先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

小樽が挑む日本遺産3件目 北海道の「心臓」と呼ばれたまち 初の単独、魅力発信狙う

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/09 05:00
 【小樽】小樽市が今年、3件目の日本遺産認定に挑んでいる。既に道内外の「北前船寄港地」と、空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港から成る「炭鉄港」の構成自治体の一員として日本遺産に認定されており、今回は市単独認定を目指す。自治体単独を含め3件が認定されれば岡山県倉敷市、広島県尾道市、山形県鶴岡市に続く国内4市目で、道内初。ただ文化庁に申請した構成文化財候補は認定済み5件が重複している上、現在の遺産活用も十分ではないとの指摘もあり、実現への道程は険しそうだ。
 「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」。1月に小樽市で開かれた市日本遺産推進協議会で、単独認定に向けた申請タイトルが決まった。
 単独認定を目指すのは、歴史遺産が集積する小樽の魅力を効果的に発信して、観光振興などにつなげる狙いがある。鉄路などで集まった物資が、小樽港を通じて本州に運ばれた歴史を「心臓が血液を循環させる」(同協議会)様子になぞらえた。小樽ゆかりの作家小林多喜二が昭和初期の随筆で表現したことにも由来。
 同市が日本遺産に関心を示したのは2015年秋。制度は同年、文化庁が新設。地域の歴史的物語性を重視するとの趣旨を知った市内の文化関係者から、運河や倉庫群など近代化の歴史を色濃く現す施設が残る「小樽こそ申請すべきだ」との声が出て準備を始めた。
 当時は「市の文化財を活用したまちづくりへの関心は薄かった」(市幹部OB)。市内の国や道、市の指定文化財は旧日本郵船小樽支店(国の重要文化財)など15件で、倉敷市の163件の1割にも満たない。
 そんな中、小樽には18年以降、複数自治体共同での日本遺産認定が転がり込む。全国45市町の「北前船寄港地」、道内12市町の「炭鉄港」。旧産炭地を抱え、PRに前向きな空知管内と比べると、認定後の活用策が十分とは言い難く、市民にも浸透していない。市内の主婦(74)は「小樽市に日本遺産があるなんて知らなかった」と言う。
 市は今年1月に行った単独申請で、構成文化財候補に37件を盛り込んだ。うち「色内銀行街」「小樽港北防波堤」を含め5件は炭鉄港などで認定済み。重複とみられれば、不利に働きかねない。
 日本遺産は文化庁が目指す100件程度に対し83件が認定。道内では今年、根室管内標津町など1市3町がサケ漁、札幌市など30市町が道内の食産業をテーマに申請。全国では約70件が申請したとみられる。
 「心臓」のアイデアを出した小樽商大の高野宏康学術研究員は言う。「北海道の近代史を心臓として支えた小樽の単独認定は、北海道発展の歴史が認められたことにもなる。ハードルが高いが、ぜひ実現させたい」(渡辺佐保子)
<ことば> 日本遺産 文化庁が地域の風土に根ざした文化の「ストーリー」を認定する制度。道内関連では、檜山管内江差町の「ニシンの繁栄が息づく町」(2017年)、上川管内上川町を中心とする「カムイと共に生きる上川アイヌ」(18年)など計4件が認定されている。今年の認定結果は5月中にも出る見込み。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391512

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道建設業協会も「ウポポイ休暇」

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/09 05:00
 北海道建設業協会(岩田圭剛会長)は、胆振管内白老町に4月24日開業する、アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を職員が訪れるための特別休暇制度を同日から設ける。傘下の会員企業にも呼びかけ、建設業界全体で開業を後押ししたい考え。
 ウポポイを初めて訪れる約30人の職員が対象。本人と、その家族の入場料(大人1200円など)も全額補助する。会員企業約600社にも休暇導入を呼びかけ、アイヌ文化への理解を深めてもらうとともにウポポイの年間来場者数100万人の目標達成を支援する。
 「ウポポイ休暇」は北海道銀行が行員約2700人を対象に導入することを決めている。(堀田昭一)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391510

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ刺しゅう美しく 釧路市立博物館で首飾り作り

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/09 05:00

アイヌ文様の刺しゅうが施された首飾りを作った体験講座
 【釧路】アイヌ刺しゅうの体験講座が8日、釧路市立博物館で開かれ、参加者がアイヌ文様の施された「レクトゥンペ」と呼ばれる首飾りの製作を楽しんだ。
 釧路アイヌ協会と阿寒アイヌ協会でつくる釧路イオル共同体の主催。市民ら32人が参加し、釧路アイヌ協会の会員ら3人が指導した。
 参加者は紺色の細長い布地に型紙を使ってアイヌ文様を写し、黄色やピンク色など好みの色の糸で丁寧にチェーンステッチ(鎖縫い)を刺しゅうした。両端に結び目部分の赤い布を取り付けた後、古銭やビーズを縫い付けて装飾し、完成させた。
 参加者の一人、釧路市の飲食店従業員武藤和也さん(38)は「アイヌ文様のかっこよさに興味があって参加した。アイヌ文化を学び、日常生活に取り入れたい」と話していた。(熊谷知喜)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391475

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ウポポイ」舞踊や音楽でPR さっぽろ雪まつり 宇梶さん「多くの人訪れて」

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/09 05:00

ステージで古式舞踊を披露するアイヌ民族文化財団のメンバー(中川明紀撮影)
 第71回さっぽろ雪まつりの大通会場(札幌市中央区)で8日、胆振管内白老町に4月にオープンするアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」をPRするイベントが行われた。
 道の主催。ウポポイをテーマにした大雪像がそびえる8丁目のステージに、民族衣装に身を包んだアイヌ民族文化財団のメンバー約10人が登場。ムックリ(口琴)の演奏に続き、鶴の舞とクマの霊送りの踊りを披露した。
 広島県から訪れた久野晃義さん(57)は「独特の音色が奥深い。教科書でしか知らなかったアイヌ民族が身近に感じられた」と話していた。
 ウポポイ開設PRアンバサダー(大使)の俳優宇梶剛士さんと、アイドルグループAKB48の坂口渚沙さんのトークショーも行われた。宇梶さんは「多くの人にウポポイを訪れてもらい、心躍るような時間を過ごしてほしい」と呼びかけた。(安倍諒)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391471

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪開会式 アイヌ舞踊不採用に落胆 情報発信に望み

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/08 05:00
 今夏の東京五輪の開会式プログラムの中で検討されていたアイヌ古式舞踊の披露が採用されない見通しとなったことで、準備を進めてきた道内各地のアイヌ民族や関係者から落胆の声が上がっている。五輪関係者らは舞踊ではない形での文化発信を模索しているといい、「世界的なイベントでアイヌ民族の存在を国内外に伝えられる演出を」と望みをつなぐ。
 「何年もかけて用意してきただけに非常に残念だし、会員たちにも申し訳ない」。北海道アイヌ協会の加藤忠理事長は肩を落とす。
 同協会は2015年、五輪に向けた取り組みを話し合う「アイヌ文化発信検討会議」を発足。政府にも千人規模で群舞する想定を伝え、道と連携しながら各地で指導者育成や練習会を進めていた。加藤理事長は「アイヌ民族について理解が深まる演出を引き続き求めていく」と強調する。
 昨年11月に参加を希望する会員らの名簿を作成した登別アイヌ協会の上武和臣(うえたけかずとみ)会長(58)は「正式決定の連絡がなく心配していた。悪い予想の通りになってしまった」。道協会主催の練習会に参加し、舞踊を収録したDVDを自宅で何度も視聴してイメージを膨らませたという日高管内新冠町のアイヌ生活相談員板屋越(いたやごし)和弘さん(56)も「期待していただけに本当にショック」とうなだれる。
 舞踊の披露を巡っては、高橋はるみ前知事らも政府に要請。菅義偉官房長官や大会組織委の森喜朗会長らから前向きな回答を得て、道も採用される可能性が高いとして関連事業費を計上してきた。鈴木直道知事は7日の定例会見で「引き続き、組織委などの検討状況を注視する」と述べた。
 同化政策などで抑圧された歴史を持つ先住民族にとって、五輪開会式は文化発信以上の意味を持つ。1994年のリレハンメル冬季五輪では、北欧の先住民族サーミが伝統音楽を披露し、その後の権利回復の動きにつながった例も。平取アイヌ協会の川奈野(かわなの)栄子副会長(69)は「アイヌ民族のことを伝える好機だと思っていた」と残念がる。
 大会実行委などは、開会式で舞踊ではない形での出番や、マラソン・競歩が開催される札幌での舞踊披露を検討しているとされる。1月に練習会を開き、2月にも予定する中標津アイヌ協会の戸田幹雄会長(64)は「開会式の前後の少しの時間でもいいので、世界に広く発信できる場所で披露ができたら」と望む。(升田一憲、長谷川史子、久保耕平)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391304

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地域再生大賞」道内2団体表彰

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/08 05:00
 北海道新聞社など地方新聞46紙と共同通信は、地域活性化に挑む団体を支援する「第10回地域再生大賞」の表彰式を7日、東京都内のホテルで開いた。ITを活用した先進的な空き家対策で大賞に輝いた「ふるさと福井サポートセンター」(福井)などに表彰状を贈り、各紙が推薦した50団体の活動をたたえた。
 道内から受賞した2団体のうち、ブロック賞に選ばれた「恵み野商店会」(恵庭市)は地元イベント準備のため表彰式を欠席。優秀賞の「知里森舎(ちりしんしゃ)」(登別市)からは、アイヌ文化伝承者・知里幸恵の親族にあたる木原仁美さん(45)と、スタッフの松本徹さん(67)が出席した。松本さんは「アイヌ神謡集を世界に発信する取り組みを、これからも続けたい」と話していた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391270

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「研究倫理指針以前に謝罪を」 アイヌ民族など団体が声明文

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/08 05:00
 アイヌ民族や研究者らでつくるアイヌ政策検討市民会議は7日、日本人類学会などが昨年12月に示したアイヌ民族に関する研究倫理指針案に対し、「尊厳を傷つける研究がなされてきたことへの反省が不明確」として謝罪を求め、研究を前提とせず遺骨を出土地に返還するよう求める声明文を出したことを明らかにした。
 同会議は同日、道庁で会見し、指針案を策定した3学会と北海道アイヌ協会に3日付で声明文を送ったと発表した。声明では、アイヌ民族の意向に反するこれまでの遺骨の収集、研究を「重大な人権侵害」として謝罪の必要性を強調。指針案にも明記された「先住民族の権利に関する国連宣言」に基づき、遺骨の返還、再埋葬を進めるべきだとした。
 同会議世話人で、アイヌ民族の清水裕二さんは会見で「謝罪も返還もせず、研究ありきの指針をつくることは許されない」と指摘。世話人代表の丸山博室蘭工大名誉教授も「国際社会の認識に逆行する」と述べた。(斉藤千絵)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391269

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪 アイヌ舞踊「違う形で」 萬斎氏 開会式は不採用

2020-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/08 09:40 更新
 今夏の東京五輪の開閉会式の企画と演出を総合統括する狂言師の野村萬斎氏は7日、東京都内で行われた記者会見で、アイヌ舞踊について「式典としての制約がある中で、なかなかはまりきらなかった」と述べ、開会式のプログラムに採用しない方針を認めた。その上でアイヌ舞踊は「(式典とは)違う形で行われると聞いている」と語った。
 開閉会式の関連行事に出席した野村氏は「アイヌの方との共生というものも当然、視野に入れた式典になる」と指摘。「当然、セレモニー・式典の中にはアイヌ民族の方が参画する」と述べ、舞踊とは異なる形での出番を検討していることを明らかにした。
 会見に同席した大会組織委員会の中井元チーフ・セレモニー・オフィサーは「(五輪とパラリンピックの開閉会式という)四つの式典全体で、いろいろなことを表していきたい」と述べたが、内容の詳細は明らかにしなかった。
 開閉会式のプログラムについては「まだ検討中」(組織委幹部)とされており、今後も協議が続く見通しだ。
 これに関連して菅義偉官房長官は7日午後の記者会見で「組織委員会など関係者と相談しながら、アイヌ文化の素晴らしさを国内外に発信していきたい。そうした思いの中でしっかり対応している」と強調した。(木村直人、金子俊介)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/391026

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪開会式、アイヌ舞踊は不採用 「はまらなかった」

2020-02-09 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2020年2月7日 15時25分
 7月24日の東京五輪開会式の演出で、アイヌ民族の伝統舞踊は不採用になった。開閉会式の総合演出を統括する狂言師の野村萬斎さんが7日、「式典の制約の中で、(踊りが)はまらなかった」と語った。
 アイヌの舞踊を巡っては、北海道アイヌ協会が中心となって政府や大会組織委員会に要望していた。
 しかし、関係者によると、内閣官房アイヌ総合政策室が1月末、同協会に開会式での不採用を説明。マラソン・競歩の札幌開催に合わせた舞踊の披露を札幌市と協議しているという。
 シドニーやバンクーバーなど過去の五輪では先住民が開会式に登場していた。野村さんは「アイヌの方との共生も視野にいれた式典になるようにしている」と述べ、アイヌ民族の存在を知らせる演出が含まれることにも言及した。
https://www.asahi.com/articles/ASN274TZVN27UTQP00K.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ伝統舞踊、不採用に 野村萬斎さん「共生は視野」―東京五輪開会式

2020-02-09 | アイヌ民族関連
JIJI.COM 2020年02月07日19時39分
 7月24日開幕の東京五輪で、同日に行われる開会式の式典演出をめぐり、アイヌ民族の伝統舞踊が不採用になったことが分かった。開閉会式の総合統括を務める狂言師の野村萬斎さんが7日、「式典の制約の中で、(舞踊が)なかなかはまりきらなかった」と語った。
 北海道アイヌ協会などがこれまで、アイヌ舞踊を五輪開会式のプログラムに盛り込むよう政府に要望していた。
 一方で野村さんは「アイヌの方との共生というものも視野に入れた式典になる」と述べ、異なる形でアイヌ民族について紹介する演出を用意していることを示唆した。橋本聖子五輪相は7日の記者会見で「北海道でサッカーの予選、マラソン、競歩が開催されるので、伝統文化もしっかりとその場を契機として発信するのは重要」と話した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020020701222&g=spo

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪開会式"アイヌ古式舞踊"なし濃厚…6年前から1000人規模要請してきた協会幹部「非常に残念」

2020-02-09 | アイヌ民族関連
UHB2/7(金) 13:30配信
 東京オリンピックの開会式で披露されることが検討されていたアイヌ民族伝統の古式舞踊について、プログラムに盛り込まれない見通しとなったことが、関係者への取材で分かりました。
 関係者によりますと、2020年1月末、東京オリンピックの開会式のプログラムにアイヌ民族の古式舞踊が盛り込まれない見通しであることが、北海道アイヌ協会側に伝えられたということです。
 道やアイヌ協会は2014年から開会式で、アイヌ民族の古式舞踊を1000人規模で披露できるよう、組織委員会などに要請を行ってきたほか、各地で練習も続けられていました。
 協会の幹部は「要請を続けてきたのに、非常に残念だ」としています。
 今後はマラソンと競歩が札幌で開催されるのにあわせて、大通公園の西1丁目で舞踊を披露できるよう調整を進めることにしています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200207-00000011-hokkaibunv-hok

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

"晴れの舞台"望んだのに…東京オリ・パラ開会式で「アイヌ舞踊」不採用へ(北海道)

2020-02-09 | アイヌ民族関連
STV2/7(金) 21:12配信
北海道や北海道アイヌ協会の要望はかなわない見通しです。東京オリンピック・パラリンピックの開会式でアイヌの古式舞踊について開会式の演出に盛り込まれない可能性が高いことがわかりました
東京オリンピックで披露するためにアレンジしたアイヌの古式舞踊です。北海道と北海道アイヌ協会では開会式で披露したいと政府に要請していました。
(阿寒アイヌ工芸協同組合 秋辺日出男さん)
「オリパラは民族の競演、アイヌ民族が長年培ってきた平和を愛する心を発信したい」
しかし、北海道アイヌ協会の幹部によりますと先月末、政府関係者からオリンピックの開会式での披露は難しいとの見通しが伝えられたということです。開会式の総合演出を担当する野村萬斎さんも。
(東京オリンピック・パラリンピック 総合演出の担当 野村萬斎さん)
「アイヌの方との共生も当然、視野にいれた式典にはなるはず。ただ(アイヌの)古式舞踊については、色々なセレモニー式典の制約の中で、なかなか、はまりきらなかったと思う」
北海道アイヌ協会加藤忠理事長は「採用されなかった場合は踊りの練習を重ねてきたみなさんに申し訳ない」とコメントしています。また北海道アイヌ協会の加藤理事長は札幌で開催されるオリンピックのマラソン・競歩で古式舞踊を披露できないか、今月中に政府に要請したいとしています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200207-00000459-stv-hok

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻生暴言 擁護の閣議決定

2020-02-09 | アイヌ民族関連
赤旗 2020年2月7日(金)
「一つの民族」 アイヌ新法否定
 安倍内閣はこのほど麻生太郎副総理が福岡県での会合で「(日本は)一つの民族」などと述べた問題(1月13日)で、「同大臣なりの言葉で表現したもの」との答弁書を閣議決定しました。麻生氏の暴言に対して「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ新法、昨年5月施行)の立法趣旨を真っ向から否定する発言であり、許されない」とした立憲民主党の桜井周衆院議員の質問にまともに答えず、事実上の発言擁護です。
 答弁書で「(麻生氏の)発言は、他の国々と比べて民族、言語、文化が長い間比較的にまとまった形で継続してきたという日本の特徴を、麻生国務大臣が同大臣なりの言葉で表現したものであると承知している」と述べています。
 麻生氏は同14日の記者会見で「誤解が生じているなら訂正する」などと述べましたが、訂正の内容などは示していません。
http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-07/2020020704_01_1.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知られざるアイヌと北方少数民族【後編】 日露の歴史に翻弄

2020-02-09 | アイヌ民族関連
NEWSポストセブン-2020.02.09 06:59

北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」起工式。右が、ウィルタのゲンダーヌ(北海道立北方民族博物館所蔵)
 アイヌ新法が昨年成立し、4月には国立アイヌ民族博物館がオープンする。アイヌを取り上げた小説や漫画が脚光を浴び、日本における少数民族、先住民族がにわかにクローズアップされている。
 だが、私たち日本人は、開拓期の北海道で本当に何があったのか、大国の日露の狭間で翻弄された彼らの歴史を知っているだろうか。厳冬の北海道に閉ざされた彼らの苦難の歩みを、ジャーナリスト・竹中明洋氏が取材した。
 * * *
(前編から続く)
◆樺太にあった日本軍の特務機関でスパイとして働いた
 樺太で暮らした北方少数民族のウィルタもまた、日露の歴史に翻弄されてきた。
 彼らはトナカイを飼育しながら狩猟・漁撈をする先住民族で、現在の人口は300人ほどだという。
 六甲山の麓にある兵庫県神戸護国神社に、《大戦殉難 北方異民族慰霊之碑》という石碑が立っている。この北方異民族とはウィルタなど樺太に居住した少数民族を指す。なぜ彼らが戦争で「殉難」したのか。しかも、なぜ遠く離れた神戸に慰霊碑が立つのか。
 この石碑を訪ねた後に私が会ったのは、樺太中部の敷香にあった陸軍の特務機関で機関長を務めた扇貞雄の次男である進次郎さんだ。
「私の父は大戦中、ソ連に対する諜報工作のために樺太の少数民族を利用しました。その償いの気持ちから1975年に石碑を建て、毎年4月に慰霊祭をやってきたのです」
 特務機関とは、陸軍で諜報や特殊工作、いわゆるスパイ活動をした部門だ。2002年に亡くなった扇貞雄は、スパイ養成機関として知られる陸軍中野学校(東京)の一期生。敷香に着任したのは1943年で、当時はまだ28才だ。それまで上海で工作活動にあたっていた。
 当時の樺太は、島のほぼ中央を東西に走る北緯50度線を境に南側が日本領、北側がソ連領だった。敷香は国境から近く、北側のソ連の動向を探ることが特務機関の最大の任務。そのために利用したのがウィルタやニヴフといった少数民族だった。
『ゴールデンカムイ』第16巻にはヒロインのアイヌ少女らがウィルタに変装してトナカイの橇(そり)で樺太の国境を越えるシーンが登場する。実際に当時、トナカイを追って遊牧生活をする少数民族が国境を行き来することを日ソ当局も黙認していた。
 扇貞雄は手記『ツンドラの鬼 樺太秘密戦実録』のなかでこう記している。
《機関において直接使役指導中のものは三百名を越え、彼らの大部分は常に南樺太の数倍にのぼる北樺太在住の親族と国境を越え自由に往来し、敷香機関の重要な情報源工作対象となっていた》(以下、《》内は同書から抜粋)
 少数民族には秀でた能力があった。
《彼ら男子の射撃の技術は、けだし神技に近く、飛ぶ鳩の右眼を、大木の上に動くリスの左眼をと命ずれば、必ず確実に右眼左眼に命中させはずれることがない》
 狩猟を得意とし、樺太の森林を熟知した彼らの利用価値を見出した日本軍は、少数民族のなかから優秀な者を召集し、遊撃戦(ゲリラ戦)の軍事訓練を施した。
《理解応用能力は日本軍中の専門家である中野将校さえ舌を巻くほどで、生まれながらの遊撃戦士であり、冬期の犬橇、トナカイ橇作戦、夏期の丸木船作戦等はみごとの一語につきた》
◆「大切なものを納める家」ジャッカ・ドフニにウィルタの文化を残した
 日本軍特務機関によって「遊撃戦士」に仕立て上げられたひとりに、ウィルタのダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名・北川源太郎)がいる。敷香に近いオタスという集落の出身だ。当時、樺太を統治する樺太庁はここに少数民族を集住させていた。
 ゲンダーヌは特務機関の召集を受けて軍事訓練に参加。1943年、樺太西海岸の国境付近に配置され、ソ連側スパイの侵入の監視任務にあたった。
《工作苛烈となるや、ソ連側工作土人が邦領に侵入、首を斬って帰るや、日本側土人またソ連土人に復讐して帰り、国境線で闘い、あるいは彼我とも女、子供を人質として帰るなど、血なまぐさい戦いは連日連夜の如く繰り返し行われたのであった》
 扇貞雄の手記にそうある。少数民族は日本側とソ連側に引き裂かれ、互いに殺し合うという悲劇の中にあった。
 ゲンダーヌもまたこうした任務に駆り出されたのだろう。後にこう回想している。
《私は特務機関で働けるのはうれしかった。日本人になりたいと思っていたからね。下士官が『南方では高砂族(※)が国のために働いているんだから、お前たちも負けないで一生懸命やれ』と言ったのを今でも忘れないね。私は負けず嫌いだったから、ようし、やるぞという気持ちになっていった》(『オタスの杜から網走へ オロッコ人北川源太郎さんの歩み』網走歴史の会編)
 戦後に樺太全土がソ連に占領されると、ゲンダーヌら南樺太にいたウィルタやニヴフの成人男性の多くが、日本軍に協力した戦犯とされ、シベリアでの抑留生活を余儀なくされた。
 その生涯を描いた『ゲンダーヌ ある北方少数民族のドラマ』(田中了、ゲンダーヌ共著、現代史出版会)によると、シベリアでの抑留生活は10年近くに及んだ。その間に日本軍の協力者とされた少数民族の大半は過酷な強制労働によって死亡したという。
 生き残ったゲンダーヌは抑留生活が終わるとソ連支配の樺太ではなく日本に向かった。ソ連のナホトカ港からの引揚船で、舞鶴(京都府)に上陸したのは1955年のことだ。
 オホーツク海を臨む道東の網走に北海道立北方民族博物館がある。アイヌやウィルタなどの少数民族の貴重な民具などを展示するこの博物館に、ゲンダーヌの遺品がある。
 樺太時代の写真などがあるのではないか。そんな期待をしていたが、博物館学芸員の笹倉いる美さんは、「そういうものはないのです」と話す。
「シベリア抑留から着の身着のまま、日本にやってきたわけですから」
 ゲンダーヌは、稚内にいた兄を頼り北海道に向かう。その後、落ち着いた先が網走だった。少数民族に対する差別は激しく、当初は日本国籍もなかった彼は日雇いの土木作業員として生計を立てるのがやっと。それでも義理の父ら一族8人を樺太から呼び寄せて暮らすようになる。
 シャーマン(呪術・宗教的職能者)でもあった義父の北川ゴルゴロが樺太から持ってきた太鼓が北方民族博物館に保管されている。トナカイの革を張り、黒い鳥が描かれたその太鼓からは、えも言われぬ呪術性が感じられる。ゲンダーヌは義父の指導を受けながらウィルタの民具を次々と制作するようになる。自らの文化を伝えるためだ。
 民具は1976年、ゲンダーヌが網走市内に開設した資料館に展示された。丸太を組んだような木造の資料館は、ウィルタ語で「大切なものを納める家」を意味するジャッカ・ドフニと名づけられた。
 そうした活動の一方で、ゲンダーヌは軍人恩給の支払いを国に求めた。軍人恩給とは、かつて軍人だった者に支払われる年金だ。特務機関長の召集を受けて樺太で諜報活動にあたった自分も受け取る資格があると考えたのだ。そんな頃、ゲンダーヌは兵庫県神戸護国神社に建立された慰霊碑を訪ねたという。扇貞雄の息子・進次郎さんの証言だ。
「その訪問が新聞記事になり、それを読んだ父が網走のゲンダーヌさんのもとを訪ねたのです。32年ぶりに対面した父は、戦争に巻き込んだことを詫びるとともに、軍人恩給のことをゲンダーヌさんから聞いて召集令状を出したことを証言すると買って出ました。やはり贖罪の意識があったのでしょう」
 扇貞雄だけでない。他にも召集令状を配布したと証言する元特務機関員もいた。この問題は国会でも議論されたが、国は「特務機関長には召集権がなく、発行した召集令状は無効である」との見解で、最後まで軍人恩給が支払われることはなかった。ゲンダーヌら樺太の少数民族に、日本は国家として決して報いようとはしなかったのである。
 ゲンダーヌは1984年に網走で亡くなった。資料館のジャッカ・ドフニも老朽化で10年前に閉館した。展示されていた資料は、北方民族博物館に収蔵されている。
 博物館を取材後、ジャッカ・ドフニがあった場所を訪ねてみた。湾曲する網走川に面した静かで穏やかな場所である。夕暮れのなか立ち尽くすうちに、ここが故郷を追われたゲンダーヌにとって安息の地であったと願わずにはいられなかった。
 アイヌや、ウィルタなど北方少数民族の歩みは、根強く残る単一民族神話が幻想に過ぎないことを教えてくれる。
【プロフィール】
◆竹中明洋(たけなかあきひろ)/1973年生まれ。北海道大学卒業、東京大学大学院中退、ロシア・サンクトペテルブルク大学留学。在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、週刊文春記者などを経てフリーランスに。著書に『殺しの柳川 日韓戦後秘史』(小学館)など。
※女性セブン2020年2月20日号
https://www.news-postseven.com/archives/20200209_1540286.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知られざるアイヌと北方少数民族【前編】 アイヌ新法への本音

2020-02-09 | アイヌ民族関連
NEWSポストセブン-2020.02.09 06:58

かつて強制移住させられた江別市対雁にある、樺太アイヌの慰霊のための墓(撮影/竹中明洋)
 アイヌ新法が昨年成立し、4月には国立アイヌ民族博物館がオープンする。アイヌを取り上げた小説や漫画が脚光を浴び、日本における少数民族、先住民族がにわかにクローズアップされている。
 だが、私たち日本人は、開拓期の北海道で本当に何があったのか、大国の日露の狭間で翻弄された彼らの歴史を知っているだろうか。厳冬の北海道に閉ざされた彼らの苦難の歩みを、ジャーナリスト・竹中明洋氏が取材した。
 * * *
 アイヌ文化への関心がにわかに高まっている。
 牽引役となったのは人気コミック『ゴールデンカムイ』(野田サトル、集英社)だ。2018年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞し、昨年にはシリーズ累計で1000万部を突破。昨夏、英ロンドンの大英博物館で開催された「マンガ展」のキービジュアルに、同作のヒロインのアイヌ少女・アシリパが選ばれた。
 今年1月15日には、樺太アイヌを主人公のひとりに据えた『熱源』(川越宗一、文藝春秋)が直木賞を受賞。両作品ともに、開拓時代の北海道や樺太を舞台にした冒険活劇である。
 そうしたコミックや小説だけでない。政治的な動きからも、アイヌを取り巻く環境は大きな転換点を迎えている。
 札幌から特急に乗り1時間あまりで白老町に着く。1月中旬、駅前などあちこちで急ピッチの工事が進められていた。雪道に足を取られながら駅から歩くこと10分ほどで、森や湿原に囲まれた「ポロト湖(アイヌ語で「大きな沼」の意)」に着く。その湖畔に立つ、軍艦のような巨大な黒い建物が、4月オープン予定の国立アイヌ民族博物館だ。
 周辺には、アイヌの伝統舞踊の公演などが行われる体験型フィールドミュージアムの国立民族共生公園や、アイヌの伝統的な家屋「チセ」など、その一帯は民族共生象徴空間と位置づけられ、アイヌ文化の復興や創造の拠点になるという。愛称は「ウポポイ」。アイヌ語で「(大勢で)歌う」という意味だ。総事業費は約200億円。年間100万人の来場者を見込むという。
 ウポポイの整備事業と並行して昨年4月、国会で成立したのが、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」、通称「アイヌ新法」である。
 1997年に制定された「アイヌ文化振興法」が文化の保存・発展に限定された法律だったのに対し、新法では、第1条でアイヌが先住民族であると初めて明記し、その権利を保障するように国や自治体に求めた。アイヌへの差別の禁止や、アイヌ伝統の儀式や漁法を伝承するため、サケの捕獲や国有林の林産物の採取を認めることなども盛り込まれた。
 そんなアイヌへの関心の高まりは、私にとって隔世の感がある。
 20年近く前、道内でテレビ局の記者をしていた頃、十勝地方の上士幌町でアイヌ文化の伝承活動に取り組む川上英幸氏を長期取材したことがある。堂々とした白髭の持ち主ながら茶目っ気のある川上氏は、アイヌ文化に不勉強な私がしつこく質問するのに冗談を交えて説明してくれた。アイヌ料理をご馳走になったことも一度や二度ではない。
 出き上がった取材VTRを東京の本局の幹部に見せたところ、木で鼻を括ったように「泥臭い取材やってるね」と言われたことを憶えている。さも、もっと他に取材することがあるだろう、派手な事件のネタを取って来い、そう言わんばかり。当時の報道現場でアイヌといえば、そんな扱いだったように思う。
 アイヌ新法について北海道アイヌ協会の加藤忠理事長は、「抱えきれないような苦しみと悲しみと歴史がありましたが、きょうから出発できるということは、歴史の大きな1ページ」と成立を評価した。
 だが、国が進めるこうしたアイヌ施策に諸手を挙げて賛成する人たちばかりではない。
 アイヌといえば、北海道の先住民族という認識が一般的だが、実はアイヌは北海道だけにいたのではなく、大きく北海道アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌと、文化や言葉を独自に持つ3つのグループに分けられる。さらに、日本の領土で暮らしていた北方少数民族にはウィルタやニヴフも存在する。
 先述した『ゴールデンカムイ』や『熱源』には、そうした少数民族がいきいきとした姿で登場する。ただし、現在のアイヌ施策からは、北海道アイヌ以外の少数民族は取り残されてしまっている。
 私たちは、そうした歴史を、どれだけ知っているだろうか。
◆強制移住させられた後、人口が3分の1になった
 日本最北端の街・稚内からは、宗谷海峡の対岸の樺太(ロシア語でサハリン)まで最も近いところで42km。天気がいい日は島影が見えるという。
 稚内の駅前でレンタカーに乗り、日本海沿いの一本道を南へと向かうと、1時間弱で小さな漁港に着く。陸に揚げられた漁船の多くは長年使われていないようで、寂寥感が漂う。そこから内陸に入った集落が稚咲内(わかさかない)だ。住宅は数十戸ほど。商店も見当たらず、かつてあった小学校は廃校になっていた。
 稚咲内は、アイヌ語で「飲み水のない川」という意味だ。飲用にも適さない濁った水が流れ、周囲は湿地のサロベツ原野が広がる痩せた土地。ここに戦後、樺太から渡ってきた樺太アイヌたちが集まって暮らしていると聞いて訪ねた。
 樺太アイヌとは、樺太南部で暮らしていたアイヌのことである。自称は「エンチウ」という。トンコリと呼ばれる弦楽器を用い、寒冷な樺太の気候に合わせて衣服にトナカイの毛皮を用いるなど独自の文化を持つ。なお、北海道アイヌにはもともと弦楽器の文化がなかった。
 樺太アイヌの女性が住むという家を訪ねた。
「それはうちのばあさんのことだと思うけど、もう話ができるような体調ではないよ」
 出てきた男性は、女性の義理の息子だという。集落には他にも樺太アイヌが暮らしているのではないかと尋ねると、「よくわからない」と言う。
「遠路はるばる来てもらって悪いけど、こんな不便なところだから、みんな出て行って今はもうアイヌの人はおらんと思うよ」
 男性はそう言葉少なに語るだけだった。なぜいるはずの樺太アイヌがいなくなったというのだろうか――、
 まず、樺太アイヌがこの小さな集落に移り住んだ背景に、日本とロシアに翻弄された苦難の歴史があることから説明すべきだろう。
 近代までの樺太には、南部にアイヌ、北中部にウィルタやニヴフが居住していた。そこに最上徳内や間宮林蔵ら江戸幕府の役人らによる探検が入ったのは、江戸時代後期になってからだ。南下してきたロシアとの間で樺太をめぐる争奪戦となると、いったんは日露の「雑居地」とすることが決まり、明治政府は警察官を派遣した。
 だが、政府は北海道開拓に専念することに方針転換。1875年、樺太を手放す代わりに千島列島を日本領とする「千島樺太交換条約」が日露間で結ばれた。
 先住民族の主権を全く無視したこの条約によって、樺太アイヌはロシア国籍を取って樺太にとどまるか、樺太を去るかの二者択一を余儀なくされる。当時、2400人ほどいた樺太アイヌのうち、漁業を通じて日本との関わりが深かった841人が対岸である北海道北部の宗谷地方へと移り住んだ。さらに、翌年には札幌に近い、現在の江別市対雁(えべつし・ついしかり)に強制移住させられ、それまでの生業だった漁業ではなく農耕に従事するよう強いられたのだ。
《樺太移住旧土人先祖之墓》
 対雁の市営墓地を、雪をかき分けて進むと、高さ2mを超える墓石が立っていた。慣れない環境で相次いで亡くなった樺太アイヌの慰霊のための墓だ。1931年(昭和6年)建立。かつてアイヌのことを「旧土人」という差別的な用語で呼んでいたのである。
 北海道への移住から10年後の1886年、天然痘やコレラが流行すると、免疫のなかった樺太アイヌは、たった7か月間で300人以上が亡くなったという。
 そんな過酷な暮らしゆえだろう。日露戦争の勝利によって日本が樺太南部を領有することになると、樺太アイヌは一斉に帰郷を望み、339人が樺太へと向かった。北海道に残ったのはわずか十数人ほどというから、移住後の後わずかな期間で半数以下に減ったことになる。
◆「土人じゃとて日本の臣民じゃ!陛下の赤子じゃ!」
 そうした経緯を詳しく描いたのが『熱源』だ。作品の主人公のひとりは、実在した樺太アイヌの山辺安之助(アイヌ名はヤヨマネクフ)である。山辺は後に『あいぬ物語』という自伝を遺した。そのなかで西郷隆盛の弟で、開拓使長官だった西郷従道(つぐみち)が対雁を訪れた際の出来事を語っている。
 樺太アイヌと酒を酌み交わしているうちに、西郷は彼らの輪に入り、一緒に踊り始めた。すると、同行した大佐が「閣下」とこう言い出した。
「どうしてこんな土人風情のものと一所になって踊ったり跳ねたり酒を呑んで狂い廻るというような事をなされますか?」
 西郷はこう答えた。
「何を汝は云うんだ。土人と一所に踊るのは、悪いというのか? そんな訳は無いじゃろう。土人じゃとて日本の臣民じゃ! 陛下の赤子じゃ!」
 当時のアイヌへの差別の一端を示すエピソードである。強制的に対雁に連れて来られたのに、「陛下の赤子」とされることを樺太アイヌたちはどのように思ったのだろうか。
 そして1945年の日本の敗戦。樺太全島がソ連によって占領されると、樺太アイヌは着の身着のまま北海道へと追われる。道内をあちこち渡り歩いた末に、彼らが移り住んだ先のひとつが、先に訪ねた稚咲内だったのだ。
 ここで樺太アイヌは半農半漁の生活をしながら処女地開拓に従事。鰊が不漁になると和人(日本人)の大半は出て行ったが、樺太アイヌはそれでも留まった。故郷に近いこの場所を離れたくなかったからだという。
 その樺太アイヌの団体である「樺太アイヌ協会」は、アイヌ新法に反対している。それを知って会長の田澤守さんに札幌で会うことにした。だが、会うなり田澤さんからは、どういう趣旨での取材なのか、樺太アイヌの歴史をどれほど知っているのかと逆質問を受けるばかり。それには理由があった。
「これまでいろんなメディアの取材を受けましたが、残念ながら私たちの主張をきちんと伝えてはくれなかったからです」
 法案が国会で可決する前の昨年2月、田澤さんが発表した声明書にはこうある。
《私達、樺太アイヌ(エンチウ)はアイヌ新法案の作成過程から排除されてきました。新法案の中身にも樺太アイヌを対象としたものがありません。(中略)新法においては、北海道アイヌのみならず樺太アイヌ、千島アイヌにも先住民族としての権利を認め、各々のアイヌ集団が現在の北海道、樺太、千島の植民地化以前に享受していた主権(先住権、自己決定権等)の回復を保障し明記することを求めます》
 アイヌ新法に向けた有識者懇談会のメンバーに北海道アイヌの代表は入っていたが、樺太アイヌには意見を求める機会すら与えられなかった。
「アイヌ新法の良し悪しを判断する以前に、私たちは対象にすらされていないのです」
 田澤さんが続ける。
「私たちが先住民族としての権利を取り戻したいと主張すると『今の時代に昔のようなサケを捕まえ、山菜を採る生活なんてできるのか』と言う人もいます。しかし、どうするかも含めて私たちに決定権を委ねるべきです。もともと北海道や樺太にいたのは私たち先住民族です。もとのような環境を取り戻したいだけなのです」
 先住民族として権利、いわゆる先住権には、先祖代々使ってきた土地や資源などを自由に利用する権利があるが、それらは現代においては実際に行使するのは難しいとする研究者もいる。それぞれの土地には現在の所有者がおり、その財産権が認められているからだ。先住権を認めれば、混乱を招くことにならないか。そう尋ねると、田澤さんは「それは和人の論理です」と反論する。
「そもそも順番がおかしいと思うのです。過去の日本政府の行いを検証し、その上で謝罪するのが先で、その反省に基づいて先住民族政策を策定し、法律も作るべきではないですか。すでにオーストラリアやニュージーランドでは、先住民族に対する過去の抑圧的な政策を首相自らが謝罪しています」
 正直に言えば、取材の最初から「これは難航しそうだ」と感じていた。この取材は一筋縄ではいかない問題をはらんでいる。田澤さんたちの主張は過大な要求なのだろうか。それとも和人である私が支配者の論理を振りかざしているだけなのだろうか。私には容易に答えを出すことができなかった。
 田澤さんは稚咲内の出身で、父親からは「日本人になれ」と言われて育ったそうだ。差別から身を守るためだという。高校卒業とともに札幌に出たが、「今も集落の住民の8割は樺太アイヌではないか」と話す。私が稚咲内で「樺太アイヌはみんな出て行った」と聞かされた話を伝えると、田澤さんはこうつぶやいた。
「初めての人に、本当のことを言うわけがないですよ」
 札幌の大学を出て、北海道で記者として暮らしたことがあるだけに、私はこの島のことをよくわかったつもりでいた。だが、田澤さんの言葉に自分が知らない北海道があるように思えてならなかった。
(後編に続く)
【プロフィール】
◆竹中明洋(たけなかあきひろ)/1973年生まれ。北海道大学卒業、東京大学大学院中退、ロシア・サンクトペテルブルク大学留学。在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、週刊文春記者などを経てフリーランスに。著書に『殺しの柳川 日韓戦後秘史』(小学館)など。
※女性セブン2020年2月20日号
https://www.news-postseven.com/archives/20200209_1540235.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする