共同通信 2020.2.16 10:30

俳優の宇梶剛士さんは昨年、自身のルーツでもあるアイヌをテーマにした舞台を上演した。物語を通じて描こうとしたものは何か。アイヌであることをどう受け止め、いかに表現しようとしたのか。その思いを語ってもらった。(聞き手、共同通信=青柳絵梨子)
昨年8月に上演した「永遠ノ矢=トワノアイ」は現代の北海道と遠い昔のアイヌモシリ(アイヌ語で北海道を指す)が物語の舞台です。アイヌ民族にルーツを持つ若者が、自分の存在の不確かさに葛藤する姿を描きました。
舞台はイソンクル(アイヌの弓の名手)が矢をつがえているところから始まります。松前藩を相手にアイヌが一斉蜂起したシャクシャインの戦い(1669年)の後、いまだ敵方の家老蠣崎広重(かきざき・ひろしげ)を狙うイソンクル。しかし、彼は突然弓を天に向けて射ると残る矢も捨ててしまう。目撃した者の話からイソンクルは「裏切り者」と語り継がれていくことになります。
物語の最後に、なぜイソンクルが蠣崎を討たなかったのか明かされます。たとえそこで蠣崎を倒しても、次にはさらなる軍勢で攻めてきて、攻防の果てにアイヌは皆殺しにされてしまうだろう。イソンクルは「生き延びろ、アイヌ」と、空に矢を放ったのだと。
叔父の浦川治造(うらかわ・はるぞう)はよく「どんなに行き止まりになっても考えろ」と言っていました。これはアイヌの知恵だと思えます。イソンクルは、たとえ奴隷になったとしても生きてさえいれば、アイヌの教えは人を立ち上がらせるものなんだと思ったのです。
小学2年生のころ、自分のルーツを知りました。東京の自宅に木彫りやシカの角がたくさん送られてきて、おふくろ(古布絵作家の宇梶静江(うかじ・しずえ)さん)に「誰から?」と聞くと「アイヌだ」と。それでどうやら自分もそうらしいと思いました。
1993年に初めて初老のアイヌの男を主軸にした「偽エカシの筏(いかだ)」という芝居を書きました。不勉強もあり儀式の場面でのしぐさやアイヌ模様をぞんざいに表現してしまい、見に来てくれたウタリ(同胞)を悲しませてしまいました。それ以降「触れてはいけない」と思いテーマにすることを避けてきたのです。
97年に北海道平取町二風谷(にぶたに)に有名なネーティブアメリカンの部族長がやってきて、ダムに沈みゆく沙流川の河原で儀式を行ったのですが、その時、対岸の山を弓をつかみ獣を追いかけて走る自分が見えた気がしました。
儀式の後にも、通りかかった幼稚園から子どもたちが10人くらい出てきたのですが、どの子も目がくりっとしてコロボックル(アイヌ伝承に登場する小人)みたいなのです。「あ! 幼いころの自分のような子どもらが、あっちにもこっちにも!」とその場から動くことができなくなり、そして「ああ、自分はアイヌなんだ」。理屈や情報でなく、直感したのです。それからも同じような感覚に包まれたことが幾度もありました。
前作の舞台では9年間温めてきた沖縄の物語を書きました。一歩一歩階段を上がるんだとやってきた果てに、次の段に足を掛けた時に見えた景色はアイヌのことでした。
もう一度アイヌの物語を書こうと思い定めると、民族共生象徴空間(ウポポイ)のPR大使に任命されました。アイヌの歴史に打ち込まれた負のくさびがシャクシャインの戦いや同化政策、差別だとしたら、アイヌ施策推進法やウポポイは未来へ向かって手をかけるためのくさび。よりよい共生社会が築けるといいな、そうならなければと。(舞台『永遠ノ矢=トワノアイ』は2021年6月に東京、7月に北海道で再演予定)
https://www.47news.jp/4516623.html

俳優の宇梶剛士さんは昨年、自身のルーツでもあるアイヌをテーマにした舞台を上演した。物語を通じて描こうとしたものは何か。アイヌであることをどう受け止め、いかに表現しようとしたのか。その思いを語ってもらった。(聞き手、共同通信=青柳絵梨子)
昨年8月に上演した「永遠ノ矢=トワノアイ」は現代の北海道と遠い昔のアイヌモシリ(アイヌ語で北海道を指す)が物語の舞台です。アイヌ民族にルーツを持つ若者が、自分の存在の不確かさに葛藤する姿を描きました。
舞台はイソンクル(アイヌの弓の名手)が矢をつがえているところから始まります。松前藩を相手にアイヌが一斉蜂起したシャクシャインの戦い(1669年)の後、いまだ敵方の家老蠣崎広重(かきざき・ひろしげ)を狙うイソンクル。しかし、彼は突然弓を天に向けて射ると残る矢も捨ててしまう。目撃した者の話からイソンクルは「裏切り者」と語り継がれていくことになります。
物語の最後に、なぜイソンクルが蠣崎を討たなかったのか明かされます。たとえそこで蠣崎を倒しても、次にはさらなる軍勢で攻めてきて、攻防の果てにアイヌは皆殺しにされてしまうだろう。イソンクルは「生き延びろ、アイヌ」と、空に矢を放ったのだと。
叔父の浦川治造(うらかわ・はるぞう)はよく「どんなに行き止まりになっても考えろ」と言っていました。これはアイヌの知恵だと思えます。イソンクルは、たとえ奴隷になったとしても生きてさえいれば、アイヌの教えは人を立ち上がらせるものなんだと思ったのです。
小学2年生のころ、自分のルーツを知りました。東京の自宅に木彫りやシカの角がたくさん送られてきて、おふくろ(古布絵作家の宇梶静江(うかじ・しずえ)さん)に「誰から?」と聞くと「アイヌだ」と。それでどうやら自分もそうらしいと思いました。
1993年に初めて初老のアイヌの男を主軸にした「偽エカシの筏(いかだ)」という芝居を書きました。不勉強もあり儀式の場面でのしぐさやアイヌ模様をぞんざいに表現してしまい、見に来てくれたウタリ(同胞)を悲しませてしまいました。それ以降「触れてはいけない」と思いテーマにすることを避けてきたのです。
97年に北海道平取町二風谷(にぶたに)に有名なネーティブアメリカンの部族長がやってきて、ダムに沈みゆく沙流川の河原で儀式を行ったのですが、その時、対岸の山を弓をつかみ獣を追いかけて走る自分が見えた気がしました。
儀式の後にも、通りかかった幼稚園から子どもたちが10人くらい出てきたのですが、どの子も目がくりっとしてコロボックル(アイヌ伝承に登場する小人)みたいなのです。「あ! 幼いころの自分のような子どもらが、あっちにもこっちにも!」とその場から動くことができなくなり、そして「ああ、自分はアイヌなんだ」。理屈や情報でなく、直感したのです。それからも同じような感覚に包まれたことが幾度もありました。
前作の舞台では9年間温めてきた沖縄の物語を書きました。一歩一歩階段を上がるんだとやってきた果てに、次の段に足を掛けた時に見えた景色はアイヌのことでした。
もう一度アイヌの物語を書こうと思い定めると、民族共生象徴空間(ウポポイ)のPR大使に任命されました。アイヌの歴史に打ち込まれた負のくさびがシャクシャインの戦いや同化政策、差別だとしたら、アイヌ施策推進法やウポポイは未来へ向かって手をかけるためのくさび。よりよい共生社会が築けるといいな、そうならなければと。(舞台『永遠ノ矢=トワノアイ』は2021年6月に東京、7月に北海道で再演予定)
https://www.47news.jp/4516623.html