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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

国内初、クマの犬歯の装飾品出土 アイヌ文化の実態解明へ 青森毎日新聞 2022/02/08 09:31 

2022-02-09 | アイヌ民族関連

© 毎日新聞 提供 出土したクマの犬歯を利用した装飾品=青森県南部町小向正寿寺で2022年2月4日、丘絢太撮影
 青森県南部町教育委員会は4日、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏の居城だった国史跡「聖寿寺館跡」(同町)から新たにクマの犬歯を用いた装飾品が出土したと発表した。中世アイヌ文化のクマの犬歯を利用した装飾品が見つかるのは国内で初めて。町教委の担当者は「装飾品の発見は、アイヌ文化の実態や南部氏とアイヌ文化の担い手との関係を解明する手がかりになる」としている。
 この装飾品は、2021年5月から11月までに実施された発掘調査で見つかった。15世紀後半から16世紀のものと考えられ、20年度に確認された1辺100メートル四方の方形区画中央部から出土した。装飾品の長さは6・8センチ、幅2・2センチで中央にひもを通すために2ミリの穴が開いていた。
 穴はひもを通した状態で、犬歯の先端のエナメル質部分が下がるように調整されていた。町教委によると、「出土した装飾品は、タマサイ(首飾り)やマキリ(小さい腰刀)の鞘(さや)に付属する根付などと考えられる」と分析している。
 県文化財保護審議会委員の工藤竹久氏は、「今回の出土により、聖寿寺遺跡の中でアイヌの人たちが何らかの重要な役割を担っていた可能性がある」と述べた。【丘絢太】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e5-9b-bd-e5-86-85-e5-88-9d-e3-80-81-e3-82-af-e3-83-9e-e3-81-ae-e7-8a-ac-e6-ad-af-e3-81-ae-e8-a3-85-e9-a3-be-e5-93-81-e5-87-ba-e5-9c-9f-e3-82-a2-e3-82-a4-e3-83-8c-e6-96-87-e5-8c-96-e3-81-ae-e5-ae-9f-e6-85-8b-e8-a7-a3-e6-98-8e-e3-81-b8-e9-9d-92-e6-a3-ae/ar-AATAgdo?ocid=BingNewsSearch

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南部地方の神楽とアイヌ民族舞踊が融合 厚岸かぐら、小学生に伝承

2022-02-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/07 16:00
同好会「独自の文化、全国に発信」
【厚岸】江戸末期、ニシン場として栄えた厚岸に来た南部地方(青森県と岩手県の一部)の漁師が伝えた神楽とアイヌ民族の舞踊が融合した踊りとされる「厚岸かぐら」。厚岸独自のアイヌ文化は町指定無形文化財として「厚岸かぐら同好会」(畠山竹士会長)が継承し、地元の小学生に伝えている。(山村晋)
 「棒を元気よくぐるぐる回して」。2月1日、町立真龍小の体育館に同好会の西森祐太さん(26)の声が響いた。体育館で大きな輪をつくり「助六舞(すけろくまい)」を踊る3年生35人。笛や太鼓、すり鐘のお囃子(はやし)が始まると、両手に長さ1メートルほどの棒を握り、跳ねたり、回ったり。伝承校の同校3年生は毎年、この授業を受ける。
 同校で3年間、厚岸かぐらと関わる羽石唯教諭(34)は「昔の人の努力があって今の厚岸がある。ここに生きたアイヌの人の文化だから伝えたい」と話す。
 町教委によると、厚岸かぐらは江戸末期、湖南地区に出稼ぎに来た南部地方の漁師たちが、明治初めにアイヌの人々に伝えたとされる。漁師は寂しさを慰めるため郷土の神楽を踊り、同じ漁場で働いたアイヌの人々が習い覚え、アイヌ文化の踊りと融合させて発展したといわれる。町海事記念館の菅原卓己学芸員(42)は「明治時代、正月を祝う獅子舞(ししまい)などが湖南地区の家々の玄関先で披露された」と説明する。ただ南部地方の神楽と所作は似るが、関連を裏付ける資料は少ないという。
 湖南地区のアイヌ民族の大半は1899年(明治32年)の北海道旧土人保護法施行により糸魚沢地区に移された。アイヌ民族の踊り手が1人まで減った1960年、地域住民が踊り手となる同好会が発足し、六つの演目を受け継いだ。68年にはアイヌ民族が踊り伝えた「アイヌかぐら」が、町全体の民俗芸能として「厚岸かぐら」に名称変更された。旧糸魚沢小でも伝承活動が始まり、78年に町無形文化財に指定された。
 伝承活動は99年、閉校した旧糸魚沢小から真龍小に引き継がれた。同好会が児童に教える演目は「助六舞」と「三本(さんぼん)とうじ」。真龍小OBの西森さんは、母も糸魚沢小で踊ったといい「楽しいから踊る。昔の人も祝い事や厄払いの舞を楽しんだはず」と話す。
 西森さんは厚岸かぐら少年団に入り、餅搗舞(もちつきまい)や恵比寿舞(えびすまい)など六つの演目を覚えた。少年団以来の踊り仲間で弟の亨輔(こうすけ)さん(25)は「格好良い『剣舞(つるぎまい)』が好き」、久保田将己さん(23)と杉本涼太さん(23)は「『三本とうじ』が楽しい」という。会員6人のうち5人が20代だ。「厚岸のアイヌ文化として全国に発信したい」と意欲を燃やす。町は本年度、厚岸かぐら用の衣装を新調し、活動を後押しする。大人用10着と児童用150着。伝承と普及、後継者育成を図るためアイヌ政策推進交付金約150万円を充てた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/643317

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古今東西 かしゆか商店【アイヌ伝統工芸】

2022-02-09 | アイヌ民族関連
Casa 2/8(火) 0:00配信

日常を少し贅沢にするもの。日本の風土が感じられるもの。そんな手仕事を探して全国を巡り続ける、店主・かしゆか。今回の旅先はアイヌ文化発祥の地、北海道平取町の二風谷(にぶたに)。神々への祈りを紋様に表した美しい伝統工芸と出会いました。
漫画『ゴールデンカムイ』を読んで以来、憧れていたのがアイヌの木彫りです。アイヌとは、神様や自然を意味する「カムイ」に対して人間を意味することば。今回はその文化やものづくりの伝統が今も守られている、北海道日高地方の二風谷を訪ねました。二風谷はアイヌ語で「木の生い茂るところ」。昔、オキクルミというカムイが降臨し、人々に狩りや道具づくりを教えたという言い伝えのある沙流川の流域に広がっています。
「これは “イタ” と呼ばれる伝統的な木のお盆で、こっちの小刀は “マキリ”。木彫りのデザインは作り手自身が考えるんですよ」
と、自筆のデザイン画を見せてくださったのは木彫師の高野繁廣さん。出身は東京。20代の時、旅の途中で立ち寄った二風谷の木彫りに惹かれて移住し、40年以上にわたってアイヌの伝統工芸品を作り続けている名工です。
「二風谷のイタは、モレウノカ(渦巻き)やアイウシノカ(棘)、シクノカ(目)などの伝統紋様を組み合わせ、その間を埋め尽くすようにラムラムノカというウロコ模様の彫りを入れるのが特徴です」
そう話しながら、三角刀で線を刻んだり丸ノミで立体感を彫り出したり。その美しい形や力強さに惹き込まれ、つい「これは何の柄ですか?」と質問攻めにしてしまいます。細長い楕円を十字に重ねたのは熊の神様で、雲のような図案は龍神を表すもの。海の王者シャチの背びれを模した形や、植物柄なのに角度を変えると獣の顔に見える不思議な紋様も!
「道具に彫った獣や神様の紋様が、病気やウェンカムイ(悪神)から身を護ってくれるんです」
ふと見ると、高野さんの着物の衿や袖口には、奥さまが刺繍したアイウシノカの紋様。“棘” によって大切な人を病魔から護りたいという願いの表れだそうです。
「紋様は装飾であると同時に魔除けでも愛情の形でもある。ただの柄だという人もいるけど、僕は紋様の力を信じたいんです」
それは、強さや権力を示す紋様ではなく、神様を宿すための紋様。自分や家族の身を護るために動物や自然の力をいただき、その恩恵にあやかるという、つつましい敬意のデザインなんですね。
今回選んだのは、高野さんが彫った “二風谷イタ”。手に取って美しい紋様を眺めていると、アイヌの手仕事に込められた「信じる力」の強さが伝わってきます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d0fe9991148ddfce30c87b35073152a240adcf3

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カナダ政府等の人権侵害について現地調査を――先住民族らが国連に書簡提出

2022-02-09 | 先住民族関連
Foe JAPAN2022年2月7日

(Gidimt'en Checkpoint Facebookページより。撮影:Dan Loan)
ブリティッシュ・コロンビア州スミザーズ、先住民族Wet’suwet’en領土発原文はこちら
本日、Gidimt'enのランドディフェンダー(1)らは、国連人権理事会の先住民族の権利に関する専門家機構に対し、「Wet'suwet'enの土地の軍事化とカナダによる継続的な権利侵害」に関する書簡を提出した。この書簡は、カナダの法律、学術、人権の主要な専門家によって共同執筆されたものであり、ブリティッシュ・コロンビア州(BC州)のIndian Chiefs's Unionやアムネスティ・インターナショナル・カナダなど20以上の団体が賛同している。
Wet'suwet'enの伝統的酋長であるDinï ze’ Woos (Frank Alec)、Gidimt’enチェックポイントのスポークスパーソンであるSleydo'(Molly Wickham)、そしてGidimt’enチェックポイントのメディア・コーディネーターであるJen Wickhamらにより国連に提出された書簡には、コースタル・ガスリンク・パイプライン(2)による強制的な事業化や、Wet’suwet'enの土地に対する警察の軍事行動がUNDRIPに規定されているような国際的な義務をカナダ政府がいかに違反しているかが詳述されている。
書簡は「カナダ政府や州政府が先住民族との和解を宣言しているにもかかわらず、今もなお人権侵害が続き、Wet'suwet'enの土地における軍事化、平和的に土地を守るため活動する人々の強制排除や犯罪者扱い、Wet'suwet'enの土地や文化的な場所における工事での破壊による回復不能な損失が発生している。カナダ政府やBC州は私たちの権利を抑圧する法的、政治的、経済的な策略を展開し、先住民族法、カナダの憲法、UNDRIP、そして国際法への法的義務だけではなく、和解の精神にも違反している。」としている。
提出された書簡の全文はここから閲覧可能
Gidimt'enチェックポイントのスポークスパーソンであるSleydo'は「私たちは国連に対しWet'suwet'enの領土における現地調査の実施を求めます。カナダ政府とBC州政府は私たちの領土からRCMP(王立カナダ騎馬警察)を撤退させておらず、コースタル・ガスリンク事業の許認可も停止していません。国連人種差別撤廃委員会がカナダ政府等にそう求めていたにもかかわらずです(3)。Wet'suwet'enは、先住民族の権利を守り、気候変動を食い止めるための国際的な前線になっています。しかし、武装したRCMPに威嚇され監視され、テロリストとレッテル貼りされ、植民地支配的な裁判所に引っ張り出されています。これがカナダの現実です。」とコメント。
2021年11月にRCMPがWet'suwet'enの領土に侵入したことをうけて、2月14日には30人を超える活動家がプリンスジョージのBC州最高裁判所に出頭する予定だ。2019年1月以降、3度にわたり大規模な警察による介入がWet'suwet'enの領土内で起きている。その間、計74名が逮捕・勾留されており、その中には法的オブザーバーやジャーナリストも含まれる(4)。
*プレスリリースの内容については直接現地にお問い合わせください(連絡先はこちら)
出典:
1. 訳者注記:伝統的に守り利用してきた土地や環境に対する権利のために立ち上がる活動家や先住民族、コミュニティをさす言葉。http://www.defendlanddefenders.ca/who-are-land-defenders/
2. 訳者注記:コースタル・ガスリンク・パイプライン事業は、ブリティッシュ・コロンビア州に建設中のガスパイプライン。モントニーからキティマットまでを670kmのパイプラインで結び、キティマットに建設中のLNGカナダで液化しアジア市場に輸出する。パイプライン、ガスの採掘、液化プラントには日本の民間企業や銀行も関わっている。詳しくは https://www.foejapan.org/aid/jbic02/lngcanada/index.html
3. 訳者注記:Committee on the Elimination of Racial Discrimination “PREVENTION OF RACIAL DISCRIMINATION, IN CLUDING EARLY WARNING AND URGENT ACTION PROCEDURE” 2019年12⽉13⽇
4. 訳者注記:詳しくはこちらhttps://www.foejapan.org/aid/jbic02/lngcanada/211124.html
href="https://www.foejapan.org/aid/jbic02/lngcanada/220207.html">https://www.foejapan.org/aid/jbic02/lngcanada/220207.html

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山崎さんに「文化賞」 菅野さん「奨励賞」受賞 アイヌ民族文化財団 功績たたえる  白老

2022-02-09 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2022.02.08
白老町でアイヌ文化の伝承活動を続ける山崎シマ子さん(81)が公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌市)の2021年度「アイヌ文化賞」、菅野節子さん(77)が「アイヌ文化奨励賞」を受賞し、7日に町内で贈呈式が行われた。

「アイヌ文化賞」を受賞した山崎シマ子さん

「アイヌ文化奨励賞」に輝いた菅野節子さん
 両賞は、アイヌ文化の伝承と振興に貢献した個人や団体に贈り、功績をたたえるもので、同財団が毎年実施している。今年度は山崎さん、菅野さんを含め道内外の5個人1団体を選んだ。
 最高賞のアイヌ文化賞に輝いた山崎さん=町高砂町=は、1986年から同町の旧アイヌ民族博物館に勤務し、織物や編み物など女性の手仕事を中心に伝統工芸品の復元制作に携わった。また、白老民族芸能保存会のメンバーとして古式舞踊の伝承・保存にも尽力した。現在はアイヌ伝統工芸サークル「テケカラペ」の代表を務め、伝統文化の担い手育成に努めている。
 受賞に山崎さんは「伝承活動を続けてこられたのは、私たちの先祖が素晴らしい作品を残してくれたおかげ」とし、「このような立派な賞を頂けたことをサークルの生徒にも感謝したい」と述べた。
 白老で生まれ育ち、アイヌ民族の血を引く家系ながら、親からはアイヌ文化を学ぶことはなかった。「アイヌ文化に関わらなくてもいい。それが親の教えだった。たぶん、アイヌ民族への差別など苦労したからではないか」と言う。しかし、旧アイヌ民族博物館で伝統工芸の仕事に携わってから、「先祖が継承した文化の奥深さに気付き、私の体に流れるアイヌの血を意識するようになった」と言い、「元気なうちは伝え残す活動に励みたい」と意欲を見せた。
 一方、菅野さん=町北吉原=は、町内の生活館でアイヌ文様刺しゅうの講師として活躍し、2013年に刺しゅうサークル「エミナの会」を結成。毎年、作品展を開くなど伝統文化の伝承に励んでいる。白老民族芸能保存会にも所属し、東京五輪の公認プログラムとして昨年、札幌市で行われたアイヌ古式舞踊のステージにも出演し、日本の先住民族文化を世界に発信した。
 受賞に菅野さんは「活動を通じて人と人のつながりが生まれ、広がっていったことがうれしい。賞を励みにこれからも文化振興のお手伝いをしていきたい」と話した。
 町内で行われた賞の贈呈式では、同財団の常本照樹理事長が2人に賞状を手渡し、今後の活躍に期待を寄せた。
 アイヌ文化奨励賞には菅野さんの他、新ひだか町の秋田てるさん(73)、釧路市阿寒町の秋辺日出男さん(61)、栃木県小山市の丸子美記子さん(64)、十勝管内幕別町のマクンベツアイヌ文化伝承保存会が選ばれた。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/24482

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アイヌ伝統工芸 「アットゥシ織りの世界」学ぶ 市美術博物館で12日に講演会

2022-02-09 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2022/2/8配信
 苫小牧市美術博物館は12日午後2時から館内で開く講演会「アットゥシ織りの世界」の受講者を募集している。  講師は、平取町の二風谷民芸組合に所属する柴田幸宏さん(32)。同組合で伝統工芸品「二風谷アットゥシ」の技術を受け継ぐ活動をして…
この続き:206文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/69360/

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北方領土へ理解深めて 江戸期の地図やパネル展示、岐阜県図書館

2022-02-09 | アイヌ民族関連
岐阜新聞 2/8(火) 9:47配信
 7日の「北方領土の日」に合わせ、岐阜市宇佐の県図書館で北方領土の地図を並べた企画展が開かれている。江戸や明治時代の北方領土の地図も楽しめる。入場無料。24日まで。
 同館主催、県国際交流課と北方領土返還要求運動岐阜県民会議共催。毎年2月7日は、1855年2月7日に結ばれた日本とロシアの「日魯通好条約」にちなんで「北方領土の日」としており、同館でも毎年、企画展を開いている。
 地図の展示では、北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)のほか、日本の領土だった南樺太(サハリン)、千島列島を捉えた江戸時代の古地図など同館所蔵の28点を展示。ペリー来航翌年に民間人が発行した地図、終戦後に旧ソ連(ロシア)軍が侵攻して旧日本軍との戦闘になった占守島の地図、陸の国境が確認できる戦前の樺太の地図もある。北方領土問題の経緯を解説するパネルや現地の写真なども展示している。
 北方領土は岐阜県との縁も深く、現下呂市から出た飛騨屋は江戸時代に国後島のアイヌ民族と交易。大垣市ゆかりの旧陸軍軍人、樋口季一郎は占守島で旧日本軍の自衛戦を決断し、北海道本島を守ったと言われる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/72c9c14d228eeb90263fb1721961894299e9e7d1

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永久凍土とともにある人々の暮らしと地球温暖化の影響

2022-02-09 | 先住民族関連
日経ビジネス2/6(日) 10:52配信
 永久凍土の存在は人類の生存において障害となるだろうか、それとも何らかの恵みとなるのだろうか。日本で暮らしている多くの読者にとっては、永久凍土は人間の文化を拒絶するような雪氷現象というのが一般的な見方であろう。たしかに、大地の中で数年にわたって融けきることのない氷が存在していたとして、それが人の生活にどのように役に立つのかと疑問に思ってしまうかもしれない。氷河のように美しい景観ではないため、観光利用することもできない。
 ただ、これまでの連載記事で明示されてきたように、永久凍土は夏に地表に近い部分が融解し、冬になると凍結を繰り返す現象であることを思い出してほしい。それは地中が水分を保持しているということでもある。雨乞いという言葉があるように、伝統的な農業は、空からの雨による水分の確保が重要だった。これに対し、永久凍土は、雨が仮に降らなくても、過去に蓄えられた水分を地中から得られる大地なのである。言い換えれば、降水が即時的水分供給であるとすると、永久凍土は遅延的水分供給が物質循環とともに生態系をつくっているともいえる。そのような自然の中で人類はどのように暮らしてきたのか、そして近年の気候変動は永久凍土に暮らしてきた人々に何をもたらしているのか、について考えてみたい。
●凍土がつくる生態系
 永久凍土が発達しているのはユーラシア大陸及びアメリカ大陸の高緯度地帯である。しかし、北米大陸とユーラシア西部において永久凍土は北極海沿岸部周辺と限られている。これに対して、東シベリアの永久凍土は緯度的には幅広く広がっており、南限はバイカル湖周辺にまで及んでいる。永久凍土の地理的な拡張の理由は、過去の気候と環境条件の結果にあるのだが、それは極めて興味深い。最終氷期に北西ヨーロッパと西シベリアには巨大な氷床が発達し、地表を氷が覆った。しかし東シベリアまでは氷床が及ばなかった。それゆえに、地表面を通して寒気は地中深くまで到達し、幅広く永久凍土が形成された。北極圏の南側でこれだけの永久凍土が見られるのは東シベリアだけである。
 永久凍土の遅延的な水分供給効果は、生態系形成にも寄与している。東シベリアにある都市ヤクーツクの年間降水量は200ミリ程度とモンゴルのウランバートルと同じである。にもかかわらず、東シベリアは草原ではなくタイガで覆われている。夏に一時的に融解する凍土の水が森林形成に寄与するのだ。さらに、ヤクーツク付近ではアラスとよばれるサーモカルスト地形が発達している。これは森林の中にパッチ上に広がる湖と草原の生態系である。何らの理由で凍土の水がゆっくりと融けて蒸発し、地面が陥没した結果、直径数百メートルから数キロの草原が出現するのである。このようなアラスは氷河期と比べて暖かくなった完新世に入った約6000年前に形成され、レナ川中流域の広い範囲に1万6000個ほど存在するという。
●寒冷環境の人類史
 このような自然を人類はどのように利用してきたのだろうか。アフリカで誕生したホモ・サピエンスの地球上への拡散は5万~10万年ほど前から始まるといわれている。ヨーロッパや中央アジアなどへは4万~5万年ほど前に進出したことが分かっているが、シベリアなど北緯50度以北の寒冷な場所に暮らし始めたのは、1.5万~3万年、さらにベーリング海峡を越えたのは1.4万年前である。
 人類社会で農耕が行われるようになったのは約1万年前だから、こうした寒冷地で暮らし始めた人類は狩猟採集で生存を維持していたことになる。寒冷地に進出した頃にはマンモスが生息しており、この狩猟に依存した生活だったが、マンモスが絶滅した後には、中小型の動物(さらに後には魚類)に依存するようになった。
 完新世以降の極北環境における人類の生業は大きく3つに分けることができる。1つは内陸部の狩猟・漁労である。野生トナカイの狩猟や河川や湖沼での漁業である。もう1つは沿岸部での海獣狩猟・漁業である。沿岸や河川で暮らす場合、定住的な生活を行い、内陸部で陸獣を狙うときには移動する生活だった。この2つの生業パターンは、ユーラシア大陸・北米大陸双方の先住民社会で共通している。ユーラシアだけに見られるのは、紀元5世紀頃に成立したといわれる家畜トナカイを用いた遊牧的な生活様式である。この場合、役畜としてトナカイを用いて移動能力を高めて狩猟・漁労能率を上げた場合と、19世紀に形成されるが肉畜としてトナカイを生産する場合とがあった。
 民族の数え方は様々な説があるが、北米とユーラシアで100近くになる先住民族はいずれも上記の形で永久凍土が含まれる極北環境に暮らしてきた。重要なことは、この生業は、陸域・海域の動物に依存する生業であって、先に述べた永久凍土が作り出したアラスとよばれる森林の中の草地生態系に適応するような生活様式は生み出さなかったことである。人類の環境適応は、直接食料となる資源の分布に応じて編み出されたということになる。
ステップ起源の牧畜
 しかしながら早ければ10世紀頃には、永久凍土が作り出したアラスの草原を資源として認識し、これを積極的に活用するように適応した集団が東シベリアに出現した。現在のロシア連邦サハ共和国に暮らすサハ人(ロシア語ではヤクート人)である。一説によれば、彼らは東洋史に出てくる突厥(とっけつ)の末裔(まつえい)であるともいわれるが、モンゴルや中央アジアの諸民族に共通する牧畜文化と軍事貴族層をもった集団が、バイカル湖付近から、現在のレナ川中流域に数世紀かけて分散的に北上し形成された民族である。トルコ系言語を話すが、イスラム化しなかった集団であり、また極寒の環境で、ラクダ・ヒツジ・ヤギは生存できなくなり、牛馬飼育をベースに狩猟・漁労の生業文化をつくった人々である。
 彼らの家畜飼育においては、アラスの草地生態系が重要な基盤となっている。現在であってもサハ人の間では、出身地域を示す言葉としては、河岸段丘出身者とアラス出身者という概念がある。これはその適応の初期段階において重要だった生態系が住民のアイデンティティーに取り込まれたことを意味している。
 永久凍土上の森林の中のアラスは草地で、通常その中には湖がある。「空に星があるように、大地には湖がある」というのはサハ人のことわざだが、サハ人はこの草地を牛馬の牧草地・採草地として利用し、湖沼では漁労を行い、アラスの外に広がる森の中で狩猟するという生業適応をしてきた。定住的な生活を送り、家畜の越冬のため採草するという生業が、他の極北先住民との最も大きな違いである。漁労と狩猟はシベリアの環境が供与する食料であり、この点では他のシベリア先住民と同様な生業文化をもっている。この点でサハ人の生業は南方起源の歴史文化的文脈と、寒冷地での食料となる動物の生息を資源化する適応の2つが混じり合ったものなのである。
●サハ人社会
 こうした生業複合となったサハ人社会は人口の規模でも隣接する集団を圧倒した。16世紀以降ロシア国家によるシベリア植民地化によって彼らの社会が記録されているが、軍事貴族による階層的な社会が形成されていた。統一国家まではつくられなかったが、植民地行政の中で民族の代表的存在がロシア皇帝に謁見するということもあった。なお、18世紀後半に日本からの漂流民・大黒屋光太夫や津太夫がペテルブルグに移動する途中で乗った馬車の御者はサハ人だったことが分かっている。少なくとも20世紀初頭には20万人近い人口があり、シベリア先住民の中では最も大きな社会をつくっていた。これらを勘案すると、「南方」起源のサハ人の適応の成功は、森林の中に点在するアラスの草原生態系が鍵となったということができる。
 20世紀初頭までにサハ人社会は政治家や思想家も輩出しており、ロシア革命を経て、ヤクート自治共和国を形成し、ソ連崩壊後はサハ共和国となった。現在、97万の人口のうちサハ人は40万人ほどいる。共和国の首都ヤクーツク市は人口32万人で、東シベリアで最も大きな都市の1つである。農村部のサハ人は伝統的な牛馬飼育で生計を立てながら、趣味で狩猟・漁労を行うという暮らしをしている人が多い。
●気候変動の影響
 永久凍土の上に暮らす社会としては、最も規模の大きなものがサハ人社会である。というのも、東シベリア以外では永久凍土の分布は北極海沿岸に限られ、そこでの人口はごくわずかだからである。気候変動、特に地球温暖化は、永久凍土の融解をもたらし、その結果、様々な影響が出現している。北極海沿岸部の凍土融解による土壌崩落がその最たるものであるが、これは単に人の居住地だけでなく、石油や天然ガスなどのエネルギー資源の採掘地でも発生している。2020年5月にロシアのノリリスクで油流出事故が起きたが、その原因の1つは採掘所の敷地内の凍土融解だったといわれている。
 サハ人社会にあっても、土壌崩落で家が傾いて暮らせなくなったり、耕作地や空港の滑走路が使えなくなったりする被害が発生している。図6はサハ共和国チュラプチャ郡の中にある元空港の滑走路である。ポリゴン化した地面が現れているが、これはもともと凍土に閉じ込められていた氷が融解し、その結果地面が沈み込んだのである。
 興味深いのは、土地利用の歴史である。気候変動の影響をうけてこのようなポリゴン化している場所の多くは、20世紀に森林伐採を行い人間が開発したところである。先に紹介したアラスではあまり生じていない。アラスもまた永久凍土が融解することによって形成された景観であるが、その形成速度は数百年から数千年であった。長期的な融解は相対的に安定した景観をつくっている。もちろん条件が違えば、アラスでも気候変動の影響は生じるが、永久凍土と人間が長期にわたって共生してきた場所は、比較的影響が少ないというのは興味深いことである。森林開発はソ連社会主義時代のことであり、まさに人間の生活を改善し経済生産を高めるために行われたという点で、「人新世」における人側から自然への働きかけにほかならないからである。
永久凍土の保全に向けて
 永久凍土はメタンを含んでおり地球環境全体にも大きな影響を及ぼすが、地域の生態系の持続性において、重要な意味をもっているということを強調しておきたい。実際に、サハ共和国では、永久凍土そしてその中で形成されたアラスの保全が重要な政治課題として議論されるようになっている。日本において、里山の歴史文化的価値や自然との共生という点でその重要性が再確認されるのと似ているかもしれない。このような場面において、現地の人々が自らの自然を大切に考え、その保全に向けて積極的に働きかけるのは重要である。
 北極域はロシアや米国、北欧諸国などヨーロッパ起源の国家が統治しており、その主流派とは異なる民族的アイデンティティーをもつ先住民や民族集団も多数暮らしている。サハ人もその1つである。北極域の気候変動の影響を直接うけるのは、こうした先住民たちであり、それゆえに彼ら自身の自然保全への政治的な働きかけが現在求められている。とりわけ北極域の国際問題を解決するための国際的機構である北極評議会は、先住民の政治参加を重視している。このことを踏まえながら、我が国の研究者は現地住民や現地の研究者、そして当該政府との協力の下に永久凍土の研究を進めている。
■参考文献
高倉浩樹2012『極北の牧畜民サハ』昭和堂
高倉浩樹編2012『極寒に生きるシベリア』新泉社
檜山哲哉・藤原潤子編2015『シベリア 温暖化する極北の水環境と社会』京都大学学術出版会
福田正己 1996 『極北シベリア』 岩波書店
今回の著者:高倉 浩樹(たかくら・ひろき)・東北大学教授、総長特別補佐(研究)
専門は社会人類学、シベリア民族誌。シベリアの人類史や先住民研究を中心に、人類学的研究を行っている。気候変動や災害研究の領域では積極的に文理連携を含む学際的調査・研究を行っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/23c92ac4b3660d118f5c27e3f657f88f53cd94d5

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