,600円)、プレミアムシートでも9,910円で済んでしまうことを考えると、やはりこちらに軍配が上がるのは明白です。時代の流れには逆らえないものです。
今夜東京駅を発った下り101レ最終列車は大阪駅に翌朝7時18分に到着し、大阪駅を発った上り102レは東京駅に翌朝6時42分に到着し、本当のフィナーレを迎えます。
宮島航路の往復券
水浜軌道さまのブログ「海辺のきっぷ館」3月3日エントリーの「専用紙」にて、サーマル式の宮島航路往復券が紹介されています。手元にキレート式時代の券がございましたので御紹介させていただきます。
これはJRになってからの昭和63年9月に宮島口桟橋で発行された、宮島への往復券です。水浜軌道さまのサーマル券とデザインは同じようです。
裏を見てみますと、やはりミシン線が入れられていることがよくわかります。
当時は往復の券売機券というもの自体があまり一般的ではなかったような気がしますが、それにしても、ミシン線をつけるという発想はとても大胆です。
「海辺のきっぷ館」のコメント欄で
JR東日本の精算券
JR東日本のあるターミナル駅では、JRの改札口と私鉄の改札口が二重になったちょっと変わった構造の駅があります。
これは、その「ある駅」のJR精算口で精算した旅客に渡される精算券です。
この「ある駅」ではJRで一旦で精算して改札を抜けると私鉄の駅構内に立ち入ることになるため、私鉄の改札口を通過するときに回収されるようになっています。
この区間は直線距離にして15メートルくらい(?)しかなく、発行されてから回収されるまで歩いて数秒という、本当に命短の券です。
「精算券」と書かれたごく単純な様式ですが、JR東日本に良くあるB型の常備軟券と同じ様式のもので、左上にはちゃんと「□東」の記号が印刷されています。ただ、券番は通常であれば裏面の真ん中に印刷されていることが殆どですが、この券の場合は表の右上に印刷されており、他と趣が異なります。
今回、券の性質上、発行駅名は敢えて伏せさせていただきました。