ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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メール isamix@gmail.com
 



現在、家の塀の外にずらりと並ばっている苗たちを挙げると、
●エゴマ
シソっぽい葉で、香りは全く異なる。
実の油が有名だが、葉も、何かを包んだり
醤油漬けなど、好きです。

●モロヘイヤ
ぬるぬるが多くて健康によいらしい。
葉っぱと油とクミンと塩だけで
大好きなグリーンカレーができる。
エメラルド色の種は毒があるので注意。

●ミニトマト
一株でも、土に養分が多いと
巨大に伸び繁る。
支柱に誘因するのが一般的だが、
ほんらいは絡まり合ってブッシュとなり、
そのドーム内の、下の方で実がみのる。
風や光や鳥から身を守りやすくなるのか。
トマトの枝葉がトマトに適した肥料となるので
うまく循環させれば連作向き。

●マクワウリ
メロンのようで、もっと優しくかつ深くてさまざまな
味や風味を抱いている、古きよき日本の夏のデザート。
昨年の実の種を蒔いたら、ようやくひと鉢から発芽して
嬉しい。実ものは日当たりが大切だが、
土に養分が多すぎなければ、半日蔭(日中の半分は日蔭)でも実るはず。
養分が多いと葉とつるがふえるが、その器を超える
光合成のデンプンが生成されないと実らない。

●おかひじき
あまり食べたことない。ひじきのように葉が細い。
ちゃんと育って食卓に上るのか、静かな楽しみ。

●とうもろこし
肥料を食うというので、裏庭の野菜くずの堆肥なり
うさぎの糞なりを混ぜた土に植え替えて生長を
見守ってみようかな。採れたては生でもしゃくしゃくと、
甘くいただける。皮ごと茹でるのが吉。

●十六ささげ
ひと房に約16個の豆粒が入っている。インゲンのような豆。
熟した実は赤飯には使えるが、あんこには不向きという。
愛知県の方が原産だったかな。そちらにお住まいの
知人より、種を分けていただきました。

●ゴーヤ
日当たりいのち。葉をぱんぱんふやす植物だろうから、
野菜くずなどの堆肥を足していこうか。
目安は、葉の色が黄色ぽくなったら窒素不足で、
緑が濃いと窒素過多。どちらも問題だが、後者のほうが
身体にはよくない。糖尿病のようなもの?

他、庭の植物たち
ヨシ/アオギリ/さるすべり/ツゲ/どくだみ/セリ/みょうが/夏みかん/のらぼう菜/アサツキ/椿
本榊/くるみ/パセリ/よもぎ/くぬぎ/サワラ/花大根/マコモ/アサザ/ウキクサ/すみれ/稲
カナダモ/藻/ホーリーバジル/いちご/ブラックベリー/にんじん/龍のひげ/たんぽぽ/雪の下

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・ゴーヤの苗が、種から育っていますが、
 ありがちながら、ゴーヤのカーテンを作ろうとなった。
 日よけにして部屋に涼を得る目的もあるのだろうが、
 もうすでに、南側にはサルスベリとアオギリの
 樹が枝葉をひろげて日蔭になっている。
 それらを剪定して光を入れないと、ゴーヤ自体が育たない。
 そのため、今日は2年振りくらいに庭木を整えた。
 以前はもっと頻繁に、庭に関わっていたが、
 仕事にかまけて、大切な家のこと、
 子どもとの関わりを置き忘れていたかもしれない。
 このたびのウイルス騒動のお蔭で仕事が減ったことで、
 大事な自分の柱に戻れました。
 うっかりしてたら、子どもはあっという間に大きくなっちまう
 所だった。このことが、かけがえのない贈りもの。

・そんな庭しごとの中で、今日はめいっぱい太陽を浴びつづけた。
 土を掘り、草に分け入り、樹肌に触れ、水を浴び、風に吹かれて
 お日さまに輝く、そういう、縄文時代より前からずっと繰り返してきた
 生きものとしての生き方に沿っていなければ、
 無駄な思考ぐるぐる、パソコンの前で深刻な顔で、頭を痛め、
 足腰が弱り、ストレスから身体感覚を取り戻すために
 必要悪ともいえる不自然な食生活にすがることになる。
 浅い洗脳的観念を自分の存在意義とせず、
 皮膚感覚的な違和感に向き合おう。
 深呼吸し、人とたすけ合い、太陽を浴びて、
 あの日の正氣を、取りもどせ!

・ニンニク酢がよいと聞き、作ってみて、
 しばらく酢に漬けた生ニンニクを、かじってみたら、
 心臓が高鳴るほど強い刺激。
 食べにくくないかえこれは?と感じながら
 時たまカリカリ、ボッカンとニトロが爆発していたが、
 調べたら、あらま、にんにくをかじるのじゃなくて、
 酢を飲んだり調味料とするのであった。
 ok!~~。

・6月からは徐々にふろしき講座を再開の予定ですが、
 僕が普段散歩や虫探しや採集をしている
 近所の野原川原でわくわく真剣探検しながら、
 その中の実地で風呂敷を生かして無事カエル、
 そして参加者各人の地元の自然、街で
 ふろしきで開拓できる、新しい故郷創生を
 まなざしていこうとも考えております。

・言い換えれば箱庭宇宙なので、
 ネットでの受発信も大いにとりいれ、
 ローカルに具体的に、各地の仲間と連携して
 コミュニケーションと実践の積み重ねによって
 人が生態系に参加する街環境を、着実に築いて参ります。
 嬉しいニュースは、10年ほど育てているヨシを
 他の鉢にも分けてみたのが、ちゃんとすくすくと育っていること。
 水環境における大きな柱となる植物で、
 そんな水生植物のゆりかごがあればこそ、ヌシたる鯰でも
 何でも、発生する理由となります。 

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借りとる、山の畑の片隅に以前、セリを数本植えておきました。
そこへ前回見てみたら、キアゲハの幼虫がついていた。

蝶ちょはアゲハと似ているが、幼虫はシマウマの白が緑になったような、
人によっては「ぎょ」としそうな模様である。
ちょびっとのセリがほぼ食い尽くされそうで、それは構わないけど
そのままでは餌が尽きて幼虫も生きていけないので、
持ち帰って、セリの出どころである我が家の裏庭の芹沢に放した。

そんな彼たちがすくすくと育ってきていて、嬉しい。緑のシマウマ。
普通のアゲハの幼虫は、みどりの新幹線のようです。

こういう、ちょっとした出会いとか発見とか、目のひらく新鮮な
よろこびの積み重ねが、日々の暮らしを豊かにし、
世の中の動向がどうこうとか、お金がある無いとかと
別次元の視点や心持ちを授けてくれる。

何しろ、テレビもネットも、自ら直に体験した情報ではないから
本当か嘘かは全く分からないので、初めから真実を期待せずに、
映画や漫画を見るように、自分なりに感じればよいが、
視覚情報は知らず影響を受けるから、そうならないように
達観の姿勢を多少は自覚しておくとよいと思う。

よい情報も、そうでないものも、自分ができることしかできないのだから、
あまり不安にかられ続けて、心配から遠ざかることばかり意識していると、
たとえ安心しても、楽しくてしあわせ、とはならない。

ちょいとひとこと発してみる。
「失敗しないことが成功ではない」
「安心=しあわせではない!」

世の中には、とにかく失敗しないこと、責任回避ばかりに
心を尽くしているビビリっちが多いのではと感じている。
また、問題のほとんどがお金由来に取りつかれていると、
お金があれば安心=幸福、で完結し、それ以外の無数のしあわせを
享受できない。たとえ他の楽しみに出会っても
「お金があるお蔭でこれを楽しめる」という
条件つきの楽しさになるので、ちっとも自由ではない。

何があっても全然大丈夫で、問題ではなく、何か問題が起こっても
つるんと解決できるという、自信でも不安でもない
揺るぎない平常心を、意識するでもなく保っている視界を抱くこと。
敵も味方もない、無敵(無味方?)状態でいれば、
敵(と相手は思っているかもしれない対象)にも愛をささやけるし、
味方(と相手は思っているかもしれない対象)にも苦言を伝えられる。

カマキリの赤ちゃんが何百と孵り、夏に無事成虫へまで成長できるのは
わずか1,2匹だけど、そうやって生き残ったカマキリだけが幸せなのか?
ただ、循環。死んだカマキリは、他のいのちとなって羽ばたき躍動し、
永遠のいまを輝きつづける。
どんな状況になっても、捨てる神があるから拾える神がいて、
好きな意味が与えられ、さらに意味を外して自由になれる、
それがいのちだ。

キアゲハの幼虫がセリの葉から落ちる。
僕はすくい上げるけれど、
そのままでいても、幼虫は葉っぱとは違う
土の上の新しい世界を経験し、そのうち
蟻に囲まれ、血肉を吸われる不思議な感覚とともに、
今も葉の上で次なる成長を遂げる兄妹に
子孫繁栄の夢をたくしながら、自らも蟻のいのちとなって
セリ沢の存続につながる生態系の役割に
一寸の悔いもなく、ただおもむろに環境と
フュージョンしてゆくばかりだ。

いのちの意味は、無条件にげんきで自由なこと。
それは三次元の領域を超えている。

病氣だから、不自由だから、つらいといっても、
その感覚を不幸に感じるのは自分なりのものさし。
もしも人に羽根があって飛べるなら、
羽根のない人、折れた人は不幸のどん底にあるかもしれない。

でも、羽根のない生きものとしての私たちは、そのことを不幸とは通常は思わない。
建物の出入り口が2階以上の窓であるとか、羽根ありきでできている世の中であったなら、
住みづらいかもしれない。
要するに障害は自分ではなく社会なので、
社会を変えれば、羽根のないままでも自由になれる。
そこへ向かって、もっと強氣になろう。
自分が社会に合わせるのではなく、自分に好都合の
社会を、思い切り創造する。

中身(人)にあわせて器(社会)が、臨機応変に、自由自在に
変化する、それが風呂敷の呼吸。
そのためには、先に、社会がこうあるべきだ、と規定してしまうと
自分が変化できなくなって苦しくなる。
人々の変化によって社会も都度変えていこう。
作られた社会に合わせちゃならない。

自分好みに、社会を結びなおそう!

そんな、ふろしき宣言(?)です。

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休校期間のお蔭で、子どもたちが自主的に思い思いの
ものづくりに打ち込んだりしている。
ぼーっと寝ころんでいるのもよい。
そんなときこそ、最も広い世界を遊泳しているのだから。
こんど、竹で急須と湯呑みをつくってくださるそう☆
もともと大人より賢いので、余計なお勉強を
押し付けずとも、ちゃんと自分で考えているのだよ。
学習とは、本人が必要と好奇心にかられて独学する
意欲が元になければはじまらない。
ネットからの情報はきっかけとして生かし、
それを実地で形にして、悩んで失敗しながら
本物のいのちや素材と対話を深めることに意味がある。
個人的に、学校は社会の闇と理不尽を、経験し
すこし耐性をつける(不)必要悪の側面もあると
捉えているので、日々知らずにダメージを受けている
子どもを、毎度家庭で癒しながら、真逆の視点を
共有してゆく必要がある。今はそれがないから近道だ。

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知り合いが頭痛に悩み、調べてみたらマスクが原因らしく、
マスクを外していると回復するという。
呼吸が浅くなるし、自分の吐息をふたたび吸い込む量がふえるため
酸欠になる。
あわせて、その方は耳に持病があり、たえず耳がマスクの
ゴムに締め付けられることも影響がありそうだ。

大丈夫なところではマスクを外し、
深~く、深呼吸をして、
耳もマッサージして、
マスク禍に侵されぬよう氣をつけよう。

これから蒸し暑くなればますます
熱中症他の危険もますから、
マスクが必要な方は、放湿にすぐれた
麻の生地のものにしたり、
ゴムを耳に引っかけるのとは別の
留め方にしたらよいだろう。

人もまた、環境内の生態系で生きている。
自分だけドームの中に隔離して生きることはできない。
本当の健やかさとは何か。
科学と知識と直観をもって自らの哲学を持ち、
一面的な情報だけにとらわれて
かえって世界を滅ぼすことに加担しないようにしたい。
人は生きものであり、環境はいつでも自分を
生かしてくれている親であるから、
ことごとく遮断すれば必要なつながりまで絶たれ、
生命の制御困難に陥るだろう。

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最近、手帳への落書き以外は
マウスや指で、パソコンやタブレットの
画面内に絵を描くことが多いので、
明日からの日課として、
紙やポストカード上に完成させるように、描こう。

他、日々積み重ねたいものは
・新しい本の作成
・風呂敷を縫う

あとは、
子どもと相撲したり、
料理したり、土いじり、掃除など
身体をよく使って、
情報が形として見える作業をしてゆこう。

自分で、よいと思えることを実行に移すことは、
感じなくても、世界に佳き影響を与える。

逆に、よいと識りながら、やらずにいることは、
ゼロではなくて悪影響を、世界にふり撒くことになる。
そちらの方がおそろしいので、
不器用だろうが失敗しようが、
ステレオタイプの批判を受けようが、
自分が感じ、決めるままに、
歩っていくしかないのです。

絶対に誰かのいいなりにはならないのは、
猫以上に、植物たち。
あの子たちのように、闇(土)と光(お日さま)をひとつに
結びながら、風とダンスしてみたい。

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3月に雪があった。
既にひきがえるが産卵してあった
庭のミニ田んぼが雪浸けとなり、
卵は死滅。
(他の池は深いため無事)

田んぼは大量の死んだ卵による腐敗臭があったため、
表面の泥をすくったり、水を入れ換えて多少落ち着いた。

泥が臭いような田んぼでは、稲の健全な生長は希めない。

もう大丈夫だろうと、他の池からおたまじゃくしを
放流してみたら、何故だか数日後に消えている。

それが2,3回あったので、この田んぼはまだ不安定と判断。

考えられるのは、卵の死骸による有機物を分解するために
たくさんのバクテリアが発生し、
酸欠になっているか、あるいはバクテリアが発した
有機酸により水が酸性化して、おたまじゃくしが溶けたかである。

単に酸欠だけならおたまじゃくしの死体が残るはずなので、
溶けて消えたとしたら、水質の酸性化の可能性。

そこで、物置にあったサンゴの小石を田んぼに入れてみた。

酸性化した水を中和するには、卵の殻や
貝殻よりも、表面積の広いほうが早いので、多孔質の珊瑚は便利。

さて今後どうなるか、そして再びおたまじゃくしが
元氣に泳ぐ日はくるのか、楽しみです。
5月末以降に、田植えをする予定。

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昨日はたけのこを2本採ってきました。
既に地上にそこそこ伸びていたので、
両手でつかんで引いたら、簡単に
元から折れました。

米糠とともに茹でてから、
今日のお昼に混ぜご飯にしました。
今年は、自分で採ったのが3本、
いただいたのが2本で、
結局買うことなく、たけのこを
味わえて、ありがたいばかりです。

昨日は、孟宗竹を切った
コップで子どもたちが遊んだり
水を入れて飲んでいましたが、
息子が竹を細工して自分なりに
つくっていました。
本日も夕方に、
ウサギ用の草を刈りに行くついでに、
川原に群生する細めの竹を切ってきました。



長い竹、数本を束ねているのは、小風呂敷を斜めに折りたたんだ
帯です。ひもだと何周か巻かないと不安定ですが、
バイアスの伸縮と広い表面積のある風呂敷の帯であれば、
きゅっと結べばかなりしっかりと留まります。

子どもが、レジ袋とトングを持って
道ばたや川原のゴミ拾いもしました。
ぽい捨てする人間もわるいですが、
草や落ち葉のように土に還らない
素材で、使い捨てるような商品を
つくるメーカーが、そもそも問題です。

子どもたちが竹とともに何を創造するかが楽しみです。
「竹で」つくるのではなく、「竹と」つくるんです。

割って裂いて、かごやざるを編んでみたくもあります。
竹は、たけのこだけでなく
栽培用の支柱、タオルかけ、はたきの柄、
葉はうさぎの餌や笹(竹)舟、他、
暮らしのあらゆる場面をサポートする
かけがえのない植物です。

竹がふえすぎて困っている「竹害」という悲しい言葉まで
ある現代ですが、これからは、もっともっと生かして、
素晴らしい竹の文化を取り戻していきたいと思います。

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薄力粉、溶かしバター、卵、水、ホエイプロテイン、
塩を混ぜて焼いた、ペロンともっちりな皮。
カスタードクリーム、バナナ、シナモン粉を巻きました。
いちごはファンタジーに浸れながらも、
地に足をつけさせる酸味が要です。

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今朝は6時に起床し、9時の出発までに
・庭に水やり
・亀におたまじゃくしをやる
・朝シャン(石けんだけど)
・風呂敷を3枚縫う・プロテイン入りバナナジュースを作って飲む
・店の鉢に植えるミントの準備

以上あれこれ片付け、子どもと登校。

その後、10時半に田町で買いもの。
11時半に銀座でふろしき撮影。
と巡り、13時までには
実家の店に着きたい。
路地の鉢にミントを植えるのと、
エゴマに水をやる。
店内の金魚鉢に小石を入れる。

来客は多くは望めないだろう。

掘り出し物を追加したり、
思索の時間にしよう。

店の後は西新井で、友達に物を渡す。
お昼は、健康と節約のために抜く予定なので、
帰宅しての夕飯はきっと
おいしいことでしょう。

明日(火)は、借りている畑に行く予定。
水と、植える苗、
野菜くずの半熟生堆肥を持っていこう。

ひとつ、ひとつを
丁寧に確実に実行してゆけば、
予期していない結果も悪くはなかろう。

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5/10  


●最近は、家にいるときは風呂敷を作っている時間も割合多いですが、
 現在は生地屋さんも休みが多いため、家に眠っている布などを
 掘り出しながら、ハギレをつなげたりもして、ちくちくズタダダ(ミシン)、と縫っております。

●今日は何枚縫ったか…朝起きてすぐ、大あさの蚊帳の小ふろしきを1枚。
 つぎに、以前大きく作りすぎた木綿の単色シーチング生地のを100cm幅に直したのが
 5,6枚。リネンの白と灰色のチェックの中風呂敷(手縫い)を1枚。他は現在作り中ですが、
 明日は子どもの登校日(週か2週に1度?)で送りに行った足で、都心での用事と
 実家浅草合羽橋の道具屋の手伝いに行くため、縫うなら早朝ですが、
 新しい本づくりの作業をしたいきぶん。

●子どもはこのごろ、Youtubeのお料理チャンネルにも影響を受けて
 いろいろと作っている。アジをおろしたり、今日はクレープ!
 小麦粉と卵と溶かしバターとホエイプロテインと塩と豆乳で生地。
 中に、手作りのカスタードクリーム、いちご、バナナ、シナモンを
 包んで「オーマイコンブ」です☆

●明日街へ出た際、どこかでミカンの葉をもらってこよう。大きくない
 夏みかんの鉢植えに産みつけてもらったアゲハの卵から、いま
 次々に幼虫が孵化して、葉をかじっている。
 成長につれて日々の食べる量がもりもりと増えて、
 やがて丸坊主になり足りなくなるから、そうなる前に
 各所、ご近所のお庭などから分けていただいている。

●エゴマの生長をみるのが楽しみで、生きる希望のひとつです。

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●5/5 柏餅
もち米を蒸して、すり鉢とすりこ木で搗いた餅で
煮た小豆をくるみ、柏の葉っぱでつつむ。
葉の数が足りないので、使い回しをする。
半分は、近所の原っぱで摘んだヨモギを搗きまぜた
草もちの柏餅。

感想「子どもたちと手づくりした、粗野でもばばーんと元氣なおもちは、
売り物とはエネルギーの質がまったく異なり、味次元での比較は不可能」

●スパイス1種のカレー
クミンパウダーのみです。
熱していないフライパンに
油とクミン粉を入れてから、焦げないように
弱火でへらで混ぜていく。
シュワシュワと火が通ってきたら
そこに玉ねぎを入れ、ある程度炒める。
(きつね色までする必要はない)

玉ねぎに火が通ったら、トマトジュースと水を入れる。
蛋白質として豆乳やホエイプロテイン。
とろみは小麦粉を入れなくても、
油と乳化した玉ねぎと、
トマトの酸味と加熱によって固まる蛋白質によって生まれる。

あとは、塩味、おろししょうがなどで調えて完成。

感想「作っているとき、部屋によき香りが漂いすぎるカレーは
焦げて香りが抜けている場合もある。そうなってしまうと
どんなに多様なスパイスを入れても味氣ないものとなる。
丁寧にものせば、一種類のスパイスでも目のひらくカレーになる」

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空虚な時間に押し潰されそうになっても、
その中に、ほんのひとかけらでも、
優しく、ちからづよく輝く時間が必ずある。

その、ちょっとした時間を、その時間の種類を、
少しずつ、やわらかに周りと調和させながら、ふやしてゆくことで、
きっと、世界中に、笑顔をふやしてゆくことができる。

小さくても確かな輝きは、すぐそばに、いつもの場所にある。
そこはとっても狭いかもしれないけど、天井も壁もなくて
無限に広い。

蒼天の下で、あなたの種まきを
待っている、いのちがある。

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・狭いお庭の小さな池には今、おたまじゃくしが
何百と泳いでいます。

・カマキリの卵から、赤ちゃんが孵化しました。

・ちっとも大きくない、夏みかんの鉢植えに
毎年恒例でアゲハが産卵。
この後丸坊主になり、飼い葉集めに東奔西走することになります。

・スッポンの子。あまり餌を食べなくても非常に元氣。
強い水流にも揺るがない。地面を走ると、
速きことキジのごとし。

・息子は沢蟹を飼っている。
底面濾過器をセッティング。
砂利の隙間を水が流れつづけ、そこに棲みついた
バクテリアが水を綺麗にするのは、
戦前の浄水場の仕組み・緩速ろ過と同じで
メンテフリーに近い生物浄化法。
これを自治体ごとに設置し、
地域単位で上下水を管理できれば、
日本の環境問題の半分が解決するといっても過言ではない。
災害時も、雨や川や地下水を清浄に変え、
水に困らなくなる。

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