(毎日新聞 2010年8月25日 東京朝刊)
◇子ども時代をやり直す--古田足日さん(82)
1960年代の高度成長期、小学生が社会の出来事を自分たちに引きつけ考えを深める姿を描いた「宿題ひきうけ株式会社」(理論社)は、44年たったいまも読み継がれている。作者の古田足日さん(82)は「自分の子ども時代をやり直すための作品」と話す。【聞き手・木村葉子】
物心ついたころから日本はずっと戦争をしていました。当時の学校教育は、子どもが筋道立て論理的に考えることをつぶそうとしていた。小学6年生のころ、日清戦争は日本と中国の戦争なのに主な戦場は朝鮮、日露戦争は日本とロシアの戦争なのに主な戦場は中国だと気づき、不思議でした。でも、先生に質問してはいけないと思い、結局聞けないままでした。
中学生になると勤労動員で工場や農場で働くのですが、私は初期の肺結核を患い学校で軽い作業をする組になりました。これでは戦争の役に立たないと、同じ境遇の友人と松山の航空隊に、「体が悪いからこそ早く兵士になりたい」と血判の手紙を出すと、「まず体を治すように」と返事が来ました。地元紙に美談と報じられ、事情を知らず驚く母に、「天皇陛下の役に立って死ぬのは、いけないのか」と聞きました。母は黙ったままでした。敗戦のラジオ放送を聞いたのは、大阪外語学校の勤労動員で大阪府浜寺の海岸で塩作りをしている時です。日本が負けたことがわかると、級友たちと海に走り込んで泣きました。祖国日本の山河が南蛮夷狄(いてき)(外国人)に踏みにじられると思うと涙が出て、切腹も考えました。
自分の中で天皇中心の価値観ができあがりつつある時期に敗戦を迎え、世界観が覆されました。民主主義という言葉を聞いても、実体験がないのでわからない。新しい価値観を持てと言われても、わからない。敗戦後数年は生きていることがむなしかった。一つ見いだしたのは「世の中で主流になっている考え方は、全部疑う」ことでした。
「宿題」ではまず、読者が面白がるものを書こうと思いました。作品の中で子どもたちは、受験勝者が必ずしも社会的な成功者ではないことや、コンピューターの導入で配置転換される兄など、身近な大人から社会の様子を垣間見ます。大人とかかわりながら、便利な世界が本当に生きやすいのか、生きる権利とは何かを深く考えます。子どもが社会に疑問を抱き、答えを導き出すのに大人が寄り添うことは、私の子ども時代はなかった。私はこの作品で子ども時代をやり直したのです。
初版から30年たって、一部訂正した新版を出しました。作中に引用した物語が、アイヌ民族を差別した作品だという指摘を受けたからです。私の認識不足でした。こうした場合は普通、絶版にするけれど、書き直しました。絶版にしたら、私の生き直した証しがなくなってしまうからです。
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■人物略歴
◇ふるた・たるひ
1927年愛媛県生まれ。早大文学部露文科中退。59年の「現代児童文学論」で日本児童文学者協会新人賞受賞。61年の「ぬすまれた町」以後、児童文学作家としても活躍し、「宿題ひきうけ株式会社」は日本児童文学者協会賞を受賞した。主な作品に「ロボット・カミイ」「おしいれのぼうけん」など。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100825ddm010040155000c.html
◇子ども時代をやり直す--古田足日さん(82)
1960年代の高度成長期、小学生が社会の出来事を自分たちに引きつけ考えを深める姿を描いた「宿題ひきうけ株式会社」(理論社)は、44年たったいまも読み継がれている。作者の古田足日さん(82)は「自分の子ども時代をやり直すための作品」と話す。【聞き手・木村葉子】
物心ついたころから日本はずっと戦争をしていました。当時の学校教育は、子どもが筋道立て論理的に考えることをつぶそうとしていた。小学6年生のころ、日清戦争は日本と中国の戦争なのに主な戦場は朝鮮、日露戦争は日本とロシアの戦争なのに主な戦場は中国だと気づき、不思議でした。でも、先生に質問してはいけないと思い、結局聞けないままでした。
中学生になると勤労動員で工場や農場で働くのですが、私は初期の肺結核を患い学校で軽い作業をする組になりました。これでは戦争の役に立たないと、同じ境遇の友人と松山の航空隊に、「体が悪いからこそ早く兵士になりたい」と血判の手紙を出すと、「まず体を治すように」と返事が来ました。地元紙に美談と報じられ、事情を知らず驚く母に、「天皇陛下の役に立って死ぬのは、いけないのか」と聞きました。母は黙ったままでした。敗戦のラジオ放送を聞いたのは、大阪外語学校の勤労動員で大阪府浜寺の海岸で塩作りをしている時です。日本が負けたことがわかると、級友たちと海に走り込んで泣きました。祖国日本の山河が南蛮夷狄(いてき)(外国人)に踏みにじられると思うと涙が出て、切腹も考えました。
自分の中で天皇中心の価値観ができあがりつつある時期に敗戦を迎え、世界観が覆されました。民主主義という言葉を聞いても、実体験がないのでわからない。新しい価値観を持てと言われても、わからない。敗戦後数年は生きていることがむなしかった。一つ見いだしたのは「世の中で主流になっている考え方は、全部疑う」ことでした。
「宿題」ではまず、読者が面白がるものを書こうと思いました。作品の中で子どもたちは、受験勝者が必ずしも社会的な成功者ではないことや、コンピューターの導入で配置転換される兄など、身近な大人から社会の様子を垣間見ます。大人とかかわりながら、便利な世界が本当に生きやすいのか、生きる権利とは何かを深く考えます。子どもが社会に疑問を抱き、答えを導き出すのに大人が寄り添うことは、私の子ども時代はなかった。私はこの作品で子ども時代をやり直したのです。
初版から30年たって、一部訂正した新版を出しました。作中に引用した物語が、アイヌ民族を差別した作品だという指摘を受けたからです。私の認識不足でした。こうした場合は普通、絶版にするけれど、書き直しました。絶版にしたら、私の生き直した証しがなくなってしまうからです。
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■人物略歴
◇ふるた・たるひ
1927年愛媛県生まれ。早大文学部露文科中退。59年の「現代児童文学論」で日本児童文学者協会新人賞受賞。61年の「ぬすまれた町」以後、児童文学作家としても活躍し、「宿題ひきうけ株式会社」は日本児童文学者協会賞を受賞した。主な作品に「ロボット・カミイ」「おしいれのぼうけん」など。
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100825ddm010040155000c.html