「忄りっしんべん(立心偏)」と「㣺 したごころ(下心)」は、心が偏ヘン(左辺)にきた形と、下についた形が変形した部首である。「りっしんべん」という名前は、「立心偏」と書くと分かるように心が立ち上がって偏に来た形であり、「したごころ」は「下心」であり、心が下に付いて特殊化した形である。
心の字の変遷
心 シン・こころ 心部
解字 甲骨文字は心臓のかたちの象形で、左右の心房(血液をためるところ)と心室(心房の下部にあり血液を送り出すところ)が分れた状態を表現している。金文から心室がひとつになり、篆文で心室から血管のようなものがついた形になった。隷書(漢代の役人などが主に使用した書体)から、篆文の各部分が分離した形の「心」になり、これが現代字に続いている。意味は心臓であるが、のちに「こころ」の意が加わった。
意味 (1)しんぞう。「心臓シンゾウ」。「心筋シンキン」「心房シンボウ」 (2)こころ(心)。「心理シンリ」「心眼シンガン」 (3)物事の中心。「核心カクシン」
「忄りっしんべん(立心偏)」の成立
「性」の字にみる立心偏の変化
下段は性の変遷過程、上段は立心偏を抜き出したもの
立心偏は、いつ、どのように成立したのだろうか。ここに成立の過程をしめす字がある。「性セイ」は篆文から出現する字だが、その変遷を示したのが上図の下段である。上段には立心偏のみを抜き出して表示した。これを見ると、篆文においては心の篆文がそのまま偏に付いているが、次の隷書になると変化が表れる。隷書第1字は、篆文のおもかげを残し左右の心房と中央の心室が描かれている。ところが第2字は右の心房が略され、さらに第3字に至ると左右の曲線が短い直線に変化した。これが現代字に続く立心偏の成立となった。つまり、隷書体の時期に立心偏が成立したことが分かる。立心偏の主な字は以下のとおり。
忙ボウ(忄+音符「亡ボウ」)・怖フ(忄+音符「布フ」)・性セイ(忄+音符「生セイ」)・
愉ユ(忄+音符「兪ユ」)・慣カン(忄+音符「貫カン」)・憬ケイ(忄+音符「景ケイ」)など。
「㣺 したごころ(下心)」の成立
「恭キョウ」の字にみる「したごころ(下心)」の変化
下段は恭の変遷過程、上段は「したごころ」を抜き出したもの
「したごころ」は、いつ、どのように成立したのだろうか。上図の下段は「恭キョウ」の変遷を示したものだが、篆文の恭で下部についているのは心の篆文である。次の隷書にいたると、隷書第一字では下に隷書の心が付き、第2字で心が変化した㣺になっている。つまり、「したごころ」は、隷書から大きく変化した心の字の第一画はそのままで、第2画がタテ線になり、3画と4画をそのままの形で下におろしたのである。
「したごころ」はどんな字に付くか?
心がそのままの形で下部につく字は、忘ボウ・悲ヒなど数多い。では「したごころ」はどんな字につくのだろうか。これがつく漢字を調べると、下部が大や夭・共など、すなわち八のように末広がりになった漢字の下に入るとき変形してることが分かる。
主な字には、慕ボ(㣺+音符「莫ボ」)・忝テン(㣺+音符「天テン」)・恭キョウ(㣺+音符「共キョウ」)などがある。
以上で分かるように、忄(立心偏)は篆文の心からの変化であり、㣺(したごころ)は隷書で成立した心の字の変化であることがわかる。
心の字の変遷
心 シン・こころ 心部
解字 甲骨文字は心臓のかたちの象形で、左右の心房(血液をためるところ)と心室(心房の下部にあり血液を送り出すところ)が分れた状態を表現している。金文から心室がひとつになり、篆文で心室から血管のようなものがついた形になった。隷書(漢代の役人などが主に使用した書体)から、篆文の各部分が分離した形の「心」になり、これが現代字に続いている。意味は心臓であるが、のちに「こころ」の意が加わった。
意味 (1)しんぞう。「心臓シンゾウ」。「心筋シンキン」「心房シンボウ」 (2)こころ(心)。「心理シンリ」「心眼シンガン」 (3)物事の中心。「核心カクシン」
「忄りっしんべん(立心偏)」の成立
「性」の字にみる立心偏の変化
下段は性の変遷過程、上段は立心偏を抜き出したもの
立心偏は、いつ、どのように成立したのだろうか。ここに成立の過程をしめす字がある。「性セイ」は篆文から出現する字だが、その変遷を示したのが上図の下段である。上段には立心偏のみを抜き出して表示した。これを見ると、篆文においては心の篆文がそのまま偏に付いているが、次の隷書になると変化が表れる。隷書第1字は、篆文のおもかげを残し左右の心房と中央の心室が描かれている。ところが第2字は右の心房が略され、さらに第3字に至ると左右の曲線が短い直線に変化した。これが現代字に続く立心偏の成立となった。つまり、隷書体の時期に立心偏が成立したことが分かる。立心偏の主な字は以下のとおり。
忙ボウ(忄+音符「亡ボウ」)・怖フ(忄+音符「布フ」)・性セイ(忄+音符「生セイ」)・
愉ユ(忄+音符「兪ユ」)・慣カン(忄+音符「貫カン」)・憬ケイ(忄+音符「景ケイ」)など。
「㣺 したごころ(下心)」の成立
「恭キョウ」の字にみる「したごころ(下心)」の変化
下段は恭の変遷過程、上段は「したごころ」を抜き出したもの
「したごころ」は、いつ、どのように成立したのだろうか。上図の下段は「恭キョウ」の変遷を示したものだが、篆文の恭で下部についているのは心の篆文である。次の隷書にいたると、隷書第一字では下に隷書の心が付き、第2字で心が変化した㣺になっている。つまり、「したごころ」は、隷書から大きく変化した心の字の第一画はそのままで、第2画がタテ線になり、3画と4画をそのままの形で下におろしたのである。
「したごころ」はどんな字に付くか?
心がそのままの形で下部につく字は、忘ボウ・悲ヒなど数多い。では「したごころ」はどんな字につくのだろうか。これがつく漢字を調べると、下部が大や夭・共など、すなわち八のように末広がりになった漢字の下に入るとき変形してることが分かる。
主な字には、慕ボ(㣺+音符「莫ボ」)・忝テン(㣺+音符「天テン」)・恭キョウ(㣺+音符「共キョウ」)などがある。
以上で分かるように、忄(立心偏)は篆文の心からの変化であり、㣺(したごころ)は隷書で成立した心の字の変化であることがわかる。
宜しくおねがいします。
参考文献は一言では書き表せませんので、近く文章にして、このブログに掲載させていただきます。