北海道新聞 02/12 15:26 更新
人種や民族、障害など自ら変えることができない属性をとらえ、マイノリティー(社会的少数者)を攻撃し、差別をあおるヘイトスピーチ。その実態に迫る取材を続けてきたフリージャーナリストの安田浩一さん(56)は今、ヘイトスピーチを繰り返す街頭でのデモより、居酒屋の席から発せられるような日常生活に溶け込んだ「無自覚」「無意識」の差別的な言動こそ怖いと言う。アイヌ民族に向けた差別的言動が絶えない北海道でも対策が求められる中、社会に根深く入り込んでいる差別にいかに対処していくか、考えを聞いた。(報道センター 斉藤千絵)
【12日の朝刊紙面に掲載された記事に加筆しました】
■力関係を背景に、少数者の存在自体を追い詰めるヘイト
――ヘイトスピーチを取材するようになったきっかけは。
「フリーの記者になり、日本で働く外国人実習生・研修生の取材に取り組むようになりました。彼らは低賃金で働かされている上、経営者から『外人だから』と白眼視され、私の目の前で張り倒される実習生までおり、日本社会は明確な差別の上になりたっているんだという現実にぶち当たりました。2006年、栃木県で職務質問に抵抗したとして警察官が中国人研修生を射殺する事件がありました。(警察官が特別公務員暴行陵虐致死罪に問われ、後に無罪となった)裁判を傍聴しようと法廷に行ったら、何やら外が騒がしい。ジーンズ姿の若者や会社勤めとみられる女性、年金生活者であろうお年寄りなど普通の人たちが『支那人を射殺せよ』と叫んでいたんです。差別への怒りがなかったわけではありませんが、ヘイトスピーチの取材は『この人たちは何者なのか』という単純な疑問が始まりでした」
――どういう人たちでしたか。
「若者の1人に『どこの団体ですか』と尋ねると、『団体ではなく、(ネット掲示板の)2ちゃんねるを見て集まった』と言っていました。みなごく普通の市民で、なぜああいう行動に出たのか、ひとくくりにはできないでしょう。むしろ取材を進めるうち、差別で傷つけられた側の姿が目に焼き付くようになりました。在日コリアンが多い大阪市・鶴橋地区を取材した時、『在日死ね』『殺せ』と叫ぶヘイトスピーカーを追いかけていたのですが、ふと横を見たらハルモニ(おばあさん)たちが、嵐が通り過ぎるのを待つようにじっとうつむいているんです。在日コリアンの女性記者と一緒に取材した別の大阪のヘイトデモは『朝鮮人は人間じゃないから二足歩行するな』『朝鮮人の女はレイプしても構わない。どうせおまえらは慰安婦だから』と叫びながら街を練り歩いていました。1時間ほどで終わり、私は正直、ほっとしました。ひどい言葉でしたが、彼女個人が何かを言われたり、在日コリアンだと特定された訳ではなかったからです。そして後ろを振り返り、『良かったですね』と言いました。彼女はきょとんとした顔で私を見た後、うずくまって泣きながら言いました。『今日何か良いことが一つでもあったなら、私に言ってください。逃げないで答えて』と。答えられませんでした。ヘイトスピーチは第三者には単に汚くて不愉快な言葉で済みますが、その言葉を向けられた当事者にとっては体をナイフで傷つけられ、存在自体を否定されるような言葉です。今はそういう人たちにこそ目を向けなければいけないと思うようになりました」
――ヘイトスピーチという言葉は社会に認知されてきました。
「ただ、単純な罵倒や下劣な言葉だと勘違いしている人が多い。講師で呼ばれた講演会で、来場者から『安田、出ていけ』と言われました。『おまえが出ていけ』と言い返したら、彼は『今のヘイトスピーチだ』と言う。強調しますが、ヘイトスピーチとは人種や民族、障害、性別など自分では変更不可能な属性を持つ少数者を攻撃し、憎悪をあおることです。講演ではそのことを説明し、『僕もあなたもヘイトスピーチではなく、下品な言葉で低レベルな応酬をしたにすぎない』と伝えました。このような誤解は珍しくありません。ある新聞も以前、小説家が講演で安倍晋三首相を『アベ』と呼び捨てにしたことをヘイトスピーチだと批判しました。街頭でヘイトデモとそれに対する抗議のデモが互いに罵倒し合っていた現場で一緒になったある新聞社の記者は『どちらもヘイトスピーチがすごいですね』と言っていました。報じる側に誤解があれば、その情報を受け取る側が誤解するのも当然です。ヘイトスピーチを単なるどなり合いだと思っていると、この問題の深刻さを見誤ります。ヘイトスピーチは社会の圧倒的な力関係を背景に少数者の存在そのものを追い詰めるものです」
――北海道でもアイヌ民族に対する差別は続いています。
「差別を考える上で大事なのは歴史の流れを捉えることだと思います。ナチスによるユダヤ人虐殺や、ルワンダの民族同士の虐殺など、マイノリティーに対する差別や犯罪は昨日、今日に始まったものではありません。そして差別の形は常にリニューアルされ、今に至っています。日本も例外ではなく、関東大震災の時は『朝鮮人が井戸に毒を入れた』というデマが広がり、朝鮮人が虐殺されました。デマをもとにした差別は今もあり、その形はネット右翼やヘイトスピーチのような形で現れるようになりました。アイヌ民族や在日コリアンに対する差別も以前は『貧しい』『汚い』と上から見下したような結婚、就職差別が多かったですが、今は差別によるマイナスを是正する補助金や奨学金に対して『特権』という言葉で見上げ、『ずるい』という気持ちをあおって市民を取り込もうとする差別が出てきました。やり方も巧妙になっています。最近は『もうアイヌはいない』と主張し、『特権』を批判するために『みんなでアイヌになろう』とまで言う集団がいますが、単に『死ね』『殺せ』という直接的な単語を避けているだけで、明らかにアイヌ民族の存在を否定する差別です。アイヌ民族と北朝鮮の主体思想がつながっているといった陰謀論めいたデマまで増えてきました。新しい差別はこの先も生まれるでしょうし、対象も広がるかもしれません。差別というのは結局、誰かをある枠組みにはめて偏見を持つことから生まれるわけで、自分も思いがけず枠組みから外れ、いつか差別される側になるかもしれません」
■街頭デモより、居酒屋で無自覚に発する差別の方が怖い
――16年にはヘイトスピーチ対策法が施行されましたが、状況に変化は見られないでしょうか。
「もともと政府は人種差別撤廃条約に加盟しながら、条約が求める具体的に差別を禁止する法整備を怠り、差別を放置してきたといえます。ヘイトスピーチ対策法は理念法で、禁止規定も罰則もありません。確かに対策法の施行などもあり、表向きは街頭デモは少なくなったと感じます。ただ、僕が今、怖いと感じるのは、居酒屋や学校、銭湯など日常の場で不意に聞こえてくる差別的な言葉です。今日も電車の中で、若者が『おまえ、昔中国行ったよな。(新型コロナウイルスの)菌持ってるんじゃないか』と冗談を言っていました。『韓国ってうそつき』『中国人はすぐ感情的になる』といったレッテル貼りもまん延しています。本人には偏見の意識はなく、『それは差別ですよ』と指摘しても、本人は『違う。私は差別などしていない』と反論するでしょう。そうした偏見のシャツを一枚一枚重ね着して着ぶくれした人もいるでしょうが、ヘイトスピーチはこうした無自覚に重ね着した偏見が形となって現れただけです。差別者集団が大通公園や銀座で発する言葉よりも、無自覚な日常の言葉の方がより警戒感なく人に受け入れられる分、根が深いと思います。最近ではテレビのワイドショーでも隣国への憎悪をあおり、外国人の犯罪を強調することがあります。知り合いの在日コリアンは最近、書店に行きたくないといいます。本来は知の入り口であるはずの場所なのに『嫌韓』『反韓』の本が目に飛び込んでくるからです。書店の一番目立つ場所に堂々と積まれているこれらヘイト本も市民の無自覚の偏見を助長するものです。ヘイトスピーチの現場は今、街頭だけではなく日常の中に溶け込んでいると思います」
――無自覚の潜在的な偏見や差別に対処するのは難しいですね。
「潜在的な偏見や差別は僕も含めて誰の中にもあるでしょう。でも、それは本能的なものだからしょうがないという意見にはくみしません。僕たちは何のために理性を持っているのでしょうか。さまざまな対立はあっても、社会はルールとか理念とか希望とかいろんなものを持ち合わせて折り合いを付けてきたわけです。差別する側とされる側がいる社会って、誰にとっても住みにくいですよね。差別と真剣に向き合い、多様性を認める社会をつくることは自分のためでもあるのです。その意味では最近はヘイトスピーチに対し、街頭でもネット上でも批判できる人が確実に増えてきました。地域ぐるみで真剣に対策に取り組む例も出てきています。川崎市は昨年12月、全国で初めて刑事罰を盛り込んだ差別禁止条例を成立させました。被害を受けている当事者や市民が『差別や偏見で住民同士を分断させてはいけない』と訴え、与野党問わず市議に差別の現場を見てもらうなど丁寧に説得してきた努力もありました。住民同士がいがみ合っていては地域の文化や環境を守ることはできません。『住民を分断させない』という旗印は各地域が今後、差別と戦う上で重要になっていくでしょう」
――差別をなくすために今すぐできることは何でしょうか。
「知ることに尽きます。まず、この国は特定の属性の人でつくられているわけではないということを知る。コンビニに行けば外国人が働いていますし、『Made in China(中国製)』のタグが付いた洋服もたくさんあります。『中国人が嫌いだから中華料理屋には行かず、日本産の食材しか食べない。脱中国をしている』と言う人がいますが、日本の野菜の生産地では中国人が働いていますし、弁当屋で料理を詰める従業員にも中国人がいます。外国人や日本以外の国々とつながらなければ生きていけない自分を知ったら、見下すことなどできないはずです。他者を攻撃したり、真偽が分からない言説に触れたらまずは疑い、根拠を調べることも大切です。同時に目の前の相手について知り、触れ合ってみる。多様性を持った社会は、誰にとっても住みやすく、楽しいはずです」
<略歴>やすだ・こういち 1964年静岡県生まれ。「サンデー毎日」などの雑誌記者などを経て2001年からフリーに。ネット右翼やヘイトスピーチ、外国人労働者問題について精力的に取材、執筆を続けている。在日朝鮮人・韓国人への誹謗(ひぼう)中傷を繰り返す「在日特権を許さない市民の会(在特会)」に切り込み、「ヘイトスピーチ」という言葉を世に広めた12年の「ネットと愛国」(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞と講談社ノンフィクション賞を受賞。15年には雑誌掲載記事「ルポ 外国人『隷属』労働者」で大宅壮一ノンフィクション賞。近著は「団地と移民」(KADOKAWA)など。千葉県在住。
<ことば>ヘイトスピーチ対策法 国外出身者とその子孫らの排除を扇動する不当な差別的言動は許されないとし、国や地方自治体に解消の取り組みを求めた法律。2016年6月3日に施行された。同法に基づき、ガイドラインや条例を定める自治体は徐々に増えているが、同法には禁止規定や罰則はなく、有効な対策にはなっていないとの指摘もある。川崎市は昨年12月、法施行から3年たってもヘイトデモなどが根絶されていないとして、具体的に禁止行為を明示し、全国初の刑事罰を盛り込んだ差別禁止条例を制定した。道内でもアイヌ民族に対する差別的言動が絶えない中、道に同様の条例制定を求める声も出ている。
<後記> 差別に反対する原動力は何か、と尋ねた時の「オレのため」という答えが印象的だった。その心は「差別のない社会は誰にとっても気持ちいい社会だから」。安田さんが言うように差別がリニューアルされ、新しい差別の形や新たなターゲットがこの先も生まれてくるとすれば、いつか自分も差別される側になるかもしれない。マイノリティーのために、というのは押しつけがましいし、本当に当事者意識を持てるんだろうかと考えていた自分の心にすとんと落ちた。今日からは「私のために」、差別に反対し、自分の中にあるかもしれない偏見と向き合っていきたい。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/392261