JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
定乗印発機発行の補充片道乗車券
昭和58年12月に中央線荻窪駅で発行された、東京都区内から東京都区内ゆきの定乗印発機による片道乗車券です。
定乗印発機はその名の通り、定期券と乗車券類を発行できる、当時としては最新型の印発機でした。
しかし、現在のマルスによる発券方法と異なり、予め設定された口座しか発券することが出来ず、それ以外の区間を発券するには都度手計算をし、金額を入力したうえで補充ボタンを押して発券し、空欄の部分には手書きをする必要がありました。
イメージとしては、当時はまだ現役であった補充券を機械で発券しただけのようなもので、運賃の計算は出札掛員の腕が試されるところです。
当時、出札掛員の殆どがそろばんを常用されており、時刻表をめくりながらそろばんの珠を弾いて賃盛りをしていた光景が今でも思い出されます。
荻窪駅の機械には、「補充/荻窪→(___)」「補充/(___)→(___)」「補充/山手線内→(___)」「補充/都区内→(___)」4種類の補充ボタンがあり、都度選択して発券していました。
御紹介の券は東京都区内~(中央本線経由)~塩尻~(篠ノ井線経由)~長野~(飯山線経由)~越後川口~(信越本線経由)~新津~(磐越西線経由)~郡山~(東北本線経由)~東京都区内という経路で、高校時代の仲間同士で豪雪地帯を走る路線を乗りに行ったときのもので、貧乏旅行のために敢行した真冬の郡山駅での駅寝がとても寒く、寒さで眠れなかったという苦い思い出があります。
ところでこの機械、補充ボタンの選択と運賃の入力をして発券するわけですが、運賃額によってボタンの誤選択を防止するチェック機能があったのでしょうか?
それがなければ、「東京山手線内→西鹿児島」なんて券も発券できてしまうかもしれません。
因みに、経由欄の「磐越西線」が「盤西」と誤記入されています。
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OSAKA CITYさま、御教示ありがとうございます。チェック機能は全くないとのことですが、考えてみれば、補片を使用していたときも、都度窓口係員が券冊を選択するのですから、考えようによっては同じことですね。ただ、券冊を選ぶより、ボタンの押し間違えの方が可能性が大きいような気もしますが…
えびの2号さま、印発機は、ワンタッチボタンによる発券方法と、L型マルスのようにバタバタを捲ってピンを刺して発券する、二通りの発券方法があったと思います。
ただし、ワンタッチボタンによるものでも、硬券のように着駅が同方向の同じ運賃帯ごとに纏めて印字されますので、かなり広範囲にカバーできました。その範囲に入っていたのかもしれませんね。
発売しそうな経路・区間は硬券の常備券のような感じで口座登録されており、登録されていない経路・区間を補充券のような感じで発売していましたが、口座や補充券区間の登録は各駅の事情を考慮しながら各管理局で登録していたものの、管理局が考えた各駅の事情なので結構現場の意見とは背離していた覚えがあります。
当時のコンピューター技術を現在のものと比較すると、かなり稚拙なものであったと思います。
今や、JRの出札業務はマルスの操作方法さえ理解していれば、誤発券の入力をしても「誤要求」ではねられますが、昔のシステムは単に集計業務が機械化されたに過ぎないようなものでしたから、出札掛の力量が試されるところですね。
印発は単なるスタンドアロン機器で、オフラインです。
昔の券売機同様単独の機器内で自己完結する仕組みなので、センターでのチェック機能などはありません。
仰せの通り、MARSは中央演算装置があり、その装置との通信で発券していますので、いかにも機器独自で計算していたように見えますが、実はTSS端末の部類に入りますね。
今はデジタル通信でしょうから違いますが、国鉄時代、MARS端末で発券するのに15円の通信費用が掛かると聞いたことがあります。そのため、通信費用の掛からない印発機を併用していたのだとか・・・