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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

<釧根まち物語>第2部 釧路・元町かいわい (1)青年団 “発祥の地”観光資源発掘

2022-02-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞02/23 05:00
 釧路川左岸河口、太平洋に突き出た岬の高台に厳島神社はある。今月3日の節分祭は、厄払いを受ける人が続々と訪れた。権禰宜(ごんねぎ)の菊池吉史さん(35)は「コロナ対策で分散をお願いしましたので、節分当日としてはこれでも例年より少なめです」と話す。
 神社が立つ米町1丁目の一帯は“釧路市発祥の地”と呼ばれる。江戸時代の地名はアイヌ語の「クスリ」。アイヌ民族と和人が交易するクスリ場所があり、神社の北東にある「佐野碑園」(南大通8)の辺りにクスリ会所が置かれた。神社は1805年(文化2年)、佐野碑園辺りに創建され、91年(明治24年)に現在地に遷座した。
■「素晴らしい街」
 菊池さんは4代目宮司の次男として生まれ、米町で育った若き神職。このかいわいの活性化に取り組む「くしろ元町青年団」の団長という顔もある。
 東京の大学に進学し、学生時代にリュック一つで海外を旅した。故郷に戻って感じたのは「どこにも負けない景観なのに、地元が価値を感じていない」。道外からの長期滞在者にも言われた。「こんな素晴らしい街が寂れていくのに若者は何もしないのか」
 同世代を集め、2015年に青年団を結成した。釧路市に「元町」という住所はないが、米町、南大通、浦見、弥生、大町、入舟、港町、知人町、弁天ケ浜、宮本の10地区を総称して元町と呼ぼうと決めた。熱い思いと活動が市民に通じ、元町の名は定着した。
 結成の翌年、事務局長として加わったのが相原真樹さん(44)だ。神奈川県逗子市出身。大学を卒業し、2002年に大手メーカーに就職、初任地が釧路だった。「すぐに友だちができて、4年半たって札幌への異動を打診された時には、釧路を離れたくなくなっていた」と振り返る。
 釧路市内に転職。14年に太平洋を一望する米町の高台に家を建てた。「湘南海岸でこんなロケーションの土地を買ったら億単位ですよ」と笑う。以前から市民活動に携わってきた経験を生かし、青年団を支える。
■臨港線活用に力
 青年団員は現在16人。「若者・子育て世代も元町に来て、みんなで過ごしたくなるまちづくり」をコンセプトに、「元町MAP」の作製や、街歩きイベントなどさまざまな活動を展開してきた。
 現在、力を注ぐのは、19年に廃止された石炭輸送の専用鉄道「太平洋石炭販売輸送臨港線」の跡地利用を考える「つなぐ道プロジェクト」。20年、観光客に人気だった「弁天ケ浜踏切」を踏切跡地近くに再現。資金は全国からの募金を充てた。釧路出身のピアニスト木原健太郎さんに作曲を依頼してイメージソング「つなぐ道」も作った。
 目標は、臨港線跡地の遊歩道化。菊池さんは「釧路全体にとって貴重な観光資源になるはず。道も人もつないでいく活動にしたい」と力を込める。

 釧路、根室管内の街角の移り変わりと今の姿を描く「釧根まち物語」。第2部は、釧路市発祥の地と呼ばれる「元町かいわい」です。(大倉玄嗣が担当し、6回連載します)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/648753

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沖縄の現状「植民地」 先住民族ネット 松島さん強調

2022-02-24 | ウチナー・沖縄
沖縄タイムス2022年2月24日 05:00
 琉球先住民族ネットワーク会議は23日、県立博物館・美術館講座室で、先住民族への理解を深めるシンポジウムを開いた。会場とオンラインで約150人が参加。松島泰勝龍谷大教授ら12人が登壇し、国連での活動や世界の先住民族の権利回復運動などを紹介した。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/915291

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「琉球先住民族」考えるシンポ きょう午後2時から県博

2022-02-24 | ウチナー・沖縄
沖縄タイムス2022年2月23日 05:00
 琉球先住民族ネットワーク会議は23日、県立博物館・美術館講座室でシンポジウム「琉球先住民族でぃ言(い)せー何(ぬー)やいびーが? 一緒(まじゅん)、習てぃんだな!! ~みんなで学ぼう! 世界の先住民族と国連のあゆみ~」を開く。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/914803

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多様性の時代に学ぶ、織田信長の“差別なき人材登用”の話

2022-02-24 | アイヌ民族関連
ダイヤモンドオンライン2/24(木) 6:01
 「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
● 織田信長に学ぶ、人種差別のない社会
 日本人は幸か不幸か外国語が達者でない人が多いので、外国語での会話中に人種差別的な発言をするケースは少ないのが現状です。
 日本にはまた、人種や宗教、性的指向への差別によって生じる犯罪、ヘイトクライムは多くありません。
 黒人だから、イスラム教徒だからといっていきなり殴られたり、LGBTQ+だから暴力を振るわれたりする事件は非常に少ない。それでも、差別・偏見はゼロではありません。
 アイヌや在日外国人への差別、誹謗・中傷ともいえる書き込みがSNSにはたくさんありますし、黒人に対する偏見もあるでしょう。
 たとえば、私が教えているアフリカの学生は、来日当初は「日本人は差別や偏見はない」といいます。
 しかし、2年3年とつきあううちに、「黒人だとやっぱり避けられるし、積極的に交流しようとは思っていないだろう」とポロッと漏らしたりします。
 しかし、歴史を振り返ると、日本人のアフリカに対する偏見がいかに少なかったかを物語るエピソードがあります。
 戦国時代、黒人の武将である弥助を家臣として取り立てた織田信長です。信長はオランダ人宣教師が連れていた黒人を譲り受けて、弥助と名づけ、奴隷や見世物にするのではなく、家臣にした――もしも本能寺の変がなかったら、大名として取り立てていたかもしれません。
 そうなると、黒人系の大名の一族が日本に残ったかもしれず、歴史に“if”はないといいますが、想像すると何やら楽しくなってきます。
 信長のいた16世紀は、まだ奴隷貿易も本格的に始まっていませんが、この時期に黒人を認めて重用したのは、アフリカ以外の世界では、稀有な例だと思います。
 「人種」という概念は、さまざまな文献によると15世紀頃にできたと思われます。それ以前も民族は交流しており、肌、髪、目の色、姿形が違うことは、お互いに認識していたでしょう。
 しかし、それをいうなら衣服も髪型も食べ物も、今より大きく違います。弁髪もちょんまげも、初めて見る人にとっては肌の色以上に衝撃だったかもしれません。
 「遠くからきた人っていうのは、とにかく全然、違うものだ」
 これが近代以前のグローバルスタンダードで、人種というのはさまざまな違いの一要素にすぎず、ことさらに意識されなかったのではないでしょうか。これは私の仮説ですが、人種を意識するようになったのは、奴隷貿易以降ではないかと思います。
 「違っているから面白い」
 外国からの移民が増えていくこれからは黒人を家臣とした信長にならって、思い込みを捨てていく。そこから多様性の時代のなかで、日本らしい人種問題の解決法が見えてくるかもしれません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f10bfabd6318d96600e92c033a4fc04d12d6dcb

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