スマイリーな毎日

笑う門には福来たる

「Romantica (ロマンティカ)」(ローマへの旅12)

2006-05-16 | イタリア旅行2006

一日中歩きまくったせいで、お腹が減ってきた。ということで、どこかで晩ご飯を食べようと思ったが、日曜日ということで、行こうと思ってチェックしてきた店はどこも閉まっている。ホテルの近くに見つけたエノテカも、もちろん休み。

こういうときは、ホテルの人に聞くに限ると思い、フロントのお茶目なおやじに、「ここらへんで、今日開いてるおいしいレストランがありますか?」と聞いてみた。すると、お茶目おやじは、「ちょっと待ってよ」と言いながら、レストランの名刺を出してきて、詳しく行き方を教えてくれた。

レストランに向かいながら、名刺を出してくるぐらいやから、ホテルと提携してるレストランで、あんまり期待できないんちゃうかなどと話してるうちに到着。お店は、「Romantica」(ロマンティカ)という名前。店の前にメニュー表が貼ってあり、種類も豊富で、それを見ていたらお腹が減ってきたので、入ることにした。

うちの奥さんは、まずビール。店の人に、「これがイタリアのビールやから、これにしたら良い」と言われたので「Peroni」というビールを頼む。

Romantica1

僕は、赤ワイン。ワインにはあまり詳しくないので、無難にハウスワインを頼んだ。

Romantica2

「Ravioli alla RomAntica」

Romantica3

店の名前が入っているのと、ラビオリが大好きなのでこれを頼んだ。ソースはクリーム系で、非常にこってりしていて僕好み。パンチェッタ(豚ばら肉の塩漬け)のパンチが効いていて、激ウマ。

「Risotto alla crema di scampi」

Romantica4

スカンピが食べたいと、うちの奥さんが頼んだ一品。海老の風味がしみわたっている。うちの奥さん曰く、今回のローマの旅で一番おいしかった一皿。

「Insalata di asparagi」

Romantica5

この名前はメモしておくのを忘れたため、適当に付けました。といっても、見ての通り、ただのアスパラガスのサラダ。日本で見るアスパラに比べると、かなり大きく、出てきてビックリした。味は、日本のものと、そう変わらない。

「Abbacchio alla scottadito」

Romantica6

網焼きされた子羊の肉。ローマに来たからには、羊肉は食べようと、これを注文。これはまずまずの味。臭みはないが、日本で食べる子羊の方がおいしい。

「Pannna cotta al cioccolato」

Romantica7

最後に甘いものが食べたくなったので、これを追加。チョコがふんだんに掛かっていて、半端じゃなく甘い、そしておいしい。うちの奥さんは、お腹が一杯の上、甘ったるくて食べれんというので、一人で平らげる。なぜか、すぐ横で食べていたフランス人のおばちゃん達が、このパンナコッタを見て大笑いしながら何かを言ってくるのだが、フランス語が全くわからず、なぜそんなにウケていたのかはわからずじまい。

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コロッセオとジェラート2つ(ローマへの旅11)

2006-05-15 | イタリア旅行2006

ローマといって、誰の頭にも、まず思い浮かぶのがこのコロッセオだろう。「コロッセオが崩れるとき、ローマは滅びる」という有名な詩句が、そのことを如実に表しているといえるだろう。

Colosseo

西暦72年にヴェスパシアヌス帝が着工し、80年にその息子であるティトス帝により完成した闘技場。この円形競技場が「コロッセオ」という通称で呼ばれたわけは、ネロ帝の巨大な黄金の像(巨像=colosso)が、すぐ近くに立っていたからである。

キリスト教が支配するようになってから、ローマの公共建造物は、格好の石材提供場に変わってしまったため、現在見ることのできるコロッセオは、ローマ帝国時代の3分の1でしかないとのことだが、それでもその迫力は見るものを威圧するほどである。映画「グラディエーター」には、コロッセオの全景がCGで再現されているので、これを見ている人には、この骨格だけになってしまったコロッセオからでも、かつて在りしの姿が想像しやすいのではないだろうか。闘技に使われる猛獣は、地下からエレベーターで地上に導けるようになっていたし、観客をローマの暑い日差しから守るため、天井部には布で覆うことができるようにもなっていたらしい。

空いているようなら、中を見学しようかと思っていたが、イタリアも連休ということで、すごい数の人たちがコロッセオの周囲に沿って列をなしていたため、今回は外からのみの見学で。

ここからホテルまでは、ほぼ一本道。若干距離はあるが、ローマ市内を散策しながらゆっくり歩いて帰ることにする。

歩き出すと、コロッセオのすぐ近くにジェラッテリアを発見。そういえば、ローマに来る前に、1日最低1つはジェラートを食べるという目標を立てていたので、さっそく買ってみた。かなり歩き疲れていたため、疲れを取るためにレモンのジェラートを頼んだ。

Gelato1

店の名前は忘れたが、まずまずのおいしさ。それでも、勢いが付いてもう一個食べたくなったが、途中から店があまりなくなってしまったため、結局見つけたのはホテルのすぐ横のBARで。

Hotel_president

中に入ると、威勢のいいおばちゃんが、半分怒ってるような口調で客とやり取りをしている。ちょっとたじろいだが、ジェラートを頼もうと並んでたら、おっさんが列を無視して注文しようとし、おばちゃんに怒られていた。それで、このおばちゃんはいい人だとわかって安心。ここでは、チョコレートのジェラートを頼むことに。結局ここのBARは、ミネラルウォーターも売っているという事もあり、僕らの中で勝手に「おばちゃんの店」と呼んで、旅行中何度も足を運ぶことになった。

Gelato2

これがチョコ味のジェラート。BARのジェラートということで、あんまり期待していなかったが、むちゃくちゃおいしい。チョコレート味だからおいしいのか、おばちゃんの店だからおいしいのかはわからない。やっぱり疲れた体には甘いものが一番だ。

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コンスタンティヌスの凱旋門(ローマへの旅10)

2006-05-14 | イタリア旅行2006

フォロ・ロマーノからコロッセオに足を運ぶと、途中、否応なしに目に飛び込んでくるのが、「コンスタンティヌスの凱旋門」である。皇帝コンスタンティヌスが、ミルヴィオ橋の戦いで、前帝マクセンティウスに勝利したことを祝して、建てられたもの。

北側から見た凱旋門

Arco_di_constantino_nord

南側から見た凱旋門

Arco_di_constantino_sud

ここには、もともとハドリアヌス帝の凱旋門があったのだが、その門の一部の装飾を取り除き、コンスタンティヌスへの献辞や浮彫りを埋め込んだという。また、それだけでは門の全てを装飾するのに充分ではなかったため、他の公共建造物からも取り外して付け加えている。というわけで、この凱旋門は、それ以前に作られたものの集合体になってしまっている。

①トライアヌス帝時代の彫像 : 正面と裏面の最上階に並ぶ、合計8体のダキア人の捕虜たちの彫像

②ハドリアヌス帝時代のもの : 門本体と、正面と裏面の第二階を飾る円形の8つの浮彫

③マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の最上階のダキア人の彫像の間にある8枚の浮彫

④コンスタンティヌス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の、中央と左右のアーチのすぐ上の部分の浮彫

Arco_di_constantino1

2体のダキア人の捕虜の間に見えるのが、マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫。どちらの浮彫にも、五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウスの姿が描かれている。

Arco_di_constantino2

左の円形の浮彫は、狩ったライオンを前にするハドリアヌス帝。右の方は、ヘラクレスの犠牲式の情景です。そのすぐ下の横長の浮彫がコンスタンティヌス帝時代のものであり、小麦の無料配給を受けるローマ市民の情景が描かれている。

Arco_di_constantino3

左側が、演説するマルクス・アウレリウス帝。右が、犠牲式の光景。兵士が持つ串焼きのような形のものは、ローマの軍団旗である。銀製の鷲の下に、各軍団別を示す標章が付いていた。

Arco_di_constantino4

左が、蛮族の代表を引見する皇帝。右が、蛮族の捕虜を検分する皇帝。

Arco_di_constantino5

円形左側が、狩りに出発するハドリアヌス帝。その右が、シルヴァヌス神への犠牲式。それらの下は、コンスタンティヌスによるヴェローナ攻略の図。

Arco_di_constantino6

円形左側、熊狩りの光景。右側、ディアナ神への犠牲式。それらの下に、マクセンティウスを破ったミルヴィオ橋の戦いの図が描かれている。

Arco_di_constantino7

中央上部に彫られた献呈の言葉。「ローマ元老院とローマ市民は、勝利への祝いとしてこの門を、インペラトール・カエサル・フラヴィウス・コンスタンティヌス・マクシムス・ピウス・フェリックス・アウグストゥスに贈呈する。そしてこの皇帝が、神にも等しい感覚の冴えと偉大なる意志力で率いた軍勢による正義の戦争によって、暴君を滅ぼしたことをここに記す」とラテン語で記されている。滅ぼされた暴君とは、もちろん前皇帝マクセンティウスである。日本にも、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があるが、どこの国においても同じような歴史が繰り返されているのだということを実感させられました。

※参考文献:塩野七生著「最後の努力 / ローマ人の物語XⅢ」

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フォロ・ロマーノ(ローマへの旅9)

2006-05-13 | イタリア旅行2006

カンピドーリオの丘の裏手の階段を降りると、すぐフォロ・ロマーノ。古代ローマの政治・経済・行政といった国家運営に必要な機能を一箇所に集めた場所である。目を瞑ると、皇帝の凱旋式が行われ、耳を澄ますと、古代ローマ市民の歓声が聞こえる、ここはそんな2000年もの時をタイムスリップできる場所でもある。

フォロ・ロマーノに降りる階段の上で、まず目に飛び込んでくるのは、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門。

Arco_di_settimo_severo

西暦203年にセヴェルス帝の功績を称えて建てられた凱旋門。両脇の二つの小アーチ部分には、2度のパルティア遠征での活躍が描かれている。日本人には、あまり馴染みのないセヴェルス帝だが、かの有名なカラカラ帝の父親である。大理石の化粧板の装飾は派手かつ豪華であり、後で見るティトスの凱旋門と比べると対照的でおもしろい。

すぐ右に見えるのが、サトゥルノの神殿。(写真左側の円柱)

Tempio_di_saturno

奴隷や貧民階級に敬われた農耕の神サトゥルノに捧げる神殿だった場所。神殿の入り口を飾っていた8本の円柱とイオニア式の柱頭、それらを結ぶ上枠が残っている。

ユリウスのバジリカ

Basilica_giulia

紀元前54年にユリウス・カエサルが着工した会堂で、アウグストゥス帝によって完成。司法・行政の場として使われ、中には4つの裁判所もあったという。

クーリア(元老院)

Curia

元老院が議会を開き、決定を下す公式の場として使われていた。この建物自体は、20世紀になって遺跡を元に復元したもの。今の日本でいう国会議事堂のようなものだろう。共和政ローマにおいて、もちろん主権者は、元老院並びにローマ市民であった。が、アウグストゥス以後帝政になって後も、皇帝は、彼ら有権者から統治を委託された存在であるため、主権者であることには変わりなかった。というわけで、ここは長年ローマの政治の中心となっていた場所なのである。ローマ市内を歩いていると、多くの公共物に「S・P・Q・R」の文字が刻まれているが、これこそ「元老院並びにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)」の略である。

カストルとポルックスの神殿

Tempio_di_castore_e_polluce

ローマを勝利に導いたという伝説の双子カストルとポルックスに捧げた神殿跡。この二人は、カンピドーリオ広場入り口に立てられていた像の二人ですね。

カエサルの神殿

Tempio_di_cesare

カエサルの遺体が火葬された場所。初代皇帝で、カエサルの養子でもあったアウグストゥスが建てたもの。石壁のようなものが残る程度で、知らない人ならそのまま前を通り過ぎてしまうだろう。それでも献花が置かれてあり、カエサルの人気ぶりはうかがえる。

アントニヌスとファウスティーナの神殿

Tempio_di_antonio_e_faustina

アントニヌスとは、五賢帝の一人アントニヌス・ピウス帝であり、彼が死んだ妻ファウスティーナのために建てた神殿。皇帝も、死後、ここに妻と一緒に祭られた。

ロムルスの神殿

Tempio_di_romolo

マクセンティウス帝が、幼くして死んだ息子ロムルスのために建てた神殿。ローマ建国の伝説に出てきたロムルスとは無関係。帝がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため未完成に終わったと考えられている。

マクセンティウスのバジリカ

Basilica_di_massenzio

フォロ・ロマーノ最大の建造物。マクセンティウス帝によって建設が始められたが、最後はミルヴィオ橋の戦いで彼を破った、コンスタンティヌス帝によって完成。コンセルヴァトーリ宮殿の中庭に一部があった、コンスタンティヌス帝の巨大な像はここに置かれていた。たしかにあの馬鹿でかい像にはぴったりの巨大さだ。

ティトスの凱旋門

Arco_di_tito

ヴェスパシアヌスとその息子ティトスの、エルサレム攻略を記念して建てられた。慈悲深いと評判だったティトス帝の凱旋門らしく、セヴェルス帝やコンスタンティヌス帝のものと比べると、飾り気がなく、質素な感じまでするほどだ。彼の治世は2年という短いものであったが、その間に、ポンペイを埋没させたヴェスヴィオ火山の大噴火、首都ローマの大火事、イタリア全域の疫病発生といった大災害が起こっている。しかも度重なる災害に、彼は私財を投げ打ったとのことだ。「ローマ人の物語」で、塩野七生も書いているように、若い彼の死は、災難続きで心身ともに疲労が重なったのが原因かもしれない。

またこの凱旋門の下を抜け、セヴェルスの凱旋門からカンピドーリオの丘まで続く道は、聖なる道(Via Sacra)といわれ、皇帝たちの戦勝の凱旋行進はこの道を通り、丘の上にそびえていたローマの最高神であるユピテルの神殿まで続いたとのことです。

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ベネツィア広場周辺(ローマへの旅8)

2006-05-12 | イタリア旅行2006

カンピドーリオの丘より、ベネツィア広場を眺める。

Piazza_venezia_1

ローマの中心に位置する広場。泊まっていたホテルが、この東南の方向にあったため、夜タクシーに乗って帰るたびに、この広場を通っていた。道が集まってきているため、交通量が多く、自分では絶対運転したくないと思った。

右手に見える白い大きな建物は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1870年のイタリア統一の立役者で初代国王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を記念して建てられた。周囲の景観に溶け込めていないと地元の人には言われているようだが、柱廊の上に立っている、勝利の女神の乗る4頭立ての馬車のブロンズ像などは、日本人の僕の目から見ると、いかにもローマらしいと思うのだがどうだろうか。

ヴェネツィア広場から東南に伸びるフォーリ・インペリアーリ通りに沿って、たくさんの遺跡が並んでいる。その一つのフォロ・ディ・チェザーレ(カエサルのフォロ)。

Foro_di_cesare

”foro”と伊和辞典でひくと、”フォーラム・公共広場”とでてくるが、そこからもわかるとおり「フォーラム」という言葉の語源になっている。古代ローマの中心地といえば、当然、フォロ・ロマーノが思い浮かぶが、このフォロ・ディ・チェザーレは、ローマの人口増加に伴いフォロ・ロマーノが手狭になった紀元前50年頃、ユリウス・カエサルが私財を投じて建設したもの。

この周りには、フォロ・アウグスト、フォロ・トライアーノ、トラヤヌスの市場といった遺跡が並んでいるが、今回は時間がないため見れず。そのままカンピドーリオ広場裏手の階段を降りて、フォロ・ロマーノへ向かうことに。

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「Caffe Capitolino」(ローマへの旅7)

2006-05-11 | イタリア旅行2006

ちょうどお昼時で、お腹が減ってきた。けど、今日は日曜日ということで、多くのレストランが休み。さてどうしようかと考えて、そういえばこのカピトリーニ美術館の上に食べれる場所があると何かのガイドブックに書いてあったのを思い出して行ってみた。

なかなか人で混みあっている。結構歩き続けで疲れているし、せっかくなのでここで食べようということに。ショーウィンドウに並んでいるのを見に行くと、なかなかおいしそうな食べ物が並んでいて食欲をそそられる。

Vetrina

食べたいものが決まったら、cassaと呼ばれるいわゆるレジに行き、そこで食べたいものを告げて、まずお金を払う。そこでもらったレシート(scontrino)をカウンターで見せて再び注文する、というシステムになっている。街の中にある多くのBARやジェラッテリアも同じようなシステムになっている。そういえば、日本でもスタバでは同じシステムですよね。

今回頼んだもの。

Mozzarella di Bufala e Prosciutto Crudo

Mozzarella_e_prosciutto_2

いわゆるモッツァレラと生ハム。日本でモッツァレラといえば、牛の乳から作られているものが多いが、ここはさすがに本場。名前通り水牛の乳から作られている。まさにイタリアでの定番中の定番。オリーブオイルと塩をかけて食べると、おいしい。ほんまにイタリアに来たんやと再確認できる一品。

Focaccia Romana:Tacchino,Formaggio

Focaccia_romana

そのまま訳すと、ローマ風フォカッチャ。フォカッチャとは、イタリアでよく食べられる平焼きしたパンのこと。最近は、日本のイタリアンレストランでもよく出されるので、知っている人も多いでしょう。中には、七面鳥のハムとチーズがはさまっている。

今日のお昼は、これにCaffe(エスプレッソ)と、Spremuta D'arancia(オレンジジュース)。晩にそなえて、二人でこれだけ(意外と少食?)。それでも、生ハムなどはなかなかのボリュームがあり、それなりにお腹一杯になった。

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カピトリーニ美術館(ローマへの旅6)

2006-05-10 | イタリア旅行2006

さぁ、いよいよカピトリーニ美術館へ。広場左手のパラッツォ・ヌオヴォ(新宮)と右手のコンセルヴァトーリ宮の二つの建物からなる美術館。

まず切符売り場を探したら、せまい部屋の中に窓口があって、入場券を買う人でごった返していた。忙しいせいか、切符売りのおばちゃんは、えらい無愛想。順番がきたので普通にお金払ったら、小銭を出せ出せとうるさい。「そんなことやってるから、切符を買う客が捌けなくて混んでしまうんやろ、だいたい値段決まってるんやから、お釣りぐらい十分に用意しとけよ」などと思うのだが、それは日本での常識であって、イタリアでは通じない話なんだろう。そういえば、映画館の窓口で、煙草吹かしながら客の応対をしているおばはんもおって、そこまでいくともう笑うしかなかった。

この美術館は、意外と中が複雑なため、見たいものをあらかじめ、ある程度決めておかないと、中でどこにいるか迷子になってしまう。実際、知らないうちに美術館の外に出てしまっていて、2度ほど、入り口から再入場させられる羽目になってしまった。

まずは、新宮(Palazzo Nuovo)から。

「諸皇帝の間」や「哲学者の間」には、数え切れないほどのローマ皇帝や哲学者達の胸像が並んでいる。写真は、カラカラ帝。

Caracalla

ローマ郊外にあるカラカラ浴場のおかげで多くの人に名前を知られている皇帝であるが、母親の目の前で弟のゲタを殺し、一般市民を大量虐殺した極悪非道な人物。この胸像の表情から、残虐性まではわからずとも、その気の強さは十分に伝わってくる気がする。

「瀕死のガリア人」

Galata_morente

紀元前3世紀頃のブロンズ彫刻のコピー。深手を負って瀕死の状態のガリアの兵士の姿。

「カピトリーノのヴィーナス」

Venere_capitolina

この像一体だけ、「ヴィーナスの小部屋」という別の小さな部屋に置かれている。確かに魅力のあるこの像の周りには、多くの人が集まっていた。

「円盤投げの戦士」

Querriero

オリジナルは、紀元前5世紀のもの。「瀕死のガリア人」もそうだが、筋肉の形がリアルで、今にも動き出しそうなほどだ。

中庭にある「マルフォリオ」

Marforio

もともとカンピドリオの丘の麓にあった、2世紀頃の作品。かつては、法王庁に対する悪口や非難の文がこの像に貼られ、庶民に告発の場を与えていたという。この像の隣のスペースに、「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」があるとのことだったが、見当たらず。修復か何かで見れないのかと思っていたが、今さっきカピトリーニ美術館のHPを見てたら、コンセルヴァトーリ宮に移されているようだ。

コンセルヴァトーリ宮殿へ。

有名な「とげを抜く少年」

Spinario

これも有名な「カピトリーノの雌狼」

Lupa_capitolina

ローマ建国の伝説に基づく有名な雌狼のブロンズ像。二人の赤ん坊は、狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムス。ロムルスは、互いの領域を侵さないという誓約を破ったレムスを殺し、ローマ初代の王となったといわれている。ローマの名前の由来は、このロムルスからきている。

「コンスタンティヌス帝頭部像」

Constantinus

写真ではわからないが、中庭にあるこの像は、おそろしくばかでかく、壁際に置かれているものの、一際存在感を放っている。破損した体の一部も置かれているが、全身を合わせるとどれぐらいになるかこの状態では想像がつかない。もともとフォロ・ロマーノのマクセンティウス帝のバジリカにあったとのこと。後でフォロ・ロマーノで見たが、確かにこちらもばかでかい建物であり、この像が設置されていたというのもうなずけた。

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カンピドーリオ広場(ローマへの旅5)

2006-05-09 | イタリア旅行2006

テアトロ・マルチェッロ通りから、コルドナータと呼ばれる石段のある坂道を上ると、広場の入り口の左右に、双子座で有名なカストルとポルックス兄弟の巨像が出迎えてくれる。

Cordonata

カンピドーリオ広場は、正面にローマ市庁舎、左右にカピトリーニ美術館(コンセルヴァトーリ宮殿とカピトリーノ博物館)を配し、その中央にマルクス・アウレリウス帝の騎馬像。

このカンピドーリオ広場は、ミケランジェロの傑作といわれており、敷石が美しい幾何学模様になっている。

Piazza_campidoglio

人が多すぎて敷石の模様があまり見えず。ちなみに、GOOGLE マップで、ROMAと打ち込んで、サテライトにしてアップで見ると、美しい幾何学模様がばっちり見えます。

中央のマルクス・アウレリウス帝の騎馬像。

Marcus_aurelius_1

五賢帝の一人。哲人皇帝とも呼ばれ、「自省録」を書いたことでも有名だが、一般的にはアカデミー作品賞を獲得した、リドリー・スコット監督のハリウッド映画「グラディエーター」で、リチャード・ハリスが演じた皇帝と言ったほうが、わかりやすいかもしれない。

広場に設置されているこの騎馬像は、実際はコピー。本物は、傷みが激しいため、カピトリーノ博物館内に保護されているとのことだったが、僕が行った時は、おそらく修復中か何かで、あるべき場所は、がらんどうになっていた。帝政時代のブロンズ像で、今日に伝わる唯一の作品とされる貴重なものであり、一時、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝と間違われ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会に飾られていたとのこと。そう聞いて、コンセルヴァトーリ宮殿内のコンスタンティヌス頭部像と見比べてみたが、そういわれれば、どことなく似ているような、でも似ていないような。

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真実の口広場周辺(ローマへの旅4)

2006-05-08 | イタリア旅行2006

バールで少し休憩後、カンピドーリオの丘へ向かうことに。

行きしなと違い、帰りはパラティーノ橋を歩いて渡る。橋のすぐ左手に、壊れた橋が見える。

Ponte_rotto

紀元前に作られた橋が壊れたのをそのまま残したもの。壊れてはいるものの、断面から見ても、なかなかしっかりした橋で、紀元前にこれだけの橋を作ることができたローマの建築技術の高さに驚かされる。

橋を渡るとすぐ真実の口広場。通りを隔てた向こうに、「ローマの休日」の真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会が見える。ロマネスク様式の鐘楼がひときわ目立っていて美しい。建物は工事中の布で覆われていたが、日曜日ということもあってか、真実の口に手を入れようと並ぶ観光客でいっぱいだった。

Smaria_in_cosmedin

また、広場の周囲には、たくさんのローマ時代の遺跡を見ることができる。

ヴェスタの神殿

Tempio_di_vesta

ローマに残る大理石の神殿としては最も古く、紀元前2世紀の終わりの建築とのこと。

フォルトゥーナの神殿

Tempio_della_fortuna_virile

港の神ポルトゥヌスに捧げられたものであったといわれている。4本の柱を備えた前室を持ち、他の3面は柱の半分を外壁が取り囲んだ形になっている。

そのまま大きな通りを北に歩いていくと左手にマルチェッロ劇場がある。

Teatro_di_marcello

ユリウス・カエサルが建設を始め、紀元前11年にアウグストゥス帝によって完成された円形劇場。写真の、建物の手前を歩いている人と見比べればその大きさがわかると思うが、内部には1万5000人以上の観客が収容可能だったといわれている。見た目、コロッセオに似てるなと思う人も多いと思うが、実際この劇場はコロッセオの建設の手本にされている。ただ、コロッセオの収容人数は、一説によると約6万人との事なので、この劇場の4倍もあり、改めてコロッセオの巨大さに驚かされた。

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サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会(ローマへの旅3)

2006-05-07 | イタリア旅行2006

ポルタポルテーゼ日曜市に行った後は、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会へ。

とりあえず、トラムの走るトラステヴェレ通りに出ようと裏道をぷらぷら散歩しながら向かう。トラムの走る大きな道に出てきたので、後はサン・フランチェスコ・ア・リーパ通りに入れば一本道だと思ったのだが、なかなか見つからず。道に迷ったのかと、犬を散歩しているおじさんに尋ねたら、えらく丁寧に教えてくれた。とはいっても、言っていることの半分以上は理解できてないんだけど。それにしても、さすがはおしゃべり好きなイタリア人。こっちが片言のイタリア語で話しかけると、大喜びで道を教えてくれる。これも僕がイタリアが大好きな理由の一つだ。

とにもかくにも、なぜか全く反対側に向かって歩いていたことが判明。早いとこ人に聞いておいてよかった。ローマでも、相変わらず方向音痴な自分に笑ってしまった。

サン・フランチェスコ・ア・リーパ通りを歩いていき、噴水のある広場に出ると、すぐ目の前にサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会が。

Chiesa_di_smaria_in_trastevere1

パッと見た感じでは、落ち着いた佇まいで、それほど目立つ教会ではないが、ファサードの、玉座の聖母子を中央にランプを奉納する10人の聖女を描いたモザイク画は、長年の歴史のせいで色褪せてはいるものの、よく見るとすばらしい。

Chiesa_di_smaria_in_trastevere2

すぐ横の鐘楼の上にも、目立たないながらも聖母子のモザイク画があり、なんだかおしゃれ。

Chiesa_di_smaria_in_trastevere3

外観の地味な感じとは打って変わって、一歩足を教会内に踏み入れると、その荘厳さに息を呑んじゃいます。

Chiesa_di_smaria_in_trastevere4

後陣の半円形ドーム中央に「聖母の戴冠と緒聖人」、その下に神の子羊を中心に12使徒の象徴である12匹の羊が描かれている。そのもう一段下には、ピエトロ・カヴァリーニの代表作である「受胎告知」「キリストの誕生」「三王礼拝」を見ることができます。これらのモザイク画が、ステンドグラスから射し込んだ太陽の光によって、黄金色に輝いていて、本当に感動ものです。

教会で感動した後は、しばし休憩。「BELLI(ベッリ)」という店のジェラートがおいしいと聞いていたのだが、お店は発見したものの、ジェラートはなく、BAR(バール)になっていた。しょうがないのであきらめて歩いていると、ローマで有名なおいしいコーヒー店の「Tazza d'oro(タッツァドーロ)」の支店(?)を発見。さっそく Caffe(エスプレッソ)を注文。 イタリア人がするように、少ない液体の中にたっぷり砂糖を入れて飲んでみた。この旅初のエスプレッソ。気分のせいもあるが、やっぱり本場のエスプレッソはおいしかった。

Tazza_doro

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ポルタ・ポルテーゼの蚤の市(ローマへの旅2)

2006-05-06 | イタリア旅行2006

ローマに来たぞという興奮のせいか、時差ぼけのせいか、夜中何度も目覚めてしまったが、朝はしっかりと6時に目が覚めた。朝食は6時半からだし、うちの奥さんはまだ寝ているので、静かーにその日の行動の計画を見直しておく。今回の旅は、カプリ島の青の洞窟に行く日以外はすべてフリーなので、どこに行くか計画を立てるのがすごく楽しかった反面、緊張感もあり。

そうこうしているうちに、7時前になったのでホテルの食堂で朝食。ビュッフェタイプになっていて、好きなものを自由に取って食べれる。

Prima_colazione

ついつい腹いっぱいになりそうなほど取りたくなったが、この後、外で食事やらジェラートやら食べることを考えて控えめに。左の生クリームに包まれた物体はシュークリーム。一口食べると、中からもクリームが出てきて、甘いもの好きな僕には朝から最高。もう一個食べたい欲望をやっとのことで抑える。そして、さすがに本場のだけあって、カプチーノも激ウマだった。

腹ごしらえも済んだので、さっそく出掛けることにする。その日は日曜日ということで、せっかくなので日曜日しかやっていないポルタポルテーゼの蚤の市へ。地下鉄の路線は近くまでいっておらず、バスは路線が難しそうなのでタクシーで。テヴェレ川にかかるスブリチオ橋を渡ると、すぐポルタポルテーゼ広場に着いた。

Piazza_di_porta_portese

目の前にはポルテーゼ門。この門を一歩くぐると、数え切れないほどたくさんの店が連なっている。

市場側から、ポルテーゼ門を眺めるとこんな感じ。

Portese_mercato

まだ朝8時半過ぎ、しかも若干小雨がぱらついているというのに、これだけの人がうろうろしている。靴やバッグからCDにゲームソフト、電化製品、アンティーク品に至るまでいろいろなものが売り出されている。途中雨が降ってきたが、商品が濡れようがおかまいなしの店員の態度にすげぇと感心。うちの奥さんが、バッグを見てたら、黒人の店員がやってきてこれは15ユーロで安いから買え買えと勧める。「これお土産になるかな」などと話していると、「二つ買ったら25ユーロや」なんて言ってきた。それでも迷っていたら、「俺の友達がこの何軒か先で店出して同じバッグ売ってるけど、うちより高いからここで買わんと損や」とまで言ってくる。結局買わなかったが、後でサンタンジェロ城の周りの道端で、同じバッグにプラダのマーク(もちろん偽物だろう)を付けて売っているのを見つけて笑ってしまった。

しばらくうろうろしていたが、結局何も買わず。ここの蚤の市は、別名”泥棒市”というくらいスリの巣窟になっているため、雨も上がり人で混みあってきたところで、市場から退散した。

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いざローマへ!(ローマへの旅1)

2006-05-05 | イタリア旅行2006

以前より、新婚旅行で一度訪れたイタリアに再び行きたいと思っていたのだが、塩野七生の著書を何冊か(特に圧巻なのが「ローマ人の物語」シリーズ)読んだことにより、行きたいなで終わってたのが、「絶対行くぞ」に変わり、それが今回のローマ旅行に繋がったのでした。というわけで、歴史のおもしろさを味わわさせてくれた上に、自分とローマを結び付けてくれた塩野七生に感謝しきり。

というわけで、ローマ旅行。

飛行機は、関空発のエール・フランス。

1giorno1

まずは、大阪からパリまで約11時間半。シャルル・ド・ゴール空港で乗り換えて、ローマのフィウミチーノ空港(別名、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)まで約2時間。

1giorno2

大阪・パリ間の飛行機の各シートには、小さいテレビが付いていて、ゲームや映画などを楽しむことができる。たいしたゲームは入ってないが、これでかなり暇つぶしができる。結局本を読んだり、ゲームをしたりで、一睡もできず。

パリ・ローマ間の飛行機内から見えたアルプス。

1giorno4

ここを越えるとイタリアはもう少し。紀元前218年、カルタゴの名将ハンニバルはこのアルプスを越えてローマに攻め込んだという。馬はもちろんのこと、象まで行軍に加わっていたというのだから、驚きだ。

そうこうしているうちにローマに着いたのは、21時過ぎ。なかなかトランクが出てこないので、ロストバゲージかと不安になったが、約40分後、待ちくたびれた頃にやっと出てきてホッと胸をなでおろした。

空港からホテルまでは送迎を頼んでいたのだが、土砂降りの中、携帯片手にしゃべりながら、相当なスピードでぶっ飛ばすイタリア人の運転に冷や冷やしっぱなし。まぁ、なんとか無事ホテルに到着し、またまた胸をなでおろしたのでした。

ホテルは、地下鉄AラインMANZONI駅近くの「ホテル・プレジデント」。フロントのおやじが、めっちゃお茶目で、チェックインの際に冗談ばっかり言ったり、やったりしていて、かなり笑えた。

その日は、機内食でお腹一杯なのと、すでに夜遅く、長時間のフライトで疲れていたため、速攻で寝てしまった。

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