日経ビジネス2/6(日) 10:52配信
永久凍土の存在は人類の生存において障害となるだろうか、それとも何らかの恵みとなるのだろうか。日本で暮らしている多くの読者にとっては、永久凍土は人間の文化を拒絶するような雪氷現象というのが一般的な見方であろう。たしかに、大地の中で数年にわたって融けきることのない氷が存在していたとして、それが人の生活にどのように役に立つのかと疑問に思ってしまうかもしれない。氷河のように美しい景観ではないため、観光利用することもできない。
ただ、これまでの連載記事で明示されてきたように、永久凍土は夏に地表に近い部分が融解し、冬になると凍結を繰り返す現象であることを思い出してほしい。それは地中が水分を保持しているということでもある。雨乞いという言葉があるように、伝統的な農業は、空からの雨による水分の確保が重要だった。これに対し、永久凍土は、雨が仮に降らなくても、過去に蓄えられた水分を地中から得られる大地なのである。言い換えれば、降水が即時的水分供給であるとすると、永久凍土は遅延的水分供給が物質循環とともに生態系をつくっているともいえる。そのような自然の中で人類はどのように暮らしてきたのか、そして近年の気候変動は永久凍土に暮らしてきた人々に何をもたらしているのか、について考えてみたい。
●凍土がつくる生態系
永久凍土が発達しているのはユーラシア大陸及びアメリカ大陸の高緯度地帯である。しかし、北米大陸とユーラシア西部において永久凍土は北極海沿岸部周辺と限られている。これに対して、東シベリアの永久凍土は緯度的には幅広く広がっており、南限はバイカル湖周辺にまで及んでいる。永久凍土の地理的な拡張の理由は、過去の気候と環境条件の結果にあるのだが、それは極めて興味深い。最終氷期に北西ヨーロッパと西シベリアには巨大な氷床が発達し、地表を氷が覆った。しかし東シベリアまでは氷床が及ばなかった。それゆえに、地表面を通して寒気は地中深くまで到達し、幅広く永久凍土が形成された。北極圏の南側でこれだけの永久凍土が見られるのは東シベリアだけである。
永久凍土の遅延的な水分供給効果は、生態系形成にも寄与している。東シベリアにある都市ヤクーツクの年間降水量は200ミリ程度とモンゴルのウランバートルと同じである。にもかかわらず、東シベリアは草原ではなくタイガで覆われている。夏に一時的に融解する凍土の水が森林形成に寄与するのだ。さらに、ヤクーツク付近ではアラスとよばれるサーモカルスト地形が発達している。これは森林の中にパッチ上に広がる湖と草原の生態系である。何らの理由で凍土の水がゆっくりと融けて蒸発し、地面が陥没した結果、直径数百メートルから数キロの草原が出現するのである。このようなアラスは氷河期と比べて暖かくなった完新世に入った約6000年前に形成され、レナ川中流域の広い範囲に1万6000個ほど存在するという。
●寒冷環境の人類史
このような自然を人類はどのように利用してきたのだろうか。アフリカで誕生したホモ・サピエンスの地球上への拡散は5万~10万年ほど前から始まるといわれている。ヨーロッパや中央アジアなどへは4万~5万年ほど前に進出したことが分かっているが、シベリアなど北緯50度以北の寒冷な場所に暮らし始めたのは、1.5万~3万年、さらにベーリング海峡を越えたのは1.4万年前である。
人類社会で農耕が行われるようになったのは約1万年前だから、こうした寒冷地で暮らし始めた人類は狩猟採集で生存を維持していたことになる。寒冷地に進出した頃にはマンモスが生息しており、この狩猟に依存した生活だったが、マンモスが絶滅した後には、中小型の動物(さらに後には魚類)に依存するようになった。
完新世以降の極北環境における人類の生業は大きく3つに分けることができる。1つは内陸部の狩猟・漁労である。野生トナカイの狩猟や河川や湖沼での漁業である。もう1つは沿岸部での海獣狩猟・漁業である。沿岸や河川で暮らす場合、定住的な生活を行い、内陸部で陸獣を狙うときには移動する生活だった。この2つの生業パターンは、ユーラシア大陸・北米大陸双方の先住民社会で共通している。ユーラシアだけに見られるのは、紀元5世紀頃に成立したといわれる家畜トナカイを用いた遊牧的な生活様式である。この場合、役畜としてトナカイを用いて移動能力を高めて狩猟・漁労能率を上げた場合と、19世紀に形成されるが肉畜としてトナカイを生産する場合とがあった。
民族の数え方は様々な説があるが、北米とユーラシアで100近くになる先住民族はいずれも上記の形で永久凍土が含まれる極北環境に暮らしてきた。重要なことは、この生業は、陸域・海域の動物に依存する生業であって、先に述べた永久凍土が作り出したアラスとよばれる森林の中の草地生態系に適応するような生活様式は生み出さなかったことである。人類の環境適応は、直接食料となる資源の分布に応じて編み出されたということになる。
ステップ起源の牧畜
しかしながら早ければ10世紀頃には、永久凍土が作り出したアラスの草原を資源として認識し、これを積極的に活用するように適応した集団が東シベリアに出現した。現在のロシア連邦サハ共和国に暮らすサハ人(ロシア語ではヤクート人)である。一説によれば、彼らは東洋史に出てくる突厥(とっけつ)の末裔(まつえい)であるともいわれるが、モンゴルや中央アジアの諸民族に共通する牧畜文化と軍事貴族層をもった集団が、バイカル湖付近から、現在のレナ川中流域に数世紀かけて分散的に北上し形成された民族である。トルコ系言語を話すが、イスラム化しなかった集団であり、また極寒の環境で、ラクダ・ヒツジ・ヤギは生存できなくなり、牛馬飼育をベースに狩猟・漁労の生業文化をつくった人々である。
彼らの家畜飼育においては、アラスの草地生態系が重要な基盤となっている。現在であってもサハ人の間では、出身地域を示す言葉としては、河岸段丘出身者とアラス出身者という概念がある。これはその適応の初期段階において重要だった生態系が住民のアイデンティティーに取り込まれたことを意味している。
永久凍土上の森林の中のアラスは草地で、通常その中には湖がある。「空に星があるように、大地には湖がある」というのはサハ人のことわざだが、サハ人はこの草地を牛馬の牧草地・採草地として利用し、湖沼では漁労を行い、アラスの外に広がる森の中で狩猟するという生業適応をしてきた。定住的な生活を送り、家畜の越冬のため採草するという生業が、他の極北先住民との最も大きな違いである。漁労と狩猟はシベリアの環境が供与する食料であり、この点では他のシベリア先住民と同様な生業文化をもっている。この点でサハ人の生業は南方起源の歴史文化的文脈と、寒冷地での食料となる動物の生息を資源化する適応の2つが混じり合ったものなのである。
●サハ人社会
こうした生業複合となったサハ人社会は人口の規模でも隣接する集団を圧倒した。16世紀以降ロシア国家によるシベリア植民地化によって彼らの社会が記録されているが、軍事貴族による階層的な社会が形成されていた。統一国家まではつくられなかったが、植民地行政の中で民族の代表的存在がロシア皇帝に謁見するということもあった。なお、18世紀後半に日本からの漂流民・大黒屋光太夫や津太夫がペテルブルグに移動する途中で乗った馬車の御者はサハ人だったことが分かっている。少なくとも20世紀初頭には20万人近い人口があり、シベリア先住民の中では最も大きな社会をつくっていた。これらを勘案すると、「南方」起源のサハ人の適応の成功は、森林の中に点在するアラスの草原生態系が鍵となったということができる。
20世紀初頭までにサハ人社会は政治家や思想家も輩出しており、ロシア革命を経て、ヤクート自治共和国を形成し、ソ連崩壊後はサハ共和国となった。現在、97万の人口のうちサハ人は40万人ほどいる。共和国の首都ヤクーツク市は人口32万人で、東シベリアで最も大きな都市の1つである。農村部のサハ人は伝統的な牛馬飼育で生計を立てながら、趣味で狩猟・漁労を行うという暮らしをしている人が多い。
●気候変動の影響
永久凍土の上に暮らす社会としては、最も規模の大きなものがサハ人社会である。というのも、東シベリア以外では永久凍土の分布は北極海沿岸に限られ、そこでの人口はごくわずかだからである。気候変動、特に地球温暖化は、永久凍土の融解をもたらし、その結果、様々な影響が出現している。北極海沿岸部の凍土融解による土壌崩落がその最たるものであるが、これは単に人の居住地だけでなく、石油や天然ガスなどのエネルギー資源の採掘地でも発生している。2020年5月にロシアのノリリスクで油流出事故が起きたが、その原因の1つは採掘所の敷地内の凍土融解だったといわれている。
サハ人社会にあっても、土壌崩落で家が傾いて暮らせなくなったり、耕作地や空港の滑走路が使えなくなったりする被害が発生している。図6はサハ共和国チュラプチャ郡の中にある元空港の滑走路である。ポリゴン化した地面が現れているが、これはもともと凍土に閉じ込められていた氷が融解し、その結果地面が沈み込んだのである。
興味深いのは、土地利用の歴史である。気候変動の影響をうけてこのようなポリゴン化している場所の多くは、20世紀に森林伐採を行い人間が開発したところである。先に紹介したアラスではあまり生じていない。アラスもまた永久凍土が融解することによって形成された景観であるが、その形成速度は数百年から数千年であった。長期的な融解は相対的に安定した景観をつくっている。もちろん条件が違えば、アラスでも気候変動の影響は生じるが、永久凍土と人間が長期にわたって共生してきた場所は、比較的影響が少ないというのは興味深いことである。森林開発はソ連社会主義時代のことであり、まさに人間の生活を改善し経済生産を高めるために行われたという点で、「人新世」における人側から自然への働きかけにほかならないからである。
永久凍土の保全に向けて
永久凍土はメタンを含んでおり地球環境全体にも大きな影響を及ぼすが、地域の生態系の持続性において、重要な意味をもっているということを強調しておきたい。実際に、サハ共和国では、永久凍土そしてその中で形成されたアラスの保全が重要な政治課題として議論されるようになっている。日本において、里山の歴史文化的価値や自然との共生という点でその重要性が再確認されるのと似ているかもしれない。このような場面において、現地の人々が自らの自然を大切に考え、その保全に向けて積極的に働きかけるのは重要である。
北極域はロシアや米国、北欧諸国などヨーロッパ起源の国家が統治しており、その主流派とは異なる民族的アイデンティティーをもつ先住民や民族集団も多数暮らしている。サハ人もその1つである。北極域の気候変動の影響を直接うけるのは、こうした先住民たちであり、それゆえに彼ら自身の自然保全への政治的な働きかけが現在求められている。とりわけ北極域の国際問題を解決するための国際的機構である北極評議会は、先住民の政治参加を重視している。このことを踏まえながら、我が国の研究者は現地住民や現地の研究者、そして当該政府との協力の下に永久凍土の研究を進めている。
■参考文献
高倉浩樹2012『極北の牧畜民サハ』昭和堂
高倉浩樹編2012『極寒に生きるシベリア』新泉社
檜山哲哉・藤原潤子編2015『シベリア 温暖化する極北の水環境と社会』京都大学学術出版会
福田正己 1996 『極北シベリア』 岩波書店
今回の著者:高倉 浩樹(たかくら・ひろき)・東北大学教授、総長特別補佐(研究)
専門は社会人類学、シベリア民族誌。シベリアの人類史や先住民研究を中心に、人類学的研究を行っている。気候変動や災害研究の領域では積極的に文理連携を含む学際的調査・研究を行っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/23c92ac4b3660d118f5c27e3f657f88f53cd94d5